28話 激戦で得た物
翌日。
昼休みの演習場裏。
少し冷たい風が、木々を揺らしている。
石段に腰掛けたラグナが、袋の中身をもう一度確認してから、大きく息を吐く。
「……なあ」
ちら、とユウリを見る。
「これ、本当に俺たちの取り分なんだよな?」
ユウリは苦笑した。
「昨日、何回確認したと思ってる」
「だってよ……」
ラグナは袋の口を少し開ける。
中で――
金貨が、鈍く光った。
「重すぎるだろ、これ……」
実感が追いついていない声。
無理もない。
昨日の分配。
討伐報酬に加えて――
魔獣素材の売却益。
学生パーティとしては、明らかに破格だった。
リナが腕を組んだまま、小さく頷く。
「オークキング素材が効いてるね」
「特に牙と装甲皮」
事務的な口調。
だが目は、きちんと現実を見ている。
「市場価格、通常個体の三倍近い」
ラグナが天を仰いだ。
つ
「夢じゃねぇよな……」
その時。
「ピィ」
ユウリの肩の上で、ピクルが満足げに鳴いた。
小さな前足で――
例の深緑の核を、ぎゅっと抱え込む。
ラグナがじっと見る。
「……で、それ」
一拍。
「結局、何なんだ?」
ユウリは、少しだけ視線を落とした。
掌に乗せる。
深緑の球体。
内部で、細い光がゆっくり巡っている。
「“アダプティブコア”の一種、らしいが」
「らしい、って」
「ファルコンの見立てだ」
短く答える。
リナの目が、わずかに細まった。
「武装側が使い手に適応して変質する中枢素材……」
小さく呟く。
「もし本物なら、かなり希少」
ラグナが身を乗り出す。
「売ったら――」
「却下」
即答だった。
ユウリは苦笑する。
「ピクルが離さない」
「ピィ」
得意げな鳴き声。
ラグナは数秒黙り――
吹き出した。
「いいよ、ピクルだけ何も無しって訳にはいかないからな」
少しだけ、空気が緩む。
だが。
リナの視線は、まだ核に残っていた。
(……もしかしたら、憑代になり得るかも……)
言葉にはしない。
ただ静かに観察する。
不意に、ラグナが言った。
「そういやユウリ」
「ん?」
「武器、平気か?」
ユウリは腰の短剣を抜いた。
陽光が、刃に反射する。
そして――
刃元付近。
刃こぼれがひどい。
ラグナが顔をしかめた。
「……やっぱ食ってるな」
「まともに受けたからな」
ユウリは淡々と答える。
だが、指先で刃こぼれをなぞる動きは慎重だった。
リナが静かに言う。
「研ぎ直したら戻るかな」
「工房に出す?」
ユウリは、ほんの少し考え――
首を振った。
「いや」
一拍。
「一度、自分で考えたい」
短い言葉。
だが、ラグナは目を細めた。
(……なんか、引っかかってんな)
ユウリは刃を鞘に戻す。
その動きは、いつもよりわずかに丁寧だった。
風が吹いた。
ユウリの左肩が、ほんのわずかに強張る。
それを、リナは見逃さない。
「……まだ痛む?」
「大したことない」
「強がり」
昨日と同じやり取り。
だが今回は、ラグナも覗き込む。
「左、結構もらってただろ」
「骨は無事だ」
「そういう問題じゃ――」
言いかけて、ラグナは止まった。
ユウリの目。
落ち着いている。
昨日、戦場で見たのと同じ目。
ラグナは、ふっと息を吐いた。
「……無茶はすんなよ」
「ああ」
短い返事。
それ以上は、誰も踏み込まなかった。
少しの沈黙。
ラグナが、ぼそりと呟く。
「……正直」
一拍。
「俺たち、まだまだだな」
「魔獣も強かったけど――ビークラプターズ、さすがBランクって感じの動きだったな」
風が止まる。
ユウリは何も言わない。
リナだけが静かに答えた。
「魔導小銃もすごかったけど、それよりもあのチームワークよね」
「どこが遊びの延長よ……」
「……ああ」
ラグナが苦笑する。
「ユウリも驚いたぜ、目玉ぶち抜くとか」
ユウリはわずかに視線を逸らした。
「……あそこしか通らなかった」
「逆にすげえだろ」
ラグナは真顔になる。
「しかも60秒、あの化け物相手に時間稼ぎって」
一拍。
「普通じゃねぇよ」
ユウリは、少しだけ息を吐いた。
「……たったの60秒、体感は10倍だよ」
本音だった。
誰も笑わない。
リナの目が、ほんの少しだけ柔らぐ。
その時。
ユウリの肩の上で。
深緑の核が――
とくん。
ごく微かに、脈打った。
ユウリの視線が、ほんの一瞬だけ動く。
(……まただ)
だが、今回は何も言わなかった。
代わりに立ち上がる。
「午後、実技だろ」
いつもの調子。
「行くぞ」
ラグナが立ち上がり、
リナが静かに続く。
昼下がりの太陽が、演習場を明るく照らしていた。
◇
午後の演習場。
冷たい風が、砂をさらっていく。
「防衛班、配置」
セオドールの声が落ちた。
前回と同じ区画。
前回と――
同じ評価基準。
同じ配置。
同じ役割。
ユウリは、ゆっくりと定位置についた。
肩の上。
「ピ」
ピクルが、いつも通り小さく鳴く。
ユウリは、軽く撫でた。
「――いつも通りでいい」
声は、静かだった。
前みたいな、わずかな迷いはない。
「来るぞ」
踏み込み。
教官のアバターの圧が、前面に叩きつけられる。
重い。
だが――
ユウリの視線は、落ち着いていた。
「ピクル、サポート」
「ピ!」
魔力が流れる。
滑らかに。
無駄なく。
リナの結界が――
ぴたり、と安定した。
隣でアイリスが息を呑む。
「……維持、軽い」
エジルの端末が、静かに反応する。
だが。
評価欄は、前回と大きく変わらない。
「……補助性能、良好」
淡々とした記録。
火力欄。
――ゼロ。
前回と、同じ。
以前なら。
ここで。
ほんの少しだけ。
胸の奥が、ざらついた。
(……火力が欲しい)
そう思っていた。
だが――
ユウリの視線は、まっすぐ前に向いている。
結界の揺れ。
味方の魔力負荷。
教官の踏み込み癖。
全部、見えている。
(――十分だ)
静かな確信。
肩の上で、ピクルが小さく胸を張る。
「ピ」
ユウリは、ほんの少しだけ笑った。
エジルの指が、一瞬止まった。
(……安定度、上がってる?)
数値上は、微増。
だが体感値が違う。
横で。
セオドールの目が、わずかに細まる。
「……カミナギ」
ぽつり。
誰にも聞こえない声。
「迷いが消えたな」
評価表は、変わらない。
だが――
立ち姿が違う。
「本日の防衛班、以上」
訓練終了の声。
緊張が、ゆるむ。
ラグナが歩み寄ってきた。
「お疲れ……っと」
ユウリの顔を見て、少し眉を上げる。
「……なんか」
一拍。
「今日、やけに落ち着いてなかったか?」
ユウリは、少しだけ首を傾げた。
「そうか?」
「そうだよ」
ラグナは腕を組む。
「前はもうちょい、こう……」
言葉を探して。
「納得いかない顔してた」
図星。
――だったはずだが。
ユウリは、あっさり笑った。
「まあ、羨ましいのは今も同じだよ」
ラグナが「だよな」と頷きかけて――
止まる。
ユウリは続けた。
「でも」
肩の上のピクルを、軽く指でつつく。
「こいつの役割、やっと腹に落ちた」
「ピ」
得意げな鳴き声。
ユウリの目は、静かだった。
「前に出て倒しにいくのは、たぶん俺の仕事じゃない」
風が、すっと抜ける。
「その代わり――」
ほんの少しだけ、目が鋭くなる。
「狩りやすい形には、いくらでもできる」
迎撃狩猟型。
完全に、血肉になり始めている。
ラグナが、数秒黙り――
ふっと笑った。
「……いい顔するようになったな」
「そうか?」
「おう」
ラグナは背を向けながら、ひらひら手を振る。
「また、狩り一緒に行こうぜ」
去っていく背中。
ユウリは、静かに息を吐いた。
肩の上。
深緑の核が――
とくん。
ごく微かに、脈打つ。
ピクルが、ほんの少しだけ目を細めた。
「……ピ」
ユウリは、まだ気づかない。
だが。
静かに、変化の兆しが訪れていた。
◇
放課後。
いつもの演習場。
夕陽が、円形の砂地を淡く照らしている。
外周を囲む高い観覧壁の上では、結界柱がかすかに明滅していた。
ユウリは短剣を軽く振り、刃の重さを確かめた。
(……まだ、少し重い)
左半身に、うっすら残る鈍痛。
完全回復には、もう少しかかる。
その時。
「来てたんだ」
静かな声。
振り向くと、アンディがいつもの無表情で立っていた。
「討伐、無事終わったって聞いた」
眼鏡を押し上げる。
「――どうだった?」
事前情報を持たない、純粋な問い。
ユウリは、少しだけ息を吐いた。
「……数が多かった」
「オークの群れか」
「ああ。キング個体が率いてた」
アンディの眉が、わずかに動く。
「それはまた……無事に帰れて良かったな」
淡々とした評価。
ユウリは肩をすくめた。
「特訓の成果かもな」
「今日、アリーシャは来ないのか?」
「そうだな、本当は学院祭で忙しいはずなんだよ」
「そうか。今度、改めて師匠に報告しないとな」
短い沈黙。
その空気を――
「おーい!!」
勢いよくぶち破る声。
砂煙を上げながら、ラグナが駆け込んできた。
「アンディもいるじゃん。ちょうどいい!」
いつもの調子。
――だが。
ユウリは、ほんのわずかな違和感に気づく。
ラグナが、拳を軽く握り直した。
「……俺も混ぜろ」
一瞬、風が止まる。
アンディが静かに視線を向けた。
「珍しいね」
ラグナは、少しだけ視線を逸らし――
「……オーク戦」
ぼそり、と言った。
「あんま仕事できなかった」
珍しく、軽口がない。
ユウリの目が、わずかに細くなる。
ラグナは頭をかいた。
「敵が強かったし、ビークラプターズに全部持っていかれた」
一拍。
「……正直、ちょっと悔しい」
空気が、わずかに引き締まった。
アンディは短く頷く。
「なるほど」
そして、淡々と続ける。
「動機としては、非常に健全だ」
その時。
「……やっぱり、ここにいた」
控えめな声。
三人が振り向く。
演習場の入口に、リナが立っていた。
夕陽を背に、静かな視線がユウリへ向く。
「体、大丈夫?」
最初の一言が、それだった。
ユウリは、少しだけ目を瞬かせる。
「ああ、まあ」
「無理してない?」
「してない……つもり」
リナは数秒だけユウリを観察し――
小さく息を吐いた。
「……ならいいけど」
そして、ほんのわずか間を置いて。
「私も、参加していい?」
アンディの眼鏡が、かすかに光る。
アンディは三人を見渡し、静かに言った。
「つまり」
指を一本立てる。
「ユウリは実戦後の調整」
二本目。
「ラグナは前衛精度の底上げ」
三本目。
「リナは――」
一瞬だけ言葉を選び、
「連携確認、かな?」
リナは、ほんのわずかに視線を逸らした。
「……まあ、そんなところ」
完全否定はしない。
アンディは小さく頷いた。
「いいね」
そして腕を組み、少しだけ声の調子を落とす。
「ただ、その前に一つ言っておく」
眼鏡の位置を直す。
「強さを求めるなら、今ある降霊術を極めるのが一番早い。理にも適っている」
わずかな静寂。
アンディの視線が、ユウリに向いた。
「――ユウリは例外だ」
夕陽の光が、レンズに細く反射する。
「まだ理解しきれていない降霊術と顕現体」
「幼少期から培った実戦経験」
「体力、反応速度、戦闘センス」
一拍。
「今の型は、ユウリだからこそ成立している」
ラグナが片眉を上げた。
「……褒めてんのか、それ」
「事実を言ってるだけ」
即答だった。
そしてアンディの視線が横に流れる。
「で、問題は君たち二人だ」
指先が、ラグナを示す。
「特にラグナ」
「はいはい」
軽く肩を回すが、目は真面目だ。
アンディは淡々と続ける。
「君は本来、魔術師適正が高いはずだ」
「……まあな」
「なのに剣を振り回して、戦士の真似事をしている」
図星。
ラグナは小さく息を吐いた。
「いいだろ別に。アバター出すより殴った方が早いんだよ」
「でも、それに限界を感じたから降霊術を学んでるんだ」
本音。
アンディは一度だけ頷く。
「それ自体は否定しない」
一拍。
「ただ、魔力を十分に持っているのに使わないのは――単純にもったいない」
ラグナの視線が、わずかに揺れる。
「……わかってるよ」
「それに、前衛の経験が無駄になるわけでもない」
アンディは静かに続けた。
「アサルトアーマーの役割は、パーティー前衛と本質的に同じだ」
一歩、ラグナの前へ視線を寄せる。
「これからは、“自分の分身”を動かす感覚で運用するといい」
ラグナの表情が、わずかに締まった。
そして。
アンディの視線が、静かにリナへ移る。
「リナ」
「……何」
「君は逆だ」
短い断定。
「基礎降霊術は、ほぼ完成している」
リナの指が、わずかに止まる。
「でも」
アンディは続ける。
「ガーディアンフレームを“操作”しようとし過ぎている」
リナの目が、わずかに細くなる。
「……否定はしない」
「ガーディアンは基本、パーティー支援用だ」
淡々とした分析。
「戦域に配置して結界を張る――それで八割は役割を果たしている」
一拍。
「だから操作は最低限でいい。術者本人も戦闘に参加するのがセオリーだ」
ユウリは、以前魔海で見た上級生の戦闘を思い出し、小さく頷いた。
リナも、静かに頷く。
「……やってみるわ」
リナの一言で、空気が少しだけ実戦寄りに引き締まる。
アンディは、ゆっくりと腕を下ろした。
「じゃあ、軽く回そう」
視線が演習場の中央へ向く。
「ユウリは今日は無理をするな。観察役でいい」
ユウリは短く頷いた。
「ピクル、サポート頼む」
足元では、ピクルが小さく鳴く。
「ピ!」
小さな体が、すっとユウリの影に寄り添った。
場の空気が、静かに整う。
魔法陣と淡い光の中から、ラグナのアサルトフレームが展開する。
重厚な外殻が、夕陽を受けて鈍く光った。
「――行くぞ!」
踏み込み。
砂が弾ける。
重い一撃。
だが――
「重心がまだ浮いてる」
アンディの即時指摘。
「アバターの維持は当たり前、操作に集中するんだ」
「っ……!」
二撃目。
今度はわずかに軌道が変わる。
アンディが、小さく頷いた。
「悪くない」
短時間で、要点だけを削り出す指導。
数合で、アンディが手を上げた。
「ラグナは一旦いい」
「もうか?」
「十分だ。今日は精度確認が目的だからね」
「訓練すれば自ずと出力を上げていけるはずだ。焦らずに確実に維持できる出力でやっていこう」
ラグナは、悔しそうに舌打ちしつつも顕現を解除した。
――視線が、リナへ向く。
「次、リナ」
「ええ」
静かな返事。
淡い光が、彼女の背後に立ち上がる。
――ガーディアンフレーム顕現。
鈍重な守護外殻が、静かに展開した。
アンディの目が、わずかに細くなる。
「やっぱり完成度は高い」
一歩、距離を取る。
「じゃあ今日は、その先をやろう」
リナの眉がわずかに動く。
「その先?」
「ガーディアンを“置いたまま”撃つ」
短い指示。
「風属性、使えるね?」
「……ええ」
リナの周囲に、淡い風が渦を巻き始める。
だが――
「待った」
アンディが手を上げた。
「今のは“溜めすぎ”」
淡々とした指摘。
「アバター展開中は、魔力消費が常時走ってる」
一拍。
「大技思考は捨てた方がいい」
リナの視線が、真剣に細まる。
「じゃあ、どうするの」
アンディの口元が、わずかに緩んだ。
「いい質問だ」
指先を、軽く立てる。
「君に教える。僕が改良した最大効率の実用魔法」
一瞬の間。
ユウリの視線も、わずかに上がった。
アンディは静かに続ける。
「術式は単純。圧縮・加速・直線射出」
空中に、指で簡易式を書く。
「風刃系の発展形だと思えばいい」
リナの集中が、一段深くなる。
「名称は……まあ仮でいい。ただとトリガーだからな」
一拍。
「――エア・ランス」
圧縮された空気の塊が高速で射出される。
空気が、わずかに震えた。
空に向かって放たれた魔法は、上空に現れた結界に阻まれて音も無く消失した。
「こんな感じ」
アンディの額に玉の汗が浮かぶ。
「ガーディアン維持」
「風を一点に圧縮」
「魔力効率を優先」
アンディの声は、静かだが正確だった。
リナの掌の前に、細い風の収束が生まれる。
――鋭い。
明らかに、今までより密度が高い。
アンディの眼鏡が光る。
「そう、それでいい」
「そのまま――撃て」
リナの指先が、わずかに前へ出た。
――シュンッ!!
空気を裂く鋭音。
演習場の壁沿いに設置されている標的へ向かって一直線に突き進む。
乾いた破裂音。
壁際の魔導計測標的のひとつが淡く発光した。
穿孔の縁が光り――
傷が、内側から静かに塞がっていく。
同時に、標的の側面から半透明の光板が滑り出た。
一瞬の静寂。
ラグナが目を見開く。
「……おい、今の」
リナ自身も、わずかに息を止めていた。
「魔力消費の割に、すごい威力……」
アンディが、満足そうに頷く。
「魔力効率重視型だからね」
「これ以上離れると威力が減退するけど、近〜中距離ならこれが一番実戦向きだ」
一拍。
「君向きだと思った」
リナの視線が、ほんの少しだけ柔らいだ。
「……ありがと」
小さな声。
だが、その時。
ぐらり。
アンディの体が、わずかに揺れた。
ユウリの目が鋭く動く。
「……アンディ?」
アンディは、何でもない顔をしようとして――
失敗した。
「いや……ちょっと」
眼鏡の奥の瞳から光が消える。
ラグナが眉をひそめる。
「お前、まさか――」
アンディは小さく息を吐いた。
「……これが、今の限界か」
一歩、ふらつく。
そして。
「――あ」
ストン。
その場に、力なく膝をついた。
一拍遅れて、前のめりに倒れる。
「アンディ!?」
リナが駆け寄る。
ユウリはしゃがみ込み、脈を確認した。
「……いつもの――魔力切れだな」
ラグナが呆れ顔で頭をかく。
地面に突っ伏したまま、アンディが小さく呟いた。
「……だから言っただろ」
かすれ声。
「魔力少ないって……」
ぴくり、と指が動く。
「……君たちが、羨ましいよ」
夕陽が静かに傾き、演習場に影を落とす。
◇
夜。
寮の自室は、静まり返っていた。
窓の外から差し込む月明かりだけが、淡く部屋を照らしている。
ユウリは、ベッドに仰向けに寝転がっていた。
右手に、短剣。
ゆっくりと持ち上げる。
短剣に刻まれた幾何学模様と、右腕に刻まれた故郷の紋様が、月明かりの中で静かに呼応していた。
まるで――
離れていたはずの記憶が、いま一つに重なったかのように。
刃先が月光を受けて、鈍く光った。
――欠けている。
オークキングとの死闘で刻まれた、はっきりとした刃こぼれ。
親指で、そっと縁をなぞる。
(……無茶、させたな)
小さく息を吐く。
この短剣とは、長い付き合いだ。
何度も、これに助けられてきた。
血の匂い。
重い衝撃。
地面を揺らした、あの咆哮。
記憶が、ゆっくりと浮かび上がる。
――オークキング。
あの巨体が、今も脳裏に焼き付いている。
だが。
そこで、別の光景が重なった。
もっと昔……。
幼い自分。
震える足。
オークを前に、ただ立ちすくむ。
何も出来なかった、あの日。
胸の奥が、わずかに軋む。
ユウリは一度、目を閉じた。
ゆっくりと、息を吐く。
そして。
再び、短剣を見る。
欠けた刃。
傷だらけの刀身。
――それでも。
(……今回は)
指先に、わずかに力がこもる。
(ちゃんと戦えた)
短い、確かな実感。
完勝じゃない。
余裕もなかった。
それでも。
あの時の自分とは、違う。
ユウリは短剣を鞘にしまい胸の上に下ろした。
天井を、静かに見上げる。
月明かりが、刃の欠けを細く縁取っていた。
胸の奥のざわつきが、少しだけ静まっている。
(……まだ、足りない)
だが――
ほんのわずか。
本当に、わずかだけ。
前に進めた気がした。
ユウリは、静かに目を閉じた。
夜は、まだ深い。
傍ではピクルが、深緑色の球体を大事そうに抱えて眠っている。
小さな寝息だけが、静かな部屋に溶けていた。




