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29話 顕現解除


 翌朝。


 カーテンの隙間から、淡い光が差し込んでいた。


 ユウリは、ゆっくりと目を開ける。


 見慣れた天井。

 見慣れた部屋。


 ――だが。


(……ん?)


 いつもなら、胸のあたりにあるはずの温もりがない。


 小さく上体を起こす。


「ピクル?」


 呼んでも、返事はない。


 視線を巡らせる。


 枕元。

 ベッドの脇。

 机の上。


 ――いない。


 胸の奥が、わずかにざわついた。


 その時。


 机の上で、何かが淡く光った。

 ユウリの視線が止まる。


「……なんだ、これ」


 見慣れない物体。

 ピンポン玉ほどの大きさの、多面体結晶。


 外殻は、霊触媒のような質感。

 薄いクリーム色を帯びた半透明。

 だが内部には――


 ピクルの額の宝石と同じ桃色の核が、淡い光を放ち静かに明滅していた。

 ――まるで、鼓動しているかのように。


 ユウリの眉が、わずかに寄る。

 さらによく見る。


 桃色の核の奥。

 ほんのかすかに、深緑の残滓が揺れている。


 見覚えがあった。

「……アダプティブコア?」


 昨夜、ピクルが大事そうに抱えていたはずの――


 そこで。


 結晶が、かすかに明滅した。


 ぴく。

 ほんの一瞬。

 ユウリの指先が止まる。


「……おい」


 恐る恐る、手を伸ばす。

 結晶に触れた、その瞬間。


 ――ぽう。


 桃色の核が、わずかに強く光った。


 同時に。


 頭の奥に、微かな感覚が走る。

 聞き慣れた、小さな気配。

 眠たげで、甘えるような――


 ユウリの目が、ゆっくりと見開かれた。


「……ピクル?」


 返事はない。

 だが。

 結晶は、一度だけ、かすかに脈打った。


 ――とくん。


 確信に変わる、静かな鼓動。

 ユウリは、息を吐いた。


「……そこにいるのか?」


 目を瞑り、集中する。


 この結晶の奥、そこにいるはずのピクルの魂を探る。


 深く。


 深く沈んでいく。


 暗い世界の奥。

 ひときわ光を放つ存在を見つける。

 慣れ親しんだピクルの気配――ではない。


 ほんのわずか、間があって。


「……久しぶり」


(――この声)

 

 背筋に、冷たいものが走る。

 

「ホノカ?」


「名前つけたんだね」

「ピクル――いい名前」

 

(違う。そんな話じゃない)


 胸の奥が、ざわつく。

 思考が、わずかに遅れる。


「ピクルはどこにいる?」


「大丈夫」

「消えてない、また会えるよ」


(……本当に?)


 そう言い残し、気配が遠ざかる。


「……いつか私も」

 最後の言葉は、闇に消えた。


 世界が反転する。


 明るい朝の日差しが、ユウリを現実に引き戻す。


 御守りが仄かに熱を帯びていた。


 ◇

 

 朝の学院は、すでにいつもの喧騒に包まれていた。


 白い回廊には、生徒たちのローブがゆるやかに行き交い、あちこちで魔力の微かな揺らぎが重なっている。


 誰もが、いつも通りの朝を過ごしていた。


 ――ユウリ以外は。


(……落ち着かないな)


 胸元のポケットに触れる。


 そこに収まっているのは、ピンポン玉ほどの多面体結晶。


 昨夜と同じ、かすかな温もり。

 だが、ピクルの姿はない。


 足取りは普段通り。

 視線も、できるだけ自然に。


 それでも。


 自分だけが、ほんの少し日常からずれている感覚があった。

 曲がり角を抜けたところで――


「ユウリ」


 聞き慣れた、静かな声。

 振り向くまでもない。


「……リナ」


 廊下の窓際に、リナが立っていた。

 朝の光を背に、じっとこちらを見ている。

 一歩、近づいてくる。


「ピクル、今日は一緒じゃないの?」


 開口一番、それだった。


 ユウリは小さく息を吐く。


「……やっぱり分かるか」


「毎日一緒にいたもの」


 即答。


 リナの視線が、ユウリの胸元に落ちる。


「何かあったの?」


 声は小さいが、真剣だった。

 ユウリは周囲を一度だけ見回し、廊下の端へ歩く。

 リナも無言で並んだ。


 ユウリはポケットから、そっと結晶を取り出す。

 朝の光を受けて、多面体が淡くきらめいた。

 桃色の核が、静かに明滅している。


 リナの瞳が、わずかに見開かれた。


「……何、それ」


「今朝、気づいたらこうなってた」


 短く説明する。


 ピクルが消えていたこと。

 この結晶に変化していたこと。

 ピクルが抱えていたアダプティブコアも無くなったこと。


 話している間、リナは一度も口を挟まなかった。


 やがて。


「霊触媒が……変化したってこと?」


「多分」


 小さく頷く。


「この結晶、ピクルの鼓動みたいなものを感じるから……」


 ユウリは優しい目で結晶を見つめる。

 リナの表情が、ほんのわずかだけ緩む。


「わかる、私も感じる。ピクルは消滅した訳じゃない」


 一拍。


「むしろ――」


 言いかけて、結晶をじっと見つめる。

 桃色の核が、微かに脈打った。


 とくん。


 リナの指先が、わずかに止まる。


「……これは、適応かもしれない」

 

 リナ自身も、その言葉の意味を測りかねているようだった。


 小さな推測。

 ユウリの眉が、わずかに動く。


「適応?」


「そんなことが起こるのか分からないけど」


 理性的な声。


「ピクルが自分で、憑依しやすいように霊触媒を作り替えた……とか」


 そこで。


「おはよう、ユウリくん」


 横から、やわらかい声が割り込んだ。

 アイリスが、いつものようにピクルに会いに来た。


「あれ? 今日ピクルは?」


 一瞬だけ、間。


 ユウリは肩をすくめた。


「少し調整中」


「なんだ、残念」


 それだけ言って、アイリスはそのまま去っていく。


 ピクルが現れてから、この女子学生は毎日のようにピクルを触りに来るのだ。


 日常の、軽いノイズ。


 だがリナは小さく息を吐いた。


「……隠すのは正解」


「だろ」


 ユウリは結晶をポケットに戻す。

 指先に、わずかな温もりが残った。


「しばらく様子見ね」


 リナが静かに言う。


「魂の揺らぎは安定してる。少なくとも、今すぐどうこうなる状態じゃない」


 理性的な判断。

 ユウリは短く頷いた。


「分かった」


 その時。

 廊下の奥から、規則正しい足音が近づいてきた。

 リナの視線が、そちらへ動く。


「……来た」


 空気が、わずかに切り替わる。

 朝のホームルームの時間が、始まろうとしていた。

 

 ◇


 教室のざわめきが、ゆっくりと静まる。


 教壇に立つセオドールは、書類を一枚閉じた。


「――という訳で、今日から正式に学院祭の準備期間だ」


 一拍。


「三週間後――」


 黒板に、白い魔光文字が浮かび上がる。


【教育特区成果展示会】


「王都・教育特区全域で開催される、年に一度の国家査定行事だ」


 ざわ、と教室の空気が揺れた。


 ほとんどの生徒は良くわかっていない様子、貴族の子息やエルヴィンは表情が引き締まる。


「通称“学院祭”だが、内容は祭りではない」


 淡々とした声。


「成果査定。技術公開。軍事確認。人材選別」


 言葉が、重い。


「王族、軍高官、貴族、行政官。国内外からの来賓が視察に来る」


 ユウリの背筋に、わずかな緊張が走る。


(国家査定、ね……)


 セオドールは続ける。


「開催期間は七日間。会場は教育特区ほぼ全域」


 空間投影が展開される。


 王都の俯瞰図。


 城壁内の北西に広がる広大な区域が淡く発光する。


「ここが教育特区だ」


 中央大通り。

 各学院。

 合同演習場。

 広場。


「中央大通りがメイン会場。各学院は専門展示を担当する」


 映像が切り替わる。


 魔法学院の広大な敷地。

 騎士学院の演習場。

 文化学院の劇場。

 工学系の巨大施設群。


「展示会終了まで、特区内の運用ルールは一部変更される」


 黒板に次々と項目が浮かぶ。


 ・夜間魔術制限緩和

 ・公開演習の実施

 ・一般来訪者の限定入区

 ・軍事監査官常駐


 教室の空気が、さらに引き締まる。


「治安維持は騎士学院と軍が共同で担当する。無断顕現は禁止区域では厳罰だ。研究データの持ち出しも制限される」


 リナが、静かに小さく息を吸った。


 国家規模のイベント。


 遊びではない。


「一年生は基本、裏方補助だ」


 その一言で、教室の空気が少し緩む。


「会場設営、資料整理、警備補助、来賓誘導」


 数名がほっと息を吐く。


「だが」


 セオドールの視線が教室を横切る。


「魔法学院の学生である以上、評価対象外ではない」


 静寂。


「普段の実習態度、魔力制御、魂安定度。すべて記録される」


 ユウリの胸元で、結晶がわずかに温もった。


 ――とく。


(今は、まだ関係ない)


 そう思いながらも、心のどこかがざわつく。


 リナが小声で言う。


「来年は、出る側」


「……想像つかないな」


 正直な言葉だった。


 セオドールが最後に告げる。


「これは国威発揚の場だ。同時に――諸君らの未来を決める場でもある」


 書類を閉じる。


「以上。午後から準備班の割り振りを行う」


 鐘が鳴った。


 ざわ、と教室が一気に騒がしくなる。


「中央大通り全部使うらしいぞ」

「軍も来るって」

「特別評価席、今年は王女殿下来るとか」


 噂が飛び交う。


 ユウリは窓の外を見る。

 遠く、特区の中央大通りが陽光に照らされている。


 三週間後。


 あの通りは、人と視線と国家の意思で埋め尽くされる。

 どんな事になるのか、想像もつかないユウリだった。


 ◇


 放課後の空気は、どこか落ち着かなかった。


 演習場へ続く石畳の道を歩きながら、ユウリは肩越しに周囲を見渡す。

 普段なら、もっと人はまばらだ。各々が自分の課題に集中して、静かな緊張が張りつめている――そんな場所のはずだった。


 けれど今日は違う。


 学院の生徒たちが、あちこちで模擬詠唱や連携確認をしており、いつにも増して魔法が飛び交っている。

 簡易結界の展開音。降霊術によるアバターを展開している上級生の姿もある。遠くでは、設営用の資材を運ぶ台車の軋みまで混ざっていた。


 学院祭前、特有のざわめき。


「……人、多いね」


 隣でリナが小さく息を吐いた。


「演習場、こんなに混むの久しぶりかも」


 ユウリは答えながらも、無意識に胸元へ視線を落とす。

制服の下、霊触媒――ピクルの感触を、確かめるように。


(……いる。けど)


 いる。

 確かに、いるのに。

 あの、ぴょこんと跳ねるような反応が、まだ戻っていない。


 リナがちらりと横目で見てきた。


「……まだ、変?」


「うん」


 短く頷く。


「完全に静かってわけじゃないんだけど……なんていうか」


 言葉を探す。


「……奥にいる感じ」


 口に出した瞬間、自分でも妙な表現だと思った。

 けれど、いちばん近い感覚でもあった。


 リナは少しだけ真剣な顔になる。


「眠ってる、とか?」


「それも考えた。でも――」


 ユウリは首を横に振る。


「昨日の反応、ただの休眠じゃなかった気がする」


 胸の奥に、あの時の感触が蘇る。


 ピンクの核。

 その奥に、深緑の残滓。


(……融合、してる)


 まだ確証はない。

 でも、ただ弱っているだけではない――そんな直感が、どうしても消えなかった。


 少しの沈黙。


 その空気を、軽い足音が割った。


「学院祭って感じになってきたな」


 振り向くと、いつもの調子のアンディが手をひらひらさせていた。

 その後ろには、腕を組んだラグナの姿もある。


「アンディ、早いね」


「来賓誘導班、事前確認あるってさ。めんど……いや、重要任務だからな」


 言い直しが雑すぎて、リナがくすっと笑う。


 ラグナは二人の顔を見比べて、少しだけ眉を寄せた。


「……で。例の件は」


 単刀直入。


 ユウリは苦笑する。


「まだ、はっきりしない」


「不在ってわけじゃないんだよね?」とアンディ。


「うん。いるのはいる」


 そこまで言って、少しだけ言葉を選ぶ。


「……でも、前みたいに顕現――実体化はしない」


 ラグナの視線が、ほんのわずか鋭くなった。


「降霊術は試したのか?」


 少し間を置く。


「いや、まだ試してない」


「学院祭前だ。無理はするな」


 短い一言。

 けれど、その声音には珍しく気遣いが混じっていた。

 ユウリは小さく頷く。


「前に言ってたろ、憑代を探すって。きっとその新しい結晶に宿ってるんだよ」


「ありがとう、しばらく様子見てみるよ」


 そのとき、演習場の中央付近で小さなどよめきが起きた。

 新しい訓練班が入ってきたらしい。指導役の上級生が声を張り上げ、空気がさらに慌ただしくなる。


 リナが周囲を見回して、ぽつり。


「……ほんと、学祭って感じしてきたね」


 色とりどりの腕章。

 運び込まれる資材。

 普段より少しだけ浮き足立った、学院の空気。


 ユウリはその喧騒を眺めながら、胸元にそっと触れた。


(ピクル)


 返事はない。


 けれど――


 ほんのわずか。

 深いところで、微かな脈動が返ってきた気がした。


 ユウリは気づかれない程度に、少しだけ息を吐いた。


「……大丈夫。たぶん」


 さっき、返ってきたあの脈動は。

 嘘じゃない。

 

 誰にともなく、そう呟いた。


いつもお読みいただきありがとうございます。

最新エピソードを追ってくれている皆様のおかげでモチベーションが維持されております。

可愛い相棒が離脱してしまいましたが、しばらくお付き合い下さい。

これからも応援よろしくお願いします。

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