12話 大規模依頼 前編
蒼白の光が差し込む、ハンターギルド本部のロビー。
高い天井。
磨き上げられた床。
壁一面に並ぶ掲示板。
その中央を、数十人のハンターたちが行き交っていた。
依頼前日のざわめきと、張りつめた空気。
興奮と不安が、入り混じった独特の雰囲気が漂っている。
「……すげえな……」
ラグナが、小さく息を漏らした。
「何回来ても、ここは慣れねえ」
「初めてなんだけど……」
ユウリは苦笑する。
三人は、受付を済ませてから、端の待機席に並んで座っていた。
ユウリは、改めて周囲を見回す。
重装備の前衛。
高位魔法使い。
名の知れたパーティーの顔ぶれ。
その中には――
Aランクパーティー《蒼翼》の姿もあった。
無駄のない立ち居振る舞い。
張りつめた空気。
見るからに、“別格”だった。
「……やっぱ、化け物揃いだな」
ラグナが顎で示す。
「俺たちとは、住んでる世界が違う」
「……言わなくても分かる」
ユウリは肩をすくめた。
リナは黙ったまま、前を見ている。
その表情は、落ち着いているが――硬い。
「……正直さ」
ラグナが、小声で続ける。
「呼ばれたの、今でも信じられねえ」
「だよな」
ユウリは頷く。
ラグナはDランク。
ユウリとリナはEランク。
どう考えても、場違いだった。
「でも、断れなかったでしょ」
リナが静かに言う。
「……まあな」
ラグナは苦笑する。
「ここで逃げたら、一生後悔する」
そのとき。
前方の簡易ステージに、ひとりの人物が上がった。
年配の男性。
制服の胸元には、ギルド司令官の徽章。
「――皆さん、静粛に」
よく通る声が、空間を貫く。
ざわめきが、すっと収まった。
「これより、今回の大規模依頼について説明します」
空気が、一段引き締まる。
三人は、自然と背筋を伸ばした。
「場所は王都北方、魔海の浅い層。ここ数週間、一部エリアで魔影の異常発生が確認されています」
依頼書が掲げられる。
「今回の任務は、調査のため、このエリアの魔影を殲滅し、安全を確保することです」
ユウリは資料に目を落とす。
「……思ったより、大規模だ」
参加者は五十名以上。
十前後のパーティーが動員されている。
「参加パーティーのランクに応じて、ノルマと報酬を設定します」
スクリーンに配置図が映し出された。
「全体指揮は、《蒼翼》リーダー、レオン。
作戦は二班編成とし、Bランクハンターが班長を務めます」
名前が表示される。
「……ノエル、か」
ユウリ達の班長だった。
「……ちょっと、場違いすぎる」
思わず呟く。
「ええ。でも、行くしかないわ」
リナは静かに答える。
その瞳には、迷いよりも集中が宿っていた。
「依頼開始は明日。現地で詳細な役割を割り振ります」
「なお、異常個体の出現も報告されています。十分に警戒してください」
「……異常個体」
ユウリは資料の図に目を落とす。
胸の奥が、わずかにざわついた。
説明終了後、参加者たちは散会した。
ユウリ達も宿舎へ向かう。
「……明日か」
北の空を見上げる。
「……うん。明日」
リナも同じ方向を見つめていた。
◇
翌朝。
王都北方、魔海表層付近の森。
湿った空気。
微かに混じる、硫黄の匂い。
「……ここか」
馬車を降りたユウリは、周囲を見渡した。
肩には軽装の革鎧。
腰には短剣と、小ぶりの魔導具。
実戦向けに整えた装備だが、まだどこか新品の硬さが残っている。
隣では、リナが深い藍色のローブの裾を整えていた。
胸元には、小さな翠色の石が揺れている。
首飾りに仕込まれた、それだけが彼女の護符だった。
そして――
「しっかし、雰囲気あるなこの森」
ラグナは軽く肩を回す。
前回まで背負っていた弓はなく、
代わりに腰には長剣と短剣。
前衛寄りの装備に切り替えている。
「今回は前に出る役だ。覚悟しとけよ?」
「……言われなくても」
ユウリは苦笑した。
霧の向こうに、次々と集結していくパーティーの影。
「……すごい戦力ね」
リナが小さく呟く。
AランクからDランクまで総勢56名。
実力者ばかりだ。
「班ごとに集合。ノエル班はこっちだ」
司令官の声が響く。
導かれるまま進むと――
簡易拠点には、すでに複数のパーティーが集まっていた。
重装の前衛二人組。
弓を携えた斥候中心の一団。
支援職主体の小規模パーティー。
――全部で、五つ。
ユウリ達は、その中の一つに過ぎなかった。
やがて、ギルド職員が木箱を抱えて現れる。
「各パーティー代表者、前へ」
箱の蓋が開く。
中には、淡く光る小さな結晶が並んでいた。
「通信用共鳴水晶です」
「今回の任務中のみ貸与します。破損・紛失には注意してください」
代表者たちが順に受け取っていく。
ラグナも一つ手に取った。
「……へえ」
指先で転がしながら、軽く笑う。
「今回のハンターギルドは、随分と気前がいいな」
「パーティー分の共鳴水晶とは」
「重要任務、ってことか」
リナが静かに頷く。
「……連絡が途切れたら、かなりまずいってことね」
リナは、水晶を受け取りながら、
無意識に胸元の翠色へと触れた。
指先が、無意識に胸元の翠色へと触れた。
「だな」
ユウリも短く答えた。
特に誰も深くは追及しない。
それが当たり前のように配られ、
当たり前のように受け取られていった。
やがて、中央に立った女性が口を開く。
「集まったな」
薄紫の髪を揺らしながら、視線を巡らせる。
余計な装飾のない黒と灰の装束。
動きやすさを最優先した、実戦仕様の後衛装備。
腰元には、霊触媒が整然と並んでいる。
無駄がない。
それだけで、歴戦だと分かった。
「私が、この班を預かるノエルだ」
淡々とした声。
「こちらが、相棒のジェイク」
隣の金髪剣士を示す。
「前衛は、基本的に彼が軸になる」
ジェイクは軽く剣を掲げた。
「情報が少ない任務だ。無理はするなよ」
軽い口調だが、油断はない。
「各パーティーの役割は、事前資料通りだ」
ノエルは地図を広げる。
「基本は集団行動。単独行動は禁止」
指で配置をなぞる。
「前方はジェイク中心。
左右は斥候班。
後方に支援班」
「ラグナのところと、ラモスのパーティーは遊撃だ。
中央付近で待機し、指示に従え」
「了解です」
ラグナが短く答える。
それ以上、特別な言葉はない。
ノエルの視線は、すでに別の班員へ向いていた。
「この区域は、魔影の密度が高い」
「突出するな。
異変を感じたら、即報告」
淡々と作戦内容が説明される。
「――以上だ。質問は?」
沈黙。
「……よし」
「勝手は許さん。
だが、状況判断は任せる」
「では、行動開始」
短く告げる。
号令と同時に、
ノエル班は隊列を組み、霧の中へ進み始めた。
足音が重なり、
森の奥へと吸い込まれていく。
ユウリは、内心で息をつく。
(……やっぱり、俺たちは“期待されてない”んだな)
(だからこそ、失敗は許されない)
今は、まず生き残ること。
それが最優先だ。
「……君たち」
呼び止められ、ユウリは振り向いた。
ノエルだった。
「ラグナパーティーだったな」
「はい」
一瞬、視線がリナへ向く。
ほんの一瞬だけ。
「……学生か?」
唐突な質問。
「え?」
ユウリは戸惑いながら、
「……まあ」
「違いません」
リナが先に答えた。
ノエルは、静かに頷く。
「なるほど」
それ以上は踏み込まない。
「……魔力の流れが、少し独特だった」
ぽつりと呟く。
まるで独り言のように。
「……?」
ユウリは首を傾げる。
意味が分からない。
だが、ノエルはすでに話題を切り替えていた。
「戦闘が始まったら、ジェイクに加勢しろ」
「無理はするな。危なくなったら私を呼べ」
「分かりました」
ユウリが答えると、
ノエルは小さく頷く。
「……現場と演習は、別物だ」
低い声。
「想定通りには、進まない」
一瞬だけ、リナを見る。
意味深な視線。
「何ができるかは――」
「結果で示せ」
それだけ言って、
ノエルの注意は、再び全体へ戻った。
隊列は、すでに森の奥へ伸びている。
ユウリとリナも、遅れないよう歩き出した。
――少し進んだところで、ジェイクがわずかに手を上げた。
それだけで、ノエルには十分だった。
「全員、停止」
即座に、ノエルが号令をかける。
隊列が、すっと静まる。
霧の向こう。
地面が、わずかに揺れた。
――霧の中に。
黒い影が、浮かび上がる。
「来るぞ」
ジェイクが剣を構える。
次の瞬間。
木々の間から、猿に似た黒い獣が飛び出してきた。
「前方、接敵!」
「あれは、"エンマ"中層クラスだ気をつけろ!」
斥候の声が飛ぶ。
「ジェイク、任せた!」
ノエルの指示は速い。
「左翼は警戒継続! 右翼、動くな!」
一瞬で戦線が固定される。
前方――
ジェイクと前衛パーティーが、壁のように立つ。
「……来い」
ジェイクが踏み込む。
剣閃。
エンマと呼ばれる魔影一体が霧散する。
だが、続けて二体、三体。
「数が多いな……!」
前衛の一人が叫ぶ。
「ラグナ」
ノエルが視線も向けずに言う。
「前に出ろ。ジェイクの右だ」
「俺たちか?」
「そうだ。問題ない」
一瞬の間。
それは――信頼の配置だった。
「……行くぞ」
ラグナが前へ出る。
ユウリとリナも続いた。
ジェイクの背中が、すぐそこにある。
安心感。
だが同時に――逃げ場はない。
「右、抜ける!」
ユウリが叫ぶ。
影が横から迫る。
「任せろ!」
その体に不釣り合いなほど長い腕を横薙ぎに振り回すエンマ。
ラグナが受け止める。
「ユウリ、今!」
「――っ!」
短剣を突き込む。
肉を抉る感触が伝わってくる。
だが、致命傷には至らない。
背後から――
リナが詠唱を終えた。
「――エアスラッシュ」
風の刃がエンマを斬り刻みながら吹き飛ばす。
「今だ、ジェイク!」
「おう!」
剣が走る。
一閃。
エンマは霧に溶けた。
「……悪くない」
ジェイクが、ちらりと見る。
それだけで、十分だった。
後方。
ノエルは、静かに戦況を見ていた。
(連携は粗いが……崩れない)
(想定以上だな)
口には出さない。
「前線、維持」
「このまま押し切れ」
やがて――
最後の影が消える。
前方の霧が、少しだけ薄くなった。
「第一接敵、終了」
ノエルの声。
ユウリは、息を吐く。
手が、少し震えていた。
(……試されたな)
だが。
悪くない。
辺りには魔影の成れの果てである魔石が点在していた。
ノエルは、腰の水晶に軽く触れた。
「……こちらドライ、魔影と初遭遇。問題なく処理した。アイン、状況は?」
少し間を置いて。
『………異常……なし……』
通信がわずかに乱れる。
『予定通り、進行中だ』
「了解」
それだけ。
ノエルは、すぐに視線を前に戻した。
◇
霧の森・第二区画。
ドライ班は、予定通りの速度で前進していた。
「前方、小型二体」
「処理します」
ジェイクが前に出る。
一歩。
剣閃。
魔影は、抵抗する間もなく霧散した。
「……え、もう終わり?」
ユウリが思わず呟く。
「拍子抜けね」
リナは周囲を警戒したまま答える。
「ノエルさん達が手慣れてるんだ」
ラグナが静かな口調で応答する。
「エンマとかいう猿の魔影……この辺りじゃまず見かけない」
「……そうなの?」
「ああ、中層クラスってのは――そういうことだ」
「油断すれば、命の保証は無いだろうな」
ユウリは、喉を鳴らした。
「……やめてよ、そういうの」
リナは胸元のネックレスを強く握りしめながら言う。
「冗談だよ。半分はな」
ラグナは苦笑する。
「半分って……」
リナがため息をつく。
そのやり取りを聞きながら、
「気を抜くな」
ノエルが短く言った。
「魔海は、静かな時ほど危険だ」
三人は、同時に背筋を伸ばす。
その直後。
斥候班から声が飛ぶ。
「右側、安全確認完了!」
「後方、異常なし!」
連絡が次々と入る。
戦線は、完全に安定していた。
(……順調すぎる)
ユウリは、なぜか胸騒ぎを覚えた。
理由はない。
ただ――
何かが、噛み合いすぎている。
そんな感覚だった。
◇
霧の森東側、霧の薄い岩場地帯。
ツヴァイ班は、一度足を止めていた。
周囲には、複数のパーティーが散開し、警戒態勢を取っている。
「……ここで、一度整理するぞ」
低い声で言ったのは、ベテランパーティー《黒鉄の盾》のリーダー――バルドだった。
地図を広げ、地面に押さえる。
「現在位置はここだ。索敵範囲は――」
指でなぞる。
「……かなり広いな」
若い斥候が呟く。
魔影の反応は、点在していた。
密集地帯は、まだ確認されていない。
「固まって進めば、安全性は高い」
バルドは続ける。
「だが、その分――時間がかかる」
沈黙。
そこで、口を開いたのは、《スカイリーフ》のリーダー――エルクだった。
「……正直に言います」
まっすぐ前を見る。
「この配置なら、分かれて動いた方が早いです」
何人かが、頷く。
「魔影は散発的です」
「各個撃破できます」
エルクは通信水晶を軽く叩いた。
「異常があれば、すぐ連絡できますし」
「通信は……あるが」
バルドは眉をひそめる。
「魔海だ。乱れる可能性も――」
「でも、今は繋がってます」
エルクは被せる。
「それに、こちらは全員Cランク以上で経験も多い」
「単独でも十分対応できます」
それは、事実だった。
どのパーティーも、バランスが取れている。
弱小ではない。
「……」
バルドは、黙り込む。
地図を見る。
周囲を見る。
仲間たちの顔を見る。
(……理屈は、正しい)
効率。
安全性。
通信。
すべて揃っている。
「……三十分ごとに報告だ」
ついに言った。
「無茶はするな」
「異変があれば、即撤退」
エルクは、ほっと息を吐く。
「了解です」
他のリーダーたちも、頷いた。
「じゃあ、各自、担当区域へ」
そうして――
ツヴァイ班は、静かに分散していった。
霧の中へ。
バルドは、その背中を見送りながら、
胸の奥に、小さな違和感を残していた。
◇
霧の森・東側区域。
《スカイリーフ》は、予定通り順調に進んでいた。
「……三体目か」
エルクが短く呟く。
倒した魔影は、すでに三体。
どれも小型。
中層クラスにも満たない。
「拍子抜けだな」
「これなら、すぐ終わりそうです」
後衛の魔法使いが笑う。
空気は、軽かった。
油断――ではない。
経験に基づいた、正常な判断だった。
「……ん?」
斥候のミラが、足を止める。
「今、反応が……」
通信水晶を確認する。
「……弱い?」
「いや……広がってる?」
魔力感知が、奇妙に揺れていた。
「どういう意味だ?」
エルクが問う。
「……散ってた反応が、集まってます」
「こっちに――」
言い終わる前。
地面が、震えた。
「……っ!?」
霧の奥から。
黒い塊が、にじみ出るように現れる。
一体。
二体。
五体。
十――
「……数……多すぎるだろ……」
誰かが呟く。
「後退! 一度――」
エルクが叫ぶ。
だが。
背後の霧が、濃くなった。
道が――消えた。
「……囲まれてる!?」
魔影は、円を描くように配置されていた。
――狩る側の陣形。
「通信!」
ミラが水晶を握る。
「こちらスカイリーフ! 異常発生――」
――ザザッ。
雑音。
『……ち……ノ……』
声が、途切れる。
「くそっ……!」
魔力の流れが、乱れている。
通信が、機能しない。
「構えろ!」
エルクが剣を抜く。
「ここで崩れたら終わりだ!」
最初の突撃。
魔影が、波のように押し寄せる。
「左、来る!」
「後ろ――っ!」
「防壁、間に合わ――!」
戦線は、瞬時に歪んだ。
数が、多すぎる。
一体倒しても、次が来る。
「……くっ!」
エルクは斬る。
斬る。
斬る。
腕が、重くなる。
後方から叫び声。
「セインっ!」
支援役の青年――セイン。
詠唱の途中で、足を取られた。
「しま――」
影が、覆う。
次の瞬間。
黒い爪が、胸を貫いた。
「――――っ」
声にならない声。
血が、霧に散る。
誰も、すぐには動けなかった。
一瞬の沈黙。
それが、致命的だった。
「セイン!!」
誰かが叫ぶ。
だが、届かない。
彼は、そのまま崩れ落ちた。
「撤退だ!」
エルクは、喉が裂けるほど叫ぶ。
「突破する! 南!」
命令ではない。
願いだった。
残った三人は、必死に道を切り開く。
盾が割れる。
魔力が尽きる。
脚が、もつれる。
それでも――
逃げた。
逃げ切った。
霧の切れ目へ。
倒れ込むように、転がり出る。
◇
霧の森・中央進行ルート。
《蒼翼》の4人は、安定した速度で前進していた。
「右、処理完了」
「後方、異常なし」
本作戦において蒼翼は、パーティー単独でアイン班として戦域の中央に待機する手筈になっていた。
予定通り。
想定通り。
だが――
レオンは、わずかに眉をひそめていた。
(……静かすぎる)
魔影の密度は高い。
それなのに、湧き方が偏っている。
――まるで、誘導されているように。
「……」
彼は、腰の水晶に触れる。ドライ班からの通信だ。
『こちらドライ、魔影と初遭遇。問題なく処理した。アイン、状況は?』
「こちらは――異常なし」
「予定通り、進行中だ」
数秒。
沈黙。
ツヴァイ班に連絡を試みる。
「アインよりツヴァイ。進捗を報告せよ」
通信の向こうで、微かな雑音。
『……こちら……ツヴ……』
途切れる。
「……もう一度」
「アインよりツヴァイ。応答しろ」
今度は、返事がない。
完全な沈黙。
レオンは、歩みを止めた。
「止まれ、周囲を警戒する」
即断だった。
「キース、ツヴァイ班の担当区域を探ってきてくれ」
「連絡が取れない」
周囲がざわつく。
「リーダー?」
蒼翼の一人が問いかける。
「……嫌な予感がする」
短く、そう答えた。
◇




