23話 ある秋の晴れた日
夏の名残を残す風が、校舎を抜ける。
王立魔導学院では、この季節が少し特別だった。
「……なあ、聞いたか?」
朝の教室。
机を片づけながら、後ろの席の男子が声をひそめる。
「もう、学院祭の準備始まるらしいぞ」
「え、マジ?」
「早くね?」
すぐに、あちこちでざわめきが広がった。
「去年、中央大通りまで使ったって聞いた」
「騎士学院の演習、やばかったらしいぞ」
「魔導技術大のゴーレムも暴走したとか……」
「それは毎年じゃん」
誰かが突っ込み、笑いが起きる。
ユウリは、自分の席に座ったまま、その様子をぼんやり眺めていた。
(……もうそんな時期か)
入学してから、まだ半年も経っていない。
なのに、学院祭。
国家規模の行事。
正直、まだ実感が湧かない。
「ユウリ、どう思う?」
リナが、身を乗り出してくる。
「一年生って、何やるんだろうね」
「雑用じゃないか?」
「準備とか、誘導とか」
「えー、夢なさすぎ」
不満そうに頬を膨らませる。
ユウリは、苦笑した。
「でも、失敗したら評価下がるらしいぞ」
「う……それは困る」
そこへ。
教室の扉が開いた。
担任のセオドールが、資料を抱えて入ってくる。
「はい、静かに」
一瞬で、教室が静まる。
「もう噂になっているようだが――」
セオドールは黒板に、大きく文字を書いた。
【教育特区成果展示会】
「通称、学院祭。来週から、本格準備に入る」
どよめき。
「一年生は、補助要員として各部署に配属される予定だ」
「成績、態度、適性を見て決める」
ぴたり、と空気が張りつめた。
「これは、ただの行事じゃない」
教師は、ゆっくりと言った。
「国家が、お前たちを見る場だ」
「進路、推薦、将来――すべてに関わる」
誰も、ふざけなくなった。
「去年、この展示会で卒業後の進路が決まった者もいる」
教室が、静まり返る。
「だから」
「今から、覚悟しておけ」
そう言って、教師は資料を配り始めた。
ユウリの机にも、一冊の資料が置かれる。
――教育特区成果展示会準備要項。
分厚い。
「……重っ」
思わず呟く。
肩の上のピクルが、ひょこっと顔を出す。
「ピ?」
「いや、なんでもない」
小さく笑って、頭を撫でた。
ホームルーム終了後。
教室を出ると、廊下はいつもより騒がしかった。
掲示板には、すでに配置案が貼られ始めている。
先輩たちが、真剣な顔で見入っている。
「……なんか」
ユウリは、息を吐く。
「一気に、現実感出てきたな」
そこへ。
「よ、ユウリ」
聞き慣れた声。
振り向くと、ラグナが手を振っていた。
「この前ギルドで約束したろ?」
「ん?」
「ちょうど良さそうな依頼を探してたらすぐに見つかったんだ」
依頼書を指で叩く。
「どうよ?」
依頼書にざっと目を通す。
「……ラグナ、Dランクだよな?」
「おう、まだ学生だしな」
「どうみてもDランクの依頼じゃ無いだろ……」
羊皮紙の中央に、大きく書かれていた。
【依頼種別:魔獣討伐】
【対象:魔獣化オークの集団】
【発見地点:王都南西・魔海中層縁部】
【危険度:B】
【備考:
街道接近中。
縄張り形成の兆候あり】
【報酬:金貨二十枚(魔石全納品込み)】
【素材権:討伐者側に帰属】
【同行:Bランクパーティー
《ビークラプターズ》】
「…………」
ユウリは、
ゆっくり顔を上げた。
「……ラグナ」
「ん?」
「これ……」
「どう見ても、俺たち向けじゃない」
「だよな?」
ラグナが即座に頷く。
「そうなんだけどよ」
「Cランクの魔獣オークだぞ?」
「しかも中層縁部」
「俺さ」
「ユウリとリナと組める依頼、探してたんだよ」
「ちょうどいい難易度で」
「危なすぎず」
「ぬるすぎず」
「……それで?」
「そしたら、この人達が現れてさ」
「我々に任せたまえって」
「Bランクパーティーが協力してくれることになったと」
「……ビークラプターズ?」
「そう!」
「めちゃくちゃいい人たちでさ」
「飯も奢ってくれたよ」
「……怪しすぎるだろそれ」
「Bは……単独討伐失敗率三割超えだぞ」
「去年、三年が二人潰れたランクだ」
「しかも中層縁部。ほぼ境界線だろ」
ラグナは肩をすくめた。
「だからこそ、だよ」
「……何がだ」
「C止まりのオークだ。個体は強いが統率は甘い」
「集団討伐なら、Bランクが横にいるなら射程内」
にやり、と笑う。
「吸えるだけ吸う。今のうちにな」
ユウリは一瞬だけ目を細めた。
「……軽いな」
「いや、ラッキーだろ!?」
「俺、無謀は嫌いだぞ?」
「無茶はするが、無理はしない」
ラグナは、
にやっと笑う。
ユウリは、
少し黙る。
確かに。
条件だけ見れば、
理想的だ。
護衛あり。
報酬あり。
素材あり。
経験値あり。
軽口の裏で、ラグナの視線が依頼書を値踏みしていた。
「……で、その人たち」
「どんな感じなんだ?」
「んー……」
ラグナは、
少し考えて。
「見た目は……冴えないおじさん?」
「は?」
「全員三十前後でさ」
「ずっと戦術の話してた」
「どんな?」
ラグナは思い出すように眉を寄せる。
「“敵拠点への襲撃は我々で行う。……『しーきゅーびー』は任せておけ。”」
「“退路確保は北東。負傷者搬送はオウルが担当”」
「“学生組は包囲に徹してくれたまえ。逸脱は禁止だ”」
「……狩りの話か?」
「そうらしい」
ユウリは小さく息を吐いた。
(討伐じゃない。“作戦”だな)
「でも全然強そうな感じはしなかったな」
真顔になる。
「正直、Bランクのカード見るまで信じられなかった」
「……へえ」
「で、条件は?」
「一つだけ」
ラグナは笑ったまま言う。
「“我々の指揮下に入ること”」
「……」
「安全は保証する、とさ」
「ずいぶん自信家だな」
「悪い感じはしなかった」
少し間を置く。
「あとさ」
声を潜める。
「超金持ち」
「装備一式"梟“印ついてた」
「ふくろう……?」
ユウリの指が、
一瞬止まる。
(……最近、どこかで)
「知らないか?」
「アルマリア教団技術局」
ユウリの脳裏に、苦い思い出が蘇る。
「ハンターの間じゃ有名だぜ、梟印は一流の証ってな」
「まあでも!」
ラグナは、
すぐ笑顔に戻る。
「素材も気前よくくれるらしいし!」
「いい人だし!」
「文句なし!」
「……信用しすぎだろ」
「俺、人見る目あるから!」
「怪しい奴はすぐ分かる!」
(依頼の見極めは甘いけどな)
ユウリは、
心の中で突っ込んだ。
「……で、リナは?」
「もう誘ったよ」
「はやっ」
「ユウリが行くなら行くってさ」
「三人で狩りに行くのは久しぶりだな!」
ラグナの目が輝く。
「楽しみじゃん」
ユウリは、
依頼書を見る。
魔獣化オーク。
中層縁部。
そして――
ビークラプターズ。
(……絶対、普通じゃない)
だが。
「……分かった」
「行こう」
「マジ!?」
「どうせ逃げられないだろ」
「さすがユウリ!」
拳を合わせる。
遠く、中央大通りの方から、工事音がかすかに響いていた。
特区全体が、学院祭に向けて動き始めている。
国家が見る日。
選ばれる者と、落ちる者が決まる日。
その前に――
魔海中層。
魔獣化オーク。
そして、ビークラプターズ。
「……逃げ場はないな」
ユウリは、小さく呟く。
廊下の窓から空を見上げる。
秋晴れ。雲ひとつない青空。
だが。
南西の空だけが、わずかに霞んでいるように見えた。
肩の上のピクルが、くるりと向きを変える。
青空ではなく――その方角へ。
「ピ」
低く、小さく鳴く。
(……気のせい、か?)
ユウリは目を細める。
ラグナは、もう歩き出している。
楽しげに。
軽やかに。
けれど。
(無茶はするが、無理はしない――か)
なら。
(俺も、見極める)
利用できるなら利用する。
強くなるために。
選ばれる側に立つために。
南西の空を、もう一度だけ見て。
ユウリは、静かに歩き出した。
静かな日常の裏側で。
何かが、確実に動き始めていた。
◇
放課後の演習場。
すでに砂地の中央で、一人、魔法陣を展開している少年がいた。
アンディだ。
「……よし、もう一回……」
小さく呟き、詠唱。
淡い光が走り、魔弾が飛ぶ。
――が。
途中で霧散。
「……ちっ」
舌打ち。
そこへ。
「相変わらず、早いな」
背後から声。
振り返ると、ユウリが立っていた。
「来たか」
「待たせた?」
「いや、俺が早すぎただけ」
肩をすくめる。
ユウリは周囲を見回す。
「……もう結構やってるだろ」
「ほどほどにしとけよ」
「今日はこの後、約束あるからな」
「約束?」
「妹と、夜飯」
「へえ」
「珍しいな」
「心配性でさ」
「俺が倒れすぎだから」
「……そりゃ心配もする」
「だから今日は早めにきりあげるよ」
二人して、軽く笑う。
準備をしながら、ユウリがぽつりと言った。
「……なあ、アンディ」
「アルマリア教団って、知ってる?」
アンディが、少しだけ眉を上げる。
「珍しいな」
「お前が聞くなんて」
「……この前、捕まってさ」
「三分って言われて、一時間」
「あるある」
即答。
「でさ」
ユウリは、思い出すように言う。
「配られた冊子」
「普通に、学院の参考書より難しかった」
「……ああ」
アンディは、納得したように頷く。
「それ、たぶん本物」
「本物?」
「元・国営工房の連中が混ざってる」
「OBもいるし」
「論文引用もガチ」
ユウリが足を止める。
「……え」
「そんな集団なのか?」
「表は変人集団」
「だが、やってることは馬鹿に出来ない」
「アルマリア教団技術局」
「国家案件も、たまに受けてる」
「マジかよ……」
アンディは続ける。
「装備開発」
「魔導補助具」
「思考補正水晶」
「医療補助器」
「手、広すぎ」
「国家レベルの規模と技術力」
「なにそれ怖い」
「怖いよ」
即答。
「だから、役人も強く出られない」
「下手に刺激すると、技術が止まる」
ユウリは、少し黙る。
「……でも」
「なんで、あんなノリなんだ?」
「うるさいし」
「距離近いし」
「……あれな」
アンディは苦笑した。
「トップが、アレらしい」
「狂信的な情熱を持ったカリスマ教祖」
「……なるほど」
「信者が暴走するわけだ」
二人して、息を吐く。
「関わらない方がいいな」
「全力でな」
同時に言って、苦笑した。
◇
――夕暮れの演習場。
西に傾いた陽光が、砂地を朱に染めていた。
「……はぁ……っ、はぁ……っ……」
アンディは膝に手をつき、荒い呼吸を繰り返している。
「今日はここまでにしとけって」
「さすがにやりすぎだ」
ユウリが苦笑しながら言う。
「ま、まだ……いける……」
「無理言うな」
そう言った直後だった。
アンディの足が、もつれる。
「――っ!」
前のめりに崩れ、砂の上に倒れ込んだ。
「おい!」
ユウリが駆け寄る。
肩を支え、顔を覗き込む。
「……気、失ってるな」
魔力の使いすぎと、純粋な疲労。
いつものこと――のはずだった。
だが。
その光景を、遠くから見ていた影があった。
⸻
演習場の入口。
薄い外套を羽織った少女が、立ち尽くしていた。
軽装の胸当て。
前腕とすねの簡易防具。
腰には、細身の長剣。
騎士学校の訓練帰りだ。
夕陽を受けて、髪が強く光る。
柔らかな亜麻ではない。
はっきりとした金。
沈みかけた陽光をそのまま束ねたような色。
肩にかかる金髪が、風になびいている。
まだ幼さの残る顔立ち。
だが背筋はまっすぐに伸び、立ち姿に揺らぎがない。
年はそう離れていないはずなのに、
ただ立っているだけで空気が締まる。
「……お兄、ちゃん……?」
澄んだ青い瞳が、細くなる。
視界に映ったのは。
倒れているアンディ。
その傍らに屈み込む、見知らぬ少年。
距離がある。
声は届かない。
見えるのは――
兄が倒れ、
誰かに触れられている光景だけ。
「……なに、してるの」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
少女の瞳が、鋭く細まった。
――抜剣。
澄んだ金属音が、夕暮れに響く。
「……お兄ちゃんから、離れて」
よく通る声。
冷たいわけではない。
ただ、迷いがない。
肩にいたピクルが、ぴくりと耳を動かした。
(……?)
――ぞくり。
背中を撫でるような違和感。
「……そこ、離れて」
声。
振り向くより早く――
風を切る音。
「っ!」
(来る――!)
直感。
ピクルの感覚が流れ込む。
ユウリは反射的に一歩引いた。
剣先が、頬をかすめる。
「なっ……!?」
少女が目を見開く。
「ピクル!」
「ピ、ピ!」
ピクルが宙を跳ねる。
少女の視界を横切り、背後に回る。
「邪魔……!」
だが、ほんの一瞬隙ができる。
その一瞬。
ユウリが短剣を構える。
受ける。
弾く。
――重い。
(速い……)
「次は……!」
かすかな思念。
横を振り向く。
一瞬でユウリの死角に潜り込んだ乱入者。
死角からの斬り上げ。
ぎり、と短剣で受け止める。
火花。
手が痺れる。
一直線の突き。
速い。
反射的に短剣で弾く。
――キンッ!
火花が散る。
「っ……!?」
(速っ……!?)
次。
斜め斬り。
横薙ぎ。
連撃。
休みがない。
ユウリは後退しながら、必死に捌く。
だが――
剣筋が、読めない。
(実戦慣れしてる……!?)
ただの学生じゃない。
完成された技だ。
「……答えないってことは」
「やっぱり、敵ね」
「いや、違――」
言い終わる前に。
踏み込み。
速い。
細い体躯のどこに、これだけの推進力があるのか。
フェイントから鳩尾への足蹴り。
「くっ」
肺の空気が抜け息が止まる。
体重を乗せた一撃。
――ガンッ!!
短剣が弾き飛ばされる。
地面に転がる。
「……っ!」
距離を取ろうとした瞬間。
すでに――
剣先が、喉元にあった。
(……強い)
青い瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜いている。
「……動かないで」
静かな声。
だが、迷いはない。
完全な敗北。
ユウリは、息を呑んだ。
(……負けた)
その時。
「……ア、リー……シャ……?」
かすれた声。
アンディが、目を開いた。
「……な、なにやって……」
少女が、はっと振り向く。
「お兄ちゃん!?」
「ちが……う……」
必死に体を起こしながら、
「そいつ……ユウリ……」
「俺の……修行相手……」
「……え?」
剣が、わずかに下がる。
「ピィピィ」
ピクルがユウリの傍で抗議の声を上げる。
ユウリが、すぐに言う。
「倒れたから、介抱してただけだ!」
沈黙。
風が、砂を転がす。
「…………」
数秒。
しかし永遠のような間。
やがて。
アリーシャは、そっと剣を鞘に収めた。
「……ご、ごめんなさい……」
耳まで赤くして。
「……勘違い、しました……」
ユウリは、苦笑する。
「……いや、まあ……」
「俺も説明しなかったし」
アンディは、仰向けのまま天を仰ぐ。
「……はぁ……」
「心臓、止まるかと思った……」
妹が睨む。
「止まりかけてたのは兄ちゃんでしょ」
「……反省します」
◇
右手には、まだ痺れが残っていた。
……正直に言えば。
少しだけ、思っていた。
(ピクルに、もう少し火力があれば――)
昔から、憧れていた。
強力な顕現体と連携し、圧倒する戦い方に。
だが。
ユウリは、ゆっくりと息を吐いた。
「……違うな」
脳裏に焼き付いている。
あの剣。
あの踏み込み。
そして――
自分より年下の少女に、完封された現実。
ピクルのせいじゃない。
武器のせいでもない。
単純に。
「……俺が、弱い」
静かに、認める。
悔しさはある。
だが、不思議と目は逸らさなかった。
拳を、ぎゅっと握る。
「強くなる」
誰に聞かせるでもなく。
まっすぐに。
「次は――ちゃんと勝つ」
足元で、ピクルが小さく鳴いた。
その声に、ユウリはわずかに笑う。
夕暮れの演習場に。
新しい決意が、静かに根を下ろしていた。




