第20話「元気出ない?」
闇から光に変わる。
外は夜のはずなのに、視界は明るい。
壁にかけられた真っ白な布に、真っ黒な物体が見える。
大きく、力強く、そして豪胆のようで繊細な。
どくん、どくんと重圧のある鼓動が聞こえてきそうな。
一匹の大きな龍が存在している。
まるで布に捕われてるかのような。
だけど、すぐにでも飛んでしまいそうで。
胸が焼けるように熱い。無意識に胸元を抑えていた。
「勠路………?」
そう呼ばれるまで、息をすることも忘れていたことに気がつく。
動かない彼が心配になった森羅だったが、ようやく彼が目を合わせてくれたのでほっとした。
そっと、彼の手に自分の手を重ねる。
「苦しいの?」
「いや…、胸の奥が焼けるみたいだ。」
「それ、私が初めて勠路を見た時と一緒だな。」
驚く彼に対し、森羅は嬉しそうに話す。
「勠路を初めて見た時、凄く胸の中が熱くなった。
自分の中の何かが言うの"あいつを描け!"って。
なんでかわかんなかったけど………今はわかる気がする。」
龍を眺める目をすっと細める。彼女は自分の胸に手を当てて、今一度確信した。
「私はきっと、これを描くために生まれてきたんだよ。」
今までに見たことの無い、清々しい表情の彼女がそこに居た。
幼くない、ずっとずっと大人の顔、そんな彼女。
そして、それは少し淋しげな表情に変わり、自分の手を見つめる。
「もう………絵は描けないだろうなぁ…………。」
森羅は全てを失った気分だった。
人生かけて絵を描いてきた。
何故だかわからないが、二度と「描きたい」と思えないことを確信していた。
体中にたまっていたものが全て出て行って、空っぽな体だけが残った。
そんな感じがするのだ。
「じゃあ、新しいことを探せばいい。」
彼女の両手を引き寄せる勠路。
目を合わせ、優しく頬に触れる。
「………見つかるかな?」
「見つからないなら探し続ければいいだろ。
これから色々見せてやるし。」
「いつまで勠路は………。」
私の旅に付き合ってくれるのか聞こうとして口を閉じた。
自分の宿命を思い出した。これ以上、彼に偽ることが嫌だった。
会えなくなるということだけでも、こんなに苦しいのに。
そんな森羅の心情まで、勠路は見抜け無かった。
だが、彼女が何を言いかけたのかはわかる。
「一生付き合ってやるよ。」
迷い無く、真っ直ぐに言う彼の意思に、涙が出そうになりながら、
森羅は「どうして?」ときいた。
軽くため息をつきながら、少し照れたように言う。
「"嫌だ"なんて絶対言うな。」
ぐっと彼女の体を引き寄せ、距離を縮める。
「森羅、俺は………お前に惚れてる。」
その言葉に森羅はきょとんとした表情を浮かべたかと思うと、
視線を外し、深く意味を考え出す。
流石の彼女の鈍さに慌てたのは、一大決心をした勠路のほうで、
あぁ、もう!と呟き言う。
「つまり、俺はお前が好きなんだ!
だから一生そばに居てくれってことだよ!」
そう言われ、あぁ、と納得した森羅。
そしてしばしの沈黙。
宙ぶらりんなままの勠路の想いと、どうすればいいのかわからない森羅。
がっくりと落ち込んで屈む彼に慌てて森羅も屈む。
「勠路っ………あ、あの、そのっ………。」
「いや、いい。大丈夫だ大丈夫。」
顔も上げず、彼女の頭を撫でる。
森羅がこういう事に疎いことぐらいわかってた。
自分も今言うつもりじゃなかった。
時が悪かったのだ。
少し顔を上げると、やっぱり泣き出しそうな彼女の表情があって、しょうがないと思えた。
「お前は俺が嫌か?」
ふるふると首を横にふる。
「こんな風に触られてても平気か?」
深く縦に頷く。これでいい、と思った。
森羅が素直に意思表示をしてくれる。
それだけでも、どこか優越感を覚えたのだ。
「なら、俺はそれで十分だ。そばに居てくれ。」
彼女の体を抱き寄せ、腕に力を入れる。
多くは望まない、ただ、彼女が側に居てくれるなら。
彼女の存在に触れられるなら、それでいいと。
心の底から、欲したことだった。
一方、森羅はふと想嵐を思い出した。
想嵐と鈴葉がしたある行為について、
「どうしてそんなことするんだ?」
と想嵐に直接聞いたことがある。
赤面して悩んだ彼だったが、きちんと説明してくれた。
「お互いに、あなたが必要ですよって意味です。」
「口で言えばいいだろう?」
「時には言葉にならない事もあります。
それに言葉で伝えるより、行動で示したほうがいい事も。」
難しそうな顔の森羅に、想嵐は笑顔で言った。
「じゃあ、こうしましょう。
いつか森羅様の前に、森羅様がそばに居たいと思う殿方が現れて、
その方の元気を出させたいと願うなら、さっきの事をしてあげて下さい。
きっと、元気になられますよ。」
想嵐はそのことを彼女に約束させた。
森羅はそんな人間など居ないと思っていた。
この時までは。
「勠路。」
「何だ?」
体を離し、顔を合わせる。
しばらく目を合わせただけだったが、
彼女は彼の顔を両手で包み込み、そのまま近づいた。
そっと唇に口づけて、ゆっくりと離す。
変わらない表情の彼に首をかしげる森羅。
表情が変わらなかったのは、あまりに驚きすぎたせいだが。
「お、お前………、何したかわかっ……。」
思いも寄らない彼女の行動に、流石に動揺が隠せない。
けれど、森羅はしれっとした顔で容赦なく言う。
「想嵐が、そばにいて欲しい奴にしろって言ってた………んだけど。」
元気出ない?と聞かれ、益々複雑な勠路だったが、
素直に嬉しさが込み上げた。
「………もう一回したら、元気出るかもな。」
じゃあ、と言ってまた触れてきたので、今度は逃がさないように、彼女を捕まえた。
そして、深く深く口づける。ようやく離れた頃、顔を真っ赤にした森羅の顔を見つけた。
勠路は照れながらも彼女に言う。
「報酬を貰うぞ」
続く