第6話「人殺し」
面倒だ。と、頭の中で文字を浮かべ100回。
十中八九関わって良いことは無い。
このままで、いいのだ。と、心の中で自分に言い聞かせ200回。
どんなに言い訳をしようと、どんなに理由を探そうと。
良い答えは一つも出てこない。
そうわかっているにも関わらず、気持ちは微塵も晴れてはくれない。
基本的に律儀な人間。それが勠路なのである。
一晩中悩んだ末、翌日の今日。
変わらずいつもの場所に腰を降ろしているが、
飛んでこない石の存在に殊更、不快感を覚える。
鉄格子の窓をちらりと見るものの、それらしい気配も無い。
結局、堪えられず窓に近づいてしまう。
「おい。」
返事は無い。中の様子もわからない。
だが、確かなのは近い場所に彼女の気配があるということだけ。
「聞こえてるんだろ?」
その気配に動く様子は感じとれない。
「散々、人を呼び付けといて、今度は自分がだんまりか。随分、勝手だな。」
正直、自分で言っておいてなんだが、こういう言い方は好きでは無い。
拗ねた子供相手に自分の大人げの無さを知ってしまうから。
ただ、そういう言い方ではあるものの、ようやく相手が動く気配がしたのだ。
しかし、何やら騒がしい音がした。
監視と思われる数名の足音が入ってきたのだ。
勠路は咄嗟に体を屈め、聞こえてくる音だけで中の様子を伺う。
「ずいぶんと寛いでいるようだな。絵は完成したのか?」
聞き覚えのある声だった。勠路は記憶を辿って思い出す。
それは、この岩牢城に初めて来た日、岩牢城の代表者として話をした人物。
岩牢城の城主の次に権力を持つ男。
名を真戒という。
「見ての通り、何を描いていいものやらさっぱり思いつかなくてな。
………まぁ、描きたいとも思わぬ。」
「我が主、"明夜"様を象徴するものでよかろう。そうだ、龍がよい。」
明夜とはこの岩牢城の城主の名前である。
そしてこの堅牢な城を作った人物としても名が知れた存在だ。
「あの爺に龍?馬鹿馬鹿しい。ちっとも想像つかんわ。
古代の英雄、龍狩士の古勇にでもなったつもりか?」
もはや伝説でしか無いお伽話だが、かつてこの地に脅威をふるっていた龍の存在があった。
その龍を退治したのが、古勇という人物だという言い伝えが残っている。
森羅のふてぶてしい態度は常と変わらないが、どこか不機嫌な感じを得た。
だが、真戒はそんなことに構うことをしなかった
「描かねば貴様は一生ここに居る羽目になるんだぞ?人殺しなのだからな。」
姿は見えなかったが、真戒が笑みを浮かべている気がした。森羅は言葉を返さなかった。
「故意で無いとは言え、貴様は立派な人殺し。
処刑されても何ら不思議は無い所を、明夜様の恩情を受け、絵一枚で許されようというもの。
………どれほど貴様が良い待遇を受けているかは承知のはずだろう?」
真戒という男は心底、人を馬鹿にしたような笑い方をする。
初めて見た時にも感じた事だが、勠路はこの男の事も好ましく思っていなかった。
「そんな恩情など要らぬ。とっとと殺せ。」
静かに、それは鋭い剣のように言い放たれた。
感情の温もり全てが無に還るように。
天真爛漫な普段の彼女を微塵も残さない。
声だけにも関わらず、勠路の心はひやりと感じた。
「………死よりここに生きながらえるほうが、貴様には罰になろう?」
気味の悪い笑い声と共に足音が遠ざかって行く。
そこには静寂だけが残った。
声をかけられず、ただじっとその場で動けずにいた勠路に、森羅は近づいた。
「早く去れ。用は無い。」
姿は見せないまま、森羅は冷たく言い放つ。
彼は近くに咲いてあった花を一輪手折り、彼女に見えるよう、そっと鉄格子に置いた。
「………明日、また来る。」
そう言って、彼は静かにその場を立ち去った。
森羅は置かれた一輪の花を静かに手に取り、じっと見つめた。
そして、ふっと柔らかい笑みを浮かべたのだった。
続く