30話 準備期間
数日が過ぎた。
ピクルは――戻らない。
だが、学院の日常は容赦なく前に進んでいた。
午後の学院は、いつもより騒がしかった。
廊下の端には資材箱。
中庭では、上級生が大掛かりな設営図を広げている。
教育特区成果展示会――学院祭。
準備期間に入ってから、授業の大半は実務に置き換わっていた。
「……ほんとに授業減ったね」
設営用の布束を抱えながら、リナが小さく言う。
「そうだな。ほぼ準備だ」
ユウリはロープを肩に担ぎ直した。
作業自体は単純だ。
だが――学院全体の空気が、どこか落ち着かない。
本番前特有の、張り詰めたざわめき。
その中で。
ポケットの中の結晶が、かすかに脈打った。
(……まだ、寝てるのか)
指先でそっと触れる。
桃色の核は、相変わらず静かな明滅を繰り返している。
リナが、ちらりと視線を向けた。
「……変化、ない?」
「今のところは」
短い返事。
言葉にすると、少しだけ実感が重くなる。
そのまま、二人は無言で歩いた。
――ゆるい日常。
なのに。
小さな空白だけが、ずっと残っている。
作業の合間の休憩時間。
ユウリは、いつもの癖で紙袋を開けた。
中から取り出す。
ドライフルーツ。
何気なく、一つ口に放り込む。
噛んだ瞬間。
――ふと。
(……あ)
指が、止まった。
甘酸っぱい味。
いつもなら。
胸元のあたりで、小さな気配が身を乗り出して――
『……♪』
そんな幻が、一瞬だけよぎる。
ユウリは、わずかに目を伏せた。
指先に残る、食べかけの一粒。
少しだけ間を置いてから、もう一つ口に入れる。
「……ユウリ?」
隣のリナが、不思議そうに覗き込んできた。
「……いや」
小さく首を振る。
「なんでもない」
だが、胸の奥に残る空白は――
思っていたより、静かに効いていた。
◇
放課後。
いつもの演習場。
――今日も、やけに人が多い。
壁沿いに設置された魔導計測標的は空きがない。
飛び交う魔法。
周囲の結界にぶつかる魔法の音と光。
見学している上級生の姿まである。
「……増えてるね」
リナが小さく呟く。
「ああ。学祭前だから」
ユウリが周囲を一瞥する。
空気は、いつもより少しだけ実戦寄り。
その時。
「ユウリ」
背後から、よく通る声。
振り向くまでもない。
「……学院祭で忙しいんじゃ無かったのか?」
そこにいたのは、アリーシャ。
相変わらず無駄のない立ち姿。
視線は最初から、ユウリの動きを値踏みしている。
「だからよ、学院の同級生に受けれる相手がいないの」
「本番まで私の調整に付き合ってもらうわ」
開口一番、いつもの調子。
ユウリが半目になる。
「相変わらず一方的だな」
「抜きなさい」
ユウリの腰の短剣を、顎で指す。
そして自分は木剣を構えた。
言われた通り、腰の短剣に手をやる。
「反撃してもいいわよ――」
短剣を抜く。
「できればだけどッ」
言うのと同時。
アリーシャが力強く踏み込んだ。
上段からの鋭い打ち込み。
ユウリは短剣の腹で受け流す。
――その瞬間。
(……軽すぎる)
手応えが、妙に鈍い。
違和感に意識を取られた刹那。
「……っ!」
逆袈裟が走り、短剣を弾き飛ばされた。
金属音が、乾いて響く。
「はい一本」
アリーシャが短剣を拾い上げる。
刃を一瞥し――
「……ふん。そういうこと」
小さく鼻を鳴らした。
「いきなり悪かったわね」
刃こぼれを確かめながら、ユウリへ短剣を返す。
短剣を受け取り、ユウリは刃先に視線を落とす。
欠けた縁。
指でなぞる。
「……オークキングだった」
短く、そう言った。
アリーシャの眉が、わずかに動く。
「そう」
驚きはない。
予想通り、という顔。
「真正面から受けたの?」
「受け流すつもりだった」
肩をすくめる。
「迎撃狩猟型――お前が教えてくれた」
「おかげで一発入れることができた」
ほんの一瞬、沈黙。
アリーシャは腕を組み、ユウリをじっと見る。
値踏みするような視線。
「……で?」
続きを促す声。
ユウリは、少しだけ視線を逸らした。
「……あんたとの特訓、役に立ったよ」
ぼそり。
本当に小さい声。
一拍。
アリーシャの目が、わずかに細くなる。
「へぇ」
口元が、ほんの少しだけ上がった。
だが次の瞬間には、もういつもの顔。
「当然でしょ」
「私が見てきたんだから、それくらい出来なきゃ困るわ」
相変わらず容赦がない。
ユウリが小さく息を吐く。
「……素直に褒める気はないのか」
「結果が出たら考える」
ぴしゃり。
だが。
ほんのわずかだけ。
視線が短剣に落ちる。
「――でも」
小さく続けた。
「真正面からオークキングの攻撃を受けて、反撃できたなら上出来」
それだけ言って、視線を戻す。
十分すぎる評価だった。
短剣を返したアリーシャは、顎に指を当てた。
「――その刃、放っとく気?」
ユウリがわずかに眉を寄せる。
「……直るなら、いいんだけど」
「そうね」
木剣を肩に担ぎ、アリーシャは短剣を顎で示す。
「どちらにしても、素人じゃ手に負えないわ」
一歩、距離を詰める。
「ちゃんとした鍛冶屋に持っていきなさい」
きっぱりと言い切った。
ユウリは短剣に視線を落とす。
確かに――
一人で悩んでないで、ここはプロに相談するべきだ。
「……王都で当てとかあるのか?」
「私に聞かないで」
即答。
だが、少しだけ視線を逸らして続けた。
「王都の南区画」
「個人工房が固まってる一帯がある」
「趣味連中も多いけど、たまに化け物が混じってる」
口調は軽い。
だが情報は的確だった。
「――探す目があるなら、ね」
そこで口元がわずかに上がる。
試すような視線。
ユウリが小さく息を吐く。
「……相変わらず投げっぱなしだな」
「実地訓練よ」
悪びれもない。
その時。
「ユウリ、まだやってるの?」
聞き慣れた声。
振り向くと、リナが演習場の端からこちらを覗いていた。
アリーシャの視線が、すっとリナに流れる。
ほんの一瞬。
何かを測るような目。
――すぐに興味を失ったように背を向ける。
「じゃ、今日は帰るわ」
ひらりと手を振る。
「その刃、ちゃんと見てもらいなさいよ」
それだけ言い残し、去っていった。
「今日は、ピクルいなかったわね……残念」
そう呟きながら。
短い沈黙。
リナがユウリの手元を見る。
「……短剣、直りそう?」
ユウリは、刃の欠けを指でなぞった。
「わからない……だから」
一拍。
顔を上げて、小さく肩をすくめる。
「鍛冶屋を探すことになった」
「週末、付き合って欲しい」
頼みながら、内心で少し苦笑する。
(……一人で行くの、ちょっと不安なんだよな)
王都の鍛冶屋事情なんて、ほとんど知らない。
外れを引く可能性だってある。
すると――
リナの表情が、ぱっと明るくなった。
「うん、もちろん!」
即答だった。
その反応に、ユウリが少しだけ驚く。
「楽しみだね」
リナは、にこっと笑う。
まるで遠足の予定でも決まったみたいな顔だ。
ユウリは一瞬ぽかんとして――
それから、少し困ったように笑った。
「ありがとう、一人だと不安でさ」
そして、首を傾げる。
「でも――楽しいかな?」
本気の疑問だった。
鍛冶屋を探して歩き回る。
武器を直す相談をする。
そんなの、面白いだろうか。
だが。
リナは、くすっと笑った。
「せっかくだから、二人で王都を見て回ろうよ」
一歩、ユウリの横に並ぶ。
「王都に来て半年経つけど、まだこの街のこと全然知らないし」
少しだけ声が弾む。
「こんなに豊かな国だから、面白いお店いっぱいあるよ」
その様子を見て。
ユウリは、ふっと肩の力を抜いた。
(……そっか)
武器修理だけじゃない。
王都を歩く。
店を覗く。
知らない場所を探す。
それだけでも、十分――
楽しいのかもしれない。
「それも良いか」
素直にそう言うと、
リナが満足そうに頷いた。
二人は並んで歩き出す。
夕暮れの演習場は、もう人もまばらだった。
魔導標的の光だけが、ぽつぽつと残っている。
「王都の南区画って、行った事ある?」
リナが楽しそうに言う。
「うん。前に一回だけ行ったことあるんだけど――」
少し考えて、続けた。
「すごいんだよ。煙突だらけで、ずっと鉄を打つ音がするんだ」
「……うるさそうだな」
「うるさいよ」
くすっと笑う。
「でも、なんか好き」
その声が、夕暮れの空気に柔らかく溶けた。
ユウリは少しだけ空を見上げる。
赤く染まり始めた王都の空。
(……鍛冶屋、か)
刃の欠けた短剣が、腰でわずかに揺れる。
故郷でもらった刃。
だが――
アリーシャの言葉が、頭の中に残っていた。
『素人じゃ手に負えないわ』
確かに、そうだ。
直るのか。
それとも――
違う形になるのか。
「楽しみだね」
隣で、リナが言った。
その声は、本当に嬉しそうだった。
ユウリは、少しだけ肩の力を抜く。
「……まあ、街歩きなら悪くない」
「でしょ?」
リナが笑う。
その笑顔を見て、ユウリも小さく笑った。
学院の門を出る。
王都の通りには、すでに灯りがともり始めていた。
屋台の匂い。
人々のざわめき。
活気のある、いつもの王都。
なのに。
肩に乗る相棒の温もりだけが、足りなかった。
ユウリは、そっと手を入れる。
取り出したのは、半透明の結晶。
小さな核が、ゆっくりと明滅している。
「……まだ寝てるのか」
小さく呟く。
リナが、横から覗き込んだ。
「きっと大丈夫だよ」
迷いのない声。
ユウリは少し驚いて、リナを見る。
「そう思う?」
「うん」
リナは微笑む。
「だって」
一瞬、言葉を探すように視線を泳がせてから――
「ユウリのところに戻りたくて、頑張ってる気がする」
その言葉に、ユウリは結晶を見下ろした。
桃色の光。
静かな鼓動。
しばらく見つめてから、
ポケットに戻す。
「……そうだな」
短く答える。
二人はまた歩き出す。
寮への帰り道。
そのポケットの中で。
桃色の核が――
ほんのわずかに、
強く光った。
誰にも気付かれることなく。




