婚約破棄された聖女(5)、国王陛下のおひざの上で全部しゃべりました
「コレット。おまえとの婚約は破棄だ!」
王宮の庭園でアリの行列を数えていたコレットは、顔を上げて首をかしげた。王太子クラウディオの腕には、子爵令嬢ミランダがからみついている。
「こんやくはきって、なあに?」
「もうおまえは俺の婚約者じゃない、ということだ。五歳の子守りなんてうんざりなんだよ」
コレットとの婚約は、聖女の加護を他国や有力貴族に奪われないための、いわば囲い込みでしかなかった。
「コレットちゃん。殿下のことは、お姉さんに任せてね、うふふっ」
「うん。わかった! おじいちゃんにほうこくしてくる!」
とてとてと駆けていく小さな背中を見送って、クラウディオは鼻で笑った。
「好きにしろ。子どもの話など、父上が真に受けるものか」
「ほんと、かわいいわね」
この時はまだ、笑っていられた。
*
午後三時。
国王とコレットのおやつの時間だ。三歳で王宮に来て、毎晩泣いていた小さな聖女のために国王が始めた習慣だった。コレットだけが、国王を「おじいちゃん」と呼ぶことを許されている。
「おじいちゃん、あのね、さっきいやなことがあったの」
国王のおひざの上で、コレットはクッキーを両手で持ったまま言った。
「でんかがね、『こんやくはきだ』って。『ごさいのこもりなんてうんざり』って」
「そうか。嫌な思いをしたのう」
国王は小さな頭をなでた。
「あとね、でんか、ピーマンきらいなの。いつもおねえさんにたべてもらってるの」
「ほっほっ、あやつは昔からそうじゃ」
「それでね、おじいちゃんのこと、『あのくそじじい』っていってた」
国王の笑い声が、ふっと途切れた。
「……ほう」
「それとね、でんか、おねえさんに『こっこからぬいた』っていってたの。いっぱいぬいたから、あかいくびかざりかってあげるって」
「…………」
壁際の侍従長の顔から、さあっと血の気が引いた。
「ねえ、おじいちゃん。こっこって、にわとりさん?」
国王は静かに茶器を置き、いつもと同じ穏やかな声で言った。
「よう話してくれたのう、コレット。もう一枚、食べるか?」
「たべる!」
コレットがクッキーに手を伸ばしたのと同時に、国王は侍従長を見た。
その目は、少しも笑っていなかった。
「宰相を呼べ」
*
翌日の午後三時。宰相が帳簿の束を抱えて現れた。
「陛下。この二年で、王太子殿下の名義で国庫から金貨八百枚が引き出されております。しかも帳簿には、架空の支出として記録されておりました。宝石商に支払われた首飾りの代金とも、出所が一致いたします」
国王のおひざの上で、コレットが宰相を見上げた。
「さいしょうさん、こっこって、にわとりさんじゃないの?」
「……国のお金をしまっておく、大事な蔵のことでございます、聖女様」
「ふうん」
コレットは少し考えてから、ぱっと顔を明るくした。
「じゃあ、でんか、どろぼうさん?」
誰も、何も言わなかった。
ほどなくして、クラウディオとミランダが衛兵に連れてこられた。ミランダの胸元では、大きな赤い石が光っている。
「父上! まさか、子どもの戯言を真に受けたのですか!」
「戯言かどうかは、帳簿が申しております、殿下」
宰相の一言で、クラウディオは黙りこんだ。
「あーっ! どろぼうさんのくびかざりだー!」
ミランダが膝から崩れ落ちた。
コレットは赤い石をうっとりと見つめてから、国王を振り返った。
「おじいちゃん、わたしもおっきくなったら、あれほしい!」
国王は、一瞬だけ黙った。
「……もっとよいものを買ってやろう」
「ほんと?」
「ほんとじゃ」
それから国王は、まっすぐに息子を見た。
「クラウディオ。おまえを王太子の座から退ける。正式な手続きは追って進める。コレットとの婚約も、今日をもって解消じゃ」
そして、おひざの上の小さな頭に手を置いた。
「五つの子に婚約など背負わせたのは、わしら王家の都合じゃった。詫びねばならんのは、わしも同じよ」
二人が連れ出されると、部屋には焼き菓子の甘い匂いだけが残った。
「おじいちゃん、わたし、もうおよめさんにならなくていいの?」
「ああ。ならなくてよいぞ」
「じゃあ、あしたもおやつ、いっしょ?」
「もちろんじゃ」
「やったあ!」
コレットは国王の首にぎゅっと抱きついた。
その日、王国では王太子の廃嫡決定という大事件が起きた。
けれど、コレットにとっては、明日のおやつのほうがずっと大事だった。
(あしたは、プリンがたべたいなぁ……)




