田中新子の日常。
「クラリスどん!おはんのことが好きじゃあ!」
「ライラどん!おいどんもでごわす!」
田中新子はフキダシに文字を入れた。今回のオンラインスケブ、『クラリスとライラの薩摩百合』というよくわからないリクエストだったが、この一ページ漫画でいいのだろうか。
女性キャラクター同士の恋愛のことをこの界隈では百合とかGLとか呼ぶ。そこに男くさい「薩摩」というスパイスをかけるのはどういう性的嗜好の持ち主だろう。しかしまあ、やり取りに時間をかけすぎるのもオンラインスケブではご法度だ。線画に入る前に背中を伸ばして通話アプリを起動する。そこでは絵描き配信者仲間が集まっている。新子は通話に参加する。
寝る:今日の配信どうだった?
Tatsu:最高。マジ草生えた
ARA:おっすー
寝る:おっす
Tatsu:おっすっす
ARA:何の話?
兎:こんばんは
ARA:こんー
ほとんど同じタイミングで兎さんが入ってきた。繊細な絵を描く上に歯に衣着せぬ話が人気の配信者だ。新子は略した挨拶をする。
Tatsu:こん
寝る:こんー
Tatsu:寝る氏の配信マジで見たほうが良い
寝る:照れる
Tatsu:寝てろ
兎:今から見ます
そういえばさっきまで彼女の雑談配信があったな。新子は動画サイトを開く。
無数のサムネイルの中から寝るさんの配信を探していると、彼女のアバターが見えた。もうすでに切り抜きが上がっていた。
『薩摩って男尊女卑ヤバイってホント? 寝る氏切り込む』
『修羅の国 薩摩の実態』
『えっこれも真実!? 薩摩ヤバすぎるでしょ』
そんなタイトルが並んでいた。
Tatsu:薩摩がやばい、ていうか九州やばいんだってね
寝る:修羅も修羅
Tatsu:おなごが道の真ん中ば歩くな!
寝る:そんなかんじそんなかんじ
Tatsu:男より先に飯食うな!
寝る:三歩後ろ歩け!
兎:別に普通ですよ。薩摩って言ったって。
流れが変わった。新子は入っていけなかった。
兎:あと、方言間違ってます。おなごが道の真んなけ歩っなです。
Tatsu:なけ、なに?
寝る:えっ、兎さんってもしかして鹿児島出身?
兎:すみません、用事思い出したので落ちます
Tatsu:意外~性癖の話とかも普通にするしさ
寝る:てら
Tatsu:いてらー
寝る:スケブの〆切やばたん
Tatsu:わいも
ARA:わいも
新子はやっと一言発して、作業に戻ったが、先ほどのやり取りが気になって兎さんにダイレクトメッセージを送った。
『大丈夫?』
と、打って送信した。
返信はすぐに来た。
『地元の話だったので、カッとなりそうだったので、避難してました』
『だよねー、無理しなくていいよ』
『男尊女卑とかどこの田舎にもあるじゃないですか』
『わかる』
『薩摩ネタ、最近多いですよね。薩摩魔法学校とか、薩摩転生とか』
兎さんの言う通り、SNSでの薩摩を冠したネタポストが流入して、配信で話題になることも多い。兎さんの配信でもたまに見かける。その度に彼女はどう思っていたのだろうか。
『私たちがいないことにされてるのが、一番の男尊女卑だと』
兎さんからのメッセージが一瞬だけ表示されて、消えた。
『ごめんなさい。楽しんでるところに水を差して』
『ううん。私もなんかイヤだったし』
『悪者にしたいわけじゃないんです。薩摩をネタにしてる人たちを』
『それはわかる。Tatsuさん達もわかってると思う』
『DMありがとう。また今度コラボしましょう』
ここでやり取りは終わってもいい。新子はメッセージにリアクションをつけようとして、思い直した。
『いつにします?』
返信を送った。
◆
作業は進まない。兎さんのことが気になって、新子のペンは走らなかった。
◆
コラボ配信の日。
「だからね、薩摩のパブリックイメージが独り歩きしてるんだよね!」
兎さんはいきなりそう切り出した。私は対応する。
「そうそう、男くさい男しかいないみたいな」
「女も豪傑しかいないみたいなね! そういうのを変えたいの!」
チャット欄は戸惑っている。しかし兎さんは止まらない。
「薩摩にはわたしみたいなオタクも生きてるんだぞーッて声を大にして言いたいの」
「そうだそうだーッ」
「薩摩オタクだって生きてるんだぞーッ」
「そうだそうだーッ、大丈夫? チャット欄ついてきてる?」
高速で流れていくチャットを見てみる。
〔兎さん酒入ってる?〕
〔てか薩摩人だったんだ〕
〔私も地元民だけど薩摩ネタ最近ウザい〕
〔ぶっちゃけ差別だしね〕
〔性癖の話以外でこんなになるの初めて見た〕
〔ここに薩摩ネタ書いてました。ごめんなさい〕
〔許さん〕
〔許した〕
〔お前は兎のなんなんだよ〕
〔そうだそうだ〕
〔そうだそうだー〕
〔そうだそうだー〕
〔そうだそうだー〕
共感、戸惑い、あとはノリと勢いといったところだ。
「盛り上がるのは別にいいの、ただ、忘れないで欲しいだけ」
兎さんは言う。
「土地や風習が違っても同じ人間が生きてるって話」
それからは通常運行に変わって、ゲームとアニメの話をして、コラボ配信は終わった。
その後のDMのやり取り。
『コラボお疲れさまでした』
『おつでした。いやー兎さんはじけてたね』
『すみませんでした、最初からあんな感じで行く気はなくて』
『いやよかったよ。ああいうの誰かが言わなきゃ』
『荒れないかなコメント欄』
『大丈夫だよ。なにも間違ったこと言ってないし』
『ありがとう』
『またコラボしよ』
『はい。いつにします?』
今度は彼女からその言葉がやってきた。新子はスケジュールを見返す。
オンラインスケブの〆切を思い出した。
作業ファイルが開きっぱなしになっている。
「クラリスどん!おはんのことが好きじゃあ!」
「ライラどん!おいどんもでごわす!」
下書きにフキダシだけが入った状態。
新子は作業ファイルをゴミ箱へ移動して、完全に削除した。
◆
新子はしばらく、自分も鹿児島在住であることは黙っていた。
了