16話 魔法陣の秘密
王国魔導学院・演習場
夏の陽射しは、相変わらず容赦がなかった。
白く照り返す地面。
揺らぐ陽炎。
だが、生徒たちはもう、
最初の頃のように倒れ込んだりはしない。
「――各自、アバターを展開して前進!」
セオドールの号令が響く。
演習場中央に、
いくつもの魔法陣が浮かび上がった。
光の渦。
そこから――
次々と、アバターが顕現する。
鋼の巨体。
淡く揺れる霊体。
結界を纏う影。
「よし、そのまま前へ!」
「うおお……!」
「くっ……まだ……!」
歯を食いしばりながら、
必死に魔力を維持する。
だが。
倒れる者はいない。
全員が、
最低限の“戦力”として形になりつつあった。
「……成長してきたな」
セオドールが、静かに呟く。
「そうですね。
これで一年生なら、かなり優秀です」
補助要員として来ていた卒業生が頷く。
特に――
「ラグナ、前に出すぎるな!」
「わかってるって!」
アサルト班は安定してきた。
「シャオ、索敵もっと速く!」
「はーい!」
ファントムは、動きに余裕がある。
「ガーディアンは補助結界を維持しながら移動だ!」
「……っ、了解!」
リナとアイリスの支援も、
確実性が増している。
エルヴィンの砲撃は、
もはや訓練用とは思えない精度だった。
――みんな、前に進んでいる。
確実に。
ただ、一人を除いて。
ユウリは、
演習場の端に立っていた。
足元に浮かぶ、顕現用の魔法陣。
簡易式。
最低出力。
何度も、何度も使ったもの。
「……顕現」
魔力を流す。
光が集まる。
術式が回る。
――だが。
揺らぐ。
歪む。
そして――
霧散。
「……」
何も、残らない。
今日も、失敗。
いつも通り。
「……相変わらずか」
背後から、セオドールの声がかかる。
ユウリは、小さく息を吐いて下がった。
胸の奥が、わずかに痛む。
誰にも言わない。
言えない。
――置いていかれている。
それだけは、はっきりしていた。
◇
放課後。
夕焼けが、
演習場を赤く染めていた。
「よし、今日もやるぞ」
アンディが、真剣な目でユウリを見つめる。
「いつでもいいよ」
「……いくぞ」
二人きりの訓練。
もう、何ヶ月も続いている。
(俺は……あの降霊術師を目指してるんだ)
ユウリは、静かに呼吸を整えた。
足元に、
小さな魔法陣が浮かぶ。
「……動物型・規格外素体」
魔力を注ぐ。
集中。
魂の器を形作る。
どうせ、いつもと同じ。
――はずだった。
光が集まる。
渦を巻く。
そして。
今回は――
すぐに、消えなかった。
「……?」
輪郭が、わずかに残る。
淡い影。
獣のような形。
一瞬だけ。
そこに、
“何か”がいた。
「……っ!」
アンディが、息を呑む。
だが、次の瞬間。
――霧散。
魔法陣は、
静かに消えた。
「……またダメか」
ユウリが、不安そうに呟く。
アンディは、しばらく黙っていた。
やがて。
「……今のは?」
「どうせ失敗するなら……ダメ元でやってみた」
「こういうのは、まず成功してからだよな」
そう言って、視線を逸らす。
――今のは。
今までと、違った。
はっきりと。
アンディは、
その違いを、見逃していなかった。
◇
その日の夜。
ユウリは、ベッドに仰向けになった。
薄暗い天井を見つめながら、
ゆっくりと息を吐く。
「……昔」
誰に向けるでもなく、呟く。
「まだ、俺が子供だった頃に……」
言葉は、途中で途切れた。
続きを、口に出す勇気はなかった。
だが――
思い出さないわけには、いかなかった。
――暗い森。
湿った空気。
重たい夜。
あの時も、怖くて、
ただ立ち尽くしていた。
その時だった。
視界の隅で――
光が、走った。
青白い閃光。
獣の形をした、光。
低く。
速く。
しなやかで。
豹のような姿。
それが駆け抜けた瞬間、
空気が裂けた。
夜が、割れた。
――ズンッ!!
衝撃。
巨体のオークが、吹き飛ぶ。
「……え……?」
声にならない声が、喉から漏れた。
次いで。
フードの男が、前に出る。
短剣が閃く。
視線を奪う。
そして――
背後から、
再び、青白い光。
速い。
合図もない。
言葉もない。
なのに。
まるで――
最初から決められていたみたいに。
男と獣は、
一つの意思で動いていた。
……四体。五体。
オークは、次々と倒れていく。
圧倒的だった。
でも。
怖くなかった。
むしろ――
綺麗だと、思った。
――あれが。
俺の、目指していた戦いだ。
……そう。
ずっと、そう思っていた。
つい最近まで。
だが。
今なら、分かる。
王国魔導学院で学び、
基礎を叩き込まれた今だからこそ。
はっきりと、分かってしまう。
――あれは、異常だ。
まず。
アバターの安定性。
ただでさえ規格外アバターである。
しかも高出力。
それをあのスピードで。
しかし、あの獣は――
現れた瞬間から、完成していた。
揺らぎがない。
暴走もしない。
補正すら必要ない。
まるで――
“最初からそこに存在していた”かのように。
次に。
連携。
降霊術師とアバターは、
本来、わずかなズレが生じる。
感覚の共有には限界がある。
完全な同調は、理論上ほぼ不可能。
なのに。
あの二人には、ズレがなかった。
合図もない。
確認もない。
思考ごと、重なっているみたいだった。
そして――
出力。
特別な兵装なし。
補助術式も……たぶん、ない。
単体運用。
それでいて、
大型のオークを、容易く吹き飛ばす。
ありえない。
普通なら、
反動で術者の身体が壊れる。
魔力枯渇で倒れる。
……それが、常識だ。
でも。
あの男は、平然としていた。
息も乱さず。
動きも鈍らず。
まるで――
“限界”という概念が、存在しないように。
「……あれは、違う」
ベッドの上で、
ユウリは小さく呟く。
「降霊術だけど降霊術じゃ無い……」
憧れていた光景。
追いかけてきた理想。
それが――
今になって、
別の場所にあると、思い知らされる。
「俺は……どうしたらいい?」
自問する。
でも。
答えは見つからなかった。
ほんのりと胸の奥が温かくなり、
そのまま、意識は静かに沈んでいった。
◇
――暗い。
森の匂い。
湿った土。
冷たい夜気。
また、この夢だ。
炎。
叫び声。
走る足音。
何度も見た光景。
何度も、何度も――
そして。
視界の端に――
光。
――いつもと同じ。
……はずだった。
視界の隅で光るものは、魔法陣だった。
一重ではない。
三重に重なる円。
外周には、
細かな紋様が刻まれ。
内側には、
複雑に絡み合う線。
魔術式。
術式補正。
制御紋。
――学院で習ったものとは、
まるで違う構造。
見た瞬間、
理解できないと分かる。
なのに――
目が、離れない。
しかも。
固定されていない。
ゆっくりと、
形を変えながら回転している。
歯車のように。
星座のように。
規則があるのに、
読めない。
理解できない。
中心には――
小さな、光の核。
心臓みたいに、
脈打っている。
それに合わせて、
魔法陣全体が呼吸する。
明滅。
収縮。
拡張。
――まるで、生き物みたいだ。
そして、ひときわ光が強くなり――
光が、爆ぜた。
視界が、
真っ白になる。
「――っ!!」
ユウリは、飛び起きた。
荒い息。
汗で濡れた額。
暗い天井。
「……今の……」
夢。
……でも。
あまりにも、鮮明すぎる。
線の一本一本まで。
配置まで。
動きまで。
全部――覚えている。
心臓が、早鐘を打つ。
「……これだ」
なぜか、確信していた。
忘れる前に――
ユウリは、ベッドから転がり落ちるように起き上がった。
「……紙……!」
半ば叫ぶように呟きながら、
机に駆け寄る。
引き出しを開ける。
ノート。
メモ帳。
使いかけの羊皮紙。
構わず掴み取った。
震える手で、
羽根ペンを握る。
「……忘れるな……」
頭の中では、
さっき見た魔法陣が、
まだ回っている。
三重の円。
絡み合う線。
脈打つ核。
――今なら、描ける。
急いで、
線を引く。
円を重ねる。
歪んでもいい。
汚れてもいい。
とにかく――残す。
カリカリ。
カリカリ。
ペンの音だけが、
部屋に響く。
「……ここ……違う……」
一度消して、
描き直す。
角度。
間隔。
比率。
無意識に、
学院で習った理論を当てはめていた。
教科書の図が、頭に浮かぶ。
――でも、合わない。
「……鵜呑みにするな……疑え」
既存の術式に、
当てはまらない。
どれにも、似ていない。
それでも。
少しずつ、
形になっていく。
やがて――
一枚の紙に、
歪で、複雑な魔法陣が浮かび上がった。
ユウリは、
それをじっと見つめる。
「……これが……」
胸が、熱くなる。
怖さと。
興奮と。
期待と。
全部が、混ざっていた。
何度も、
何度も見返す。
線をなぞる。
頭に叩き込む。
――絶対に、忘れない。
やがて、
空がうっすら明るくなってきた。
「……朝か……」
気づけば、
一睡もしていなかった。
ユウリは、
紙を大事そうに畳み、
ノートに挟んだ。
「……アンディに……見せよう」
小さく呟く。
あいつなら。
きっと、何か分かる。
――そんな、根拠のない確信があった。
ユウリは、
再びベッドに倒れ込んだ。
握りしめたままの紙を、
離さずに。
◇
翌日。
昼休み。
中庭の片隅。
人の少ないベンチに、
ユウリとアンディは並んで座っていた。
「……で?」
アンディが、腕を組む。
「その“夢の産物”とやらは?」
「……これ」
ユウリは、
ノートをそっと開いた。
挟んであった紙を取り出す。
広げる。
三重円。
歪な線。
中心核。
複雑で、
明らかに“普通じゃない”魔法陣。
「………………」
アンディは、
しばらく黙り込んだ。
瞬きもせず。
ただ、凝視。
「……やっぱ変か?」
ユウリが、不安そうに聞く。
「いや……」
一度、言いかけてから、
アンディは口を閉じた。
そして。
「……ちょっと、持ち帰らせてくれ」
それだけ言って、
紙を畳み、立ち上がる。
「え、今……?」
答えない。
振り返りもせず、
そのまま去っていった。
その日。
放課後の演習場に、
アンディの姿はなかった。
出会ってから、
初めてのことだった。
◇
――放課後。
王国魔導学院・自習室。
夕方の光が、
窓から斜めに差し込んでいた。
人影は、ほとんどない。
アンディは、
机に紙を広げていた。
三重の円。
歪な線。
中心の核。
ユウリから預かった、
“夢の魔法陣”。
「……はぁ……」
小さく息を吐く。
もう十分すぎるほど、
見つめた。
なのに――
答えが、出ない。
「……まず……ここ……」
指で、外周をなぞる。
細かな紋様。
均一じゃない。
わざと、ズラしてある。
「……制御じゃないな……」
「……負荷分散……?」
王国式降霊術では、
魔力制御は一方向。
安定優先。
安全第一。
だが、この構造は違う。
――逃がしている。
魔力を、
外へ、外へと循環させている。
「……暴走対策か……?」
違う。
もっと――
根本的に違う。
次に、内側。
複雑に絡む線。
「……これ……同期回路か……?」
術者とアバター。
本来は、
主従関係だ。
命令。
反映。
遅延。
必ずズレる。
だが、この構造は――
制御する気が無いのか……。
上下がない。
同じ位置に、
二つの意識を置いている。
「……正気かよ……」
こんなの。
下手すれば――
精神が焼き切れる。
同調崩壊。
意識の混線。
どれも、致命的だ。
普通は、
絶対に採用しない。
そして――
中心。
小さな核。
「……ここが……一番おかしい……」
魔力炉じゃない。
魂媒でもない。
どれにも当てはまらない。
強いて言えば――
「……自律機構……?」
魂に主導権……。
常識外れ。
怖く無いのか?
「……つまり……」
アンディは、
背もたれにもたれた。
「……こんなの……」
「……僕が知ってる降霊術じゃない……」
呟きが、
静かな部屋に落ちる。
学院で習う降霊術は。
魂と距離を取る。
魂を管理する。
魂を制御する。
魂を支配する。
安全のために。
だが、この術式は――
違う。
信頼前提。
覚悟前提。
破滅前提。
失敗=終わり。
そんな構造。
「……なのに……」
こんなものが存在していいのか?
なぜ、
教えられていない?
答えは、
ほぼ一つだった。
「……隠してる……」
意図的に。
王国が。
危険だから?
――わからない。
だがもし、
これが広まれば。
既存の降霊術は、
全部ひっくり返る。
権威も。
制度も。
序列も。
全部。
「……だから……」
「……存在ごと、消した……?」
背筋に、
冷たいものが走る。
ユウリの話。
光の獣。
旅人。
異常な連携。
全部――一致する。
「……おいおいおい……」
「とんでもない物書き残しやがって……」
紙を見る。
震える指。
それでも、
目を逸らせない。
――これは。
偶然じゃない。
才能でもない。
“巻き込まれた側”の話だ。
アンディは、
深く息を吸った。
「……言うか……」
「……黙るか……」
さっきから冷や汗が止まらない。
でも。
逃げる気はなかった。
その時。
バタンっ!
慌てて紙を仕舞う。
「すみません」
誰かが本を落としてしまったらしい。
「……心臓に悪いな……」
それきり、放課後の校舎は、
静まり返っていた。
まるで――
この話題そのものを、
拒むみたいに。
窓の外。
中庭の古い樹の枝に。
一羽の梟が、止まっていた。
灰白色の羽。
丸い体。
大きな瞳。
じっと。
自習室の窓を――
アンディのいる方向を見つめている。
微動だにせず。
鳴きもせず。
ただ、観察するように。
――見張るように。
やがて。
雲に月が隠れ、
室内の灯りが弱まった、その瞬間。
羽音ひとつ残さず。
梟は、闇に溶けるように消えた。
◇
翌日。
放課後。
演習棟裏のベンチ。
人気の少ない、
いつもの場所。
「……で」
ユウリが、
落ち着かない様子で聞く。
「どうだった?」
「……」
アンディは、
腕を組んだまま黙っている。
目を伏せ。
眉間にしわ。
明らかに――重い。
「……アンディ?」
「…………」
「……おい」
「………………」
「……無視?」
「……いや」
ようやく顔を上げた。
真剣すぎる目。
「ユウリ」
「これは……」
一拍。
「……勘のいいガキは嫌いだよって言われて消されるやつだ」
「ん??」
ユウリは、
完全にフリーズした。
「……え?」
「……あーもう!」
アンディは、
頭を抱える。
「なんでお前は!」
「こういう時だけ鈍感なんだよ!」
「……は?」
「知らないからな!?」
「いや待て待て!」
「説明しろよ!」
ベンチの上で、
二人が小競り合いを始める。
「……冗談だ」
アンディが、ため息。
「半分な」
「半分!?」
「残り半分は……」
言葉を探す。
視線が泳ぐ。
「……マジで、ヤバい」
トーンが落ちた。
ユウリも、察する。
「……そんなに?」
「ああ」
アンディは、
紙を取り出した。
例の魔法陣。
「これな」
指で叩く。
「今教わってる降霊術とは別物」
「え?」
「というより真逆の発想だ」
「しかも……」
一瞬、周囲を確認してから。
声を落とす。
「……多分、隠されてる」
「隠されてる?」
「存在ごと」
ユウリの背筋が、
ぞくっとする。
「なんで……?」
「危険だから」
「でも、それだけじゃない」
アンディは、
真っ直ぐ見る。
「……強すぎる」
「既存の全部を壊すくらい」
「だから――無かったことにされた」
沈黙。
風の音だけが流れる。
「……じゃあ」
ユウリが、呟く。
「俺が見たのって……」
「ただの夢じゃない」
「たぶん、“本物”」
アンディは苦笑した。
「よりによってお前がな」
「なんで俺……」
「知らん」
「運が悪い」
「いや良いのか悪いのか分からん」
「ひどくない?」
「事実だ」
少し、空気が緩む。
でも。
アンディは真剣だった。
「……なぁ、ユウリ」
「これ……どうする?」
「下手すりゃ、問題になる」
「かなりな」
「……でもさ」
「俺」
「これ、追いかけたい」
アンディは、
目を見開く。
「……本気か?」
「ああ」
「だって――」
拳を握る。
「あれが」
「俺の原点だから」
「……」
アンディは、
少しだけ笑った。
「……やっぱな」
「言うと思った」
「じゃあ?」
「付き合うしかないだろ」
「親友だからな」
「……よろしくな」
ユウリは、
少し照れて頷いた。
「……ありがとう」
「ほんと」
「?」
アンディは、
ニヤッとする。
「勘の悪い親友は嫌いだぜ」
「うるせえ!」
二人の笑い声が、
昼の中庭に響いた。
だが――
この時、
まだ二人は知らなかった。
この紙切れ一枚が、
王国そのものを揺らすことになることを。
◇
ヴァルトラント王国・辺境の村。
夕暮れ。
橙色の光が、
家々を静かに照らしていた。
「センリ、夕飯の時間よ」
「はーい」
返事をしながらも、
少年はまだ、手を動かしていた。
ユウリによく似た顔。
その指先には――
三重に重なる魔法陣。
複雑に絡む線。
脈打つような中心核。
ユウリが描いたものと、
寸分違わずに。
「……いまいくー」
そう言って。
センリは、
何気ない仕草で、
魔法陣を消した。
そして、
母の元へ駆けていく。
何も知らずに。
何も疑わずに。
故郷の空は、
今日も穏やかだった。




