03.指針
ばんははろ、EKAWARIです。
さてさて、漸く疾風族サイドが出てきました今回ですが、戦闘は次回以降な予定です。おさらいと嵐の前の静けさ回。はじまりはじまり。
生まれ持った力だけを見たのならば、彼は英雄になりえる人物だった。
その生き方次第によっては、彼は英雄になるのも夢ではない人物だった。
けれど、能力の強さと精神の強さとは決して同等ではない。
英雄は力があるから英雄ではなく、人と違う道を選択しても歩いていけるからこそ英雄になれるのだ。
心も体もどちらも揃ってこそ、人は英雄になれる。
それを考え見れば、残念ながら彼はあまりにも心が惰弱すぎた。
これはただそれだけの話。
故にこそ、破滅の女神は笑う。
03.指針
今はもう荒れた死の大地。ここに昔は「ニホン」という長い歴史をもつ国があったのだという。けれど、それはもう遠い昔の話。今の人類は地下シェルターを己が住処とし、当時で言う国は消え、強いて言うならば自分たちが住む地下シェルターの街こそが彼らにとっての国だった。言語や民族など、かつて同じ国だったものを示す残骸にしか過ぎない。
地上とは死灰世界のことだ。マトモな人間は地上になど出ようともしない。
地上がかつて緑豊かな生に満ち溢れた場所であったのは遠い過去だ。人が地上に出たところで、一日と保たず死んでしまう。地上が浄化されるには少なくともあと400年はかかるというのが、科学者連中の見解だし、何より地上は「人鬼」の王国だ。例え、浄化され人が生きていける世界になろうとも、群れ、年月ごとに数を増やす人食い亜種共の巣窟に一体どうして戻ろうと思えるであろうか。
そして、そんな荒廃した地上を渡る影が二つ。世にも珍しい黒髪を長くのばした青年の人鬼と、茶色い髪の愛くるしい顔をした人妖の少女が、布を広げて野営の準備をしていた。
「ねぇ、金斗、それで、本当にこっちであっているの?」
ぱっちりとした青い目が印象的な人妖の少女、青雷は可愛らしく小首をかしげながらそんな言葉を口にする。
「ああ・・・明日の夕刻にはつくはずだ」
そう答える黒髪の青年・・・今はもう滅んだ人鬼の一族、夜月族の最後の生き残りたる金斗羅だ、は明るい少女の様子とは対照的に、苦々しく吐き捨てるような声音でそんな言葉を吐く。本人は忌々しく乗り気でないといわんばかりだ。この会話の内実を考えればそれもそのはずといえるのだが。
青年はため息を一つつくと、どことなく縋るような色を宿しながら、「なぁ」と少女に声をかける。
「本当に、長だけでいいんだな?」
それは確認だった。少女は笑って言う。
「そうだよ。必要な血は僕を封じた奴らの直系の血だけだからね」
その笑顔は天使のような愛くるしさで、であるからこそ逆に、そこが金斗羅にとってはとてつもなく不吉で不気味だった。
金斗羅は先日、飢え死にし掛けのところを不本意ながらもこの目前の少女・青雷に救われた。
そこで出された交換条件、それは「封印されている青雷の本体の封印を解く」ということ。自分の封印を解くのと引き換えに食料と剣をあげるとそう言われ、逃走に失敗した金斗羅はその方法も知らぬまま頷いた。
その『封印を解く』というのは抽象的な言葉だ。それだけなら何をさせられるのか検討もつかない。だが、後に明かされたその具体的な内容については、それは金斗羅にとっては晴天の霹靂とさえ言えるほどとんでもない方法だった。
そう、その方法とは、彼女を封印したという四つの人鬼の一族の長を皆殺しにして、青雷から渡された、自分から離れることのない一見豪奢な金の短剣「金皇鬼」にその血を吸わせ、彼女の本体が封じられている結晶に突き刺すということだった。
つまり、それは同族を襲い、殺せという発言も同然で。
金斗羅は人鬼だ。一族が滅んだ後もその掟やモラルは彼の中にしっかり根付いている。
人鬼からすれば獲物といえる人間を殺すのでさえ、食わぬ分は躊躇する男だ。それは命を狙われている場面でもそう。戦うくらいならば逃げるほうを選ぶのがこの男だった。
元々は夜月の長の息子として生まれ、温室育ちだった金斗羅だが、一人で生きることを余儀なくされたこの十年で大分擦れ、口こそゴロツキのように悪くなったけれど、それでも戦わずにすむのならばそれが一番だなどとそういう考え方をするような男なのである。それが突然同族を殺せなどといわれて「はい、そうですか」と思えるはずもなく、食って掛かって逆に地へと伏せられた。
人鬼の天敵種たる幼い外見の人妖の少女から、命の恩人であるということをちらつかせられつつのあからさまな恫喝を受け、足蹴にされた屈辱はある。だが、彼の根は善良ではあっても強靭ではないし、救われたというのも事実なので少女に対しての後ろめたさもある。また彼は伝説に並ぶ英雄のような我の強さや不屈の心などは持ち合わせていなかった。彼のプライドはそう高いものではないのだ。寧ろ、彼の精神は惰弱で臆病ですらある。だからこそ、嫌悪を覚えずにはいられないその青雷の言い分にも最後、頷いてしまった。
同族を手にかける嫌悪はある。逃げ出せるというのならば今すぐにでも逃げ出してしまいたいとすら思っている。それでも、それ以上に金斗羅は『怖い』と思ってしまったのだ。この幼く愛くるしい姿をした人妖の少女が。
自身の死や、見知らぬ誰かを手にかけること以上に、コレが怖いのだと。そう思った。思ってしまった。
それが全ての間違いだとは彼自身わかっている。自覚している。これの言うとおりにするなど・・・何の罪も犯していない四部族の長達を尖兵となって殺してまわるなど、仁義にも劣る行為だと。自分がやろうとしていることは獣畜生にも劣る行為だと知っていて、尚、それ以上にコレと関わり続けるのは恐ろしかった。
自分はもう、逃げられない。逃げられないと知ってしまった。なのに、自分の死よりも青雷のほうが怖いのに、自殺するのもやはりなんだかんだと嫌なのだ。何故、死ななければいけないのか。
確かに嫌だ。何の罪もない者を手にかけるのも、争いだって嫌いだ。でも、見知らぬ4人の命よりも金斗羅にとっては結局自分の命のほうが可愛かったし、彼には信条というほど大層なものではないが、そういうものこそあるけれど、命にかえて守ろうとするほどの誇りも気概も持ち合わせてはいなかった。
それはつまり、それだけの話だ。
そして、やると決めたら道順を決めるのも早かった。
最後、青雷が封印されているキヌカクジアトに向かうとして、4部族の里はバラけて存在している。
だから、近いところからぐるっとまわって最終的にキヌカクジアトに向かうことにした。アオモ‐リにある「疾風族の里」、ビワコにある「水龍族の里」、イ‐ズモにある「火焔族の里」、オオサ‐カにある「土石族の里」の順だ。
そして今、金斗羅と青雷は風の異能をもつ人鬼の一族、「疾風族の里」に向かっていた。
―――――一方、疾風族の里。
重苦しい空気の中、里人の中でも特に要人たる大人たちは寄り集まり、深刻な面持ちである報告をまっていた。その最中、ただ一人だけ幼い子供がいた。
若葉匂い立つような萌黄色の髪を三つ網にして背に垂らし、額に一族色の緑の布を巻き、翠色の、手首がすっぽり隠れるほどに袖の長い衣を身に纏った、年端のいかない幼子だ。その顔は、実年齢らしからぬ無表情さで、子供特有の無邪気さなどかけらも見当たらない。
大人に混じってただ一人の子供なのもあって、この空間で唯一の異質さだ。そして大人たちが幼子に向ける空気も暖かいものとは程遠い。これで居心地悪く感じないものがあろうか。勿論、その幼子・・・萌黄詞も感じ取っている。だが、哀しいかな、彼はあまりにも自分の感情を表にあらわすことが下手で苦手な子供だった。故に、萌黄詞がどう感じているかなど、大人たちにわかろう筈がない。いや、一人だけ萌黄詞の感情をこの無表情の中から読んでくれる人はいる。だが、その人は今この部屋にはいない。
扉が開かれた。
先頭は白い髭を生やした老人、続いて身長2m近い壮年の大男が大部屋へと入ってくる。
「緑栄様が身罷られました」
ざわりと、周囲が揺れた。
「長が・・・」
「あの時、お止めしていれば・・・」
ざわざわ、大人たちは思い思いに騒ぐ。それに対して、白髪交じりの深緑色の髪を後ろで一つに縛った2m近い大男・・・亡くなった疾風族の長・緑栄の2つ下の弟である緑暴は、パンパンと手を叩いて「皆、少しは静かにせぬか。これでは兄者も静かに旅立てぬであろう」と低く落ち着いた声で促した。それで、ひとまずの騒ぎは静まるのだが、そのうち、此処に加えられている大人衆の中では比較的若い、二十台後半くらいの人鬼がぽつり、「次の長はどうなる」と口にしたことによってそれもなくなった。
「そりゃあ、緑暴様しかあるまい」
「そうとも。緑暴様は武勇に優れた歴戦の戦士よ。それも、緑栄様のたった一人残された弟御なれば、長は緑暴様こそが相応しい」
「緑暴様ならば安心だ」
そんな風に声高に次々と語られる声達に、内心ため息を吐きたい気持ちになりながら、件の話の中心たる男、緑暴は出来るだけ穏やかに、皆を刺激しないように注意しながら務めて冷静な声を出す。
「あのな。おぬしら、買いかぶるな。拙者は長となれる器ではない。それに、疾風の長は代々直系が継ぐと決まっておる。ならばこの場合、疾風の長を継ぐのは拙者ではなく、兄者の唯一の忘れ形見たる萌黄詞よ。違うか?」
それに、雰囲気が怪しい色を纏いはじめる。緑暴の言葉をきっかけに自分に集まったよくない視線を前に、この場の唯一の幼子、萌黄詞は居心地悪げに僅かに肩をすくめた。気付いたものは少ない。
「そうは言われるがな、緑暴どの、萌黄詞は僅か6歳ではないか」
そう言われるとは緑暴もわかっているのだ。通常いくら直系であろうとこんな幼子に長を継がせるような真似はするものではない。だが、それでも緑暴には、萌黄詞を守る為にも継がせなければならぬ事情があった。
「こんな子供が継げるわけがなかろう。馬鹿を言われるな」
「そうだ、緑暴どの、冗談も休み休み言われい」
緑暴は、出来うる限り、飄々とした調子で、精悍ながらも人が良さそうな顔立ちに笑みを浮かべながら、甥っ子である萌黄詞の傍に座り、その小さな肩をそっと抱きしめた。震えが小さな肩から自信の無骨な掌に伝わった。
「何を言う。萌黄詞は今は幼いが、それでも兄者の子よ。いずれ立派に育ちよう。確かに、いまだ年若いのも事実。故に拙者は萌黄詞が成人するまでは、その後見人として補佐しよう。ならば、問題はなかろう?疾風の長は萌黄詞がなるに相応しい」
「馬鹿を言われるな!」
「そうだ、大体長が死んだのも元はといえばそいつが・・・あ」
空気が冷えていく。
「萌黄詞が、どうした、と?」
失言をこぼした青年に向かって、静かに笑いかける緑暴だったが、笑っているのは表面だけだ。背筋が凍るような殺気が口が過ぎた青年にむかって流れている。
「萌黄詞が、さて、なにかしたのかね?」
「・・・なんでも、ござらん。緑暴殿、申し訳ない。口が、過ぎたようだ」
ふ、っと殺気が消え去る。どっと汗をかいて、殺気を先ほどまで一身に受けていた男はへたりと座り込んだ。
「そうか、では問題はもうなかろう?あとで兄者の葬儀の相談もある。さて、今は小休止といこうではないか。萌黄詞、行こう」
言って、人の良さそうな笑みを浮かべて、緑暴は甥っ子の手を引いた。そして、出て行く途中、耳に僅かに届いた誰かの声。
「親殺しの化け物」
紅葉のような手がまた震えた。
(これだから、いかんのだ・・・)
前頭首、緑栄は子宝に恵まれぬ男だった。妻と結婚しても10年以上も子供がなく、そうして漸くの末に年をとってから生まれた子供が萌黄詞だった。
勿論、緑栄は喜んだ。疾風族全てのものが跡継ぎの誕生を祝った。
愛されるために生まれた子供だったといえよう。彼の・・・萌黄詞特有の異能の正体が明らかになるまでは。
その日、3歳になったばかりの萌黄詞は、世話係の女性に向かって、自身の母の死に様を詳細に言ったという。まだ、母親は生きているというのに。
そして、次の日母親は死んだ。萌黄詞が詳細に語ったとおりに、一つとて違えることもなく、言ったとおりに死んだのだ。
それからも度々、萌黄詞は不思議な言葉を口にした。そしてそれらは全て真実となったのだ。
そう、萌黄詞固有の異能。それは「未来予知」であった。
条件などはわからない。突然にして見えるというそれを語る萌黄詞。そんな子供が周囲からどう見えるのか。萌黄詞は不気味がられる存在となった。気味が悪いから世話係を辞退させてくれという侍女もまた尽きなかった。
そして、今回の長の死。その一端は確かに、萌黄詞の言葉が原因であっただろう。だが、それを承知して旅立つことを選んだのは緑栄なのだ。そのことをわかっているのかわかっていないのか、いやわかりたくないのか。そうして長が死んだ原因を萌黄詞に押し付けたいだけなのだ、彼らは。
しかし、これは今に始まったことではない。
元々感情豊かではなかった萌黄詞はやがて本当に感情をなくしたように、表情が変わることもなくなってしまった。そんな萌黄詞が、緑暴には可愛くて、可哀想で、痛々しかった。
緑暴は、兄とは違って子宝に恵まれぬ、ということはなかったが、生まれる子供は何故か女子ばかりで、それもつい先日末の子が嫁に行ったのをきっかけに緑暴は家で一人になった。3歳ほど年上であった妻もつい1年ほど前に亡くしている。そんな緑暴にとっては、この幼い甥っ子は守るべき可愛い家族だった。
確かに、自分が長となるのも選択肢としては間違っていないだろう。だが、それを選んだ場合疾風族の群の皆はどう思うであろうか?もし、緑暴が長になってしまえば、萌黄詞は用済みだ。そう考えて可愛い甥っ子に襲い掛かろうとするものがいないとはとても緑暴には思えなかった。
裏を返せば、それほどまでに、萌黄詞の存在は恐れられ、おぞましがられているといえよう。
「バクおじぃ」
くいくいと、萌黄詞が叔父の手を引く。自分の腰までの背丈の子供がじっと自分を見上げている。その顔は確かに無表情だけれど、ぴょこぴょこと後ろで揺れる三つ網がまるで尻尾のようで、愛くるしかった。
「む?どうしたのかね?」
いいながら緑暴は、2m近い長身を折り曲げて、甥っ子に視線を合わせて笑顔を浮かべた。
「・・・・・・」
萌黄詞が言葉につまる。表情に違わず、この子供は言葉にも乏しい。口が下手で引っ込み思案。周囲に何を考えているのかわからない、不気味と言われる所以であった。だけど、緑暴はそんなことを気にしたことはなかった。そっと、幼さ特有の柔らかさをもつ、名前どおりの髪色をしたそれに手を伸ばして、大きな手で撫でた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・なさい」
一生懸命に言葉をつむぐ。それでさえ、表に出てくる声は堅くて平坦だった。そういう風にしか、萌黄詞は出来なかった。
「ごめ・・・なさい・・・ぼくが、いわなか・・たら」
たどたどしい言葉。揺らぐことさえ上手く出来ない顔。それでも、その心は痛いほどに緑暴には伝わった。
萌黄詞は、つまりは後悔しているのだと。自分が予言を父に言わなければよかったと。短い言葉と表情の中からそう読み取った。だからこそ、いつもどおりの笑顔を顔にのせて、静かに諭すような声で呼びかけながら、その萌黄色をした髪を何度も優しく梳いた。
「萌黄詞が謝るようなことはなんもござらんよ」
三つ網が揺れる。
「寧ろ、謝るのは拙者ら大人のほうだわな。おぬしのような子供にこんな顔させてしまうとは、ほんに我が身はふがいない」
それは本心からの言葉だった。それを人の言葉に敏感な子供がわからぬはずはない。ぎゅっと叔父のごつごつと硬くて大きい手を見上げて、「バクおじぃ」とまた名を呼んで・・・それから、萌黄詞はその小さな体を固くした。
映像が見えた。
まるでフィルムを巻戻すように、情報という名の波が小さな幼子の脳に浸透していく。
黒い黒い真っ黒な髪の侵入者。黄金の短剣を手にして、緑の衣を纏っている。その後ろに張り付くは「災い」。そう、災いが村にやってくる。
映像は進む。
戦う影。漆黒の髪の異端の人鬼と対している、叔父。
(バクおじぃ・・・!)
血まみれの叔父。真っ赤な血でしとどに濡れている。
「萌黄詞・・・?」
その言葉に我に返った。ぱちり、目を見開く。目の前の叔父は血にまみれてなどいない。でも、その顔が、先ほどまで見ていた映像に重なった。
「・・・・・・ッ」
ガタガタと、気付けば震えていた。言わないといけない。このままでは殺されるのだと、口にしないといけない。でも、それで・・・何が変わるのだろう?怖かった。怖くて、吐き気がした。それを、目の前の緑暴は違う解釈で受け取った。
つまり、今更ながら、父の死が怖く哀しくなったのだろうと。
ぽんぽんと、大きな手が萌黄詞の小さな背中を叩く。怖いものなどないのだよというように。大きな体で抱きしめながら、そんなふうに何度も自分をあやした。
(ちがう・・・んだよ。バクおじぃ)
怖いのはそんなことじゃないんだ。貴方を失うことなんだ。それをしってしまったことなんだ。
違うんだと、でも声に出来なくて、そのまま音にならない嗚咽を漏らした。
ただ、一人の自分の味方が死んでしまうのが怖いのに、なのにそれを口に出せなくて、どうしようもなく体の震えがとまらなかった。
その顛末を全て知りながら、何も出来ずに、運命の日まで一日を待ちながら、少年はただ大きな叔父の腕の中で震え続けていた。
続く