30.天使との遭遇
見事な立ち回りでフィーリ達をぼこぼこにのしたルーイ達は、それはもういい笑顔で観客に礼をした。
「シータ様、こちらを」
ウェイトレスとして働くピアラが、大きめのバスケットを渡してきた。
「できるだけ料理を詰めておきました。この状態では今日の営業は無理かと思いますので」
「ありがとう、ピアラ」
ピアラは微笑むと、優しく私達を外へ促した。
「ここは私どもにお任せください。せっかくの英雄祭なのですから、こんなところで時間を使ってしまってはもったいないでしょう?」
ありがたい申し出に、私達はファントムをあとにすることにした。
スタスタと前を歩いていた少年――サリルはこちらを振り向くと、バツが悪そうに頬をかいた。
「えーっと……どうもありがとう。悪かったよ、巻き込んで。アル兄と一緒にいたってことは、あんたらおエライさんなんだろ?」
おエライさんというか、エイラ以外は貴族どころか王族だと知ったらこの少年は卒倒してしまうだろうか。
「いいのよ。サリル、その首飾り……」
「あーっと……俺の妹分のもんなんだ」
「そう。大事にした方がいいわね」
少し見ただけで分かる。サリルの持つ首飾りは、かなり貴重な物だ。なぜメイサ通りの住人がそんな物を持っているのかは知らないが、貴族、それも高位の貴族が持っていてもおかしくない代物である。
兄は私達の方を見ると、申し訳なさそうに言った。
「申し訳ありません。サリルを送っていきたいので中座させていただいてもよろしいでしょうか?」
「それは駄目です」
一刀両断してやった。一応名目は護衛として来ているのだから、何かあった場合に兄に責任を問われてしまっては困る。そんな人間はここにはいないと思うが、城での会話を誰かに聞かれていないとも限らない。できる限り兄の不利になる状況は避けたい。……あれ?
なんだかんだ言って、いつの間にか私は兄の心配をするようになっている。妹として接しているうちに、本当に兄として慕うようになってきたのだろうか。
兄は困ったように眉を下げた。
「アル兄、俺なら大丈夫だから」
「だけど……」
まぁ。だからと言ってサリルを一人で放り出すほど鬼でもない。
「私も行っていいかしら、サリル」
「えっ!?」
「アーレスト、見たところ貴方はかなり腕が立つようですね。皆さんのことをお願いしてもよろしいでしょうか?」
私の責任ならばあとからどうとでもできる。だが、何かあるなんてそうそうに無いだろう。見たところアーレストは本当に腕が立つし、ヴァッカスもそれなりに強い。何より、触れなかったがセイン皇子は底が知れない。おそらく相当訓練しているはずだ。そうでなければエイラを助けた時のような動きはできない。
だが、エイラに何かすることはないだろう。そうでなければ助けたりはしないし、おそらく何か企んでいるならば私に何かしてくるはずだ。
「それはもちろんですが……」
「行こう、アーレ」
躊躇ったアーレストを制したのは、セイン皇子だった。
「大丈夫なのですよね?」
セイン皇子はすべてを見透かしたように微笑むと、私の目をじっと見た。
私は微笑みながらも、背中に冷や汗が出るのを感じた。なんなんだろう、この圧力。何も話していないのに理解を示してくれるように見えながら、これ以上の勝手を許してくれないような圧迫感。
「ええ、もちろん」
顔には出ないように微笑みながらも緊張していると、背中に軽くぽん、と何かが当たるのを感じた。それと同時に、感じていた緊張が解けていく。
「申し訳ございません。シータをお借りします」
背中を叩いたのは兄の手だった。緊張している私の空気を感じ取ってか、誰にも分からないように背をさすってくれる。
ほっと息を吐いて、改めてセイン皇子の目を見る。
「本当に申し訳ありません。本来なら私がご案内しなければなりませんのに」
「お気になさらないでください。では、またのちほど」
さっきの空気は消え、セイン皇子はいつものように微笑んだ。
「行きましょうか」
セイン皇子はエイラとヴァッカスを促すと、アーレを従えてメイサ通りを出るために歩き始めた。
その背中を見送ると、私は兄を見上げる。
「よろしかったのですか」
「ええ。前に約束したでしょう?案内してくださると」
前にメイサ通りで兄に会った時に、東通りの方を案内してほしいと頼んでいたのを思い出したのだ。ただの社交辞令のつもりだったのだが、まさか実現してしまうとは。
「……なんか、変わってんね、あんた」
「サリル!言葉遣いを……」
「大丈夫です。サリル、そのままでいいわ」
兄に諫められて、しまったという表情をしたサリルに微笑む。慣れた口調で話してもらった方が面倒が少なくて済む。わざわざ言葉を選んで話されては、話がなかなか進まない。この少年はうまく口調を変えられるタイプには見えないし。
「ねぇ、サリル。そのネネという子はどうしたの?」
私の質問に、勝気な瞳を伏せてサリルはぐっと唇を噛んだ。
「ここ数日、具合がよくないんだ」
「ネネが?どういう症状なんだ?」
「……顔色が悪くて、寝床から起き上がれない。特にどこが痛いってわけではないみたいなんだけど、身体が動かないんだって。いいもん食わせてやれるわけじゃないけどさ、毎日食事も運んでるんだ。それでも食欲もないみたいで……」
「そうか……。一応看てみるけど、お前は大丈夫なのか?」
「俺は大丈夫」
「だが、もし感染するものだったら可能性はある。潜伏期間というのも考えられるし」
「……一度城に……いいえ、ドクを連れてきましょうか?」
私の提案に、兄は首を振った。
「いいえ。ここにはそういった子供がたくさんいます。いちいち先生に来てもらうわけにはいきません。一度例外を作ってしまえばネネしか看ないというのは不公平になるでしょう」
「では、運だと考えてみては?」
「運?」
「ええ。こういう考えは非情だと思われるかもしれませんが、私は運も実力のうちだと考えています。今日私達がサリルに会ったのは運だったのだと」
「ですが……」
「ですがまぁ、確かにそれでは寝覚めが悪いですね。よろしければ定期的に、メイサ通りの住人の健康診断を行うというのはどうでしょう?ドクも私や父が健康なせいで、いつも暇だと愚痴をこぼしていますから」
にっこりと笑うと、兄は申し訳なさそうにしながらもほっとしたようだった。
東通りの中ほどに、その建物はあった。二階建てのその家は、打ち捨てられたようにボロボロであちこちに穴が開いている。まぁ、メイサ通りにはそう珍しくはない。
ぎしぎしと音を立てる扉を開くと、部屋の隅に敷かれた布団とも言えないような布に幼い少女がくるまっていた。
「ネネ」
サリルが声をかけると、ネネと呼ばれた少女がこちらに顔を向ける。顔色の悪いネネの表情が少し輝いた。
「サリル!アル兄ちゃん!」
「久しぶりだね、ネネ」
「えへへ。今日はどうしたの。お祭りだから遊びにきたの?」
無理に身体を起こそうとするネネを制して、兄はネネの側に膝をついた。
「そう。そしたらたまたまサリルに会ったんだ。だからネネにも会いたくなって」
ネネは嬉しそうに笑ったが、表情を曇らせた。
「ありがとう。でも、本当は心配してきてくれたんでしょ?……怖い人達が来て、ネネの首飾りを持っていっちゃったから」
「……ここまで来たのか?」
兄が尋ねると、サリルが渋い顔で頷いた。
「ていうか、ここまで来て盗んでった。前にネネがどっかで持ち歩いてたのを見て目ぇつけてたんだろうな」
「そうか……」
兄が思案していると、サリルがネネに近づいて首飾りを渡した。
「ほら」
「わぁ!取り返してくれたの?ありがとう、サリル」
力なく微笑むと、ネネは首飾りを大切そうに抱きしめた。
というか、ここにいてはまた同じことが起こるのではないだろうか。おそらく兄もそのことを案じている。
先ほどの兄の言葉が頭に浮かんだが、無理矢理無視することにする。ネネの運がよかった。そう思ってもらうしかない。自己満足だけれど、目の前で起こっていることだけでも救いたいと思うのが人間ってものだ。
「ねぇ、サリル。あなた、どこに住んでいるの?」
「ここ。ネネの母ちゃんが死んでからはネネと一緒に住んでる」
「仕事は?」
「……ない。たまに靴磨きしたりしてるけど、大した金にはならないし」
つまり、食事なんかは盗みをして生計を立てているわけだ。
「じゃあ、さっきの店で働く気はない?まぁ、今日随分壊れてしまったから直すのに少し時間がかかるかもしれないけど」
「はっ!?」
「雑用が足りないってぼやいてたから、きちんと働くなら歓迎してくれると思うわよ」
「ほんとに!?いいのかよ!?」
「もちろん。条件はあの店に住み込むこと」
あの店にいれば、そうそう手を出されることはない。大体、手を出しても返り討ちにされるだけだ。
「え……。で、でも、ネネが」
「もちろん、ネネも一緒によ。ただし、その分人よりもたくさん仕事をするのよ。男の子だもの、できるわよね」
「当然!ありがとう姉ちゃん!!」
サリルがキラキラと目を輝かせると、ネネがこっちを見た。
「……お姉ちゃん、誰?」
私はネネに近づくと、かぶっていたフードを取って静かにかがんだ。
「初めまして、ネネ。シータよ」
「……わぁ」
ネネは目を見開くと、すぐに微笑んで私に手を伸ばしてきた。
「天使さまだ」
……うわー。なんだか騙しているようで心が痛い。こんな純粋で曇りのない瞳には久しぶりに出会った。出会いざまにごめんなさいしてしまいたくなる純粋さ。ふふふ、いつ頃失ったのかしら、こんな心。最初から無かったなんて思いたくないが。てゆーか、むしろあなたが天使です。
微笑むネネに、私はなぜか心の中で平謝りした。




