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不義姫  作者: 折紙
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28.レストラン『ファントム』

「呼び方を統一しましょう」

 この状況に諦めた私が、全員がお忍びスタイルに着替えてある程度の自己紹介が終わってから言った言葉はこれだった。

「私の名前は国民には知られていますし、様付けや殿下という呼び方も不都合です。城下ではシータと呼んでください。幸いセイン殿下のお名前はそう珍しいものではありませんし、ご無礼は承知ですが敬称なしで呼ばせていただいても構いませんか?」

「ええ、もちろん」

 そう言って微笑むセイン皇子は、フード付きの長いマントを身に付けている。こんな顔をさらしながら歩かれては目立つこと間違いないので、申し訳ないが顔は隠してもらうことになった。残念なことに私もしっかり顔を隠すようにされているのだが。

「では、全員今日は敬称なしで呼び合うということで」

「ちょちょちょ!」

 ヴァッカスが意味の分からない言葉を発する。

「俺!俺は!?一応王子なんですけど!」

 ちっ。誰もお前なんか気にしねーよ、とか思ったが、セイン皇子の手前こらえる。

「大丈夫です。他国の王子の名前を気にする人なんてそうそういないので、なるべく控えめに行動していただければ」

 要約すれば、目立つ行動しないでおとなしくしてろよ、だ。

 私の無言の圧力を感じたのか、ヴァッカスは尻すぼみになりながら小さく返事をした。

 セイン皇子が有名なのは、その美貌からだ。その顔をさらしたまま名を呼べば気付く人もいるかもしれないが、隠してしまえばセインなんて名前は珍しくはない。

 基本的によほど有名でなければ、他国の王族の名前まで事細かに知っている人間は少ない。隣国の王子であるヴァッカスの名前くらいは知っている人は結構いるかもしれないが、ヴァッカスは特別有名だということもないので、他国の人間に容貌を知られているとは考えにくい。たとえその名前で呼んでも、隣国の王子だと気付く人はいないだろう。

「……行きましょうか」

 覚悟を決めてお忍びメンバーの顔を見回すと、アーレストがいきなり私の横を陣取ってきたのでぎょっと見上げる。首が痛くなるくらい背が高い。

「……どうかなさいました?」

 引きつりそうな表情をなんとか抑え、アーレストに向かって微笑む。

「貴女の安全を第一にと、主に命じられています」

 無表情で淡々と告げられた言葉に、セイン皇子を見る。

「勝手な真似をいたしまして申し訳ありません。ですが、貴女の安全が最優先事項だと思いまして」

 セイン皇子の行動に、なんだか自分の判断力を蔑ろにされた気がしてしまった。実際そんな気はなくても、私だけではなくセイン皇子の行動も充分軽はずみな気がする。

「セイン殿下。ここは私の国です。護衛が必要ならば他国の騎士様をわざわざお借りするよりも、初めからきちんと自国で手配いたします。自衛の手段があるからこそ、このままでも大丈夫だと判断しました。貴方は現在我が国の賓客です。御身を第一にお考えください」

「……申し訳ありません。差し出がましいことをしてしまったようです」

「いいえ。殿下は私の身を案じてくださったのでしょう。そのお気持ちは受け取らせていただきます」

 落ち込んだように目を伏せてうつむいたセイン皇子に、怒っているわけではないことを示すために軽く微笑むと、皇子は安心したように息を吐いた。

「アーレスト様。私は自国を誇りには思っていますが、必ずしも安全だとは言い切れません。何かあればセイン殿下を第一にお守りください」

 アーレストは何も言わず、静かに頭を下げただけだった。




 行き交う人々で道はごった返し、まともに歩くこともままならない。客引きの声が混じる喧騒はひどく大きく、隣を歩いているはずの兄の声も聞こえなかった。

 効果があるのかは分からないが、迷子防止のため全員服の裾を掴んで繋がっている。だが、今にも手が外れそうなほどに人に揉まれているのは間違いない。

 今まで一人で来ていたのが懐かしい。今現在の状況に比べれば随分自由に動けたので、ひどく楽だった。

 繋がっている順番は、女性に先頭はきついだろうということで、男性陣で唯一レディシア出身の兄が一番前。馬鹿王子が男の服の裾なんか掴みたくないだの、エイラを他の男と密着させたくないだのとしょうもないことで騒いだ所為で、すったもんだのあげく二番目が私、そこから続いてエイラ、ヴァッカス、セイン皇子、アーレストという順番になった。できれば来賓を殿(しんがり)に据えるなんて真似はしたくなかったが、女性を一番後ろにするわけにはいかないとセイン皇子がレディーファーストっぷりを見せてくれた。殿だなんて大げさかもしれないが、この人ごみを抜けるのはある意味戦いだ。

 一列になっていると言いつつも、私は兄とほぼ並んで歩いていた。はぐれさえしなければ隣だろうが後ろだろうが関係ないだろう。

「そこの路地に入ってもらえませんか!」

「え?」

「そこの!路地に!入ってください!」

 喧騒に負けないよう叫んだ声が聞こえたのだろう。兄は困惑した表情を浮かべた。それもそうだろう。この通りを逸れて示した路地を進めば、行き着く先はメイサ通りだ。

 だが兄はまだ少し困惑を残しつつも頷いて、人の間を擦り抜けて路地へ向かう。

 服の裾が突っ張るのが分かる。少しだが移動しようと人の流れに逆らっている所為で、後ろをついてきているエイラ達がまごついているのだろう。

 私ははぐれないように服を掴むエイラの手を握った。これなら二重で大丈夫だろう。

 なんとか路地に辿り着き、まだ空いているとは言えない道を進んでいく。それでも大通りよりはよほど歩きやすかった。

 大通りよりも細い路地とはいえ、スペースさえあれば祭りの最中はいい商売場所だ。大通りの場所取りに負けたらしい露店が道の両端に並んでいる。

 客引きの声を素通りして突き進めば、露店も人もどんどん少なくなってくる。

 戸惑うようにエイラが私の名前を呼ぶのが聞こえた。

「シータ、ここから先は……」

「大丈夫よ」

 振り返って安心させるように笑えば、エイラは少しほっとしたようだった。

「あ、そこです。その店に入ってください」

 示したのは、メイサ通りすぐ手前の寂れた飲食店。

「ここ……?」

 誰かの困惑の声が聞こえた。それもそうだろう。

 外観だけならその店はただの廃墟のようだ。汚れた壁には(こけ)が生えており、なんの植物なのか分からない蔦もあちこちの方向に向かって絡み付いている。看板は汚れて文字も読めない状態である上に、斜めに傾いて今にも落ちそうだ。

 私はきちんと全員が揃っていることを確認すると、笑顔で言った。

「皆様お腹が空いたでしょう?ここで食事にしましょう」

 あきらかにまともな食事が出てはこなそうな外観に、皆が押し黙った。兄だけは何かに気付いたように納得した表情になったが。

「ここはもしかして、〝ルーイの店〟ですか」

 こっそりと聞かれた言葉に、私は頷いた。

「やっぱりご存じでしたか」

「はっきりとした場所は分からなかったのですが、メイサ通りではルーイの店は有名ですから」

「そうでしょうね」

「とても趣のある店ですね。入りましょうか」

 兄とこそこそ話していたら、一番早く回復したらしいセイン皇子が声を上げた。趣があるだなんて、随分ポジティブな言い方をしてくれたものだ。ものは言いようだな。

「そうですね。ではさっそく」

 腐りかけたような木の扉を開くと、目の前に随分と派手な格好をした大きな男が立ちはだかっていた。

 男は古くさいデザインの赤いマントを身に付け、羽根の付いた帽子を被り、腰には剣を携えている。細身のパンツは鍛えられた筋肉が盛り上がっている所為でピチピチしていて、笑いを誘う。どこかで見たことがあるような格好なのは、英雄の一人サヴィエル・リッツの絵姿や石像で広まっているからだろう。

「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました。ルーイの店、〝ファントム〟へのご来店ありがとうございます」

「お久しぶり、ヤソック。今月のコンセプトは英雄ね?」

「これはシータ様。ご無沙汰しております。もちろん、英雄祭の間は当店のコンセプトも英雄でざいます。お気に召していただけたでしょうか」

「ええ。ただ、その格好は少し体型に合っていないんじゃない?」

 笑いを含んでそう言うと、ヤソックは長いマントで身体を隠し、大げさな仕草でわざとらしく恥じらって見せた。

「これはこれは、お見苦しいものを。失礼いたしました。おや、シータ様。本日はお連れ様が大勢いらっしゃるとお見受けしますが」

 芝居がかった言動を楽しんだところで、ヤソックが私の後ろを覗き込む。

「ええ。私の大事なお客様なの。最高の料理をお願いね」

 ヤソックはまたも大げさに腰を折って礼を取る。

「かしこまりました。最高のおもてなしをさせていただきます。さて、こちらへどうぞ」

 ヤソックが体をずらすと、店内が目に入る。誰かが息を呑む音が聞こえた。

 外観のわりに広い店内に広がるのは、一面の緑。床には本物の草が敷き詰められ、壁に描かれたやけにリアルな草原も相まって、店内が大草原のように見えた。天井には真っ青に広がる空が描かれ、絶妙な位置にライトが配置されていて、ここがまるで屋外かのような錯覚に陥る。

「いかがでしょう。英雄王が一人、アレン・ジルキリアが愛したニーナ草原を再現してみたのですが」

 無粋なテーブルや椅子は一切見当たらなく、他の客は皆地面にシートを広げて食事をしていた。まるでピクニックだ。

「……すごい」

 ぽつりとエイラが零すと、ヤソックが満面の笑みになった。

「そうでしょう。実はこれはリガーヤの方から伝わった技法を使っておりまして、うちの美術スタッフが総力をあげて……」

「ヤソック」

 店を心から愛しているヤソックに、店のことを語らせると長い。

「おっと、失礼しました。それではお席にご案内しますが、本日は床にお座りしていただくことになります。構いませんか?」

 そうだった。いくらなんでも他国の皇族を床に座らせるなんてまずいだろうか。

「僕は構いませんよ。こんな食事の仕方は初めてなので、とても新鮮で楽しみです」

 セイン皇子が了承して、エイラや護衛であるアーレストが反対できるわけがない。一応もう一人他国の王族と言えるヴァッカスがいるが、こちらはそういったことに頓着しない庶民派王子だ。

「ありがとうございます。ではこちらへどうぞ」

 ヤソックは他の客から少し離れた場所に席を用意して案内してくれた。

 敷かれていた大きめのシートに全員が座るのを確認すると、ヤソックは優雅に礼をした。

「それでは、まだ夜ではありませんが……一夜の(ファントム)をお楽しみください」

 ヤソックが去っていくと、質問したくてうずうずしていたらしいエイラが問い掛けてきた。

「ここってなんなんですかっ?」

「道楽者の元王室料理長が営んでいるレストランよ。なので味は保証しますから、安心してくださいね」

 最後の言葉はセイン皇子に向けて。

「貴女が連れてきてくださったのに、疑ったりしませんよ」

 美しく微笑む顔が嘘臭いだなんて被害妄想だろうか?まだ会って数日、それもこうして言葉を交わしたのは二、三回だ。そんな顔見知り程度の関係の相手を、私だったら無条件に信じたりはしない。

 そんな想いを隠しながら、私はセイン皇子に微笑み返した。

「そう言っていただけると嬉しいです」

 今まで馬鹿みたいに口を開けて店内を見回していたヴァッカスが、無遠慮に肩をぐいぐい揺さぶってきた。

「……なんですか、ヴァッカス」

 青筋を浮かべながらも、セイン皇子の手前にこやかに対応してやる。

「ここってなんであんな外観だったんだ?それになんでわざわざメイサ通りに近い場所にあるんだよ?」

 私は他国の王子であるヴァッカスがメイサ通りの存在だけでなく、場所まで把握しているのが驚きだと思った。これもエイラの国を隅々まで知っておきたいという、ストーカー根性のなせる技なのだろうか。

「ここの料理長は慈善活動に力を入れている方で、月に何度かメイサ通りで食事を振る舞っているんです」

 なんとも聞こえのいい言い方をしたが、実際は仮装をして寸劇を繰り広げながら食べ物をばらまき、メイサ通りを練り歩く一見変質者の集団だ。

 それから慈善活動というくだりは本当だが、実際にメイサ通り近くにこの店を作った理由は別にある。 この店の料理長ルーイは演劇や歌劇をこよなく愛していて、いつか食事とショーを同時に楽しむことができるような店を持つことが夢だった。それを知った私の母が、自分が資金援助をすると申し出た。だがそれには条件があり、メイサ通りの近くに店を構え、定期的にメイサ通りへの食料提供とその時のメイサ通りの様子の報告を欠かさないことだった。

 母はなぜかメイサ通りの更正を望んでおり、治水工事なども行う予定をしていたようだったが、志半ばで亡くなってしまった。

 ルーイの店ファントムのスタッフは、ほとんどが城で働いていた者達だ。ヤソックは騎士だったし、ここの美術担当は庭師だった。それ故に私が王女であることを知っているが、ここに来ている間は知らないふりをしてくれている。

 外観が必要以上に朽ち果てているのは、味も分からないようなただの金持ちの馬鹿よけと、メイサ通りの人間でも入りやすいようにということだ。中はどの店よりも清潔を保っているはずなので、本当にこの店を好んで来ている人間ならば外観など関係ない。

「すばらしい方なんですね」

「ええ。本人はただの趣味だと言っていましたが、私は彼を尊敬しています」

 セイン皇子の言葉に、私は素直に頷いた。

「シイィ〜タさまあぁぁ〜」

 何事かとそちらを見れば、厨房の方から凛々しい女騎士の格好をしたごついおっさんが、派手な動きで回転しながらこちらへ移動してきた。……ルーイだ。尊敬はしているが、この女装はやめた方がいいと常々思っている。

「お久しぶりでございますうぅ〜!最近めっきりいらしてくださらないので、私のことなどすっかり忘れ去られてしまったのかと思っていたのですよっ。あ、こちら本日のオススメになります」

 私はいつもメニューで注文するのではなく、その日のオススメメニューを頼んでいる。一応他のメンバーには別のメニューも見せた方がよかっただろうか。

「久しぶり、ルーイ。申し訳ないけど、メニュー表を貸してもらえる?」

「おや、珍しいですね」

「こちらの方々にお貸しして」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

 私以外のメンバーを認識すると、ルーイはガタイのいい身体を軽やかに弾ませながらカウンターの奥に引っ込んでいった。

 暫しの沈黙が下りる。

「あの……今の方男性、ですよね?」

 エイラが遠慮がちに尋ねてくる。

「ええ、間違いなく」

 というかあんな女がいたら嫌だ。

「なんて……」

 しまった。正統派のご令嬢であるエイラには刺激が強過ぎただろうか。

「なんて美しい方なんでしょう!」

「………………は?」

 俯いていた顔を上げたエイラの瞳は、それはもうキラッキラに輝いていた。

「あの身長、あの体躯!何よりあのがっしりと美しくついた筋肉!そして岩のような顔!ああ、彼ほどあのような凛々しい女性騎士の格好が似合う方を私は知りません!何より女性よりも美しい!」

 どうしたんだろう、エイラは。短い付き合いではないはずなだが、彼女のこんな姿は初めて見る。そして男性メンバーが完全に引いている。

「エ……エイラ……?」

 ヴァッカスが情けない声でエイラを呼ぶが、それすらも聞こえていないようだ。

「彼こそが私が目指すべき理想の女性像!ああ、今すぐ弟子入りさせていただけないでしょうか」

 盛り上がっているところ悪いが、あんな男の中の男みたいな外見のどの辺が理想の女性像なのかを具体的に教えてほしい。そもそもルーイは男性だ。

 うっとりするエイラを唖然と見る男性メンバー達。ちょっとのことでは笑顔を崩さない、動じないようなセイン皇子でさえ表情が崩れている。

 浅くはないはずの関係の幼なじみの嗜好を、初めて知った瞬間だった。

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