第9話「化け狐」
「おい、そこの鼠。」
それは仕事場(ほとんど本来の仕事はしてないが)に行く途中だった。
気に入らない声が勠路を呼び止める。
無視をしたかったが、相手が相手なだけに、そうも行かなかった。
「………俺の事ですか?」
「貴様以外にどこに鼠がおる?」
視線を向けた先に居たのは、総監の真戒だった。
相変わらず、気味の悪い笑みを浮かべている。
「失礼いたしました。
鼠と言われましても、人故に理解が出来ませんので。」
相手にするまいとは思ったが、流石に怒りは消えなかった。
「おぉ、それはすまんな。
ある知人に"鼠を送り込む"と言われていてな。
てっきり、鼠という愛称なのかと思っておったわ。」
けらけらと軽い笑いをあげる真戒。
一方、勠路は「あぁ」と一人納得していた。
「まぁ、こそこそと獲物に近づくのは、まるで鼠そのものだがな」
すっと、鋭い視線を向ける真戒。
その目は威嚇というより、面白がっている。
下手に隠した所で、どうせ見透かしているのだろうと、返事をしなかった。
どう考えても森羅の事だ。
勠路はとにかく「面倒臭い」としか思わなかった。
「安心したまえ、咎めるつもりは無い。
むしろ、褒めてやってもかまわんぐらいだ。」
どこまでも見下し続ける態度。
勠路はわざわざ構うこともせず、ただ、返事すらもしなかった。
「あやつが絵さえ描けばよいのだからな。」
ケラケラと軽い笑いをあげる真戒に、勠路は率直な疑問を投げた。
「………本当にここの城主が絵を望んでいるのか?」
笑いがぴたりと止まり、冷たい視線を一筋送ると、すぐににやりとした笑みを見せた。
「何故そんなことを?」
「絵の価値など知らないからかな」
華奢な体を鎖でつなげるほど、たかだか一枚の絵にどれほどの価値があるのか。
勠路は芸術や美徳に全く興味が無い男だった。
だからこそ、有名な森羅の名前も知らなかったのだ。
そこまで執着出来る何かがある。
まず、そのことが理解出来ずにいた。
そんな彼の様子に、意外な事に真戒は真面目に答えた。
「良い事を教えてやろう。絵の善し悪しはどうでもよいのだ。」
「………下手でもいいということか?」
「簡単に言えばそうだ。
ただ、"森羅が描いた絵"であれば充分。
あやつは名前だけでもはや価値を成す。
誰も文句が言えまい。」
「"帝"ですらもか?」
この世で最も尊い名前を出され、真戒の目が細まる。
その様子に怯む事無く、勠路は続ける
「"龍"は帝の象徴。
また、帝の守り神としての意味を持つ。
ここを帝の寵愛を賜る場所とするつもりか?」
勠路の指摘に驚いたものの、真戒はすぐに笑顔に戻る。
「面白い、貴様はずいぶん頭の良い鼠のようだな。
まさに、その通りよ。
龍を飾ることで、ここは帝の直轄であるという事を民衆に知らしめてやるのよ。
森羅の絵ならば、誰もが認めざるをえまい。
破り捨てることも出来ぬからな」
龍を飾る事は、帝から直に命令を受けているという証拠。
だが、岩牢城がそんなことをしているという話は聞いたことが無い。
この城を発案し、作ったのは城主の明夜自身だからである。
「明夜様は帝の為にこの城を建てられた。
ここで悪を断ち切り、より良い国を作るため。
なればこそ、龍を飾り民に知らしめる。
全て、帝が治める世の為に。」
ふうん、と気の無い返事をする勠路。
とにかく彼にはそんなものどうでもよかった。
帝に執着する想いも、民を想う帝の心も。
何かに想いをはせる、そんな感情を今まで、得た事が無かったのだ。
「おい、鼠。貴様はずいぶん賢い奴のようだな。
出所したら、我が下で働け。悪い話ではあるまい?」
思いもよらぬ就職口が出来たものだ。
職を失っている今、とても有り難い話だが、真戒の下というのは御免だと思った。
考えておく、と言おうとした瞬間。
大きな声が聞こえた。
「真戒の化け狐ぇー!!性悪男ぉー!!
悪いのは目つきだけにしとけぇー!!!」
こんな事を言えるのは一人だけ。
天真爛漫、自由奔放。"彼女"だけ。
そして、どこからともなく(控えめな)笑い声が多数聞こえてきた。
「………何かしたのか?」
明らかに血管が浮き出た真戒に、勠路は素直にたずねた。
「我が知るか!!黙らせておけ!!!」
そう言って、怒り心頭で立ち去った。
監視を一喝する声が聞こえた所で、ようやく彼は森羅の元に向かった。
彼がたどり着くまで、延々と森羅は真戒の悪口を叫んでいた。
何があったのかと聞くと、
「嫌いな食べ物を食事に出された」
と、こっちも怒り心頭で怒鳴っていた。
真戒の話し相手も面倒だったが、彼女を黙らせる面倒さに比べれば、
たやすいものだと、心から思った。
続く