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短編集・散文集

旅の助手席

作者: Berthe

 その土地には突き刺すような身を切るほどの真冬が訪れず、十二月や二月などのふと思い巡らすだけで身震いする季節にさえ、ふっくら厚くて裾長なコートを着込む日はやって来ない。


 もしそんななりで寒さのない涼しい街に出ようものなら、衆目から一目で観光客と見抜かれるばかりか、密やかで罪のない苦笑を浴びせられるのを、ぐっと耐え忍ぶほかあるまい。


 じかに問い詰められることはなくとも、気障で都市贔屓な輩と彼らの冷ややかな眼差しは生々しく語り、それにびくびくと背を丸めて縮こまった末に、さらなる嘲笑を誘うという具合。


 しかし幸か不幸か今は九月の暮れ。うだるような蒸し暑い夏を背に晩夏も佳境を迎え、すべるように秋へと移りゆくはずが、未だしぶとく冷めやらぬ熱波が額にじっとりと汗を噴き出させるほどだったのはつい二、三日前。


 にわかに涼やかな秋風が人の肌を優しくさすり、それまではじっと眠っていた長袖を箪笥から颯爽と引き出して姿見の前に立ち、ぴたりと合わせる快さ。しかも今日は大学時代の友人が旅行でこの地を訪れる日。


 ただし自分も怠惰な地元の人間の例に漏れず、案内するべき名所も連れていく料理店さえさっぱり見当がつかぬうち、間もなく到着した彼らを車で迎えに行くと、どうやらすでに行き先を決めている様子。


 三人は今年二十六になる茉奈(まな)さんを年長に、そのすぐ下に(かず)()さん。一つ空いて(まど)()がいるその間に自分が収まって、なだらかに年齢が移りゆく代わりに、同学年が一人もいない。


 で、それぞれ歳の近いほうにご執心かと言えばさにあらずで、円香が和樹さんにぴったり寄り添ったまま、容易にそのそばを明け渡さないのと同様、自分もこの旅では是非ともなるべく茉奈さんの隣を譲りたくはない。


 円花と自分は特別気脈を通ぜずに、自分が歩道に車を横づけするや否や、三人は笑顔でそばへやって来ると、円花は和樹さんの袖を引いて後ろに滑り込み、それからごく自然に、助手席の扉を開けた茉奈さんが、大きな丸い目でにっこり微笑んで、そっと自分の傍らに腰を下ろす。


 途端に車中の空気をまろやかにした、茉奈さんの髪や肌から発散するしとやかな芳香に、自分は覚えずうっとりしてしまう。


 それからバックミラー越しに後ろを一瞥して、パッと振り向くと、にわかに円花と目が合い、彼女の満足げないたずらっぽい微笑に、たちまちこの度の作戦を直感し、刹那の無言の眼差しのうちに、友情と協力を確かめ合ったのち、向き直って息を整え、隣の茉奈さんに話しかける。


「どうしましょう?」


「えっとね。国道に出て、北に真っすぐかな。ここに行きたいの」


 茉奈さんはそう言うなり、飴色の鞄の上に重ね持っていた、長方形のガイドブックをパラパラめくりだしたものの、たちまち終点になる。


 もう一度繰り返したのち、ふっと照れたように微笑んで、こちらをちらりと見つめる。


「待ってね」


 再び本へ視線をおとした茉奈さんの右のほっぺにふわりと後れ毛が落ちかかり、その様を独占しているのが世界中でたった一人自分だけだと思うと共に、ふっと優しくも激しいものが満ちる間もなく、茉奈さんがすうっと右の人差し指を顔近くへもってきて、指揮棒を揮うようにすっすっと動かしたかと思うと、それでほっぺをつきはじめ、ぽんぽんと弾く音が軽やかにこちらの耳にとどき、幸先よく今後の旅のたおやかで心地よい前触れをした。

読んでいただきありがとうございました。

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