19.前夜祭の朝
その光景を見て、思わず目をつむってしまいたい衝動に駆られたのは仕方ないことだろう。
英雄祭は一ヶ月に渡り行われる。さらに貴族には英雄祭の前日、前夜祭という名の舞踏会が開かれることとなる。城下では小規模ではあるが、平民も広場などで催しをしているらしい。
今日はすでに前夜祭の朝。明日にはエストラーガの皇子がレディシアに訪問するはずだ。
朝からこれでもかというくらいコルセットを締められ、豪華なドレスを着せられた。おかげで朝食もろくに食べられやしない。
「うえ……」
意地で詰め込めるだけ詰め込んだ朝食がせり上がってきそうだ。自室への道をよろよろと歩く。
自室の前に着くと、なぜかマーサが満面の笑顔で待ち構えていた。
「……マーサ?」
「リチェ様、お客様です。侍女室にお通ししているのですが、どうなさいます?」
侍女室とは王族の部屋に隣接する、侍女の為の控えの間だ。いつ呼び出されてもすぐに仕事にかかれるよう、私の部屋と直通で繋がっている。その他で仕事以外の日は、もちろん侍女達にも自室が与えられている。
「お客様?」
マーサが侍女室に直接入れたということは、内輪の人間だろうか。だったら、別に警戒することはない。
「プライベートなお客様ってことね?私の部屋に通してもらっても構わないわ」
「かしこまりました!」
マーサは私の為に扉を開けてくれる。私が中に入ると、早足で侍女室へ消えていった。
一体何を浮かれているのか知らないが、今の私はそれどころではない。締め付けられた胃が崩壊しそうだ。
ソファーへ移動すると、重力に任せて派手に座る。もうこのままドレスを脱ぎ捨ててしまいたい。
昔は母の手前意地でもつらそうな様子を見せるわけにはいかなかったが、母が亡くなってからは反動のように思うままコルセットへ対する呪咀を吐き出し、避けてきたツケが回ってきたのだろうか。母が見たら「王女なのだから当然の義務です。泣き言を言うのはおよしなさい」と言うに決まっている。
なるべく胃が締め付けられない体勢を探してもぞもぞしていると、ケイトが直通の扉から入ってくる。
「シータ、お客さん通すよー?」
「了解」
思わず溜息を吐くと、気合いを入れて身体を起こした。
一息置いて入ってきたのは、意外な人物だった。
「失礼します、殿下」
「……兄様?」
マーサがにこにこと兄の後ろからついてきて、高らかに宣言した。
「婚約阻止し隊、隊員の追加です!」
決してコルセットだけの所為じゃない痛みが、胃を襲ってきたような気がする。心なしか頭痛もする。
「……兄様。マーサとケイトの戯言に一々付き合ってくださらなくてもいいんですよ?」
戯言だなんてひどいです!と喚くマーサをスルーする。
「いえ、ぜひ参加させていただきます」
柔らかい笑みを浮かべる兄。だが、言っていることはとち狂っているとしか思えない。
「国際問題に発展しては困ります」
「もちろん。無茶は致しません。できる範囲内での行動をします」
「……途中で無理だと分かれば、きちんと引いてくださいます?」
「はい。引き際は大事ですよね」
にこにこと笑う兄。本当に分かっているのだろうか。
「とりあえず、今夜の舞踏会には医師という形で参加させていただくことになりました。……本当はこちらのご報告が本題だったのですが」
苦笑する兄に、マーサとケイトが無理に引き止めたのだと知る。二人を軽く睨むと、あらぬ方向に視線を逸らされた。
「医師として……ですか」
「はい。ドク先生がいい機会だからと、陛下に許可を取ってくださって。前夜祭は患者が多いそうなので」
それもそうだ。貴族だって羽目を外して盛り上がることもある。それだけ英雄祭が心待ちにされているということだ。
「忙しくなるでしょうが……よろしくお願いします」
「こちらこそ。若輩者ではございますが、精一杯やらせていただきます。具合が悪くなったらすぐにおっしゃってくださいね」
「もちろん、真っ先に」
と言っても、具合が悪くなったことなどここ数年とんと思い浮かばない。健康万歳。
「さ、それはともかく、忙しくなりますよ、ケイトさん」
「え、何?……っと、何ですか」
マーサに睨まれ、ケイトが言葉遣いを改める。
「リチェ様のお召しかえです。そのままでも十分お美しいですが、一番綺麗なお姿にして、貴族共の度肝を抜いてやるのです!」
振り上げられた拳を見て、思わず遠い目をしてしまう。さようなら自由、こんにちはコルセット。
今よりも締め上げられるだろうことを予想して、思わず腹部をへこませてしまった。




