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弾丸


 キヌは鳥羽の銃身を磨き終えると、先端から早合を込め、椎の身のような弾丸を滑り込ませ、構えた。

 正月も終わろうとしている小根占で、鷹狩りに興じている目標を探し出す。

 目標のためにキヌは一か月潜伏した。宿の奉公人として雇われている。飯に毒など混ぜれば病死に見せかけることはできたが、それは依頼人が許さなかった。銃弾にて穿ち殺すことが依頼の条件であった。

 照準を合わせる。


 身の上を隠して現れたキヌに、宿の娘は微塵の警戒心も抱くことなく接した。

「おキヌちゃん、わからんこつなんでん聴きやんせ」

 年の頃は十五かそこら、キヌより少し若いくらいか、名前はトウと言った。

 トウはよく気が利く娘だった。

「おキヌちゃん、お客さんの御膳はこう運ぶとよ」

 足つきの膳を三段に重ねて、トウは持ち上げた。腰を入れた体勢は銃の構えに通じるものがあるとキヌは思った。キヌは一つずつ運ぼうとしていた膳を六段に重ねて持ち上げた。

「そう、じょうずじょうず」

 トウはそう言ってキヌを褒めた。

「おキヌちゃん、お客さんが酔っ払っとう時はね、お布団敷きましょかぁ言うて帰ったらよかよ」

 トウのその言葉はよくわからなかったが、すぐに理解できる時が来た。

 目標を慕った藩士が部屋の隣で酒盛りをしていたのだ。赤い手がトウに触れる。

 キヌはその手を叩き落す。

「お布団敷きますね」

 骨にヒビが入っただろうがキヌにはどうでもいいことだった。叩かれた藩士も宿の女に手傷を負わされたなどとは言うことも出来ず、ただ黙っていることしかできなかった。

「おキヌちゃん、ありがとね」

 トウはキヌに礼を言った。

 そして昨晩、トウはキヌの背中を流しながら言った。

「おキヌちゃん、苦労しとうなあ」

 傷跡だらけの背中を見ながら、トウは言ったのだ。


 鷹の鋭い視線を感じた。

 キヌは狙撃眼鏡から目を離し、鳥羽を担いだ。

 今はその日ではない。


 翌日。木陰の土に隠した鳥羽を掘り出すとキヌは銃身を磨いた。

 鳥羽の銃身を磨き終えると、先端から早合を込め、椎の身のような弾丸を滑り込ませ、構えた。

 キヌの雇い主は知らぬ男だった。目標の男は己ばかりが出世してひどい裏切りをしたのだとだけ伝えられたが、男同士の都合などキヌにはどうでもよいことであった。

 鷹狩りに興じている目標を探し出す。

 照準を合わせる。


 その日は目標に最も接近した時だった。

 手が触れるほどの距離まで近付いたが、依頼の要件は満たしていない。ここでまさか鳥羽を担ぎ出すわけにはいかないからだ。

 目標は恰幅がよく、急所以外は致命傷になり辛いとキヌは判断した。そのことがわかっただけでも収穫だ。

「おキヌちゃん」

 廊下へ出て襖を閉めるとトウが声を潜めて呼んだ。

「おキヌちゃん、あの人のこつ知っとう?」

「知っとう。せごどん」

 薩摩で知らぬ者はいないだろう。キヌは頷いた。

「そんなこつやのうて、その、その、好いとうと?」

「なん?」

 トウは何に気をもんでいるのだろう。目標の体格を見るために少し長居しすぎたのかも知れない。と、キヌは反省した。

「好かん」

「ほんのこち? ほんのこち好かん?」

「ほんのこち好かん」

 トウの追及は昼まで続いた。

 寝床でトウは自分の身の上話をキヌに語って聴かせた。

「うちはみんな女しか産まれんで、姉さんはみんな嫁にいったとよ。トウいう名前は十番目もあるし、トウトウこれでおしまいじゃっど」

 キヌはそれを黙って聴いていた。

「おキヌちゃんはないごておキヌちゃんなん?」

「わからん。気付いたらこの名やった」

「あてが付けあぐる」

 トウはしばらく天井を見上げていた。それからやっと声を発した。

「絹のごっ真っ白で、綺麗たっで」

 キヌはそんなことを言われたのは初めてだった。


 犬の鋭い視線を感じた。

 キヌは狙撃眼鏡から目を離し、鳥羽を担いだ。

 今はその日ではない。


 翌日。木陰の土に隠した鳥羽を掘り出すとキヌは銃身を磨いた。

 鳥羽の銃身を磨き終えると、先端から早合を込め、椎の身のような弾丸を滑り込ませ、構えた。

 潮の混ざる風はキヌの髪を揺らし、降り注ぐ木漏れ日は冷えたキヌの身体を温めた。

 鷹狩りに興じている目標を探し出す。

 照準を合わせる。


 昨日、キヌは夕餉の支度を手伝った。暴れ回る鶏の首をひねり上げ、トウにお礼を言われた。

「ありがとね、おキヌちゃん」

 桂剥きのやり方をトウに教えた。

「うまいねえ、おキヌちゃん」

 膳を十段重ねて運び、宴会客をあしらったあと、トウにキヌは言われた。

「おキヌちゃんは優しかね」

 キヌにはよくわからなかった。

 そして昨晩、トウはキヌの背中を流しながら言った。

「おキヌちゃん、最近どこ行っとうと?」

 キヌはトウの追及にあった。

「いけん?」

「いけんこつないよ。ただ、あても行きたい思て……」

 トウは詰まりながら言った。暗殺の現場に行きたいなどと言う話ではないだろう。

「近くに美味しい甘味処さんあると。おキヌちゃんもどう?」

 キヌはここで断るのも変だと思い、答えた。

「いつか行くわ」

「そう? 忘れんで」

「ん、忘れん」

 二人は小指を絡めた。


 引き金に指をかける。思考を研ぎ澄ます。

 目標に近付く影がある。

 キヌは狙撃眼鏡から目を離し、鳥羽を担いだ。

「ちょしもたぁ」

 目標は言うと荷物を纏め、犬を連れてさっさと行ってしまった。

 暗殺は失敗に終わった。

 しかし、男同士の都合など、多額の報酬など、もはやキヌにはどうでもいいことだった。


 明治十年一月二十九日、鹿児島郡下伊敷村草牟田火薬庫を私学校徒らが襲った。この事件が西南戦争のきっかけとされる。



  了

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