没落男爵令嬢、最強悪魔を雇用したら爆速で世界一の領地になりました 〜過保護な悪魔執事の領地再興&いびつな初恋〜
祖父の代で没落し、かろうじて雨風をしのぐだけの男爵邸。
その一角にある薄暗い書斎で、シャルロットは祖母の残した古びた革表紙の本を開いていた。
「……これだな」
ふわふわの銀髪を揺らし、水色の瞳を冷ややかに細める。栄養不足で小柄な体躯からは想像もつかないほど、その佇まいには凄まじいまでの生活感が漂っていた。なにせ、人が良すぎて他人に全財産を貸し、剥ぎ取られた父親の尻拭いを、一手に引き受けているのだ。眉間に皺を寄せる余裕すらない。
シャルロットは息を吸うと、指先で床の埃を拭い、そこに複雑怪奇な魔法陣を描いた。
魔力など微塵もないつもりである。なにせ彼女の周りには魔法使いの知り合いすらいない。藁にもすがる、ただの「怪しげな落書き」のつもりだった。
「――出でよ、我が僕。家を再興しろ」
淡々とした低い声でそう呟いた瞬間。
ズギャアアアアアアン!!
書斎の天井を突き破る勢いで紫色の業火が吹き荒れ、空間がぐにゃりと歪んだ。
埃が舞い散る中、漆黒のスーツを纏い、背中に巨大な悪魔の翼を生やした長身の男が降臨する。滅多に人間界など召喚されないはずの上級悪魔、カルディオであった。
カルディオは深紅の瞳をぎょろつかせ、凄まじい威圧感を放ちながら叫んだ。
「我を呼んだのは貴様か! 恐怖に慄くがいい、人間――って、なんだこの狭い部屋は!?」
「……天井が削れた。直すお金はないのに…」
シャルロットは燃え盛る炎を背景に、極めて冷静に言い放った。表情筋は完全に死滅している。
カルディオは翼をバサリとたたみ、呆然と彼女を見下ろした。
「おい、待て。なんだその態度は。通常、我のような高位の悪魔を召喚した人間は、恐怖で失禁するか泡を吹いて気絶するものななのだが?」
「時間がもったいない。早く家を再興して。借金返済まであと3日なの」
「誰の都合だ!! ていうか、待て……おいおいおい、嘘だろ……?」
カルディオの表情が、侮蔑から驚愕へ、そして冷や汗へと変わる。彼はシャルロットの体に満ちる魔力に気づき、信じられないものを見る目で絶句した。
「なんだ、この魔力量は……? なんだこれ!? 貴様、ただの人間じゃないな!? どんだけの魔力を圧縮してやがる!?」
「私は普通の16歳。お腹が空いているだけ」
「空いてるだけで片付けられるレベルじゃねえよ!! なんだその桁違いの魔力は! 自覚はないのか、このポンコツ令嬢!」
「ポンコツではない。効率主義」
カルディオは頭を抱えた。
上級悪魔としてプライド高く現界したというのに、呼び出した主は表情の微動だにしない栄養失調ぎみの少女。しかも、その内部には世界を一つくらい滅ぼせそうなほどの規格外の魔力が眠っている。
「はあ……契約だ。お前のその莫大な魔力を寄こせ。その代わり、このボロ屋敷を黄金の宮殿にしてやろう。魂を対価にな」
「魂は渡せない。明日も生きるから」
「なんだそのケチな契約は!! いや、待て、お前の魔力を少し循環させるだけで、この国の一つや二つ、手に入りそうだが……」
「国はいらない。借金が帳消しになって、父が温かいスープを毎日飲めればそれでいい」
シャルロットは淡々とそう言い、カルディオの足元をジッと見つめた。
カルディオは大きくため息をつき、頭をポリポリとかいた。
「あーもう……分かったよ。魔力は定期的によこせよ。契約成立だ。だが、この翼と角を出したままでは、人間の街を歩くどころか、近所のババアに退魔の塩を投げつけられる」
「それは困る。どうするの?」
「仕方ない。人間界用に『擬態』する」
カルディオが指をパチンと鳴らすと、漆黒の翼と角がスッと消え、代わりにパリッとした仕立ての執事服を纏った、整った顔立ちの青年へと姿を変えた。悪魔の気配は綺麗に隠され、完璧な人間の執事そのものである。
カルディオはジャケットの襟を正し、慇慃無礼な笑みを浮かべた。
「――これより、お嬢様の忠実なる執事としてお仕えいたします、カルディオと申します。……っと、この口調で合っているか?」
「……悪くない。今日から皿洗いを頼む」
「執事をなんだと思っているんだ! 魔王軍の幹部経験者だぞ、俺は!」
「魔王軍の幹部なら、素早く皿を洗えそう。期待している」
「するなっ!!」
カルディオの華麗なツッコミが、薄暗い書斎に響き渡る。と同時にぐぅ~とシャルロットのお腹が鳴った。
「いや…皿洗いよりまずは……夕食の買い出しだな。予算はゼロだけど、どうする?執事」
「丸投げかよ……俺の魔力で、そこらの石ころをダイヤにでも変えて売ってくるしかないのか……? 悪魔の使い道が質屋のバイトかよ……!」
シャルロットは満足そうに小さくうなずき、カルディオは頭を抱えながらも、色々通り越してどこか楽しげにため息をついた。
……数日後。
ボロ男爵邸の庭先にて、シャルロットは淡々と地面に手を突いていた。
「……少しだけ魔力を流して、庭の野菜を育てる」
「いや、ちょっと待て。お前の言う『少し』の基準がおかしい。それ加減を間違えたら、隣国が一つ消滅するレベルの出力だぞ」
執事の制服を着込んだカルディオが、冷や汗を流しながら腕組みをして見守っている。
シャルロットが無自覚に魔力を地面へと流し込んだ瞬間だった。
ズゴゴゴゴゴ……!!
大地が激しく揺れ、庭の土を突き破って、おどろおどろしい紫色の蔦と巨大な棘を持つ『極毒魔草・マンラゴス』が猛烈な勢いで生い茂ってきた。不気味なうめき声を上げながら、鞭のようなツルでカルディオへと襲いかかってくる。
「なっ――!おい、なんで魔物の森のラスボスみたいなのが生えてくるんだよ!!」
カルディオは舌打ちをし、片手で漆黒の業火を纏わせると、一瞬で魔草を焼き尽くした。パチパチと燃えカスが舞い散る中、カルディオは額の汗を拭いながら深々とため息をつく。
「魔力を微調整しろって言っただろ! なんで殺意マシマシの魔草を召喚してやがる! 俺をなんだと思ってるんだ、庭師か!?」
「……雑草駆除の練習になった。優秀な執事」
「褒められても嬉しくねえよ!! 俺はこれでも魔界の伯爵クラスだぞ! なんで人間の家の草むしりで命がけにならなきゃいけないんだ!」
シャルロットは表情筋を微動だにさせず、燃えカスを見つめた。
そして、トコトコとカルディオに歩み寄り、その袖をキュッと引っ張る。
「……私に魔力コントロールを教えて。暴走する」
「……はあ」
カルディオは頭を抱えかけたが、どこか諦めたような笑みを浮かべ、彼女の頭にぽんと手を置いた。
「しゃーねえな。……ほら、目を閉じろ。お前の体内に渦巻いているその規格外のマグマみたいな魔力を、細い糸のように紡ぐイメージだ。一気にドカンと流すな、呼吸に合わせるんだ」
カルディオの指導は、思いのほか的確で厳しかった。悪魔とは思えないほど手際よく魔力の圧縮と循環を教え込み、シャルロットも持ち前の冷徹なまでの効率主義で、みるみるうちにその技術を吸収していった。
翌日…。
今度は書斎の机にて。山のように積まれた帳簿を前に、シャルロットとカルディオが頭を悩ませていた。
「……人が良すぎて父様が貸した金、半分以上が返ってきていない。このままでは今月の小麦粉が買えない」
「お前の父親、聖人君子を通り越してただの天然の寄付金製造機だな……。おい、これじゃあ経営じゃなくてボランティアだ。どれ、貸せ」
カルディオは執事らしく眼鏡(どこから出したのか)を押し上げ、帳簿をペラペラとめくりながら、的確な数字の割り振りと取り立てのスケジュールをペンで書き込んでいく。
そんなやり取りをしていると、ガタガタと頼りない音がして、ボロ屋敷の玄関の扉が開いた。
面接に来たという、田舎から出てきた素朴な少女――マリサ(18歳)が、緊張した面持ちでひょっこりと顔を出す。
「あ、あのっ! め、面接にきたべさ! うち、マリサって言うんだわ! どうぞよろしく頼むっぺ!」
「……」
「……」
シャルロットが無表情で見つめ、カルディオがじっと目を細める。
マリサは恐縮しながら、さらに強い訛りでまくし立てた。
「あのさぁ、うち、働く気だけはめちゃくちゃあるもんでさ、なんでもやるっぺよ! だから雇ってけろ!」
カルディオはこめかみを押さえ、執事としてすかさず前に出た。
「おい、小娘。その語尾の『っぺ』とか『だわ』とか、伝統芸能みたいな田舎言葉は直せ。ここは一応、貴族の(没落してるが)屋敷だ。お客様の前に出る時にその調子では、我が主の威厳に関わる」
「えっ、そ、そんなこと言われても、これがうちの言葉なんだもん!」
「標準語で話せ。こうだ。『お嬢様、本日はどのようなご用件でしょうか、と、言ってみろ』」
「お、おじょうさま……本日は、どのような、ごようけんなんだべ……って、直ってねえ!!」
「ツッコミのキレがいいな、マリサ。合格。明日から皿洗いと庭の魔草の番を頼む」
「えっ、やったっぺ……って、やっぱり直んねえ!!」
マリサが慌てふためく様子を、シャルロットは冷静に、そしてどこか満足げに見守る。
カルディオは天を仰ぎ、深いため息をついた。
「……おい、シャルロット。いつの間にか俺、使用人の教育係までやらされてるんだが? お前の中で俺のポジションはどうなってんだよ。家庭教師に、専属執事、ファイター、そして経営コンサルタント……。俺をなんだと思ってます?」
シャルロットは表情を変えぬまま、カルディオの服の裾をクイクイと引っ張った。
「……優秀な、家族」
その一言に、カルディオはわずかに目を丸くし、それからふっと呆れたように笑った。
「……まったく。調子の狂う主を持ったもんだ」
マリサの登場に話が逸れたが、再び2人は話し始めた。
「……カルディオ。家計の立て直しには、初期投資が必要」
「ほう。お前が自ら金策に乗り出すとは珍しいな。で、どこから資金を湧かせるつもりだ? 俺の魔力でそこらの石ころを錬金術的に黄金へ変えるか? それとも近所の銀行でも襲うか?」
「銀行は犯罪。却下。私の莫大な魔力を土地に定着させれば、金鉱脈や魔法薬の超高級素材がボロ儲けできる『爆益スポット』が作れると、本に書いてあった」
シャルロットは手元の古びた書物を指差した。カルディオはそれを一瞥し、やれやれと盛大なため息をつく。
「……なるほどな。お前のその世界を滅ぼせるほどの規格外の魔力を、ただの肥料代わりにぶちまけようってわけだ。まあ、理屈の上では可能だが……お前の『少し魔力を流す』という加減の『少し』は、大体周辺の生態系を消し飛ばすレベルだからな。まあいい、俺が空から案内してやる。捕まれ、お嬢様」
カルディオが指を鳴らすと、背中に漆黒の翼がバサリと展開する。シャルロットは迷うことなくその胴体にスッと腕を回し、カルディオは彼女を軽々と小脇に抱え込んだ。
「それじゃあ、行くぞ。振り落とされるなよ」
バサアッ! と力強く翼が羽ばたき、ボロ男爵邸の屋根を軽々と飛び越えて、二人は一気に大空へと舞い上がった。
冷たい風が頬を撫でる中、上空からの景色はどこまでも広がっている。
シャルロットは表情筋を微動だにさせず、眼下に広がる広大な荒れ地を見下ろした。
「……あそこ。日当たりがいい。木が生えていない。都合がいい」
「おっ、あそこの谷底の盆地か。確かに、人間の足では絶対に行けない秘境だな。よし、あそこに着地して、お前の魔力の注入儀式とやらを執り行うとしよう」
カルディオは翼を巧みに操り、風を切るように急降下していく。目指すは、周囲を険しい岩山に囲まれた巨大なクレーターのような荒れ地だった。
しかし、地面すれすれまで近づいたその瞬間。
ゴゴゴゴゴゴ……!!
足元の大地が突如として激しく脈打った。まるで生き物のように地面がうねり、地割れから血のような紅蓮の業火が噴き上がる。
「なっ……!?」
カルディオは本能的な危険を察知し、急上昇してその場から飛び退いた。
轟音と共に砂煙が舞い散り、その中から巨大な影がゆっくりと姿を現す。それは漆黒の鱗に覆われ、不気味に光る六つの目を持ち、全身から圧倒的な破壊の魔力を放つ『災厄の古竜』であった。
その翼が広げられれば、頭上の太陽の光さえ完全に遮られるほどの巨体である。古竜は喉の奥でマグマを滾らせ、周囲を揺るがすほどの低音で咆哮した。
『――我が不世出の眠りを妨げし、愚か者どもよ……! この聖域を侵した罪、その身を焼き尽くし、跡形もなく灰にしてくれようぞ……! 人間と、虫けらよ……!』
圧倒的な威圧感。常人であれば恐怖のあまり気絶している場面である。
しかし、シャルロットはカルディオの腕の中からひらりと身軽に着地すると、無表情のままパチパチとまばたきをした。
「……うるさい。声が大きい。近所迷惑」
「おい、待て待て待て!! 相手は伝説級の災厄の古竜だぞ!? 虫けらどころか、一息吐かれただけで俺たちの存在が原子レベルで消滅するわ!! なんだ、俺を何の付き添いに連れてきたんだ、竜の試食会か!?」
カルディオは冷や汗をダラダラと流しながら絶叫した。しかし、シャルロットは彼の抗議を一切気に留めず、トコトコと地響きを立てる古竜の巨体へまっすぐ歩み寄っていく。
『人間だと……? 貴様、我の威圧に恐れぬのか……!? 死にたいのか小娘……!』
古竜は鼻息荒く巨大な爪を振り上げ、シャルロットを威嚇した。
だが、シャルロットはその巨体の前でピタリと足を止めると、小さく息を吐いた。
「……反省しなさい」
すっ、と小さな手が伸びる。
その指先には、彼女が無自覚に溜め込んでいた、世界を揺るがすほどの途方もない魔力が、まるで極限まで圧縮された圧縮ガスの如く集中していた。
パチン――!!
静寂を切り裂くような、乾いた高い音が荒れ地に響き渡った。
シャルロットが放ったのは、恐るべき威力を秘めた無自覚の『教育的指導』であった。
ドゴオオオオオアン!!!!
文字通り、山が鳴動し、大地がえぐれるほどの凄まじい衝撃波が爆発的に広がる。
「ギャウッ!?」
あろうことか、世界を恐怖に陥れていたはずの災厄の古竜は、たった一撃のデコピンを眉間に食らっただけで、まるでスイカのようにゴロンと派手にひっくり返った。その巨大な体が文字通り「きりもみ回転」しながら数キロ先まで吹き飛び、地面に大穴をあけて頭から突っ込む。古竜は目をぐるぐると回し、四肢をピクピクと痙攣させて完全に失神していた。
あまりの出来事に、カルディオはポカンと口を開けたまま、自分の頭を何度も叩いた。
「……は? い、今の、ただのデコピンだよな……? なんで伝説の古竜がワンパンで気絶しかけてんだよ……お前の指、神殺しの聖剣より硬いのか……? どうなってんだお前の身体の構造は……」
カルディオが呆然と冷や汗を流している間にも、衝撃を受けた古竜の体に異変が起きていた。
眩い光がその巨体を包み込み、まるで雪が解けるようにみるみる縮んでいく。数メートルの巨体がみるみるうちに小型化し、光が収まったとき――そこには、ふわふわの赤髪を揺らし、頭に申し訳程度の黒い角と小さな尻尾が生えた、10歳くらいの可愛らしい男の子が転がっていた。
男の子は頭のデコピンされた場所(額の真ん中)を両手で押さえ、大粒の涙をポロポロとこぼしながら、ぴくぴくと震えている。
「ぐすっ……うぅ、頭が割れるぅ……! こんなバケモノみたいな人間いるなんて聞いてないよぉ……! おねえちゃん、許して……もう悪いことしないからぁ……!」
すっかり戦闘意欲を喪失し、恐怖に震えながら泣きじゃくる元・災厄の古竜。
シャルロットはその少年の頭にそっと手を置き、極めて冷静にうなずいた。
「……よし。いい子。今日からうちの子」
「勝手に家族を増やなすな!! え、待て、待て待て! 伝説の災厄が、なんかペット枠で加入したぞ!? なんだこれ、育成ゲームの難易度設定が完全にバグってるだろ!!」
カルディオが頭を抱えてツッコミを入れる中、シャルロットはトコトコと歩き出す少年の小さな手をしっかりと握りしめた。
「帰る。お腹が空いた。みんなで温かいスープを飲む」
「……はあ。もう、どうにでもしてくれ」
カルディオは天を仰いで深呼吸をした後、どこか呆れたような、しかし仕方のなさそうに笑う表情を浮かべた。彼は翼を大きく翻し、シャルロットと、怯える元・ドラゴンを優しく包み込むように再び空へと舞い上がった。
3日後…。
庭先から、突如として地鳴りのような轟音が響き渡った。
ドゴオオオオオアン!!
「……あっ?」
執事服の裾を翻しながら、カルディオが書斎から飛び出す。
庭では、あの日のデコピン一件ですっかり丸くなり、シャルロットに懐いた元災厄の古竜――通称「ドラちゃん」が、泥だらけになりながらも満面の笑みで立っていた。その足元には、先日シャルロットが「金鉱脈を作ろう」と穴をあけた場所から掘り出されたらしい、ゴロゴロと転がる純金の塊が山のように積まれている。
ドラちゃんは泥まみれの小さな手をパタパタと振り、キラキラと輝く瞳でシャルロットを見上げた。
「見て! お姉ちゃん! 数らキロ穴を空けたら、地面の下からこんなに金がでてきたよ!」
ふわふわの銀髪を揺らしながら縁側に座っていたシャルロットは、その金の山と泥だらけのドラちゃんを交互に見つめ、表情筋を一切動かさないまま、淡々と称賛の言葉を述べた。
「……優秀。素晴らしい労働力。これで当面の小麦粉と薪代が確保できる」
「いや待て待て待て!! なんだその子供を労働力扱いするブラック経営者のような発言は!! しかも数キロ穴を空けたってサラッと言ったな!? お前のそのデコピンといい、ちょっと地面をほじくるだけで金脈を掘り当てるって、もう地質学とか経済学とか全部の法則を無視してないか!?」
カルディオが額に手を当てて激しいツッコミを入れている背後で、田舎からやってきたメイドのマリサが、目を丸くして金塊の山に駆け寄ってきた。
「な、なんだべこれ……!? 庭からピカピカした石がいっぱい出てきたっぺ……!?」
「マリサ、驚いている場合じゃない。それ全部本物の金だ。我が家の財政はこれで一気にウハウハだ」
「う、うはうは……!? すごいっぺ、これでうちも大金持ちだべか!?」
カルディオがそう説明するやいなや、マリサはハッと気づいたように泥だらけのドラちゃんを見た。
「って、ドラちゃん! あんた、顔中泥だらけだねぇ! ほら、せっかくのお宝が見えなくなるっぺ、お風呂に行くべ、お風呂!」
「えー? まだもっとお姉ちゃんに見せたいのにー」
「いいから行くべ! こら、暴れない!」
マリサはドラちゃんの脇をヒョイと抱え上げ、まるでわんぱく坊主を連れていくように強引にお風呂場へと連れ去っていった。家の中へと消えていく二人の背中を見送りながら、カルディオはやれやれと盛大なため息をつく。
「……はあ。あの災厄の古竜が、今やすっかり庭付きのペット兼採掘マシーンになっちまったな。魔界の連中が知ったら腰を抜かすぞ」
カルディオが振り返ると、そこには信じられない光景があった。
シャルロットが、ゴロゴロと転がる金塊の山ではなく、その脇に落ちていた「金塊でちょっと潰された普通のニンジン」を拾い上げ、じっと見つめていたのだ。
そして、シャルロットは淡々とした声でカルディオに告げた。
「……カルディオ。金鉱の発見より重要な問題。これだけ資金があれば、今日の夕食は、ずっと食べたかった『ローストビーフ』が作れる?」
「……は?」
カルディオは思わず我が耳を疑った。
数十億はあるだろう純金の山を前にして、彼女の関心は「今夜の肉」にしか向いていない。
「いや、ちょっと待て。お前、今そこらに転がってる金塊が見えてないのか? 国が一つ買えるレベルの財宝だぞ? それなのに気になるところはそこだけか!?」
「金はお金。お金は美味しいご飯に変換するためのチケット。本質はご飯」
「綺麗に言ったつもりかもしれないけど、金の価値を完全に『食材引換券』と同義語にするな!! なんだその贅沢すぎる食い意地は! ポンコツ令嬢改め、美食狂い令嬢か貴様は!」
「ポンコツではない。効率主義」
シャルロットは表情筋を死滅させたまま、微動だにせずカルディオをじっと見つめ返す。そのあまりのマイペースさに、カルディオはもうツッコミ疲れて天を仰ぐしかなかった。
「……わかったよ。ローストビーフだな? 作ってやればいいんだろ、作ってやれば!」
カルディオが不満そうに腕組みをしながらも承諾すると、シャルロットのわずかな、しかし確かな変化が起きた。
その日の夕食時。
ボロ男爵邸の古びたダイニングテーブルには、カルディオがその悪魔離れした手際と卓越した料理スキルで完璧に仕上げた、極上の『ローストビーフ』が皿の上に美しく並べられていた。
香ばしいスパイスの香り、じっくりと火が通った赤身肉の断面からは、肉汁がじんわりと滲み出している。傍らには、マリサが綺麗に洗ってきた庭の野菜で作ったスープが湯気を立てており、風呂上がりでさっぱりしたドラちゃんも「わあぁ! お肉だぁ!」と目を輝かせて席についている。
「さあ、お待たせしました。我が家の『金脈発掘記念』の特別ディナーですよ」
カルディオが執事らしく微笑みながら皿を差し出すと、シャルロットはスッとナイフとフォークを手に取り、ローストビーフを一口サイズに切り分けて口へと運んだ。
その瞬間――。
普段は完全に死滅しており、感情の起伏の欠片も見せないシャルロットの表情に、かすかな変化が訪れた。
(……美味しい)
口いっぱいに広がる肉の旨味と、絶妙な焼き加減。長年、満足な食事にありつけず、乾燥したパンと水で飢えをしのぎ続けていた彼女にとって、それは文字通りの「至福」だった。
シャルロットは、ゆっくりと瞬きをした。
そして――彼女の透明な水色の瞳が、まるで夜空の星のように、ぴかっと眩しく輝いたのだ。
「っ……!」
いつもは無機質な人形のようだった少女が、心底嬉しそうに目を輝かせ、小さく頬を緩ませる。口をもぐもぐと動かしながら、何度も何度もローストビーフの皿を見つめるその姿は、年相応の、どこか愛らしい少女そのものだった。
――その瞬間。
向かいの席で腕組みをしていたカルディオの心臓が、盛大に「ドキン」と跳ね上がった。
「っ……なっ……!?」
カルディオは慌てて自分の胸元を押さえる。
まさか、あの無表情で冷徹、かつ超規格外の面倒な主に、こんな不意打ちを食らうとは夢にも思っていなかった。いつもは「おい、こら」「また変な魔力を……」と呆れ返っているというのに、この不意に見せられた純粋すぎる少女の笑顔(というかキラキラした瞳)は、反則的すぎた。
(なんだいまの……っ! 普段あんなに感情が死んでるくせに、美味いものを食べただけでそんな子犬みたいな目をされたら、こっちは心臓に悪いだろ……っ!)
カルディオは顔に血が上るのを必死に隠そうと、わざと咳払いを一つした。
「こ、こら、シャルロット。そんなにリスみたいに目を輝かせるな。たかが肉だろ、いくらでも作ってやるから落ち着け」
「……美味しい。カルディオは、優秀な執事を超えて、神」
「神のハードルが低すぎるわ!! ていうか、さっきまで『優秀な家族』じゃなかったか俺は!? 神から家族まで格差が激しすぎるだろ!」
「どっちも最上級の褒め言葉」
シャルロットはすっかり機嫌を良くしたのか、いつもより少しだけ早口でそう言い、再びローストビーフをフォークで口に運んだ。その横で、ドラちゃんが「おいしーい!」と尻尾をパタパタさせ、マリサも「おらが作ったスープも飲むべ!」と賑やかに笑っている。
賑やかな笑い声が響くボロ男爵邸の食卓。
カルディオはふっと呆れたように息を吐くと、どこか嬉しそうな、しかし照れくさそうな笑みを浮かべ、自分の分のスープに手を伸ばした。
カルディオが執事として仕切り始めてから、早くも半年が経過していた。
ドラちゃんが地道に(?)掘り出した金鉱や、シャルロットが無自覚な魔力で育て上げた超高級魔法薬の素材を、カルディオが裏社会と表社会のルートを巧みに使い分けて少しずつ――それでも一般人から見れば天文学的な額の富を――売り捌いた結果。ボロ男爵邸の隣には、白亜の大理石と美しい庭園をしつらえた、見違えるほど豪華な新しい御屋敷がそびえ立つようになっていた。
「――おい、ロバートの旦那。その全財産をまた道端の怪しげな宗教団体に寄付しようとするのはいい加減にしろ。今すぐその小切手をこちらへ渡せ」
「えっ、でもカルディオ君! 困っている人を見捨てておくなんて、男爵家の恥では……?」
「恥以前に、我が家の家計が破綻するわ!! あんたの『全財産寄付癖』を治さないと、せっかく掘り出した金鉱脈がいくらあっても足りん! ……よし、没収!」
カルディオがスッと小切手を抜き取ると、人の良すぎる男爵様――ロバートは「うう、厳しい執事さんだぁ……」と滝のように涙を流しながら項垂れる。
カルディオはふぅとため息をつき、ロバートの肩をぽんと叩いた。
「そんなに慈愛の精神を発揮したいなら、領地の孤児院にでも目を向けろ。あそこならパンとミルク代程度、少額の援助で十分だ。予算の範囲内で慈悲を垂れ流せ」
「おぉ、孤児院なら子供たちが喜んでくれるね! カルディオ君は案外優しいんだからぁ」
「優しいわけじゃない!! 家計の防衛策だ!!」
そんなやり取りを繰り返し、浪費を防ぎ、専属のシェフや、マリサの指導のもとでまともな言葉遣いを覚えた使用人たちも何人か雇われ、屋敷の中はすっかり貴族らしい気品を取り戻している。
そこへ、ドタバタと廊下を走ってくる足音が響いた。
「お姉ちゃーん! 見て見てー! 今日も庭の穴からすごいの見つけたよー!」
頭に小さな黒い角と尻尾を生やしたドラちゃんが、泥だらけの服のまま応接室へ飛び込んでくる。手には、大人の拳ほどもある巨大な赤真珠のような魔法鉱石が握られていた。
「こらーっ! ドラちゃん、せっかく新しく雇った掃除のお手伝いさんが床を磨いてくれたばかりですよ! 泥足で入ってきちゃダメだっぺ!」
後ろからエプロン姿のマリサが叫びながら追いかけてくる。語尾の訛りはだいぶ矯正されたものの、焦るとすぐに出てしまうのは相変わらずだった。
「だって、お姉ちゃんに見せたかったんだもん!」
「まあまあ、ドラちゃんも悪気はないんだから……」と朗らかになだめるロバート男爵。
「ロバートの旦那、甘やかすんじゃない! おい小僧、その手に持ってるのは……まさか『竜の涙』と呼ばれる幻の超高純度魔導石か!? また数キロ単位で地面を破砕しやがったな!?」
カルディオが額を押さえてツッコミを入れる中、応接室の奥から静かな足音が近づいてきた。
仕立て屋が持ってきたばかりの、極上のシルクとレースがあしらわれた真新しいドレスを身にまとったシャルロットが、静かに佇んでいた。
ふわふわの銀髪は綺麗に梳かされ、宝石のように透き通る水色の瞳はどこまでも涼やか。そして何より、栄養が行き届いたことで小柄ながらも絶妙なスタイルの良さが、オートクチュールのドレスによって完璧に引き立てられている。
元から顔の造形だけは美しかった少女が、本格的に着飾ったその姿は、通りすがりの貴族が二度見するほどの圧倒的な美貌を放っていた。
「わあぁ……! お姉ちゃん、すっごく綺麗……!」
ドラちゃんが目を丸くし、抱え込んでいた魔導石を落としそうになりながら見とれる。マリサも「お、お嬢様……まるで絵本から飛び出してきたお姫様だべ……」と感極まって涙ぐんでいた。
部屋に入ってきたカルディオは、その姿を見た瞬間、パタリと足が止まった。
「……っ」
言葉が出ない。
いつもは古ぼけたセーターを着て、無表情で床の埃を拭いていたあのポンコツ令嬢が、今はまるで本物の高貴なお姫様のようにそこに立っている。
(なんだこれ……めちゃくちゃ美人じゃないか……いや、元から顔は良かったけどよ、こうしてドレスを着せたら破壊力が桁違いだろ……っ!)
カルディオは慌てて背筋を伸ばし、顔に出そうな動揺を必死に押し殺しながら、わざと冷ややかな声を絞り出した。
「……ふん。まあ、金に物を言わせて着飾らせただけのことはあるな。一応、よその貴族の前に出しても恥ずかしくない程度には……」
カルディオが内心の激しい動揺を隠すようにげんなりしていると、シャルロットはフリル付きの袖を少しだけ気怠そうにつまみ、淡々と言い放った。
「……このドレス、動きにくい。裾が長い。階段で躓く」
「贅沢言うな。王侯貴族の夜会に出ても遜色ない一流品だぞ。お前のその浮世離れした美貌を少しは自覚しろ」
「美貌より、お肉。今日の夕食はローストビーフのほかに、サーモンのソテーもある?」
「……ああっ、あるよ! ちゃんとシェフに仕込ませてある!」
「それなら合格。このドレスも、許容範囲」
シャルロットは表情筋こそ死滅したままだったが、わずかに瞳を輝かせると、ふわりと裾を揺らしてダイニングルームの方へとトコトコ歩いて行った。
「あっ、お姉ちゃん待ってー! 僕も一緒に行くー!」
ドラちゃんが嬉しそうに後を追いかけ、シャルロットの手をギュッと握る。シャルロットも無表情ながら、その小さな手を優しく握り返した。
その背中を見送りながら、カルディオは自分の胸元を片手でガシッと掴み、激しく頭を抱えた。
「くっ……! あんなに可愛げのない物言いをする奴なのに、なんで今ちょっと胸が高鳴っちまったんだよ、俺は悪魔だぞ、冷酷非道な闇の眷属だろ……っ! なんだこの敗北感は……っ!」
「カルディオ君、顔が赤いよ? 熱でもあるの?」
「だまらっしゃいロバートの旦那!!」
カルディオが一人で頭を抱えて悶絶しているとは露知らず、シャルロットは「毎日お肉や魚が食べられる生活」の素晴らしさを噛み締めながら、新しいお屋敷の廊下を軽やかに進んでいく。
贅沢な御屋敷になろうとも、彼女の最優先事項はいつだって「美味しいご飯」であった。
さらに月日は過ぎ…。
貧しかった男爵領はたった一年で誰もが一目置く屈指の裕福な街へと変貌を遂げていた。
舗装された綺麗な街道には商店が立ち並び、住人たちの笑顔があふれている。
「――ふむ。街の治安維持費の配分もこれで完璧だな。あとはお嬢様が変な魔力を放出して新たな魔草を生やさないことを祈るのみか」
執事服の袖を整えながら、カルディオが書類をめくっていた時のことだ。
数日前に「……少し社交とやらをしてくる。美味しいお肉がタダで食べられるらしい」と言って、父ロバートと共に珍しく王城の夜会へ出かけて行ったシャルロットが、屋敷に戻ってきてからの変化であった。
ガラガラと、贅沢な装飾が施された豪華な馬車が、男爵家の屋敷の前に停まる。
馬車から降り立ってきたのは、王都でも一二を争う名門貴族の嫡男であり、社交界では「氷の王子」とまで称される美貌の公爵令息――アルベルトであった。
眩しい金髪に涼やかな青い瞳、完璧な身ごなし。どんな令嬢が微笑みかけても眉ひとつ動かさなかったという彼が、なぜか連日のようにこの男爵邸へと足を運んできているのだ。
「ごきげんよう、シャルロット嬢。今日も君の可憐な姿を見にやってきたよ」
洗練された優雅な動作で深々と頭を下げ、シャルロットの手を取ろうとするアルベルト
しかし、当のシャルロットはフリルたっぷりの袖を揺らし、表情筋を一切動かさずに淡々と言い放った。
「……アルベルト様。今日も来た。ヒマなの?」
「シャルロットお嬢様! 社交界の花形であるアルベルト様に対してなんと無礼な……っ!」と青ざめるお世話係のマリサを制し、アルベルトはむしろ嬉しそうに目を細めた。
「はは、手厳しいな。だがそこがいい。王都の令嬢たちは皆、私の立場や顔立ちばかりを見て媚びを売ってくるが……君だけは私をただの『邪魔な人間』として見てくれる。……ああ、君のその冷たい水色の瞳に見つめられると、胸の高鳴りが抑えられないんだ」
完全なる重症であった。
王城の夜会で、豪華な料理(主に高級ローストビーフ)をひたすら無表情で黙々と食すシャルロットの圧倒的な美貌と、周囲に流されない独特の雰囲気に一目惚れして以来、彼は完全にシャルロットの虜となっていたのだ。
「……私はお肉を食べたいだけ。アルベルト様が来ると、カルディオがお茶の準備で忙しくなる。邪魔」
「ふふ、拒絶されるほどに愛おしい……。今日も君のために王都一番のパティシエに作らせた極上のケーキを持ってきたんだ。一緒に食べよう」
「……ケーキ。いちごが乗っているなら、許可する」
「シャルロットお姉ちゃーん! 僕もケーキ食べるー!」と、後ろからドラちゃんが元気いっぱいに飛びついてくる。
そんな二人のやり取りを、応接室の影から最高級の紅茶が載ったトレイを手にじっと見つめている男がいた。
カルディオである。
(……なんなんだ、あの金ピカ公爵令息は)
カルディオは深紅の瞳をうっすらと細め、無意識のうちに手に持っていた銀のトレイをギュッと指先で力任せに歪ませていた。
本来ならば、高位の貴族が我が家に通いつめ、領地の後ろ盾になってくれるなど願ってもない好都合なはずだ。経営的にも、シャルロットの立場的にも、何の文句もない。
(……なのに、なんだこの胸の奥のモヤモヤした不快感は?)
アルベルトがシャルロットの手を愛おしそうに握ろうとするたび、シャルロットがケーキにつられてアルベルトの近くへ寄っていくたび、カルディオの胸の奥でドス黒い感情が渦を巻く。
魔界で千年以上生きてきた上級悪魔である彼にとって、こんな感情は生まれて初めての経験だった。殺意とも違う、怒りとも違う、酷く不愉快で、冷たい嫉妬に似た何か。
「お待たせいたしました、アルベルト様。紅茶でございます」
カルディオは完璧な営業スマイル(ただし目は一切笑っていない)を貼り付け、割り込むように二人の間にスッと割り込んだ。
アルベルトはカルディオの放つ、隠しきれていない凄まじい威圧感に一瞬眉をひそめたが、すぐに公爵令息らしい笑みを返した。
「ああ、優秀な執事殿。いつもすまないね。……それにしても君は、少しシャルロット嬢との距離が近くはないかい?」
「滅相もございません。私はただの忠実なる執事に過ぎませんから。……ただ、我が主は大変お戯れが好きでして。あまりお付き合いが過ぎますと、予期せぬ『爆発』に巻き込まれますよ?」
「ふっ、どんな災難でも彼女となら受け入れよう」
完璧な社交スマイルでバチバチと火花を散らす二人。
その中心で、シャルロットは差し出された極上ケーキのいちごをパクリと口に含み、死滅している表情筋の中で、瞳だけをぴかっと眩しく輝かせていた。
「……美味しい。カルディオ、このケーキ、うちのシェフにも作れる?」
「……お望みなら、パティシエを丸ごと買収してでも作らせますよ、お嬢様」
カルディオが静かに、しかしどこか固い声でそう答えると、シャルロットは不思議そうに水色の瞳を向けて首を傾げた。
「……カルディオ。今日、なんだか怖い。顔が怒ってる」
「……気のせいです。私は至って冷静な、ただの執事ですから」
「……ふーん」
シャルロットはそれ以上追及することなく、幸せそうに次のケーキを口へと運んでいく。
その無防備な横顔と、相変わらず執着を強めていくアルベルトの視線を見比べながら、カルディオは小さく、自分にしか聞こえない音でため息をついた。
(……ちくしょう。俺としたことが、あんなポンコツ令嬢に……)
自身の胸のモヤモヤの正体に薄々気づきつつも、それを絶対に認めたくはないカルディオだった。
そんな心中などお構いなしに連日のようにアルベルトは通い詰めてきている。
「シャルロット嬢! 今日は君のために、王都で『神の舌を持つ』と称される最高峰の三ツ星シェフを連れてきたよ! さあ、彼の焼いた特製ローストビーフを食べておくれ!」
目の前に差し出されたのは、最高級の和牛に極上のトリュフソースがかけられた、見るからに絶品のローストビーフ。
「……いただく」
シャルロットは表情筋を微動だにさせず、優雅にナイフとフォークを動かし、お肉を一口食した。
一秒、二秒。
「……どうだい、シャルロット嬢!? 王都最高峰の味は!」
期待に満ちた目で覗き込むアルベルト。
しかし、シャルロットの瞳は、いつも美味しいものを食べた時のように「パァァァッ」と輝くことはなかった。どこまでも静かで、透明な水色のままである。
「……美味しい。お肉の質も焼き加減も完璧」
淡々とした感想。アルベルトは「そ、そうか……! 喜んでもらえてよかった!」と胸を撫で下ろしたが、部屋の壁際に立つカルディオだけは、シャルロットの異変を見逃さなかった。
(……おかしいな。あいつ、本当に美味いものを食った時は、感情が死んでても目だけは激しく主張するはずだぞ……?)
アルベルトが「明日も最高の品を持ってくるよ!」と満足気に去っていった後。
応接室に残されたシャルロットは、一人ポツンと椅子に座り、自分の胸のあたりをじっと見つめていた。
「……カルディオ」
「はい、お嬢様。何でしょうか。あの金ピカ公爵令息の料理にご不満でも?」
「……私の胃袋が壊れた。あるいは、舌の神経が麻痺した」
「は?」
カルディオは思わず素の声を上げた。
シャルロットは本気で真剣な顔(無表情だが)で、カルディオを見上げている。
「さっきのお肉、絶対に美味しいはず。でも……私の胸が、全然輝かなかった。ワクワクしなかった。私の食欲に重篤なバグが発生している」
「バグって……お前、ただの贅沢病だろ。毎日美味いもん食いすぎて舌が肥えたんだよ」
「違う。……お腹は空いているのに、満たされない。重病」
本気で落ち込んでいる様子の主を見て、カルディオはやれやれと盛大なため息をついた。
「ハァ……手のかかる主だ。夕食前だが、試してみるか? ちょうどさっき、昼の残りの野菜で作ったテキトーなスープがある。これでダメなら医者でも呼べ」
カルディオは厨房へ行き、余った根菜と塩とスパイスだけでサッと煮込んだ、何の変哲もない温かいスープをカップに注いで持ってきた。見た目は地味そのものである。
「ほら、飲んでみろ」
「……ん」
シャルロットは小さくうなずき、スープを一口、口に含んだ。
その瞬間――。
ぴかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!!
「うわ眩っ!?」
シャルロットの透き通る水色の瞳が、まるで夜空の満月か超高輝度LEDかというほどの凄まじい光を放ち、キラキラと眩しく輝いた。
「……っ! これ。これなの」
「おい目から光線出てんぞ!? っていうか、なんでただの残り物のスープでそんなに輝いてんだよ! 高級ローストビーフの時は死んだ魚の目をしてただろ!」
「……判明した」
シャルロットはスープカップをしっかりと両手で握りしめ、カルディオをじっと見つめた。
「……私の胃袋と幸福度は、料理の素材や味ではなく、『カルディオが作っているか』に100%依存している」
「は……?」
「アルベルト様の高級肉では、私の心は満たされない。カルディオの雑なスープでしか、私の満足度メーターは振り切れない」
シャルロットはトコトコとカルディオに歩み寄り、彼の執事服の裾をギュッと掴んだ。表情筋は相変わらず死滅したままだが、その瞳は見たこともないほどキラキラと眩しく輝いている。
「本で読んだ。胃袋を完全に掴まれ、その人が作ったご飯しか受け付けなくなる現象……世間ではこれを、『初恋』と定義する」
「……はぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
カルディオの叫び声が、屋敷全体に響き渡った。
「な、なんだその歪みきった恋心の自覚の仕方は!! 胃袋の依存関係から恋愛感情を弾き出す奴があるか!!」
「歪んでいない。極めて論理的で効率的な分析結果」
「どこがだ!! え、ていうか、待て……じゃあ何か!? お前、俺のことが好きなのか!?」
顔を真っ赤にしてパニックになる上級悪魔に対し、シャルロットは淡々と、しかし確信に満ちた声で告げた。
「……そうみたい。カルディオのご飯がないと生きていけない。だから一生、私の執事として美味しいご飯を作って」
「それ告白か!? 終身雇用の契約更新の要求かどっちだ!!」
ツッコミを入れながらも、胸の奥が激しくドキンと跳ね上がり、顔の赤みが収まらないカルディオ。
後ろでコソコソ見ていたドラちゃんが「お姉ちゃん、告白成功だねー!」と拍手し、マリサが「あや〜、青春だべさぁ!」と泣いている。
「うるさい小僧ども黙ってろ! ……くっそ、このポンコツ令嬢が……!それは恋じゃない! 単なる『特定の調理者に対する胃袋の重度な条件付け』だ!」
「いいえ、恋。本に『相手のご飯しか喉を通らなくなったらそれは愛』と書いてあった。私は読書家。間違いはない」
「どんな偏った本を読んでんだお前は!!」
真っ赤な顔で絶叫するカルディオと、スープカップを抱えて淡々と反論するシャルロットの押し問答は、すでに一時間を経過していた。
「……カルディオ、往復の時間が無駄。素直に『俺も好き』と言えば、この議題は3秒で解決する」
「言えるか!! 告白の動機が『残り物スープ』ってなんだ! 悪魔のプライドをどこへ捨てろと言うんだお前は!」
「プライドより、晩ご飯。今日の献立は何?」
「話を聞けポンコツ令嬢!!」
カルディオが頭を抱えてツッコミを入れた、まさにその瞬間だった。
ごごごごご……!!
突如として応接室の空間が歪み、不吉な漆黒の業火が激しく吹き荒れた。大理石の床がメキメキと音を立て、不気味な魔力が部屋中に充満する。
「……なにごと。せっかく綺麗にした床が割れる」
「ちっ……この魔気は……!」
カルディオが瞬時にシャルロットを背後へかばい、険しい表情で身構える。
炎の中から現れたのは、溢れんばかりの艶やかな黒髪に漆黒のドレスを纏った、目を奪われるほど妖艶で美しい美女悪魔――アイリスであった。
アイリスは深紅の瞳を妖しく光らせ、部屋を見回すと、執事服を着たカルディオの姿を捉えて甲高い声を上げた。
「あぁんっ! 見つけましたわ、カルディオ様ぁ〜〜っ!」
「……アイリス!? なぜ貴様が人間界に……」
「なぜも何もありませんわ! 貴方が人間界に降りたままいつまでも戻られないから、心配して迎えに来たのですわ! ……って、あら?」
アイリスはカルディオの腕にすがりつこうとしたが、カルディオが咄嗟にシャルロットを庇う体勢をとっていることに気づき、眉をひそめた。その視線が、カルディオの後ろからひょっこり顔を出している小さな銀髪の少女へと注がれる。
「なんなのですの、そのみすぼらしい小娘は? まさかカルディオ様、そのような人間に唆されて魔界へお戻りにならないのですか?」
アイリスは蔑むような笑みを浮かべ、カルディオの腕にグイグイと抱きついた。
「さあカルディオ様、こんな人間など放っておいて、早く魔界へ帰りましょう? 貴方の居場所は私の隣……そう、カルディオ様は私のものですわ!」
「おい、離れろアイリス! 今俺はこいつと契約中……」
カルディオが押し返そうとした、その時である。
トコトコ。
シャルロットが無表情のまま前に歩み出た。
そして、アイリスが抱きついているカルディオの反対側の袖を、小さな手でキュッと固く掴んだ。
「……違う」
水色の澄んだ瞳が、まっすぐにアイリスを見つめる。
「カルディオは、あなたのではない。……私の」
「は……? なんですって、この小娘……!」
アイリスが苛立ちを露わにして威嚇するが、シャルロットの表情筋は一ミリも動かない。冷徹なまでに冷静な声で、宣言するように言葉を紡ぐ。
「カルディオは、私専属の優秀な執事。我が家の家計を再建し、ドラちゃんをなだめ、私に美味しいお肉とスープを作る存在。だから、誰にも渡さない。カルディオは私のもの」
「な、なんて身の程知らずな人間……! 悪魔を私物化するなんて……!」
激怒するアイリスの声など、シャルロットの耳には届いていなかった。彼女はただ、掴んだカルディオの袖をギュッと握り直し、少しだけ強い眼差しでカルディオを見上げたのだ。
「……カルディオ。魔界に帰るの? ご飯、作ってくれないの?」
「……っ!!」
その瞬間。
カルディオの胸の中で、鐘が鳴り響くような凄まじい衝撃が走った。
(なんだ……今の……っ!?)
「私のもの」と言い切られた時の、所有欲と独占欲を露骨に向けられた高揚感。
そして、「ご飯作ってくれないの?」と無自覚にすがってくる、捨てられた仔犬のような水色の瞳。
いつもは無感情で何を考えているかわからない少女が見せた、はっきりとした「自分への執着」。
ドックン!! と、心臓が爆発しそうなほどの鼓動を打つ。顔が一瞬で沸騰したように熱くなり、カルディオは思わず手で口元を覆って後ずさった。
(やばい……っ! なんだ今の破壊力は……っ!? 完全にときめいただろ俺!! 悪魔の俺が、このポンコツ令嬢のただの言葉に……っ!!)
「ちょっと、カルディオ様!? なぜ顔を赤くして狼狽えていらっしゃいますの!?」
「う、うるさい黙れアイリス!!」
「カルディオ。顔が赤い。やっぱり熱? それとも私にときめいた?」
「ときめいてねえよ!!……いや、ときめいたかもしれんけど認めるかボケぇ!!」
「……認めた。可愛いところがある、上級悪魔」
「言葉の刃で俺を刺すな!!」
赤面してパニックになるカルディオ、無表情のまま満足そうに頷くシャルロット、そして「何なのですのこの空気は〜〜!?」とキーキー叫ぶアイリス。
「……まあまあ、部屋なら余っているべさ。白亜の大理石のお屋敷だもの!」
マリサの呑気な一言により、魔界から連れ戻しに来たはずの美女悪魔アイリスは、あっけなく男爵邸の客室へ居着くことになってしまった。
「ふふん、カルディオ様が魔界にお戻りにならないなら、私がここに留まりカルディオ様のお世話を焼き続ければいいだけのことですわ!」
「勝手に居座るなと言っているだろうが! ここは人間の貴族の屋敷だぞ!」
応接室でエプロン姿になり、甲斐甲斐しくカルディオの周りをチョロチョロするアイリス。
その光景を、ソファに座ったシャルロットがジッと見つめていた。水色の瞳はどこまでも透き通っているが、その佇まいにはどことなく重苦しい空気が漂っている。
トコトコと歩み寄ってきたシャルロットは、カルディオの執事服の裾をギュッと、いつもより強い力で引っ張った。
「……カルディオ。アイリス、邪魔。距離が近い」
「お嬢様……? いや、お前が遠ざけろって言ったって、こいつが勝手に」
「アイリスがカルディオのお茶を淹れるのも、お肉の仕込みを手伝うのも、不愉快。……胸の奥が、モヤモヤして、息がしにくい。病気」
シャルロットは死滅した表情筋のまま、自分の胸元を小さな手でキュッと押さえた。瞳には、見たこともないような強い不満の色が滲んでいる。
「……っ!?」
カルディオの心臓が、跳ね上がった。
(なっ……なんだいまの表情は……!? 普段何も考えてなさそうな奴が、俺が他の女(悪魔)と話してるだけで嫉妬してやがるのか……っ!?)
無感情な少女が見せた、はっきりとした独占欲と嫉妬。
その破壊力に、カルディオは顔が一瞬で沸騰したように熱くなり、思わず手で口元を覆って後ずさった。
(やばい……可愛すぎるだろこのポンコツ令嬢……! 完全にときめいてしまった……っ!)
「何ですのその不躾な言い草は! カルディオ様、この小娘を今すぐつまみ出してくださいまし!」
アイリスがキーキーと叫んだ、まさにその時であった。
「ごきげんよう、シャルロット嬢! 今日も君の愛らしい顔を見に――おや?」
応接室の扉が開き、王都一番の美貌を誇る公爵令息アルベルトが爽やかに現れた。しかし、彼は部屋に佇むアイリスを一瞥した瞬間、その足をピタリと止めた。
「……君は、一体?」
「あら? なんですのこの金ピカの人間は……」
二人の視線が交差する。
アルベルトはアイリスの溢れんばかりの美貌と妖艶な雰囲気に目を細め、アイリスはアルベルトの洗練された佇まいと完璧な顔立ちにハッと息をのんだ。
「……実に素晴らしい。一目でわかる、人間離れした高貴で圧倒的な美しさだ。私は公爵家のアルベルト。美しい貴女に、挨拶を許していただけるかな?」
アルベルトは洗練された動作でアイリスの手に軽く口づけを落とした。
「あ、あら嫌だわ……まあまあ、人間にしては随分とお行儀が良くて、お顔の整ったお坊ちゃんですわね……! 私は悪魔のアイリスと申しますの」
「悪魔……! なんと退廃的で魅力的な響きだ。シャルロット嬢を愛でるために通っていたが、世界にはこれほど刺激的な存在がいたとは……!」
「まあ! 貴方、お目が高いですわね! そうでしょう、人間の小娘より私の方が遥かに魅力的ですわよね!?」
「その通りだ! 君のその漆黒の髪と深紅の瞳、実に詩的で素晴らしい!」
一瞬であった。
数秒前までシャルロットへ情熱を傾けていた美貌の公爵令息と、カルディオ一筋だった美女悪魔が、雷に打たれたかのように意気投合してしまったのだ。
「「……は?」」
カルディオとシャルロットの声が綺麗にハモった。
「カルディオ様を追いかけて人間界に来ましたが……こんなに私を美と称えてくれる男がいるなら、魔界に戻るのも、カルディオ様に執着するのも馬鹿らしくなってきましたわ!」
「アイリス嬢、我が公爵邸へ来ないか? 君に相応しい最高級のドレスと宝石、そして極上の部屋を用意しよう」
「あらぁ! 嬉しいお誘いですわ! カルディオ様、私、このお坊ちゃんと契約して公爵家へ着いていきますわね! さようなら!」
「君の契約者になれるなんて光栄だよ、アイリス!」
二人は腕を組み、眩しいほどのオーラを振り撒きながら、嵐のように去っていってしまった。
静まり返る応接室。
「……なんだったんだ、今の怒涛の展開は」
カルディオが呆然と呟くと、シャルロットは自分の手をじっと見つめ、それからカルディオの顔を無感情に見上げた。
「……アイリス、いなくなった。カルディオは、私のもの」
「……お前、全然状況についていけてねえだろ」
「ついていかなくていい。ライバル(?)が減った。平和」
シャルロットはトコトコとカルディオに寄り添うと、その執事服の袖を再びキュッと掴み、ほんの少しだけ安心したように瞳を揺らした。
「……カルディオ。お腹空いた。ローストビーフ作って」
「……ハァ。はいはい、わかりましたよ、お嬢様」
カルディオは呆れつつも、愛おしそうに彼女のふわふわの銀髪を優しく撫でた。
◇◇◇
嵐のように去っていったはずのアルベルトとアイリスだったが、何故かすっかり意気投合してしまい、今では「近所の仲良しカップル」のような顔をして頻繁に男爵邸へ遊びに来るようになっていた。
「ごきげんよう、シャルロット嬢! 今日もアイリスと一緒に遊びに来たよ!」
「カルディオ様〜! 公爵邸のシェフが焼いたタルトを持ってきて差し上げましたわ〜!」
その日の午後。お茶会を終えて庭園を散歩するアイリスとシャルロット。
アイリスは優雅に扇子をあおぎながら、チラリとシャルロットを見下ろした。
「それにしてもシャルロット。貴女、カルディオ様が好きだと自覚した割には、全然アプローチが足りませんわよ? あんな朴念仁の悪魔、もっと攻め落とさなきゃ一生進展しませんわ」
「……攻め落とす? どうやって。私は毎日『ご飯を作って』と愛(胃袋への依存)を伝えている」
「ご飯だけじゃダメに決まってるでしょう!! 男……いえ、悪魔を夢中にさせるには『色気』と『スキンシップ』ですわ! 好きなら、もっとこう……オトナなアプローチをするものですのよ!」
アイリスはニヤリと妖艶に笑い、シャルロットの耳元で「とっておきの秘策」を囁き込んだ。
シャルロットは表情筋を一切動かさないまま、静かに水色の瞳を点滅させた。
「……なるほど。好きなら、そういうこともする。勉強になった」
その夜。
書斎で翌日の領地経営の帳簿をつけていたカルディオは、トントンと控えめなノックの音を聞いた。
「入れ」
扉が開くと、シルクのナイトウェアを身に纏ったシャルロットが入ってきた。ふわふわの銀髪が月光に透け、いつも以上に儚げで美しい。
「おや、お嬢様。まだ起きていらしたのですか。温かいミルクでも……って、うわっ!?」
トコトコと近づいてきたシャルロットは、机に向かって座っているカルディオの膝の上に、躊躇なくぽすんと乗っかってきたのだ。
「な、ななな何をして……っ!?」
さらにシャルロットは、その華奢な両腕をカルディオの首に回し、顔を数センチの距離まで近づけてきた。吐息がかかるほどの至近距離である。水色の透明な瞳が、じっとカルディオの深紅の目を覗き込んでくる。
「……カルディオ。目が泳いでいる」
「泳ぐわ!! なんだこの状況!? なにを考えて膝に乗ってんだお前は!!」
「アイリスに教わった。好きなら、こういうこともする。これは『おねだり』の体勢」
「あのアホ悪魔余計なことを吹き込みやがってぇぇぇ!!」
カルディオの顔が一気に頭頂部まで真っ赤に沸騰した。
さらに、シャルロットは無表情のまま、小さな指先でカルディオの胸元をツンツンと撫でまわし、そのまま耳元へと顔を寄せた。
「……ねえ、カルディオ。私を抱きしめて。そして……今夜は一緒に寝て?」
「~~~~~~~ッッッ!!?!?」
耳元で囁かれた掠れた甘い声(本人は至って真面目に演技しているつもり)に、カルディオの脳内メモリが限界を突破して弾け飛んだ。
(やばいやばいやばい!! なんだこの破壊力は!! 普段感情死んでる奴がこんな色気出してきたらひとたまりもないだろ!! 待て、俺は魔界で千年以上生きてきた上級悪魔だぞ!? 数々の人間の欲望を弄んできた闇の幹部だぞ!? なんで俺が、こんなポンコツ令嬢の一言で心臓爆発しそうになってんだよ!! 乙女か俺は!!)
あまりのときめきとパニックに、カルディオは両手で顔を覆い、膝の上のシャルロットを抱えたまま後ろへガバッと仰け反った。
「む、無理無理無理!! 限界突破!! 命の危険を感じる!!」
「……失敗? アイリスの教え通りにしたのに。抱きしめてくれないの?」
首をかしげ、不思議そうに自分を見つめてくるシャルロット。その無垢ゆえの無自覚な色気に、カルディオは胸を激しく押さえながら、情けない声を上げた。
「抱きしめたら俺の理性が爆発してこの屋敷ごと吹き飛ぶんだよ!! だからダメだ!! お前は自分の美貌と威力をもっと自覚しろ!!」
「……よくわからないけど、カルディオの心臓、すごく速い。ドクドク言ってる」
シャルロットがカルディオの胸に耳を押し当てると、カルディオは「あーーーっ!!」と叫びながら、シャルロットを優しく、しかし超特急で抱き上げ、部屋の外へ連れ出した。
「はい! 今夜はもうお休み!! ミルク飲んで寝なさい!!」
「……カルディオ。顔が熟したトマトみたい。可愛い」
「うるさい!! 明日の朝飯は激辛スープにしてやるからな!!」
バタンと扉を閉め、背中でドアを押さえつけながら、カルディオはズルズルと床に崩れ落ちた。
「……くっそ、あんなポンコツに……完敗じゃないか……」
真っ赤な顔のまま、手で顔を覆って悶絶する上級悪魔。
扉の向こうでは、シャルロットが「……少し、効果があった」と、小さく満足そうに頷いていた。
「……ぐぬぬ」
翌朝、執事服の襟を正しながら鏡と向かい合っていたカルディオの顔色は、あまり芳しくなかった。理由は明白、昨夜の「おねだり事件」による深刻な睡眠不足である。
千年以上を生きてきた上級悪魔たる自分が、まさか17歳のポンコツ令嬢のあざとい(と本人は思っていない)お色気作戦に翻弄され、完徹する羽目になるとは。
「はぁ……今日は激辛スープどころか、激甘のフレンチトーストでも作って……いや、待て、甘やかす必要がどこにある」
独り言を呟きながら廊下へ出たカルディオの視界に、トコトコと廊下を歩いてくる人物が映った。
シャルロットである。
昨日と同じふわふわの銀髪、水色の瞳。だが、朝日を背に受けて歩いてくるその姿を見た瞬間――。
(……っ!?)
カルディオの目に、シャルロットの周りに幻光のキラキラとしたエフェクトが見えた。
いつもと同じ死滅した表情筋。なのに、なぜか今日の彼女は、まるで絵本から飛び出してきた女神か何かのように輝いて見えるのだ。
「……おはよう、カルディオ。昨夜はよく眠れた?」
無表情のまま、首をちょこんと傾けて問うてくるシャルロット。
(な、なんだこの透明感は……っ!? 昨日の今日で、なんでそんな無垢な顔ができるんだ!? ていうか、なんで俺の目にはこいつがキラキラ光って見えてんだよ!!)
カルディオは胸をガシッと掴み、激しく首を振った。
(落ち着け、俺! 落ち着くんだ悪魔カルディオ! あいつはただの食いしん坊のポンコツ令嬢だ! 視界にフィルターがかかってんのは寝不足のせいだ! ……だから! なんで俺が少女漫画のヒロインみたいなリアクションしてんだよ! 乙女か!! 乙女か俺はーっ!!)
心の中で叫び散らかしているカルディオに対し、シャルロットは不思議そうに水色の瞳を点滅させた。
「……カルディオ。朝から一人で忙しそう。頭、大丈夫?」
「お前のせいだよ!! 誰のせいで俺の脳内がバグってると思ってんだ!!」
「私のせい? 嬉しい」
「嬉しがるな!!」
そんな朝の騒がしいやり取りを繰り広げていた、まさにその時であった。
ドカアアアアアン!!
ズズズズ……と地鳴りのような重低音が響き渡り、屋敷の床が大きく揺れた。応接室のシャンデリアがガタガタと鳴り、窓の外から悲鳴と怒号が聞こえてくる。
「な、なんだべさーっ!?」
エプロン姿のマリサが、階段から転がり落ちそうな勢いで駆け下りてきた。後ろからは、目をこすりながら眠そうに登場したドラちゃんと、慌てふためくロバート男爵が続く。
「カルディオ君! シャルロット! 大変だ、領地の境目にある森が……っ!」
「皆静かにしなさい。一体何が起きた」
カルディオが瞬時に執事の顔に戻り、窓の外へと視線を向ける。
新しく整備された豊かな街並みの向こう、男爵領を囲む森の空が、おどろおどろしい黒紫色の毒霧に覆われていた。さらに、大地を揺らす巨動と共に、凄まじい邪気が領地に向かって押し寄せてきている。
「あ、あれは……『大暴走』……!? でも、ただの魔物じゃないべ! 森の主が狂ってるんだっぺ!」
マリサが叫び、ドラちゃんが角をピクピクと震わせた。
「お姉ちゃん……なんか、すごく嫌な匂いがする……。僕の昔のお友達が、誰かに操られて怒ってるみたい……」
「……」
シャルロットは窓辺にトコトコと寄り、冷ややかに黒い霧を見つめた。
その水色の瞳から、朝の「キラキラ」とした雰囲気は一瞬で消え去り、底知れない絶対的な魔力の気配が静かに立ち上り始める。
「……なるほど。誰かが私の美味しいご飯の調達ルートを邪魔しようとしている」
「そこかよ!! いや、でも……この魔気、ただの野生の魔物じゃないな。裏で誰かが糸を引いている気配がするぞ」
カルディオが深紅の瞳を険しく細め、冷や汗を流す。
一年かけてようやく手に入れた平和で豊かな領地、そして二人の「美味しい日常」に、突如として最大の危機が訪れようとしていた。
シャルロットはそっとカルディオの執事服の袖を掴むと、淡々と、しかし力強い声で言った。
「……カルディオ。邪魔者は、排除する。……手伝って」
「ハッ……言われなくても。我が主に仇なす愚か者どもには、悪魔の恐怖って奴を教えてやりますよ」
カルディオは不敵に口角を上げ、胸の乙女心をかなぐり捨てて、漆黒の翼を力強く羽ばたかせたのだった。
黒紫色の毒霧を撒き散らし、森から姿を現したのは、洗脳された巨大な古竜と魔物たち、それを操る隣国の邪教徒集団であった。
「ハハハ! 破滅せよ、成り上がりの男爵領――」
邪教徒の首領が勝利を確信して高笑いを上げた、次の瞬間。
「……うるさい。せっかくの朝の静寂が台無し」
シャルロットが指先をチチッと一振りしただけで、空間そのものが圧縮されたような爆風が巻き起こった。一瞬で群がる上級魔物の半数が消滅し、残りの魔物も恐怖で動けなくなる。文字通りの圧倒、桁違いの暴力である。
「よし、お嬢様! このまま残党を……」
カルディオが前に出ようとした、その時だった。
洗脳された古竜の死角から、怨念の篭った漆黒の呪い弾が、無防備なカルディオの背後を目がけて高速で放たれた。
「カルディオ……っ!」
「なっ――!?」
振り返ったカルディオの視界に入ったのは、自分と呪い弾の間に割り込んできた、華奢な少女の背中だった。
バチンッ!! と嫌な音とともに、シャルロットの肩から血が吹き飛び、白い肌が黒く焼ける。莫大な魔力障壁で直撃こそ免れたものの、急に飛び込んだせいで防御が間に合わなかったのだ。
「ぐっ……」
「お嬢様ーーーーーっ!!」
地面に膝をつくシャルロットを抱き留めた瞬間、カルディオの頭の中で「ブチン」と何かが切れた。
「あ……あぁあ……っ!?」
カルディオの深紅の瞳が、血のような赤に染まる。背中から溢れ出た漆黒の魔力が天を突く柱となり、男爵領全体の空を押し潰さんばかりの圧迫感が支配した。
「貴様ら……俺の……俺のシャルロットに、何をしてくれたぁぁぁぁぁッ!!!」
地獄の底から響くような咆哮。真の姿を解き放った上級悪魔の威圧だけで、操られていた古竜は泡を吹いて気絶し、邪教徒たちは血吐いて地面に伏せた。
「殺す……塵一つ残さず、魂ごと灰にしてやる……っ!」
狂気と殺意に満ちた笑みを浮かべ、手元に巨大な黒炎の槍を生成するカルディオ。まさに世界の終わりかという惨劇が始まろうとした――その時。
ぽすん。
「……カルディオ。うるさい。耳元で叫ばないで」
「えっ」
血を流したままのシャルロットが、無表情のままカルディオの頬をめっとばかりにペチッとたたいた。
「……調子に乗って前に出るから、庇う羽目になった。反省して」
「反省って……! お前、怪我してんだぞ!? なんで庇ったんだよ!! 悪魔の俺なら呪い弾くらい耐えられたのに、なんで身を投げ出したりしたんだ!!」
「……身体が勝手に動いたから。カルディオが痛い思いをするのは、嫌だった」
「っ~~~~~!?」
淡々と言い放たれた言葉に、カルディオの胸が締め付けられる。殺気は一瞬で消し飛び、代わりに目から涙が一筋こぼれた。
「馬鹿野郎!! 俺はお前の執事だぞ!? 主を守って死ぬのが仕事なんだよ! なのに……なんでお前が傷ついてんだよ……っ!」
カルディオはシャルロットを強く、折れんばかりに抱きしめ、叫んだ。
「お前が大切なんだよ!! 俺の命より、何より大事なんだよ!! 飯の作り手としてじゃねえ……俺はお前自身が好きなんだよボケぇぇぇ!!!」
静まり返る戦場に、上級悪魔の涙混じりの大告白が響き渡った。
シャルロットは抱きしめられたまま、水色の瞳をパチクリと点滅させた。
「……そう。私も好き。だから、お互い様」
「会話が雑!! でももう二度と無茶すんな!!」
あまりの甘さと熱量に、地面に這いつくばっていた邪教徒の首領は、吐血しながら引きつった顔で呟いた。
「……何を見せられているんだ、我々は……?」
「……知らん。とりあえず、リア充爆発しろ的な空気なのは確かだ……」
敵側の哀愁漂うツッコミを置き去りに、怪我を治療されたシャルロットと、赤面と涙でぐちゃぐちゃになったカルディオの「本当の初恋」は、劇的な大パニックの中でついに結ばれたのだった。
そして、邪教徒たちを文字通り「ゴミ袋を捨てるような作業感」であっさりと壊滅させた後、残されたのは丸まった一匹の古竜だった。
シャルロットの気まぐれな魔力処置(という名のチョップ)を受けた古竜は、威厳も何もなくドラちゃんと同じくらいの幼い少女の姿へと縮んでしまっていた。
「うぅ……こわかった……」
「大丈夫だよー! お姉ちゃんもカルディオも、いい奴だからねー!」
極度の引っ込み思案であるその子――シーラちゃんは、自分を助けてくれた(?)ドラちゃんの後ろにすっぽりと隠れ、彼の服の裾をぎゅっと掴んで離れなくなってしまったのだった。こうして男爵邸の賑やかな居候がまた一人増えることとなる。
さて、事件が解決し、応接室に集まった一同。
シャルロットは肩の治療を終えるや否や、開口一番、淡々と言い放った。
「お父様。私、カルディオと結婚する」
「……えっ、はい」
突然の娘の婚姻宣言に、父ロバート男爵は一瞬素で返事をした後、じわじわと事態を理解して「ええ……?」と戸惑いの声を漏らした。しかし、これまでの二人の関係性や、屋敷を再建してくれたカルディオの功績を思い返すと、ぐうの音も出ない。
「ま、まぁ……そうなるよね。うん。カルディオ君なら娘を任せられるし……うん、おめでとう……?」
「父親の受け入れの早さどうなってんだ!?」とカルディオがツッコミを入れる間もなく、シャルロットはトコトコと彼の目の前に立ち、小さな手を差し出した。
「というわけで、結婚。婚姻届はどこ? 今すぐ出す」
あまりにも合理的で情緒を粉砕した迫り方に、カルディオの顔が赤と青の混ざった複雑な色に染まる。
「待て待て待て!! なんだその『明日の夕食はカレーね』みたいなノリは! 婚姻届を急かすな!」
「急かす理由がある。カルディオが私の夫になれば、一生美味しいご飯が保障される。契約の永久化」
「理由の第一声がやっぱりご飯かよ! ていうかさっき戦場で俺が言った告白覚えてねえのか! 『飯の作り手としてじゃねえ、お前自身が好きだ』って言っただろ!」
「覚えている。私もカルディオが好き。だから結婚。何か問題でも?」
水色の澄んだ瞳で、至極当然といった風に首をかしげるシャルロット。
カルディオは頭を抱え、深々とため息をついた後、真っ赤な顔でシャルロットの両肩をガシッと掴んだ。
「問題大アリだ!! お前……一生に一度の結婚だぞ!? こんな『事務手続き』みたいな流れで済ませてたまるか! 情緒がねえんだよ情緒が!!」
「情緒……? 必要なの?」
「必要だろ!! プロポーズはな、もっとこう……雰囲気を整えて、男からちゃんと言うもんなんだよ! こんな形で流されて結婚ってたまるかボケぇ!!」
「……? つまり、プロポーズのやり直し?」
「そうだよ!! 仕切り直しだ仕切り直し!! 俺が最高にカッコよく、お前をギャフンと言わせるプロポーズを用意するまで、結婚はおあずけだ!!」
カルディオの必死すぎる「乙女なこだわり」に、後ろで見ていたアルベルトとアイリスは「まあ、カルディオ様ったら乙女…ロマンチストですわね」「実に美しいこだわりだね」とニヤニヤし、ドラちゃんの後ろのシーラちゃんだけが「……おにいちゃん、顔が赤い……」と不思議そうに見つめていた。
「……ふーん。カルディオからのプロポーズ。楽しみに待ってる」
無感情な顔のまま、しかしほんの少しだけ期待に胸を膨らませるシャルロットと、自分の首を自分で絞めて盛大に墓穴を掘ったことに気づいて青ざめるカルディオ。
「……で……俺は……どうしたらいいと思う……?」
日の入りが近づき、オレンジ色に染まる男爵邸の裏庭。風の速さで公爵邸へ帰りそうになっていたアルベルトとアイリスの襟首を掴んで強引に引き留めたカルディオは、頭を抱えて地べたにしゃがみ込んでいた。
「いやぁ、実に見事な大口の叩きっぷりだったよ、カルディオ君! 『最高にカッコよく、お前をギャフンと言わせるプロポーズ』だったかい?」
「煽るな金ピカ公爵!! 勢いで言っちまったのは反省してるんだよ! だがな、相手はあの無感情・超効率主義のシャルロットだぞ!? バラの花束100本持ってひざまずいたって『場所をとる。邪魔』で片付けられるのが目に見えてんだろ!!」
絶望に打ちひしがれる上級悪魔を見て、アイリスは扇子で口元を隠しながら「おほほほ!」と嬉しそうに笑った。
「まあまあカルディオ様、乙女な悩みを抱えて可愛らしいことですわね! でも安心なさってくださいな。恋のスペシャリストたるこの私が、最高の知恵をお授けしますわ!」
「お前が入れ知恵した結果が昨夜の『おねだり事件』だろーが!! 俺の心臓はもう寿命が縮んでんだよ!!」
「あやぁ、カルディオ様は本当にウブだべさぁ~」
いつの間にか庭の物陰から顔を出したマリサ、そしてシーラちゃんを背中に乗せたドラちゃんまでが集まり、空前絶後の「プロポーズ作戦会議」が幕を開けた。
【案1:アイリス提案「悪魔的コテコテロマンチック」】
「やはりプロポーズといえば、夜空に浮かぶ月と、散りばめられた薔薇の絨毯ですわ! カルディオ様が漆黒の翼を広げ、シャルロットを抱きしめて空中で誓いのキスを捧げるのです!」
「却下だ!! あいつ高所恐怖症じゃないが『燃料(魔力)の無駄遣い。降ろして』って言われる未来しか見えん!!」
【案2:アルベルト提案「公爵家流・超豪華サプライズ」】
「なら、王都中の特級シェフを集めて三日三晩の大晩餐会を開くのはどうだい? 最後のデザートのウェディングケーキの中から君が飛び出すんだ!」
「俺はおめでたいパーティーグッズか!? ていうか『他の奴が作った料理はいらない』って言われたばっかだろうが!!」
【案3:ドラ&シーラ提案「純粋無垢なお花屋さん」】
「お兄ちゃん! 森で一番大きなお花を摘んできて、『これあげるから結婚して!』って言えばいいと思うー!」
「……シーラも、お花、すき……」
「お前ら……お前らだけが俺の癒やしだ……。だがなぁ、シャルロットは花より高級肉の方が絶対に食いつきが良いんだよなぁ……!」
あれこれと突飛な案が出尽くし、頭を抱えて唸るカルディオ。
その様子を黙って見ていたマリサが、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「カルディオ様。お嬢様が本当に欲しいものが何なのか、一番よく知ってるのは誰だべ?」
「……え?」
「豪華なパーティーでも、綺麗な花束でもねぇべさ。お嬢様がカルディオ様に求めてるものは、最初からずっと変わってねぇはずだべ?」
マリサの言葉に、カルディオはハッと目を見開いた。
そうだった。
あいつは没落した屋敷で、空腹に耐えながら冷たいスープを飲んでいた。
そんなあざとさも愛嬌もないポンコツ令嬢が、初めて目(魔力)を輝かせて喜んだのは――自分が作った、何の変哲もない温かいご飯だった。
「……ハッ。そうかよ。バカバカしい……俺は一体何に頭を悩ませてたんだ」
カルディオは立ち上がり、パンパンと膝の汚れを払った。
その顔からは迷いが消え、いつもの不敵で頼もしい「最高の執事」の笑みが戻っていた。
「おい、お前ら。明日、最高の茶番を見せてやるから、絶対に口を挟むなよ」
「あら、何か閃きましたの?」
「ふふ、楽しみだねぇカルディオ君!」
茜色の空を見上げながら、カルディオは口元を綻ばせた。
あいつをギャフンと言わせる、世界でたった一つのプロポーズのイメージが、彼の中で完璧に組み上がっていたのだった。
(待ってろよ、ポンコツ令嬢。最高のメシと、一生分の覚悟を胃袋に叩き込んでやる)
翌日の夕暮れ時。
男爵邸の広大な庭園に、ぽつんと小さなテーブルと椅子がセッティングされていた。
呼び出されたシャルロットは、トコトコと歩いてきて椅子に腰を下ろす。周囲の木々の陰には、息を殺して見守るアルベルト、アイリス、ドラちゃん、シーラちゃん、マリサ、そして父親のロバート男爵の姿があった。
「……カルディオ。プロポーズの準備?」
水色の澄んだ瞳が、執事服に身を包んで目の前に立つカルディオをまっすぐに見つめる。相変わらず表情筋は死滅しているが、その瞳にはほのかな期待が宿っていた。
「ああ。お前が納得する、最高の『情緒』を用意してやったよ」
カルディオは不敵に口角を上げると、手に持っていたシルバーのドームカバーをゆっくりと持ち上げた。
「……! これは……」
皿の上に載っていたのは、黄金色に輝くオムライスだった。
贅沢なトリュフも、最高級の和牛も使われていない。男爵家の庭で採れた新鮮な卵と、いつもの野菜、そしてカルディオが手間暇かけて仕込んだデミグラスソースがたっぷりとかけられた、素朴だが温かい一皿。
そしてその頂点には、真っ赤なケチャップでこう書かれていた。
『一生、俺の飯を食え』
文字を見たシャルロットの瞳が、一瞬でパァァァッ!! と眩しい光を放ち、キラキラと輝いた。
「……文字。雑だけど、とても美味しい匂いがする」
「文字の評価はいいんだよ! ……コホン」
カルディオはコホンと一つ咳払いをすると、いつもより少しだけ真剣で、深みのある声で語り始め、その場にすっと右膝をついた。
「シャルロット。俺は悪魔だ。本来なら人間に仕えることも、誰か一人に縛られることも反吐が出るほど嫌いだった。……だが、お前のあの無感情な顔が、俺の作った飯を食ってキラキラ輝くのを見た時から、俺の人生の計算は狂いっぱなしだ」
カルディオはポケットから、小さなベルベットの箱を取り出した。パカッと開かれた箱の中には、シャルロットの瞳と同じ、透き通るような美しい水色の宝石が嵌め込まれた指輪が収まっていた。
「俺は、お前に豪華な宝石や綺麗な花束を買い与えることしかできない男にはならない。お前が腹を空かせた時はいつでも最高の飯を作り、お前がピンチの時は世界を敵に回してでも守り抜く」
深紅の瞳が、熱を帯びてシャルロットを見つめる。
「俺の悪魔としての永遠の時を、全部お前にやる。だから……俺の妻になってくれ。一生、お前の胃袋と人生を、俺に預けろ」
完璧な所作、真っ直ぐな言葉、そして最高の料理。
静まり返る庭園。隠れて見ていたアイリスは「まあ……!」と感極まって扇子で口元を覆い、父ロバートはボロ泣きしている。
シャルロットは、オムライスと指輪、そして真っ赤な顔で自分を見上げるカルディオをじっと見つめた。
一秒、二秒。
トコトコと椅子から降りたシャルロットは、カルディオの胸にぽすんと飛び込んだ。小さな腕が、しっかりと彼の首に回される。
「……合格。100点満点中、1000万点」
「っ……!!」
「カルディオのご飯も、指輪も、言葉も……全部、私が独占する。一生、手放さない」
シャルロットは耳元で静かに囁くと、離れ際に、カルディオの頬へちゅっと柔らかいキスを落とした。
「……っ〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!???」
まさかの不意打ちのキスに、カルディオの顔が一瞬で爆発したように真っ赤に沸騰した。両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちる上級悪魔。
「な、ななな何をしてんだお前はぁぁぁ!!」
「アイリスに教わった。最高のプロポーズには、誓いのキスで応えるものだと」
「あのアホ悪魔余計なことをーーー!! いや、嬉しいけど!! 嬉しいけど心の準備ってものがだな!!」
「ひゅ〜〜〜っ! お二人さん、お熱いべさぁ〜〜!」
「やったー! お姉ちゃんとお兄ちゃん、結婚だー!」
木陰から一斉に飛び出してくる一同。パチパチと温かい拍手が巻き起こり、シーラちゃんもドラちゃんの後ろで小さく手を叩いている。
「カルディオ。顔、トマトみたいで可愛い。……冷めないうちに、オムライス、食べさせて?」
「……はいはい! 食べさせてやるよ! 一生、あーんしてやるから覚悟しろポンコツ令嬢!!」
真っ赤な顔のまま、愛おしそうにシャルロットを抱き上げるカルディオ。
死滅した表情筋の奥で、世界一幸せそうに目を輝かせるシャルロットだった。
◇◇◇
男爵領の歴史において、これほど異様で、これほど多幸感に満ちた祝宴があっただろうか。
かつては雨漏りと雑草に悩まされていた貧困の邸宅は、今や白亜の光を放つ豪奢な大屋敷へと生まれ変わり、その広大な庭園には王都の高級ホテルすら霞むほどの大天幕が張られていた。
式に参列しているのは、一筋縄ではいかない面々ばかりだ。
公爵家の嫡男アルベルトと、彼にすっかり手懐けられて煌びやかなドレスに身を包んだ美女悪魔アイリス。
ドラちゃんと、その背中に怯えながらもしっかりとしがみついているシーラちゃん。
さらには、感極まってハンカチを濡らし続けている父ロバート男爵と、マリサ。
だが、参列者たちの視線を何よりも集めていたのは、新郎新婦の前にうずたかく積まれた「それ」であった。
「……カルディオ。これは、夢?」
「現実だ、ポンコツお嬢様。……いや、今日からは俺の『嫁』か」
銀刺繍が施された純白のタキシードを完璧に着こなしたカルディオは、呆れと愛おしさが半分ずつ混ざったような溜息を吐きながら、隣のシャルロットを見下ろした。
シャルロットが纏うのは、最高級のシルクと魔導糸で織り上げられた純白のウェディングドレス。普段ふわふわとはねている銀髪は艶やかに結い上げられ、水色の瞳はどこまでも透き通っている。相変わらず表情筋はピクリとも動かず、完璧な「死滅顔」を維持していたが――その頭上からは、キラキラとした不可視の多幸感オーラが漏れ出していた。
なぜなら、新婦席のテーブルの上に鎮座しているのは、最高峰の三ツ星シェフが作った綺麗な三段ケーキなどではない。
カルディオが今朝四時から起きて仕込んだ、「特大デミグラスハンバーグ山盛りタワー(推定総重量十キロ)」と、「超高輝度米の特盛どんぶり」だった。
「……美しい。王都のどんな宝石よりも、このデミグラスソースの照りが私の心を打つ」
「ドレス汚すなよ!? ちゃんとエプロンつけろ! ったく、結婚式の披露宴で新婦がハンバーグタワーに『あーん』されてる図なんて、前代未聞だぞ!」
「問題ない。カルディオのご飯を山盛り食べる。それが私の人生最高の誓い」
「はいはい、お口開けて。……ほら、あーん」
「……んぐ。……ん……っ、美味しい……(パァァァァァッ!!)」
シャルロットの口に大きめの一口が放り込まれた瞬間、彼女の瞳から凄まじい高輝度の光線が放たれ、披露宴会場を明るく照らし出した。
「おぉ〜〜っ! お嬢様の目が、太陽より眩しいべさぁ〜〜!」
「お姉ちゃん、おめでとうー! ハンバーグ美味しそうー!」
「カルディオ様! 早く私とアルベルトにもそのハンバーグを分けなさいな!」
「いやはや、最高の愛の形だね! 素晴らしいよカルディオ君!」
歓声と拍手が湧き起こる中、カルディオは顔を真っ赤にしながら、次々とシャルロットの口へハンバーグとご飯を運んでいく。
悪魔の契約も、誓いのキスも必要ない。
この男が作り、この女が胃袋に収める。それこそが、世界で最も強固で、解くことの許されない絶対の絆だった。
◇◇◇
豪華な結婚披露宴が終わり深夜、男爵邸の大きな寝室に二人きりになった。
シルクのブライダルドレスを脱ぎ、動きやすい部屋着に着替えたシャルロットは、大きなベッドの端にちょこんと腰掛け、いつも通りの無表情でカルディオを見つめている。
一方のカルディオは、タキシードのネクタイを緩めながら、部屋の隅でハァハァと荒い息を吐いていた。
「……カルディオ? 顔が真っ赤。やっぱり発熱?」
シャルロットは首を傾げ、至近距離からひたむきな水色の瞳でカルディオを見つめ返した。逃げ場など最初から存在しない。
「……発熱じゃねえよ、ポンコツ令嬢」
カルディオは低く掠れた声で呟くと、膝の上のシャルロットを軽々と抱き上げた。そのまま長椅子から立ち上がり、ゆったりとした足取りで大きなベッドへと歩を進める。
「……カルディオ?」
「お前が『信じる』なんて可愛げのあること言うからだ。……覚悟しろよ。俺は悪魔だぞ。一回捕まえた獲物を、途中で離してやるほど優しくねえ」
シャルロットの華奢な体が、柔らかいシーツの上に優しく沈み込んだ。
頭上から覆いかぶさるカルディオの影。漆黒の髪の間から覗く深紅の瞳が、これまでにないほど熱く、愛おしそうに彼女を見つめている。
シャルロットは無感情な顔のまま、そっと手を伸ばし、カルディオの指に自分の指を絡めた。
「……離してくれなくていい。一生、カルディオの側にいる」
「……っ、お前は本当に……!」
カルディオの理性の限界を示す音が、脳内でパチンと鳴った。
参ったように笑うと、カルディオはシャルロットの額に、鼻先に、そして薄桃色の唇へと、愛おしさをすべて込めて何度も何度もキスを重ねた。
指を深く噛み合わせ、体をぴったりと密着させる。
悪魔の体温は驚くほど温かく、シャルロットの全身を優しく包み込んでいく。
(……あたたかい。これが、カルディオの愛……?)
これまで美味しいご飯を食べた時くらいしか動かなかったシャルロットの心が、ポカポカと甘い熱で満たされていく。
「……シャルロット。途中で『やっぱやめた』は無しだからな」
耳元で囁くカルディオの低い声に、シャルロットはこっくりと頷き、彼の首元にギュッと抱きついた。
「うん。……カルディオ、大好き」
「……くっそ、反則だろそれ……っ!」
死滅していたはずのシャルロットの表情筋が、ほんの少しだけ、世界で一番柔らかく緩む。水色の瞳は、今宵どんな星よりも眩しく輝いていた。
カーテンがそっと閉じられ、夜の静寂がふたりを優しく包み込んでいくのだった。
まばゆい朝日が、寝室の大きなカーテンの隙間から差し込んでいた。
散らかったナイトウェアと、乱れたシーツの中。
カルディオはゆっくりと深紅の目を開けた。腕の中には、温かく柔らかい重みがあった。
「……ん」
シャルロットが、カルディオの胸に顔をうずめたまま、気持ちよさそうに息を吐いていた。
その肌には、昨夜カルディオが刻みつけたキスマークが幾つも残っている。
「……ふぅ。……やっちまった。俺としたことが、加減を忘れて何回も……」
カルディオは自分の顔が再び熱くなるのを感じながら、彼女の銀髪を愛おしそうに撫でた。
すると、シャルロットの睫毛がピクピクと揺れ、水色の瞳がうっすらと開いた。
「……おはよう、カルディオ」
相変わらずの無表情。しかし、その瞳には昨夜の余韻と、深い幸福感が満ち溢れていた。
「……おはよう、ポンコツ。体……痛むか?」
「身体は……少し重い。腰が、くだけてる。でも……心は、すごく満たされている」
シャルロットはベッドの上で擦り寄り、カルディオの唇に小さくちゅっとキスをした。
「……カルディオ。私、やっぱりカルディオが好き。昨日より、もっと好き」
「〜〜〜〜ッ!! お前は朝から殺傷能力が高すぎるんだよ!!」
赤面して顔を覆うカルディオに、シャルロットは満足そうに小さく頷くと、お腹を「ぐぅ~」と鳴らした。
「……カルディオ。お腹空いた。動けないから、ベッドまで運んで」
「はいはい、わかってますよ。……何が食べたい?」
「カルディオが作ってくれるなら、何でも。……あ、でも、オムライスがいい。昨日のケチャップの続き書いて」
「ケチャップの続き?」
カルディオが首をかしげると、シャルロットは彼の胸に顔を埋め、ぽつりと呟いた。
「『一生、俺の飯を食え』の続き。……『ずっと一緒にいよう』って書いて」
「……っ」
カルディオは一瞬目を見開いた後、心底愛おしそうに破顔した。
不敵で、優しく、世界で一番格好良い執事(夫)の笑顔。
「……任せとけ。ケチャップじゃ足りねえから、一生かけて、言葉と飯で伝えてやるよ」
最高の料理と、解けることのない愛の契約。
無感情令嬢と上級悪魔の、甘く賑やかな新婚生活は、美味しい朝食の匂いと共に、今まさに始まったばかりだった。




