第15話「ほんの少しだけ口の端を」
昔から森羅という人物は"感情"に対して、極端に理解を示さなかった。
その中でも"涙"というものには殊更理解出来なかった。
高名な師が亡くなり、真戒をはじめ、
周りの同門達は皆涙を流し、悲嘆する。
人間にとって"死"は必ずやってくるものであり、受け入れるべきもの。
何故、そんなにも涙を流すのか、何が悲しいのか、さっぱりわからなかった。
これが欲しい、あれが欲しいと思ったことも無い。
唯一、絵を描く衝動だけは抑えられなかった。
描きたい、という想いでは無く、描かなくてはならない。
描かねば己の何かがおかしくなりそうなほど、それは強く、彼女を動かす。
彼女にとって、描くことは寝るより食べるより重大だ。
息をすることすら、負けてしまうのでは無いかというくらい、大きな事だ。
そんな中、想嵐と鈴葉の二人との出会いは大きかった。
人の恋というものを学び、喜びというものも間近で知る。
何故、二人が自分の絵に対して喜んでくれるのかはわからなかったが、
他に絵を欲しがる人間とは違う"喜び"に、温かさを感じた。
そして、初めて名前を覚えた人物でもあった。
森羅は人の名前を全く覚えない性格だ。
師の名前ですら覚えていないのだ。
それが、二人の出会い以降、人の名前を覚えるようになる。
真戒は、顔を覚えていたものの名前は岩牢城に来て、覚えた。
そんな想嵐に憎しみを教えられた。
二度と絵を描くまいと思った。
だが、勠路を見つけた瞬間、衝動が抑えられなくなったのだ。
今、森羅は彼の腕の中で人生初めての涙を流す。
何と言えばいいかわからない感情が、苦しみを生んで、涙が止まらない。
「嫌だ、もう描きたくないっ…」
ひたすらに泣きじゃくる彼女の頭を撫で、なだめる。
監視達も何故彼がここにいるのか疑問に思ったが、
森羅の扱いにも困り果て、とりあえず彼に任せるしか無かった。
しばらくして、やってきた真戒は初めて見る森羅の状況に、
驚きのあまりしばらく固まったが、自分ではどうしようも無いと、、
立ちすくんでいた監視達を引き上げさせ、自らも立ち去った。
「森羅……」
「嫌だ、もう嫌だっ…皆、私の絵で死んでいくっ…」
「お前の絵が原因なのでは無い。」
「師匠も死んだ!私が描いた後に!!」
「森羅、落ち着くんだ。」
「"麒麟"を……麒麟を描いたんだ………師匠に、それを感じてっ………」
初めて、誰かを描いたのは師だった。
今のように情報収集などしなかった、
長年近くにいたために、する必要が無かったのだ。
そして、その一ヶ月後、師はこの世を去った。
「森羅。」
勠路は力ずくで彼女の顔をあげさせ、目を合わせる。
そして、彼女の耳元に一輪の花を飾った。
彼も鉄格子の事を思い出し、戻ってきた。
その途中で手土産に花をつんだのだ。
まだ涙が流れる瞳を真っ直ぐにとらえ、彼女の髪を指ですきながら、
勠路はゆっくりと、そして柔らかく言葉を伝える。
「お前の師が亡くなったのは寿命だ。
想嵐の家族が亡くなったのは、強い心を持てなかった為。
お前が描いた絵のせいではない。」
「だけど!」
「お前の絵を見て、皆悲しい顔をしたか?」
「かなしい…かお………?」
「お前の師も、想嵐も、お前の絵を見て笑っていなかったか?」
彼の言葉に、記憶を辿る。
鳳凰と不死鳥をならべ、自慢げな笑顔の豪商。
不死鳥の絵を照れたように眺め、そっと微笑む鈴葉。
鳳凰の絵を見て、突然涙を流す想嵐。
だが、彼はすぐに笑みを浮かべた。
そして、生まれて初めて絵を人に渡した。
渡された師はいつも難しい顔をしていた。
常と変わらぬ視線で絵をぐるりと目に入れる。
一巡して視線を森羅に戻し、一度だけ頭を撫でた。
微かに見えたのは、ほんの少しだけ口の端を上げた表情だった。
戸惑うような視線を勠路に向ける森羅だったが、
彼はより一層、優しい笑みを浮かべて言う。
「言ったはずだ、お前は人を知らなさ過ぎる。」
そして彼女の小さな体を抱え上げ、窓際に座らせ、視線を合わせる。
「こんな狭い場所にいるから視界が狭くなるんだ。
さっさと絵を完成させて、こんな所から出てしまえ。」
"絵"という単語を聞き、極端に表情を曇らせた。
「絵は!」
「俺は死なん。」
森羅の言いたいことを察知して先手をうつ。
「生きて、お前に証明してやる。
お前は魂喰らいなどでは無い。
そしてお前の知らない世界を見せてやる。
色んな場所を案内してやろう、この俺が直々に。」
嫌か?と聞かれ、森羅は真横に首を大きく振った。
その様子に笑みを零す勠路は、再び涙を流す彼女が泣き疲れて眠るまで、
彼女を優しくなだめ続けたのだ。
続く