25話 討伐任務まであと3日
翌日。
放課後の演習場。
乾いた風が、白線の引かれた地面をなぞっていく。
「――甘い」
間髪入れず、アリーシャの声が飛んだ。
金髪の少女は腕を組み、容赦なく言い放つ。
「今の攻撃、無謀すぎ。格上相手なら反撃されて死んでる」
「ぐ……」
ユウリは息を整えながら、構えを立て直す。
額に滲む汗。
だが――
目だけは、昨日までより明らかに鋭かった。
足元で、小さな影が素早く跳ねる。
「ピ!」
短い鳴き声。
「……いや」
わずかに、アリーシャの眉が動く。
「一旦休憩」
そう言うと、剣を下ろした。
「せっかくだから、ピクルとの連携も強化する」
「……お兄ちゃん」
短く呼ぶ。
すぐ横で、アンディが眼鏡を押し上げた。
「現状把握できているピクルの能力は、俊敏さを活かした陽動。高感度の感覚共有。物理障壁生成」
淡々とした報告。
ユウリの肩が、わずかに上下する。
「……やっぱりずるいわね」
アリーシャが小さく息を吐く。
「一対一が前提の私からしたら、チートよこんなの」
視線が、じっとピクルへ向く。
「ピ……」
蛇に睨まれた蛙のように、ピクルが硬直した。
「まず、物理障壁を見せてくれない?」
◇
「――なるほどね」
アリーシャは、顎に指を当てた。
「……単発で張るだけじゃ、正直怖くないのよね」
ユウリの眉がわずかに動く。
「怖くない?」
「ええ」
即答だった。
「でも――攻撃の“途中”に割り込まれたら、話は別」
トン、と。
木剣の切っ先で、ユウリの胸元を軽く突く。
「受けに回るな」
「流して、誘って、そこで狩る」
短い指示。
だが、意味は重い。
横からアンディが口を挟む。
「要するに、“防御”じゃなく“割り込み制御”として使え、ということだね」
「……難しくないか?」
ユウリが正直に言う。
アリーシャは、にやりと笑った。
「だから訓練でしょうが」
視線が、足元へ落ちる。
「ピクル。やれる?」
「ピ……!」
小さな返事。
だが、逃げてはいない。
「いいわ」
アリーシャが、すっと構え直す。
空気が変わる。
「――来なさい」
◇
放課後の演習場は、夕陽が照らしていた。
「次で最後にしましょう」
そう言ってアリーシャは木剣を構え直す。
「――構えて」
空気が、張り詰めた。
ユウリは、ゆっくり息を吐く。
(……やる)
足裏で地面の感触を確かめる。
視界の端。
ピクルが、小さく鳴いた。
「ピ」
――来る。
次の瞬間。
アリーシャの姿が、視界から消えた。
(速い――)
踏み込み。
上段から袈裟懸けに振り下ろされる一太刀。
重い。
まともに受ければ、体勢を崩される。
ユウリは刃を滑らせ、力を受け流す。
足を半歩引く。
だが。
「遅い」
二の太刀。
三の太刀。
連撃。
呼吸を挟ませない圧力。
(本命じゃない――繋ぎだ)
見切る。
紙一重でかわす。
(そこだ――)
一瞬の隙。
ユウリは踏み込んだ。
木剣を割り込ませる。
だが。
乾いた音。
あっさりと受け止められる。
「まだ」
即座の追撃。
突き。
伸び切った腕を、弾かれる。
視界が、わずかに泳ぐ。
――来る。
ガラ空きの胴体へ、横薙ぎ。
その瞬間。
(今っ!)
鱗状の淡い光が、空間に展開した。
――間に合った。
甲高い音。
アリーシャの木剣が、わずかに弾かれる。
ほんの一拍。
だが、それで十分。
ユウリの木剣が、最短距離で走る。
ピタリ、と。
アリーシャの首元で、寸止めされた。
一瞬の静寂。
風の音だけが、演習場を抜ける。
アリーシャは、止められた切っ先を一瞥し――
「……合格」
短く、しかしはっきりと告げた。
わずかに、口元が緩む。
「思ったより、飲み込みが早いわね」
横から、アンディが静かに続ける。
「迎撃狩猟型――初期運用としては上々、かな」
その時。
「おーい!ユウリ!」
場違いなほど明るい声が、演習場に響いた。
全員の動きが、一瞬止まる。
振り向くと。
ラグナが、いつもの調子で手を振りながら駆けてきていた。
「いいとこ悪い!」
「週末の討伐、正式に受理されたぞ!」
にやり、と笑う。
「準備しとけよ」
「――本番、3日後な」
ユウリの胸の奥で。
何かが、静かに軋んだ。
――その横で。
「……ちょっと動かないで」
いつの間にか、アリーシャがしゃがみ込んでいた。
「ピ?」
小さな体を、遠慮なく持ち上げる。
ぷに、と頬を軽くつつく。
指先で背を撫で、尻尾の付け根を確かめ――
「……へえ」
わずかに、興味の色。
「やっぱり面白いわね、あなた」
「え、誰この人――」
ラグナが言いかけるが、
「お構いなく」
即答。
視線はピクルから一ミリも外さない。
「週末までに、もう一段階仕上げるわよ」
ピクルを抱えたまま、さらっと言った。
◇
翌日。
朝のホームルーム終了後の教室。
「まさかアンディの妹さんだったとは……」
「飛び級で騎士学校らしい」
「また凄い人に目つけられてるな」
「ユウリが手も足も出ないって……マジかよ」
ざわつく周囲。
ユウリは、机に肘をついたまま、小さく息を吐いた。
(……話、広まるの早すぎだろ)
「何の話?」
教室の扉が開き、リナが顔を出す。
「ユウリが年下の女子に剣で負けた話」
ラグナが、悪びれもなく笑う。
「へ、へぇ……」
一瞬だけ。
リナの視線が、ユウリに向いた。
からかうでもなく、同情でもなく――
少しだけ、真剣な目。
「端折りすぎだろ」
ユウリが低く返す。
「アンディの妹に稽古つけてもらってるんだってよ」
「そうなんだ」
短い相槌。
けれど。
リナは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……でも、ちゃんと食らいついてるんでしょ?」
一拍。
ラグナが「お?」という顔をする。
ユウリは、わずかに視線を逸らした。
「……まあな」
昨日までなら、否定していた。
でも今は――
逃げる気は、ない。
その空気を感じ取ったのか、リナが小さく頷く。
「そっか」
そして、ぱっと表情を切り替えた。
「そうだリナ、今度の討伐依頼リナも行くだろ?」
ラグナが身を乗り出す。
「三人で作戦会議しようぜ!」
教室の空気が、少しだけ引き締まった。
リナは、依頼書を受け取ると、しばらく無言で目を走らせた。
「……オークの集団、か」
小さく呟く。
ラグナが腕を組み、にやりと笑った。
「しかも魔獣化だ。燃えるだろ?」
「燃えるとか言ってる場合じゃないでしょ」
ぴしゃり、と返す。
だが完全に否定はしない。
リナの視線が、再び羊皮紙へ落ちた。
「中層縁部……」
わずかに眉が寄る。
「また前みたいに……」
「大丈夫だろ」
ラグナは軽く肩を回す。
「だから作戦会議ってわけだ」
そこで。
ユウリが、静かに口を開いた。
「……真正面から押すのは悪手だな」
二人の視線が向く。
「オークは単体性能が高い。魔獣化してるなら尚更」
指先で依頼書の一文をなぞる。
「数を捌ききれなくなる」
「囲まれる前に、逃げるべきだ」
「慎重だな」
「無茶と無謀は違う、そうだろ?」
「基本は分断して各個撃破」
「前に出過ぎると死ぬ」
その言葉に、ラグナが少しだけ真顔になる。
「……了解」
軽口ではない、と理解した顔だ。
リナも小さく頷いた。
「役割、決めましょう」
自然な流れで、本題に入る。
一拍。
ラグナが拳で胸を叩いた。
「前衛は俺だな。盾と剣で抑える」
即答だった。
ユウリも頷く。
「頼む」
視線が、自分の足元へ落ちる。
そこには、ちょこんとピクル。
「……俺は索敵と遊撃」
「ピクルの感覚共有をうまく使う」
リナが、少しだけ目を細めた。
「陽動とカット役ね」
「そんなとこ」
短く返す。
そして最後に――
二人の視線が、リナへ集まった。
リナは一瞬だけ考え、
静かに言った。
「私は後衛補助」
「後ろからサポートする」
実にリナらしい、堅実な選択。
ラグナが、にやっと笑う。
「バランスいいじゃん」
「……まあね」
だが。
そこでユウリが、ぽつりと落とした。
「――問題は、ビークラプターズ」
空気が、わずかに変わる。
ラグナが首を傾げた。
「何が?」
ユウリは少しだけ言葉を選び、
静かに言った。
「……どうも信用できないんだよ」
一瞬の沈黙。
リナの指が、わずかに止まった。
「……分かる」
小さく同意する。
「都合が良すぎるんだよな」
ラグナだけが、きょとんとしている。
「え、そんなに?」
ユウリは肩をすくめた。
「まあ、考えすぎならいい」
そう言って、
依頼書を軽く叩く。
「やることは変わらない」
視線を二人へ向けた。
「俺たちは俺たちの役割をやる」
短い沈黙のあと――
ラグナが、にやりと笑った。
「おう」
リナも、静かに頷く。
「ええ」
三人の視線が、
同じ依頼書の上で止まった。
――教室の扉が開く。
「あーねむい」
アルマリアが入ってきた。
今日も、いつもと違うローブを身につけている。
いつもより細く閉じられた目が、三人に向けられた。
無言の圧力。
三人は大人しく自分の席に着く。
リナだけは、圧力に負けじと睨み返していた。
「今日は霊触媒について――」
お構いなしに、淡々と授業が始まる。
アルマリアは、板書を続けながら気のない声で言った。
「霊触媒ってのは……降霊術で魂を顕現させるときの“核”になるもの」
白いチョークが、乾いた音を立てる。
「術者が魔力で外殻――いわゆるアバターを形作る」
「その中心に置かれるのが、霊触媒」
教室の空気が、わずかに引き締まった。
「流れとしてはこう」
黒板に、簡素な図が描かれる。
一、霊触媒に魔力を通す
二、魔力でアバターを構築
三、降ろした魂がアバターを実体化する
四、顕現完了
「で、顕現を解除すれば――」
チョークが、ことりと止まる。
「アバターは霧散。触媒は元の物質に戻る」
アルマリアは肩をすくめた。
「だから“触媒”。使い捨てじゃない。媒体って意味ね」
数人が小さく頷く。
アルマリアは、半分眠そうな目のまま続けた。
「ただし」
一拍。
「触媒の質が悪いと、魂の定着が歪む」
教室が、わずかに静まる。
「最悪、アバター側から術者が侵食される」
ぼそり、と。
まるで雑談の延長みたいな声だった。
「……まあ、学院で配ってる霊触媒なら滅多な事は起きないよ」
小さなあくび。
板書をしながら、アルマリアがぼそりと呟いた。
「……フクロウはいいよね」
誰に向けたわけでもない声。
「昼間、堂々と寝てても許されるし」
小さなあくび。
それだけの、ただの雑談。
――の、はずだった。
ユウリの指が、ほんのわずかに止まる。
(……梟)
一瞬だけ、その言葉に引っかかる。
だが――
「そこ。聞いてる?」
チョークが、黒板を軽く叩いた。
「っ、聞いてます」
ユウリは慌てて視線を上げる。
アルマリアは、もう何事もなかったかのように板書を続けていた。
◇
授業が終わり、教室のざわめきがゆっくりと広がっていく。
ユウリは、机の上の依頼書をもう一度だけ見下ろした。
オークの集団。
魔獣化個体。
中層縁部。
(……軽い仕事じゃない)
分かっている。
真正面からぶつかれば、間違いなく消耗戦になる。
指先が、無意識にピクルの頭を撫でた。
「ピ」
小さな返事。
その温もりに、ほんのわずかだけ肩の力が抜ける。
(でも――)
昨日までとは、違う。
迎撃狩猟型。
まだ粗い。
まだ不安定だ。
それでも。
確かに、“形”にはなり始めている。
ユウリは、静かに息を吐いた。
(……やることは、決まってる)
依頼書を折りたたむ。
その動きに、迷いはなかった。
◇
夜。
静まり返った室内。
机の上に、フクロウ型観測端末が横たわっている。
外見は――完全に、生きた個体。
だが。
黒衣の人物の指が、迷いなくその首元に触れた。
カチ、と。
極小の機構音。
フクロウの瞳が、すっと暗転する。
「……お疲れさま。うふふ」
感情の薄い、静かな声。
次の瞬間。
指先が、眼窩に触れる。
――するり。
抵抗なく、“それ”が外れた。
血は出ない。
ただ。
内部で、淡い魔力光がゆっくりと明滅している。
宝石のような。
だが、明らかに“目玉”の形をした記録媒体。
その人物はそれを光にかざした。
瞳の奥で、映像が走る。
演習場。
少年と少女。
技量差が見て取れる打ち合い。
そして――
異様な反応速度。
小動物のサポート。
ほんの一瞬。
指が、止まる。
「……へぇ」
小さく。
楽しそうに。
「ウヒヒ――お姉様」
机の上で。
フクロウ型端末は、ただ静かに沈黙していた。




