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27話 オークキング


 雑木林の奥。


 オウルの偵察報告どおり――


 円周上に丸太のバリケード、拠点外縁。


 歩哨が三体。

 間隔を空け、緩やかな三角形で巡回している。


 風向き、良し。

 視界、部分遮蔽。

 距離――およそ四十。


 ファルコンが、すっと二本の指を立てた。


 空気が、変わる。

 

(……来る)


 ユウリの背筋に、静かな緊張が走る。


《状況開始》


 ホーク、左へ。

 レイヴン、右へ。

 オウルが、わずかに前進。

 イーグルは後方高所。


 ――無駄がない。


(……なんだ、この連携)


 訓練された班行動。

 それも、学院のそれとは明らかに質が違う。

 ファルコンの手が、ゆっくりと下りていく。


 三。


 二。


 一。


 ――同時。


 パン、という乾いた音が三つ。


 ほぼ重なった。


 一体目。

 眉間を撃ち抜かれ、糸が切れたように崩れる。


 二体目。

 喉元に風穴。

 声を上げる間もなく沈黙。


 三体目。

 振り向きかけた姿勢のまま、胸部を撃ち抜かれて前のめりに倒れた。


 ――静寂。


 葉擦れの音だけが、森に戻ってくる。


《イーグル》

「こちらイーグル、撃ち漏らし無し」


《ファルコン》

「ファルコン了解、プランA続行だ」


 ラグナが、ぽかんと口を開けた。

「……今の」


 誰一人、無駄弾がない。

 誰一人、タイミングがズレていない。


 ファルコンが、軽く肩を回す。


「よし、クリア」


 あまりにも、軽い声。


 まるで――


 ただの作業を終えたみたいに。


 ユウリは、倒れた三体を見つめたまま、

 ゆっくりと息を吐いた。


(……やっぱり)


(この人たち――)


(“本物”だ)


 肩の上で、ピクルが小さく鳴く。


「ピ……」


 その声が、わずかに張り詰めた空気に溶けた。


《ファルコン》

「前進。間隔維持」


 短い指示。


 五人の影が、ほとんど音もなく動き出す。

 倒れた歩哨の死角を縫い、丸太バリケードの縁へ。


 ――早い。


(……移動が静かすぎる)


 ユウリの目が、わずかに細まる。


 足運びが違う。

 重心の置き方が違う。


 枝を踏まない。

 下草を鳴らさない。


 学院の模擬戦では、見たことがない動きだった。


《オウル》

「外周クリア。侵入口、ここ」


 丸太の隙間。

 人一人が、かがめば通れる程度。

 ファルコンが一瞬だけ中を覗き――


 頷く。


《ファルコン》

「バディ侵入。順番通り」


 即座に動く。


 ホークとレイヴンが、左右に分かれて滑り込む。


 続いてファルコン。


 オウル。


 最後尾、イーグルは外の高所へ位置取り直し。


 ――流れるような突入。


(……教本通り、いや――)


(こんな戦闘知らない)


 ユウリは無意識に息を詰めていた。


 拠点内部。

 粗雑な木造構造。


 積み上げられた丸太。

 焚き火の跡。

 獣の臭い。


 そして――


《ホーク》

「接触、左奥一体」


 低い囁き。


 次の瞬間。


 タタタタッ――


 短い連射。


 木陰から飛び出しかけたオークが、声を上げる間もなく崩れ落ちる。


《レイヴン》

「右クリア」


《ファルコン》

「前進、止まるな」


 止まらない。

 迷わない。

 角を曲がるたび、射線が自然に交差していく。


 ――完全に組み上がった動き。


 ユウリは、拠点外の高所から見張っていた。


(……これが、実戦の班行動)

 

 ユウリの指先が、わずかに強張る。

 その時。

 拠点奥。


 太い丸太の陰が、わずかに揺れた。


《オウル》

「……複数反応」


 一拍。


 直後――


 グォォォッ!!


 低い咆哮が、拠点内に響いた。


「来たぞ!」


 ラグナが思わず前に出かけ――


「待機だ」

 ユウリが短く止める。


 視線は、拠点奥へ固定されたまま。


(……数が、多い)


(それに――)


 胸の奥が、わずかにざわつく。

 普通のオークの圧じゃない。

 次の瞬間。


 丸太柵を蹴り飛ばし、二体のオークが前面に躍り出た。


 即応。


《ホーク》

「ツーマン!」


 タタタッ――!!

 左右からの交差射撃。


 一体目、胸部に連続命中。


 二体目、膝を撃ち抜かれ体勢を崩す。


 そこへ――


 ドン!


 後方高所。

 イーグルの一撃で、二体目の頭部が弾け飛んだ。


《イーグル》

「次弾、60秒後」


《ファルコン》

「いいぞ、そのまま圧を――」


 言いかけて。

 ファルコンの声が、わずかに止まった。


 拠点最奥。

 影が、ゆっくりと立ち上がる。

 ――重い。

 空気が、変わる。


 ユウリの背筋に、ぞくりとしたものが走った。

(……でかい)

(それに――)

 魔力の“密度”が違う。


 丸太の隙間から現れた巨体。

 通常個体より、明らかに一回り大きい。


 赤黒く濁った皮膚。

 膨張した筋肉。

 そして、濁った知性を宿した目。

 その手には大きな鉄の斧が握られている。


《オウル》

「……キング個体、確認」

 小さく息を呑んだ。


 だが――

 ファルコンは、ただ一歩前に出る。

 口元に、いつもの笑み。


《ファルコン》

「よし」


 銃口を、静かに持ち上げた。

「――狩りの時間だ」


 空間を裂いた銃声は、たった一発だった。


 だが――


 ガギィンッ!!


 金属を叩きつけたような異様な反響が、通路いっぱいに弾けた。


 オークキングの巨体が、わずかに揺れる。

 オークキングの纏う装甲に黄色い火花。

 衝撃波が床の埃を円状に吹き飛ばす。


 弾は――

 表皮を抉っただけで止まった。

 床に転がった弾頭が、からん、と乾いた音を立てる。


 一瞬。

 本当に、わずかな沈黙。


 ファルコンの目が細まった。

「……硬ぇな」


 迷いは、なかった。

「広場まで撤退する!」


 オークキングが突撃姿勢に入る。


 踏み込み――


《オウル》

「させるか」


 魔導小銃の破裂音が連続で響く。

 キングが、わずかに怯む。


 その隙に、ファルコンが後退。

「弾幕切らすな!」


《ホーク》《レイヴン》

「了解!」


 四人の射線が、波のように重なる。

 撃って 、下がる 、別射線が被せる。


 教科書通りの後退戦。


 だが――

 魔導小銃の連射を浴びても。

 オークキングは、止まらない。


 赤い目に、明確な怒気。


 やがて。

 ビークラプターズの四人が、拠点中央の広場へ飛び出す。


 一人。


 二人。


 三人。


 そして――


 殿(しんがり)のファルコンが、散乱した木材に足を取られた。


「っ――」


 体勢が崩れる。


 その瞬間。

 背後の建物が――

 爆ぜた。

 吹き飛ぶ丸太。


 粉塵の中から現れたのは――

 全身に銃創を刻みながら前進するオークキング。


 傷口から血と煙。

 肉が、蠢く。

 再生している。


「まずいっ!」


 その瞬間。

 魔法陣が展開。

 淡い光が、空間に走る。


 リナの展開したガーディアン・フレームが――

 ファルコンとキングの間に割って入った。


 ドォン!!


 重撃を、正面から受け止める。


「ピクル!」


「ピィ!」


 ユウリとピクルが、同時に踏み込む。


 ズドンッ。


 後方。


 イーグルの魔導狙撃銃が唸った。


 ガーディアン・フレームを避け――


 オークキングの脇腹を貫く。

 肉片が弾ける。


 その隙に。

 ラグナが、ファルコンを引きずり出した。


 だが。


 オークキングは止まらない。

 咆哮。


 次の瞬間。

 ガーディアン・フレームが――

 横薙ぎに吹き飛ばされた。


「ぐっ……!」

 

 ガーディアンフレームが吹き飛ばされた瞬間。


 地面を蹴った影が、一つ。

 ユウリだ。

 一直線。


 迷いのない踏み込み。


(――60秒)


 イーグルの次弾装填までの時間を、頭の中で刻む。


 オークキングが振り向いた。


 目が合う。

 背筋が凍る。

(……強い)


 次の瞬間――


 ブンッ!!

 大斧が、空間ごと薙いだ。


 回避。


 だが。


 風圧だけで、体が半歩押される。


(重い――!)


 ユウリは踏み込む。


(アリーシャの方が……速い)


 懐へ潜る。

 短剣が閃く。


 ――ギィンッ!!


 弾かれた。

 硬質な表皮。

 刃が、通らない。


(やっぱり硬い…!)


 その瞬間。

 オークキングの肘が落ちてくる。


 避け切れない。

 ユウリは体を捻る。


 ――ドゴッ!!


 肩をかすめる直撃。


「……ッ!」


 衝撃で呼吸が詰まる。

 だが、倒れない。

 足は、まだ死んでいない。


《イーグル》

「残り40秒!」


 キングが踏み込む。

 一歩で間合いに入る。


(デカい――!)


 縦振り。

 横薙ぎ。

 踏み潰し。


 暴力の連続。


 ユウリは、


 沈む。

 横に飛ぶ。

 転がる。


 大きく避け、生存だけを選ぶ。


 だが――


 呼吸が、荒い。


(……長い)


「ハァハァ……あと、どれくらいだ」


 汗が視界に入る。

 足の回転が、わずかに鈍る。


 オークキングの拳が、地面ごと叩き割った。


 ドォンッ!!


 衝撃波。


 ユウリの体が、宙に浮いた。


(しまっ――)


 着地が乱れる。


 一瞬。

 本当に一瞬。

 足が止まった。


 キングの目が、光る。

 振り下ろし――


(避けれない)


 短剣を盾に、無理矢理受け流す。


「ぐっ……!」


 大斧が、わずかに滑る。


 全身が軋む。


 軌道がズレた。

 紙一重。

 刃がユウリの頬を掠める。


 大斧が勢いのまま地面にめり込む。


(――そこだ)


 即座に二歩後退。


 追撃の拳が、鼻先を掠めて通過する。


 体勢を立て直す暇はない。


 めり込んだ斧を握る右腕――


 そこへ踏み込む。


 踏み台にして跳躍。


 両手で短剣を逆手に握り、大きく振りかぶる。


 だが。


 オークキングは、武器を手放した。


 空いた右拳が、空中のユウリへ振り抜かれる。


 ――速い。


(不可避)


 拳が迫る。


 視界が、圧で歪む。


(いまだピクル)


 物理障壁、展開。


 爆音。


 障壁が、砕ける。


 だが――


 その一瞬の減速。

 それで十分だった。


「食らえ」


 無防備なオークキングの顔面へ、


 ユウリの短剣が――


 ブシュッ!!

 

 オークキングの眼球を、深々と貫いた。


 咆哮。

 絶叫。


 だが同時に――

 

 防ぎきれなかった衝撃の余波が、ユウリを弾き飛ばす。

 地面を滑り、転がり、強引に受け身を取る。


 残されたのは、

 右眼を潰され、もがき苦しむオークキング。


《ファルコン》

「たたみかけろ!」

「ラッシュ!ラッシュ!」

「釘付けにしろ」


 魔導小銃の、連射音が鳴り響く。


 その時。


《イーグル》

「準備完了!」


 瞬間。

 

 ――ズドン。


 オークキングの首が吹き飛んだ。

 眼から短剣を生やしたままの頭部が、地面を転がる。

 

 頭部を失った巨体は、魔導小銃の連射を浴びながら、

 ゆっくりと――

 後ろに倒れた。


 砂埃が舞う。


 ――静寂。


 砂埃の中。

 ユウリは、その場に片膝をついた。


「……っ……は……」


 息が、浅い。

 肺が焼けるように熱い。

 喉の奥で、空気がうまく通らない。

 

 肩が小さく上下する。

 視界の端で、まだ世界がわずかに揺れていた。


(……60秒)


 長すぎる。


 たったの一分、ひどく遠かった。


 左肩に鈍い痛みが走る。

 さっきの直撃。

 骨は――折れていない。


 まだ、動く。


 ゆっくりと息を整える。


 吸って。

 止めて。

 吐く。


 もう一度。


 吐く。


 ようやく、心拍が落ちてきた。

 

 最初に近づいてきたのはリナだった。


「ユウリ、立てる?」


「……ああ」


 差し出された手は借りない。

 ユウリは自力で立ち上がる。

 だが一歩目、わずかに体が重い。


 それを見て、リナの目が細くなった。


「左肩、やられてるね」


「かすり傷だ」


「強がり」


 短い会話。

 声の調子は、いつも通り。


 ユウリは、無意識に右手を見下ろした。

 短剣を握っていた指先。

 まだ、わずかに震えている。


 だが――


 さっきまでの、あの足がすくむ感覚はない。

(……立てた)

 胸の奥で、小さく息を吐く。


 怖くなかったわけじゃない。

 余裕があったわけでもない。


 それでも。


 逃げずに、前に出た。

 あの一撃を――届かせた。


 指先に、わずかに力を込める。

 拳が、静かに握り直された。


(……少しは)


 ほんのわずか。


(強くなれた、かな)


 少年時代を思い出す。


 ただ一段と深く、息を吐いた。


 少し離れた位置で、ファルコンがオークキングの死体を蹴った。

「……マジで硬ぇな、こいつ」

「目、正解だったな」


 ラグナが頭部を確認しながら言う。

「俺は、何も出来なかった」

 低く呟き、ユウリが突き立てた短剣の柄に手をかけた。


 ぐ、と力を込める。

 ぬるり、と刃が抜ける。


 その瞬間――


 ぞわり。


 背筋を、何かが撫でた。

 ラグナの動きが、わずかに止まる。


 視線の先。

 潰れた右眼とは逆。

 ――残っている左眼。

 濁った眼球が、一瞬だけ。

 こちらを、見た気がした。


「…………」


 無意識に、ラグナの肩に力が入る。


 だが、巨体は完全に沈黙したままだった。

 呼吸もない。

 魔力反応も、もう消えている。


(……気のせい、か)


 ラグナは小さく息を吐き、短剣を布で拭った。

 

「救助しに来てくれたじゃないか、今はそれで十分だ」

「こちらこそ、君たちには助けられてしまったな」


 ファルコンが答える。


「約束通り素材は君たちの物だ」

「勿論、解体は手伝うよ」


「本当に良いんですか」


「ああ、我々はいいんだ。コイツを使って戦闘ができれば……それでいい」


「ありがとうございます!」


「動けるやつで魔石と素材の回収だ、急げ!」


「「了解」」


 ◇


 そろそろ撤収の準備に差し掛かる頃。

 

《レイヴン》

「ぬおおおお、持ち上がらねぇ」


「どうしたレイヴン」


「新しいロマン武器を持ち帰ろうかと」


 みんなの注目が大斧に向く。


「そんな物重すぎて持って帰れねえよ」


 その時。


「ピピ」


 ピクルが大斧に飛び乗った。


 ピクルが、柄の一点を執拗に引っ掻いている。

 カリ、カリ、カリ――


「どうしたピクル? そこに何かあるのか?」


 ユウリの声に、ファルコンが目を細めた。


「……待て」


 ゆっくりと大斧に近づく。

 ラグナも無言で柄を観察した。


「……ただの無垢材じゃねぇな」


 指先で軽く叩く。

 ――コン。

 鈍いが、どこか中空の響き。


 ファルコンの目の色が変わった。

「レイヴン」


「おう」


 次の瞬間――


 ゴッ!!


 レイヴンの一撃で、木製の柄が途中から叩き折られる。


 乾いた破断音。

 転がる破片。

 そして――


「……中、空洞だ」

 ラグナが低く呟いた。


 割れた柄の内部。

 そこに埋め込まれていたのは、


 小さな球体。

 魔海を凝縮したかのような深緑色。

 それでいて宝石のように滑らか。

 内側に、極めて細い光の筋がゆっくりと巡っている。


 まるで――

 呼吸しているように。


 一瞬、空気が静まった。


 ファルコンが、静かに息を吐く。

「……ほう」


 声色が、わずかに変わる。

 警戒ではない。

 純粋な観察者の声だ。


「これは……珍しいな」


 ラグナが眉をひそめる。

「何かわかるのか?」


 ファルコンは、球体を直視したまま答えた。

適応核アダプティブ・コア”の一種かもしれん」


 一拍。


「使い手の魔力特性に合わせて、武装側が成長・変質するタイプの中枢素材だ」


 ユウリの目が、わずかに細まる。


(……進化型の核?)


 その時。


「ピ……」


 ピクルが、静かに鳴いた。

 先ほどまでの警戒ではない。


 ――親和。


 小さな体が、球体へそっと近づく。

 そして。


 球体の内部の光が――

 ふわり、と一瞬だけ強く脈打った。


 全員の視線が、同時に集まる。


 ファルコンの口元が、わずかに吊り上がった。

「……面白い」


 ユウリを見る。


「どうやら、完全なハズレではないらしい」

「とりあえず持って帰るぞ」


 ファルコンが言う。


「日が暮れる前に撤収だ」


「「了解」」


 全員が素早く動き出す。


 魔石の回収。

 使える素材の切り出し。

 そして――撤収準備。


 その中で。


 ユウリは、掌の上の小さな深緑の球体を見つめていた。


 静かに脈打つ、淡い光。


(……生きてるみたいだ)


 その時。


「ピ!」


 ぴょん、と。

 ピクルがユウリの手に飛び乗った。


 小さな前足で――

 ぎゅっ。

 核を抱きかかえる。


「……おい、ピクル」


「ピィ」


 離さない。

 むしろ、体の下に隠すように丸くなる。


 ユウリがそっと指を伸ばす。


 が。


 ピクルは、じとっとした目で見上げてきた。


 ――これは渡さない。


 完全にそう言っている顔だった。


 ラグナが吹き出す。

「……気に入られたな、それ」


 ファルコンも小さく笑う。

「所有権争いは早い者勝ちだ」


 ユウリは、わずかに苦笑して息を吐いた。

「……わかった、持ってていい」


「ピィ!」


 途端に上機嫌な鳴き声。

 ピクルは核を抱えたまま、ユウリの肩へよじ登る。

 ちょこん、と定位置に収まった。


 深緑の核が――


 ユウリの耳元で、


 とくん。


 小さく、脈打った。


 それは誰にも聞こえないほど微かな音だったが。


 ユウリだけが、ほんの一瞬だけ眉を動かした。


(……今のは)


 だが、問いを口にする前に――


「全員、離脱開始!」


 号令が飛ぶ。

 部隊が森へ溶けていく。

 

 その最後尾。

 ユウリの肩の上で。

 ピクルは核を大事そうに抱えたまま、満足げに目を細めていた。


 まるで――


 最初から、自分の物だと知っていたかのように。


 ◇


 日はすっかり落ちて、王都の夜を街灯が照らしている。

 王都中心部の駅に、魔導列車がゆっくりと滑り込んだ。


 扉が開く。


 吐き出される白い蒸気の向こうから――


 八人と一匹の影が現れる。


 背中には、魔石の袋。

 肩には、オーク素材の束。


 誰もが疲れている。


 だが――


 足取りは、重くない。


「帰ってきたー……」

 ラグナが大きく背伸びをする。


 レイヴンが鼻を鳴らした。

「まだ終わってねぇ。ギルドに報告するまでが仕事だ」


「はいはい、真面目かよ」


 軽口。


 空気が、もう戦場のそれではない。


 ファルコンが周囲を一瞥し、短く言う。

「荷物も多い。全員で報告に行くぞ」


 一拍。


 口元に、いつもの余裕の笑み。


「――終わったら、飯にするか」


 ラグナの目が一瞬で輝いた。

「マジで!? 肉な! 肉!」


「声でかい」


「却下」


「えぇ!?」


 小さな笑いが広がる。


 その輪の少し後ろ。

 ユウリは、静かに夜の空気を吸い込んだ。


(……終わった)


 肺の奥に残っていた戦闘の熱が、ゆっくりと冷めていく。


 肩の上では――

 ピクルが、いつものように丸くなっていた。

 両前足で。

 あの深緑の核を、しっかり抱えたまま。


「ピ……」


 小さな、満足げな鳴き声。


 その時。


 核の内部で――


 とくん。


 ごく微かに、光が脈打った。


 ユウリの足が、ほんの一瞬だけ止まる。


(……またか)


 だが。


 仲間たちは、もう前を歩いている。


「ユウリ、行くぞ」


 ファルコンの声。


 ユウリは小さく息を吐き、

「ああ、今行く」


 歩き出した。


 王都の夜。

 灯りの下。

 八人と一匹の影が、ギルドへと伸びていく。


 ◇


 夜も更け、解散した後。

 ファルコンは一人で帰路に着いていた。


 迷いの無い足取りで路地裏のバーに入る。


 カウンターには先客がいた。

 深くフードを被った、細身の影。


「ご苦労様」


若い声――柔らかい響きだが、感情の起伏は薄い。


 ファルコンは無言で隣に腰を下ろした。


「これで良かったのか?」


「ああ。契約通り――魔導狙撃銃は君達のものだ」

「それで――どうだった?」


「凄まじい威力だよ、オークキングの脇腹と首を貫通――」


「焦らさないで」


 間を置かず、被せる。


「……例の少年と、そのペットの話よ」


 今度は、はっきりと柔らかい抑揚。


 ファルコンは、わずかに目を細めた。


「もう少し語らせてくれてもいいじゃないか。どうせ、どこかで見てたんだろう?依頼中、何度も視線を感じた」


「無論。観測ログは揃っているわ」


 即答。


「ただ、生の報告には価値があるもの」


 フードの奥で、指先が静かに組まれる。


「せっかくだから現場で共に戦った感想を聞きたいじゃない?」

「それに多分――その見てた連中ってのは私たちとは別口」


 ファルコンはわずかに肩をすくめ、グラスを傾けた。


「興味無いね」


 一口。


「ただ、あのピクルとかいう“生き物”、アダプティブコアにやたらと執着してたな」


 指先で、カウンターを軽く叩く。


「センサーでも備えているのかねぇ。俺の知ってる降霊術アバターとは、全くの別物だな」


 フードの人物は、くすりと笑った。


「やっぱり、そこに気付くか」


 氷が、ちり、と鳴る。


「どういう意味だ」


「そのままの意味だよ、ファルコン」


 頬杖をつき、フードの奥で目を細める。


「普通じゃないわね……あの降霊術は」


「そうだな。連携も誤差なく完璧。それに――」


 指でグラスの縁をなぞる。


「降霊術師の学生が、オークキングとタイマンで六十秒」

「しかも目玉に一発、喰らわせやがった」


 わずかな沈黙。


「……何者だ、あいつは」


 フードの奥で、唇がわずかに歪む。


「北の辺境の小さな村の出身――記録上は、ね」


 淡々とした報告口調。


「入学試験はトップクラス。しかもノースヴェルグ辺境伯のお墨付き」


 グラスの氷が静かに回る。


「学院入学後、約半年は顕現できず燻っていたが――」


 一拍。


「最近になって突然、規格外の小動物アバターを顕現」


 ファルコンが苦笑する。


「辺境……ね」


 肩を回し、半ば呆れたように続けた。


「というか、なんでそんなに詳しいんだよ。教団の情報網が怖いぜ」


 軽口の調子で、


「連れの嬢ちゃんの方はいいのか? 異国出身らしいが……」


 ――その瞬間。


 空気が、変わった。


 ぴしり。


 グラスの中で、氷が小さく割れる。


「……あのリナとかいうガキ」


 声から、温度が消えていた。

 先ほどまでの柔らかさは、欠片もない。


「小娘の分際で――」


 ほんのわずか、言葉が途切れる。


 誰にも聞こえないほど小さく。


「……お姉様に」


 次の瞬間には、もう元の声音に戻っている。


「啖呵を切るなんて」


 ゆっくりと。


「――許さないわ」


 ファルコンは、何も言わない。

 ただ静かに、酒を飲み干した。


(イカれてやがる)


 王都の夜は、まだ深い。


 そして屋根の上では――


 一羽のフクロウが、音もなく羽を震わせていた。

 

 

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