3.面倒事
「顔を上げよ」
聞いたことのないような冷たい声に、思わず父を見上げてしまった。父は、声とぴったり合った冷たい表情をしている。
父の言葉に顔を上げた私の兄(実際は赤の他人なんですけど)とやらは、黒髪に深い青の瞳を持つ、端整な顔立ちの少年だった。
「お前を息子とは思わぬ。私の子はここにいるリチェルシータただ一人。よって、そのように振る舞うように」
「心得ております。今回このようなご温情をかけていただいただけでも感謝を禁じ得ません」
「ならばよい。一臣下として、国のために勤めよ」
「はい」
「下がってよい」
再び深く礼をしたアルマを下がらせると、父は今までの態度が嘘のように微笑んだ。
「私はこれから来客がある。また夕食でな、リチェルシータ。愛しているよ、私のリトル・レディ」
父はまた私を軽く抱き締めると、追及されるのを恐れるように宰相を伴ってそそくさと執務室を出ていった。
残された私とレイロンは顔を見合わせる。そういえばレイロンも一緒に来ていたのを途中からすっかり忘れていた。
「……これ?面倒なことって」
「そうです。面倒でしょう?」
「そうね。でも父様がああ言ってるからには、特に私の生活が変わるわけじゃないわ」
だが、実際に王位継承するべきなのは彼の方だ。そう思うとなんだか心苦しいが、父に母の不義理をバラすわけにもいかない。
「嘘でも兄と呼んであげるのが義理ってもんかしら?」
「陛下がああおっしゃっているのだから、それは角が立つのでは」
「それもそうね。じゃあ、できる限り様子を見ていてあげてちょうだい。何かあったら父様にバレないように手回しして助けてあげて」
「かしこまりました」
レイロンは私が父の娘ではないと知っている少ない人間の内の一人だ。態度は悪いが、絶対的に信用はできる。
「ねぇレイロン。私時々思うんだけど、母様の考えは本当に正しいのかしら?正直に本当のことを言うのが道理ってもんじゃないの?」
「どうでしょうね。ですが、妃殿下の望みを貫き通すのもまた仁義というものなのでしょう。陛下にとってはそれが真実なのですから、今さらわざわざ波風を立たせる必要もありません」
「……どうも腑に落ちないわ。昔から思ってたけど、母様の言うことってどこかおかしいのよね。そもそもまるでヤクザの跡継ぎを育てるかのような育児方法に疑問を感じていたわ」
「…………まっすぐな方だったんですよ」
「……なぜ目を逸らす」
「とにかく、殿下はこれから勉強のお時間ですよ。さっさとお戻りください」
あからさまな誤魔化しと不遜な態度にイラッときたが、仮にも一国の王女、そこは根性で耐えてやった。
大人になるのよ、私。てめぇで呼びにきたくせにさっさと戻れたぁどういうつもりだとか、そのめんどくさそうな態度はなんだとか、そもそも貴様私を王女だと思ってないだろとか、物申したいことは普段から多々あるが今だけは言葉を飲み込むことにする。ああ、なんて寛大なんだろう。これが立派な王女というやつですか、母様。
「……まさかあんたが私の父親なんじゃないでしょうね」
いくら寛大な私でも、最後に嫌味をつけ足すことを忘れない。私とレイロンの歳は十しか離れていないので、実際にそんなことはあり得ないのだが。
ちなみにレイロンは、母が王家に嫁ぐ際に実家から連れてきた侍女の息子である。レイロンの母は今では侍女長の位に就いているが、頻繁に私の様子を見にきてくれる。
「殿下、どうやらまだ計算の勉強が足りないようですね。理解できるようになるまで、じっくり教えてさしあげますよ」
…………目が笑ってないし。言外におっさん扱いしたのが悪かったのだろうか。
冗談の通じないレイロンに引きずられながら、私は自室への道を辿ることとなった。




