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24話 ユウリの師匠


 教育特区内のとある食堂の一角。

 窓の外はもう、街灯の灯りが照らす夜の風景だ。


 アンディはようやく椅子に腰を下ろした。


「……はぁ」

 

 今日何度目か分からない溜息だった。


 トレーの上のパンを見つめたまま、深く息を吐く。


「学院門で待ち合わせじゃなかったっけ?」


 向かいには、腕を組んだ少女。

 外套は脱いでいる。

 簡素なシャツに、訓練帰りの軽装。

 肩にかかる金の髪が、室内灯に照らされて淡く光る。


「しょうがないでしょ、早く着いちゃったんだから」


 凛とした声。


「情けないところを見せてしまった」


「情けないのはいつもでしょ」


「妹が容赦ないんだが」


 アリーシャは気にしない。


 水を一口飲み、淡々と告げる。


「で」

「彼は?」


 アンディが視線を上げる。


「ユウリか」


「そう」


 数秒の沈黙。


「親友だよ。

 学科は違うけど、毎日一緒に特訓してるんだ」


 アリーシャは視線を落としたまま言う。


「悪くない」


 アンディの眉が動く。


「え?」


「最初は、ただの学院生だと思って舐めてた」


「おいおい」


「ええ。だから本気は出していない」


 さらりと言う。


「でも私の剣を見切ってた」

「魔術師のくせに……」

 

「ユウリが?」


「剣じゃなく私の眼を見ていた」


 アンディは黙る。


「すごい反応速度」

「恐怖で鈍らない」

「生き残る事に特化した型」


 淡々と、評価が並ぶ。


「いや型とは呼べないか」

「対魔物用の実戦特化ってところかしら」


 そこで初めて、アリーシャはアンディを見る。


「我流であれだけ凌いだなら、十分よ」


 アンディが少しだけ笑う。


「ずいぶん買ってるな」


「事実を言ってるだけ」


 間。


「鍛えれば、伸びる」


 静かな断言。


「今のままでは弱いけど」

「形を与えれば――面白くなる」


 アンディがパンをちぎる。


「育てる気か?」


 わずかに、アリーシャの口角が上がる。


「騎士学校の同年代に、まともな相手が少ないの」

「私が強くなるには、良い相手が必要」


「……だから作る」


 あまりに合理的。


「……お前らしいな」


「褒め言葉として受け取りましょう」


 そこで、ふと思い出したように。


「……あ、そうだ」


 アンディが顔を上げる。


「父さんから伝言」


 アンディは一瞬だけ姿勢を正した。


「……何だ?」


「『順位とか気にするな』って」

「『派手じゃなくていい』」

「『お前が選んだ道なら、それでいい』って」


 言葉が止まる。


 アンディは視線を落とす。


 何も言わない。


「……それと」


 アリーシャが少しだけ目を逸らす。


「私から」


 間。


「兄ちゃんが、倒れるまでやってるの……」

「正直、すごいと思ってる」


 沈黙。


 食堂のざわめきが遠い。


「だから」


 小さく。


「死なないでね」


 アンディは、ゆっくりと天を仰いだ。


「……タイソン家の次女に心配されるとは」

「光栄だ」


 声がわずかに震えている。


「お兄ちゃん」


「ん?」


「私は才能がある」


「……知ってる」


「でも」


 真っ直ぐな青い瞳。


「努力を続けられる人の方が、強いと思ってる」


 アンディは苦笑する。


「買いかぶりすぎだ」


「事実よ」


 立ち上がる。


「明日、放課後」

「彼に会う」


「……宣言か?」


「ええ」


 迷いなく。


「私が鍛える」


「嫌がられても?」


「知らない」


 一瞬だけ、少女らしい表情がよぎる。


「強くなってもらわないと困るの」

「私が」


 外套を羽織る。

 金の髪が揺れる。


「じゃあね」


「……ほどほどにしろよ」


「お兄ちゃんもね」


 そう言って、彼女は去った。


 アンディは天井を見つめたまま、ぽつりと呟く。


「ユウリ」

「お前に師匠ができたぞ」


 ◇


 放課後。

 演習場の隅。


 ユウリは一人、短剣を振っていた。


 ――遅い。

 ――重い。


 昨日の感触が、まだ腕に残っている。


(……届かなかった)


 短剣を握る。


 踏み込み。

 

 振り上げ――


 その瞬間。

 ヒュン。

 風切り音。


「え?」


 次の瞬間。


 ――カンッ!!


 横から弾かれ、短剣が宙を舞った。


「!?」


 砂の上に転がる短剣。


 固まるユウリ。


 背後から、落ち着いた声。


「遅い」


 振り向く。

 そこにいたのは――アリーシャ。

 

 昨日と同じ騎士学校の訓練服。ただ、今日は肩口まで切り揃えた金髪を後ろで纏めている。


 腰には、しっかりと二振りの木剣。

 完全にやる気である。


「……なんでいるの?」


「鍛えに来た」


「誰を?」


「あなた」


 即答。

 ユウリが天を仰ぐ。


「本人の許可とか」


「必要ない」


「必要だよ!?」


「強くなりたいんでしょ?」

「私が鍛えてあげる」


 木剣を放られる。


 ピクルが肩でぴょこぴょこ跳ねる。


「ピィ!」


 アリーシャの視線が、すっとピクルへ向く。

 ほんの一瞬。

 表情が――緩んだ。


「……あとで撫でる」


「ピ?」


 すぐ戻る。

 凛とした顔。


「構えて」


「話聞いてた?」


「さっきの続き」


 アリーシャは木剣を軽く構える。


 無駄がない。

 重心が低い。

 昨日と同じ、“実戦の構え”。


 ユウリの背中に、じわりと汗が滲む。


(……来る)


 ピクルの感覚が流れ込む。

 ユウリは地面の木剣を拾い、構える。


「一応言っとくけど」


「ん?」


「俺、この武器初めてなんだけど」


「関係ない」


 即答。


 そして――


 踏み込み。


「っ!」


 速い。

 昨日と同じ。

 いや、木剣だからなのか余計に速い。

 ユウリは反射で受ける。


 ――カンッ!


 重い衝撃。

 腕が痺れる。


「ほら」

「受けるだけ」

「反撃が遅い」


 連撃。


 縦。


 横。


 袈裟。


 休みがない。

 ユウリは必死に捌く。

 だが――


(また、防ぐだけだ……!)


 悔しさが滲む。

 その瞬間。


「そこ」


「え?」


 足払い。


 ――ガッ。


「うわっ!?」


 視界が回る。

 

 背中から砂に叩きつけられた。

 肺の空気が抜ける。


「げほっ……!」


 すぐに、木剣の切っ先。


 喉元寸前で止まる。


「今ので三回死んでる」


 静かな宣告。

 ユウリは地面を見つめたまま、歯を食いしばる。


「……わかってる」


 アリーシャの眉が、ほんの少しだけ動いた。


「へえ」


 ユウリはゆっくり起き上がる。


 砂を払う。

 木剣を拾う。

 構える。


 さっきより、ほんの少しだけ低い姿勢。

 重心が落ちている。


 ピクルが「ピ」と小さく鳴いた。


 アリーシャの目が細まる。


(……吸収、速い)


 口には出さない。


 代わりに。


「もう一回」


「望むところだ」


 今度は――


 ユウリから踏み込んだ。


 まだ粗い。

 まだ遅い。

 

 それでも。

 

 さっきより、確実に前に出ている。


 ――カンッ!


 木剣がぶつかる。


 夕暮れの演習場に、乾いた音が響いた。

 アリーシャの口元が、ほんのわずかに上がる。


(……いい)

(ちゃんと、壊れない)


 その日。

 ユウリは。


 合計、十一回倒された。


 そして一度だけ――


 アリーシャの袖を、かすめた。


  ――カンッ!


 木剣がぶつかる乾いた音が、夕暮れに響く。


 ユウリの腕はもう限界に近かった。


 肩が重い。

 呼吸が荒い。


 それでも――


「はっ!」


 踏み込む。


 さっきより半歩だけ深い間合い。


 アリーシャの目が、わずかに細まる。


 ――キィン。


 受け流される。


 次の瞬間。


 木剣の切っ先が、また喉元寸前で止まった。


「……十二回目」


「数えてたの!?」


 ユウリが息を切らす。


 アリーシャは平然としている。

「当然」


 そして。


 ふと。

 視線が、ユウリの肩へ流れる。


 ぴょこん。

 ピクルが、得意げに胸を張っていた。


「ピ!」


 その瞬間。

 アリーシャの目の色が――変わった。


「……その子」


 すっと一歩近づく。


 ユウリ、嫌な予感。


「……なに?」


「昨日から思ってた」


 さらに一歩。

 距離が近い。


「ちょ、待って」


「すごく」


 手が伸びる。


「気になってた」


「ピ?」


 ――がしっ。


「ピィィ!?」


 捕獲。


 あまりにも自然な動きだった。


「ちょっ!? アリーシャ!?」


 ユウリが慌てる。


 だが遅い。

 完全ホールド。

 そして――


 わしゃ。


 わしゃわしゃわしゃ。


「…………」


 無言。

 だが手は止まらない。

 普段の凛とした顔のまま、ものすごい勢いで撫でている。


「ピィ!? ピィィ!?!?」


 最初は抵抗していたピクル。


 だが。


「……ピ……」


 とろけた。


「落ちるの早っ!?」

 ユウリが思わずツッコむ。


 アリーシャは、無言で撫で続ける。


 耳の後ろ。

 首元。

 お腹。


 あまりにも的確。

 ピクルは完全降伏した。


「ピィ……」


 ご満悦である。


 ユウリが呆然としていると――


「……やっぱりな」


 聞き慣れた声。


 振り向く。


 演習場の入口に、アンディが立っていた。

 額に汗。

 どうやら走ってきたらしい。


「アリーシャ」


 兄の声。

 だが妹は振り向かない。

 まだ撫でている。


「……アリーシャ?」


「今、忙しい」


「何が!?」


 アンディが頭を抱える。


 ゆっくり歩み寄りながら、ユウリに小声。

「……すまん」


「いや俺も今びっくりしてる」


 視線の先では――


 わしゃわしゃわしゃ。

 完全に止まらない。


 アンディがため息をつく。


「そいつ、可愛いものに弱いんだ」


「全然そんな顔してないけど!?」


 その時。


 アリーシャが、ぴたりと手を止めた。


 ゆっくり顔を上げる。

 凛。

 完全にいつもの表情に戻っている。


 そして。


 名残惜しそうに。

 ほんの一瞬だけ。


 ピクルの頭を――


 ぽん。


「……悪くない」


「ピ!」


 満足げ。


 そして何事もなかったかのように、ユウリを見る。


「修行の続き」


「まだやるの!?」


 アンディが即ツッコんだ。


 夕暮れの演習場に、

 乾いた笑い声が、少しだけ戻ってきていた。

 この日、ユウリに“師匠”ができた。


 ◇


 ――カンッ。


 木剣が弾かれる。

 ユウリは後退し、荒く息を吐いた。

 腕が重い。


 だが。


 アリーシャは、さっきから妙に静かだった。


「……ねえ」


 不意に。


「ユウリ」


「……何?」


 アリーシャは木剣を下ろしたまま、じっとこちらを見る。

 観察する目だ。


「あなた、自分の戦い方――分かってる?」


「……え」


 一瞬、言葉に詰まる。


「いや、まあ……」


 歯切れが悪い。


 アリーシャ、ため息。


「やっぱり」


 くるり、と木剣を肩に担ぐ。


「完全に我流」


 ズバッと言った。

 ユウリ、ぐさっとくる。


「悪いかよ」


「悪くはない」


 即答。


 だが次の一言が重い。


「――でも、伸び悩む典型」


「…………」


 図星だった。

 横でアンディが苦笑する。


「まあ、俺も最初それ思った」


「アンディまで!?」


 アリーシャは一歩近づく。


「いい?」


 木剣の先で、ユウリの足元を軽く示す。


「あなたの強みは三つ」


 指を一本立てる。


「一つ。反応速度」


 次。


「二つ。間合い感覚」


 そして。


「三つ。ピクルとの感覚共有」


「ピ!」


 呼ばれて胸を張るピクル。


 ユウリは少し驚く。


(……ちゃんと見てる)


 アリーシャは続ける。


「逆に、弱点」


 間。


「決定力がない」


 静かな断言。


 ユウリの眉が寄る。


「……分かってる」


「うん、顔に書いてある」


 容赦がない。

 だが。

 アリーシャの目は、少しだけ楽しそうだった。


「あなたの戦い方」


 一歩踏み込む。

 木剣が、ユウリの胸元すれすれで止まる。


「“受けてから考える”型」


 ドンピシャ。


 ユウリの心臓が跳ねた。


「反応で捌ける」

「位置取りも上手い」

「でも――」


 木剣が、すっと喉元へ滑る。


「主導権を一度も握れてない」


 沈黙。

 図星すぎた。

 アンディが小さく頷く。


「……確かに」


 アリーシャは木剣を下ろした。


「だから」


 真っ直ぐユウリを見る。


「あなたの型を、ここで決める」


「……型?」


「そう」


 少しだけ口元が上がる。

 剣の話になると、露骨に機嫌が良くなるらしい。


「名前がない戦い方は、伸びない」

「ユウリ」

「あなた、前に出たい?」

「それとも」


 一拍。


「狩りたい?」


 空気が、変わる。


 ユウリの目が細くなる。


 少し考えて。

 短く答えた。


「……狩る」


 間髪入れず。


 アリーシャの口元が、にやりと歪む。


「いいね」

「じゃあ決まり」


 木剣を構える。

 低く。

 鋭く。


「あなたの型は――」


 一拍の間。


「迎撃狩猟型」


 言い切った。


 ユウリの背筋に、ぞくりと電流が走る。

 

(――迎撃狩猟)


「受けて終わりじゃない」

「躱して終わりでもない」


 木剣が、一直線にユウリへ向く。


「誘って、崩して、仕留める」


 静かな声。


 だが。


 確信に満ちている。


「それが、あなたの戦い方」


 ピクルが、小さく鳴いた。


「ピ」


 ユウリは――


 ゆっくり息を吐く。

 胸の奥で、

 何かが、かちりと噛み合った。


 指先の震えが、すっと消える。


「……面白い」


 その目に、初めて。

 はっきりとした“狙い”が宿った。


 アリーシャが笑う。


「でしょ?」


 そして。

 木剣を、すっと構え直す。


「じゃあ始めようか」


 声が、少しだけ低くなる。


「狩る側の訓練」


 夕暮れの演習場に、

 次の段階の空気が、静かに満ち始めていた。


「迎撃狩猟型、ね……」


 まだ少し、言葉が馴染まない。

 だが。

 妙にしっくり来る。


 その時――


「……方向性は、合ってると思う」


 背後から、落ち着いた声。


 振り向く。


 いつの間にか、アンディが近くのベンチに腰掛けていた。

 腕を組み、じっとこちらを見ている。


「なによ」


「今のアリーシャの評価、かなり正確だ」


 妹がむっとする。


「“かなり”?」


「十分正確」


「……最初からそう言いなさい」


 軽く言い合いながらも、

 アンディの視線はユウリから外れない。


 完全に“分析モード”だ。


「ユウリ」

「お前の動き、ここ数回ずっと見てた」


「え」


「倒れる前とかな」


 アンディは構わず続ける。


「結論から言う」


 一拍。


「お前、前衛向きじゃない」


 ズバッ。


 ユウリの眉が跳ねる。


「……分かってたけどさ」


「うん、顔に出てる」


(この兄妹、容赦ねえな!?)


 アンディは指を立てる。


「お前の戦闘思考は、防御起点だ」

「まず“死なない”が最優先」

「次に“崩れを探す”」

「最後に“刺す”」


 ――完全に言語化された。


 ユウリの背中に、ぞくりとした感覚が走る。


(……見抜かれてる)


 アンディは続ける。


「これ自体は、悪くない」

「むしろ生存率は高い型だ」


 ちらりとアリーシャを見る。


「こいつと真逆」


「は?」


「お前は前に出すぎ」


「効率がいいって言いなさい」


 軽口。


 だが、すぐにアンディは真顔に戻る。


「問題はここからだ、ユウリ」


 視線が鋭くなる。


「“待ち”が長すぎる」


 核心。


 ユウリの呼吸が止まる。


「反応してから動くのは速い」

「でも」


 一拍。


「主導権を取り返す動きが、まだ弱い」


 ユウリは無意識に木剣を握り直した。


「……じゃあ、どうすればいい」


 アンディの口元が、わずかに上がる。


 珍しく。

 少しだけ楽しそうだった。


「簡単だ」


 立ち上がる。


「“受け”を、“誘い”に変えろ」


 空気が、静かに張り詰めた。


 理論から、実演へ。


「いいか、ユウリ」


「お前の反応速度は、かなり上位だ」


 一拍置いて。


「だからこそ――」

「相手に“打たせる”側に回れ」


 近くに転がっていた短剣を拾う。


「……理屈だけ、見せる」


 ぽつり。

 自信満々ではない言い方。


 構える。


 ――が。


 正直に言うと。

 あまり綺麗な構えではない。


 ユウリの眉が、ぴくっと動く。


 間髪入れず、アリーシャ。


「兄ちゃん、その構えダサい」


「うるさい」


 即答。


 だが、否定はしない。


(自覚あるんだ……)


 アンディは軽く咳払いした。


「いいか、ユウリ」

「俺は剣技は得意じゃない」


 きっぱり。


 開き直りが早い。


「だから――」


 短剣を、わずかに前へ滑らせる。

 動きは、ぎこちない。

 だが。


 “どこに打たせたいか”だけは、異様に分かりやすい。


 ユウリの視線が、鋭くなる。


「今のは、“こう動かしたい”っていう理想形だ」


 アンディの短剣が、あえて“読める軌道”で振り下ろされる。


(……誘ってる!?)


 理解が、一瞬で繋がる。

 これは実演じゃない。設計図の提示だ。

 アンディは続ける。


「お前なら、もっと綺麗にやれる」


 一拍。


「わかった?」


 ユウリが動いた。


 先ほどの軌道を、なぞる。

 ――滑らかさが、段違いだった。


 重心移動。


 半拍の“間”。


 わずかに生まれる、踏み込みたくなる隙。

 空気が変わる。

 アリーシャの目が、わずかに細まった。


(……あ)


 アンディの口元が、わずかに上がる。


「……ほらな」


 満足げ。


 アリーシャが鼻を鳴らす。


「兄ちゃん、理屈だけは本当に上手いよね」


「“だけ”は余計だ」


 即返し。

 だが、どこか慣れている。


 そして――


 アンディの視線が、ユウリの魔力の流れへ移る。

 

「……それともう一つ」

「お前、自覚あるか?」


「何が?」


「魔力」


 短く。


「持て余してる」


 ユウリの表情が、わずかに固まる。


 アンディは淡々と言う。


「戦闘の時ほとんど使ってないだろ」

「正直――」


 ほんの少しだけ、間を置いて。


「かなり、もったいない」


 核心を突く一言。


 だが、すぐに肩をすくめた。


「まあ、今はいい」


「基礎が固まってない状態で触ると、逆に崩れる」


 短剣をユウリに返す。


「それは、おいおい考えていこう」


 ――未来への伏線。


 静かに置かれた一言。

 ユウリの胸の奥で、

 小さく、何かが引っかかった。


「迎撃狩猟型――悪くない名前だ」


 一拍。


「だが完成形は、まだ先だ」


 ユウリの胸の奥で、

 静かに火が灯る。


「……上等」


 初めて。


 はっきりと、


 “狩る側”の目になっていた。


 横でアリーシャが、満足そうに腕を組む。


「――だから言ったでしょ」


 小さく。


「伸びるって」


 ◇


 同日、放課後。

 人気の消えた研究棟の一室。


 リナは、静かに扉を叩いた。

「……失礼します」


「……開いてるよ」

 気の抜けた声。


 扉を開ける。


 机に突っ伏すように、アルマリアがいた。


 紫の半目が、ゆっくりとこちらを向く。

「……なんだ、優等生」

「補講の申請なら却下だ。めんどくさい」


「違います」


 リナは一歩、室内に入った。


 灰色の瞳が、まっすぐ教師を射抜く。


「一点、確認したいことが」


「……へぇ」


 少しだけ。

 本当に、少しだけ。


 興味の色。


「言ってみ」


 リナは間を置かず、告げた。


「ユウリの顕現体――ピクル」


「……あれは、何ですか」


 沈黙。


 室内の空気が、わずかに軋む。

 アルマリアの視線が、細くなった。


(……来たな)


 内心。


 だが表情は変わらない。


「……教科書は読んだか?」


「該当例はありません」


 即答。


 迷いなし。


「既存の精霊契約式とも、召喚系とも一致しないと思います」

「降霊術だけど、降霊術じゃない」


 一歩。


 リナが踏み込む。


「先生は――何か気付いていますよね」


 沈黙。


 数秒。


 やがて。


 アルマリアは、だるそうに天井を仰いだ。


「……めんどくせー奴に目ぇ付けられたな、あいつ」


 否定はしない。

 それが答え。


 リナの瞳が、わずかに細まる。


「やはり」


「ただな」


 アルマリアの声が、少しだけ低くなる。


「今は――」


 紫の半目が、ゆっくりとリナを見る。


「まだ早い」


 一言。


 だが重い。


「ただね」

「……あの小さな顕現体には、もう“色んな連中”が注目しているのさ」


 ぞくり、と。

 背筋に冷たいものが走る。

 

 リナは、数秒だけ黙った。


 やがて。


「……分かりました」


 引く。


 だが完全には引いていない目。


 それを見て。


 アルマリアは内心、ほんの少しだけ口元を緩めた。


(……嫌いじゃない)


「言っておくが、私だって全てを知ってるわけじゃない」

「また、いつでもおいで」


「ありがとうございました」


 リナは一礼した。

 無駄のない所作。


 だが――


 扉に手を掛ける直前、ほんの一瞬だけ動きが止まる。

 振り返りはしない。

 それでも。


「……先生」

 静かな声。


 アルマリアの半目が、わずかに持ち上がる。


「なんだ、まだ質問か」


「いえ」


 一拍。


「――“まだ早い”の意味は、理解しました」


 扉が、静かに開く。


 夕方の廊下の光が、細く差し込んだ。


「ですが」


 そこで、初めて。

 ほんのわずかだけ――

 リナの横顔が見える。


 淡い灰色の瞳は、完全には引いていない。


「私は、止まりません」


 告げて。


 リナは静かに退室した。

 ――カチリ。

 扉が閉まる。


 研究室に、再び静寂が落ちた。


 数秒。


 やがて。


「……優等生こわ」

 

 アルマリアは、だるそうに息を吐いた。

 だがその紫の半目は――

 わずかに楽しげに細まっている。


「……さて」


 椅子にもたれたまま、片手を持ち上げる。


 魔力が――集まる。

 空気が、微かに震えた。

 淡い光の線が、宙に走る。


 一重。


 二重。


 三重。


 精密に、正確に。


 理論通りに構築された魔法陣が、静かに展開していく。


 ――完璧。


 の、はずだった。


 最後の位相を、わずかに調整する。


 カチリ、と理論が噛み合う音。


 そして――


 魔法陣が、淡く発光した。


 だが。


 次の瞬間。


 光が、わずかに揺らぐ。


 ぴし、と。


 ほんの微細なノイズ。


 そして。


 ――霧散。


 三重の魔法陣は、音もなく崩れた。


 沈黙。


 研究室に、魔力の残滓だけが薄く漂う。

 アルマリアは、数秒だけ無言で天井を見た。


「……私じゃなぜか……再現出来ないんだよね」


 ぼそり。


 だが――


 紫の半目が、ゆっくり細まる。


 理解は、できている。

 構造も、理論も、誤りはない。

 なのに。

 最後の一点だけが、どうしても噛み合わない。


 静寂。


 ――そして。


 ほんの少しだけ、口元が緩んだ。


「……ほんと、面白い」


 誰に向けるでもない、独り言。


 机の引き出しから、一枚の紙を取り出す。

 ユウリが残した魔法陣の写しと同じものが描かれていた。

 指先で、軽くなぞる。


「まだ私の知らない“何か”がある……」


 窓の外では、夕焼けに染まる演習場で――


 ユウリ、アンディ、アリーシャの三人が、

 魔導学院には普通見られない、剣の修行を続けていた。

 

 

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