17話 異変の原因は
王都から北に向かった場所。
魔界と呼ばれる場所。
かつて、大規模依頼が行われた場所……。
今は――
静かすぎた。
風もない。
虫の音もない。
ただ、
重たい霧だけが漂っている。
「……反応、なし」
調査員の一人が呟く。
「魔力濃度は?」
「平常値以下です」
「……じゃあ、あの被害は何だったんだ」
簡易拠点には、
複数の機関が集まっていた。
王国魔導局。
王立降霊管理局。
近衛軍調査部。
合同調査団。
規模だけは、
過去最大だった。
だが――
成果は、ゼロ。
「崩落跡も……不自然すぎる」
「爆発でも、魔影でも説明できない」
報告書が積まれていく。
“原因不明”の文字ばかり。
「……まるで」
「最初から“何も無かった”みたいだな」
誰かが、そう呟いた。
その時。
「――調査は、ここまでだ」
低い声。
背後から、響いた。
「……え?」
一斉に、振り返る。
そこに立っていたのは――
黒いマントの男。
顔は、影に隠れている。
胸元には、
見慣れない銀の紋章。
三つ巴紋の中心に眼のシンボル。
「……誰だ?」
「許可は――」
若い士官が言いかけて――
止まった。
指揮官の顔が、
一瞬で青ざめたからだ。
「……っ」
喉が、鳴る。
「……その紋章……」
周囲の幹部たちも、
次々と気づく。
空気が、
一気に凍りついた。
「……失礼しました」
指揮官は、
即座に姿勢を正した。
「こちらの判断が及びませんでした」
周囲が、ざわつく。
「司令?」
「どういう――」
「黙れ」
一言で制する。
そして、
黒マントの男を見る。
「……引き継ぎ、ということで?」
「そうだ」
短い返答。
「以降の記録は不要」
「観測装置も回収する」
「……了解しました」
誰も、逆らわなかった。
誰も、理由を聞かなかった。
――聞けなかった。
黒マントの男――シオンは、
ゆっくりと霧の奥へ歩き出す。
調査団は、
その背中を見送るしかなかった。
◇
霧の奥。
人払いされた現場。
崩れた岩盤。
歪んだ地面。
魔力の痕跡は、
ほとんど消えている。
だが――
シオンには、見えていた。
空間に残る、
微細な“歪み”。
「……やはりな」
膝をつく。
地面に手を当てる。
わずかに、
黒い靄が滲み出た。
「………人の願いと術式の歪みが……」
「ここまで蓄積しているとは……」
靄は、
形になりかけて――消える。
失敗作。
未成熟体。
だが。
確実に、
“生まれかけていた”。
「……もう、限界が近い」
誰にともなく呟く。
背後から、
別の声がした。
「……やはり、あなたでしたか」
振り向く。
そこには、
王立研究院の統括官が立っていた。
「……勝手に入るな」
「命令です」
「……上からの」
「“上”?」
シオンが、
わずかに笑う。
「……どこまで知っている?」
統括官は、
一瞬だけ沈黙した。
「……原因は不明」
「ですが……」
「王国式そのものに問題がある可能性が……」
「そこまでか」
低く呟く。
「それ以上は、踏み込むな」
「……しかし――」
「踏み込めば、壊れる」
即答だった。
「国が」
「制度が」
「人が」
統括官は、
言葉を失う。
「……あなた方は……」
「敵なのか、味方なのか……」
シオンは、
しばらく考え――
「……味方だとも。今はな」
そう答えた。
「“今”は……?」
「……時間の問題かもしれんな」
霧が、
二人を包み込んでいく。
「……次は」
「もっと大きいのが来る」
シオンは、
遠くを見る。
まるで――
未来の崩壊を、
既に知っているかのように。
◇
王立魔導学院は放課後だった。
中庭。
夕暮れの風が、
石畳をなぞっていた。
「ねえ、ユウリ」
後ろから、
リナの声。
「ん?」
振り返りながらも、
足は止まらない。
「最近さ」
「アンディと、ずっと一緒じゃない?」
「……そう?」
とぼけた声。
明らかに、
わざとらしい。
リナは、
じっと見つめた。
「……何してるの?」
「別に……練習?」
「練習で、鍵付きの部屋行く?」
「…………」
言葉が詰まる。
図星だった。
「……危ないこと、してないよね?」
「してないって!」
少し強すぎる声。
それが逆に、
不安だった。
「……そっか」
リナは、それ以上聞かなかった。
聞けなかった。
ユウリは、
もう前を向いている。
背中が、
遠ざかっていく。
(……最近、遠い)
そんな気がして。
胸の奥が、
少しだけ痛んだ。
◇
ガチャ。
小型演習室の扉を開ける。
正規の授業では、
ほとんど使われない場所だった。
照明は暗く、
結界も最低限。
「……ほんとに、ここでいいのか?」
ユウリが、小声で聞く。
「いいから」
「人に見られたら終わる」
アンディは、
扉を閉めながら答えた。
鍵が、カチリと鳴る。
「で……何するんだ?」
「起動テスト」
「……え?」
「小規模で、な」
「大丈夫、顕現するわけじゃない」
床に、
三重構造の魔法陣が描かれている。
練習用に改変した最低出力仕様。
「教科書通りにやれ」
「余計なことするなよ?」
「……努力する」
ユウリは苦笑した。
中央に立つ。
深呼吸。
魔力を流す。
――起動。
淡い光が灯る。
……はずだった。
じわり、と。
光が歪む。
「……あ?」
線が、揺れた。
円が、ずれた。
本来なら、
ありえない。
「……おい……止めろ!」
アンディが叫ぶ。
だが――
遅い。
魔法陣が、
“書き換わり始めた”。
見えない手で、
なぞられるように。
紋様が書き加えられていく。
複雑な回路。
「……また……これ……」
ユウリの喉が鳴る。
夢と同じ。
空気が、重くなる。
胸元の御守りが熱を帯び、腕の刺青が疼く。
魔力密度が、
異常に上昇する。
「やばい!切れ!」
「無理だ……勝手に……!」
結界が、悲鳴を上げるように軋んだ。
中心に、
小さな光が生まれる。
(……だい……じょ……ぶ……)
どこからか声が聞こえた。
脈打つ。
不気味に。
「……クソッ!」
アンディは、
非常遮断符を叩きつけた。
――バンッ!!
光が弾ける。
結界が震える。
魔法陣は、
強制停止した。
沈黙。
焦げた匂い。
荒い呼吸。
「……生きてるか?」
「……なんとか……」
二人は、
床に座り込んだ。
しばらくして。
「……なぁ」
アンディが言う。
「お前さ」
「……普通じゃない」
「知ってる……」
ユウリは、
苦く笑った。
「でもさ」
拳を見る。
「……止めたくない」
アンディは、
何も言えなかった。
ただ。
さっきの魔法陣の形が、
頭から離れなかった。
――これなら、顕現できる。
絶対に。
胸元の御守りが、まだ熱を帯びていた。
◇
夜。
寮の部屋。
消灯後。
ベッドに仰向けになったまま、
ユウリは天井を見つめていた。
「……はぁ……」
今日の光景が、
何度も脳裏に蘇る。
歪む魔法陣。
脈打つ光。
制御不能な感覚。
「……ほんと……無茶だよな……」
胸元で、
小さく何かが揺れた。
――御守り。
指先で触れると、
いつもより少し温かい。
「……またか……?」
最近、よくある。
疲れてる時とか。
危ないことした後とか。
決まって、こうなる。
ユウリは、
そのまま目を閉じた。
――その時。
『……だめ……』
小さな声。
吐息みたいな、
かすれた声。
「……え?」
ユウリは目を開く。
部屋は、暗い。
誰もいない。
「……今の……?」
気のせいか?
夢か?
そう思った瞬間――
『……また……無茶を……』
今度は、
はっきり聞こえた。
胸元から。
すぐ近くから。
「………………」
心臓が跳ねる。
ゆっくりと、
御守りを握る。
「……誰だよ……」
震えを抑えて、
呟く。
しばらくの沈黙。
そして――
『……まだ……言えない……』
『……ホノカ……って……呼ばれてた……』
それだけ。
声は、
ふっと消えた。
御守りの温もりも、
いつの間にか元に戻ってい
「……ホノカ……?」
その名を、口の中で転がした瞬間。
――ふと。
王都に来る前の記憶が、胸の奥から浮かび上がる。
『……お前さんに渡してくれと、ホノカに言われてのう』
低く、穏やかな声。
『これは代々この村を護ってきた御守りじゃ』
『肌身離さず、持っておきなさい――』
あの日。
旅立つ朝。
長老の、少しだけ寂しそうな横顔。
――そうだ。
最初から、知っていたんだ。
この御守りには、“誰か”がいることを
◇
――数時間前。
放課後。
西校舎裏。
人気のない通路。
リナは、
柱の影に身を寄せていた。
(……やっぱり……)
遠く。
小型演習室の前。
ユウリとアンディ。
二人で、
鍵を開けて入っていく。
「……秘密基地じゃないんだから……」
小さく呟く。
でも。
胸の奥が、
ざわついていた。
嫌な予感。
最近ずっと。
(……少しだけ……見るだけ……)
自分に言い訳して、
そっと近づく。
扉には小窓が付いている。
わずかな隙間。
そこから――
中が見える。
薄暗い室内。
中央に立つ、ユウリ。
床に広がる――
歪な光。
(……なに、これ……)
一瞬で分かった。
授業で見てきた魔法陣と、
まるで違う。
整っていない。
揃っていない。
安心感が、ない。
なのに。
――目が、離れなかった。
光が、揺れる。
波打つみたいに。
生き物みたいに。
(……動いてる……?)
そんなはず、ない。
魔法陣は“道具”だ。
決められた形で、
決められた通りに動くもの。
それが常識。
なのに。
これは――
勝手に、変わっている。
空気が、重くなった。
胸が、
ぎゅっと締めつけられる。
息が、浅くなる。
(……やばい……)
本能が、そう叫んだ。
危ない。
近づいちゃいけない。
そう分かってるのに。
――逃げられない。
視線が、
縫い止められたみたいに。
中心。
淡い光の塊。
脈打つ。
とくん。
とくん。
まるで――
鼓動。
(……え……)
一瞬、
背中がぞくりとした。
教材で見た術式とは似ても似つかない。
あれは“物”。
これは――
“誰か”。
そんな気がした。
ユウリの方を見る。
目を閉じて、
必死に立っている。
汗が、頬を伝っている。
(……つながってる……)
理由は分からない。
でも、そう感じた。
あの光と。
ユウリが。
深く。
強く。
結びついている。
怖い。
正直、すごく。
なのに――
嫌じゃなかった。
むしろ。
(……これ……間違ってない……?)
王国の術式より。
教科書より。
先生の言葉より。
こっちの方が――
正しい気がした。
――バンッ!!
爆音。
光が、砕ける。
リナは、
思わず壁に寄りかかった。
「……っ……」
心臓が、
壊れそうなほど鳴っている。
(……今の……何……)
降霊術?
違う。
でも、無関係でもない。
もっと――
根っこの部分で、
似ている何か。
二人が、
床に座り込む。
声が聞こえる。
「……普通じゃない」
「……止めたくない」
その言葉で。
胸が痛んだ。
(……ユウリ……)
危ない。
絶対に。
分かってるのに。
止められない。
リナは、
音を立てないように離れた。
廊下。
夕焼け。
なのに。
世界が、
少し歪んで見えた。
(……降霊術として教わる術式……)
(……本当に……正しいの……?)
初めて。
心から疑った。




