神の目に
今年も巫女の助勤が来た。
その中に彼女は居た。
彼女の今の名前は夢子と言った。
夢子は私のことを忘れているようだった。
無理もない。
神主の父が仕事の手順を説明する。
お守りの初穂料。甘酒の配り方。それに伴う所作。
「あとは火乃香に聞いとうせ」
私は今世での名前を呼ばれて、ハッ、とする。
「頼んだよ、火乃香」
私は頷く。そして助勤に来てくれた女性たちを見渡して、彼女を視界の端に置いて、言った。
「よろしくお願いします」
私はその日も夢を見た。
彼女と身を寄せ合う夢。
彼女と唇を重ねる夢。
彼女と眠る夢。
私はひと時も忘れたことはない。
◆
お守りの口を結びながら彼女たちは話していた。
特に咎める気はない。このくらいは許せるほど退屈な仕事だ。
「彼氏欲しいわー」
「あたしもー」
「ね、夢子ちゃんは彼氏いるの」
彼女に質問の矢が飛んだ。
「いますよ、好きな人」
彼女は言った。私のことでは、ない。
「その人とは付き合ってるの?」
「いいえ」
「片思い?」
「そうですね」
彼女はお守りの口を結びながら、淡々と答えた。
周囲の助勤たちは騒ぎ立てる。青いね、なんて言いながら。
「じゃあ、ちゃんとけりをつけてきて」
私は言った。
どうしてそんなことを言ったのだろう。
空気が静まり返る。
「はい、そのつもりです」
彼女は物怖じすることなく、そう答えた。
私はその日も夢を見た。
彼女と炎に巻かれる夢。
彼女と星を見る夢。
彼女と別れる夢。
私はひと時も忘れたことはない。
彼女と私はかつて一つだった。
◆
年越しの参拝者を待って社務所に寄り集まる。
「あ、ほら。今年の紅白出てるよ」
「あーライブ行きたかったぁ」
俗な話題に入る様子もなく、彼女は石油ストーブにあたっている。
「隣、いい」
私は彼女にたずねた。彼女は、こくり、と頭を下げて、座布団を寄せた。
「この間はごめんなさい」
「いえ」
謝った私に、彼女は頭を振った。「あれはなんだったのか」とか「頭がおかしいのか」なんて聴くことはない。
「火乃香さんも、片思いですか」
彼女は言った。
私は頷く。
「じゃあ、けりをつけてきてください」
彼女は残酷だった。何もかも忘れたまま、私にそう言った。
年があける。
お守りを授け、甘酒を配り、人々を案内する。
神の目に私は、どう映ってるだろうか。
「火乃香さん」
彼女が私を呼ぶ。
「火乃香さん、疲れてますか」
言われて気が付いた。自分の頬に触れると、涙の粒が指についた。
私は裏手にまわり、あとのことを彼女たちに任せた。
彼女と眠る夢。
彼女と別れる夢。
あれが全て、嘘の記憶であったなら、どれほど幸福だっただろうか。
「火乃香さん」
彼女が私を呼ぶ。
私は山道へと向かう。
「火乃香さん」
彼女の声を振り切るように、私は走った。
白い袖を翻し、枝に引っかかった羽織紐を千切り取った。
「火乃香さん」
彼女の腕が私を引いた。
声は幻聴ではなかった。彼女は、私の腕を手に。
「――、戻ってきて」
私の目を見て、彼女は言った。
「あ、え、覚え、て」
「覚えていますよ。あなたを」
「どう、して」
「別れようとしたんです。あなたと」
夢子は、いいや、彼女は、言葉を続ける。
「そうしたほうが、ずっと思っていてくれるでしょう」
木の葉でできた擦り傷が、頬に赤い印をつけている。
熔けるような笑みで、彼女は。
◆
三が日の終わり。
「はい、ご苦労さまでした」
神主の父は勤めを終えた助勤たちに、奉仕料を配っていく。
私は助勤に来てくれた女性たちを見渡して、彼女を視界の端に置いて、それが終わるのを待っていた。
彼女が微笑んだ。
奉仕料の袋を見てではなく、私を見て。
「みなさん、気を付けてお帰りください」
私は父と一緒に頭を下げた。
私はその日も夢を見た。
彼女と山を駆ける夢。
彼女と山を駆ける夢。
彼女と別れる夢。
彼女の思った通りになった。
私はひと時も忘れたことはない。
了




