この世を滅する無敵の超人
こうして難所をまた一つ突破した一行は、酸素の薄い山頂部に行き着いた。
「あれだ。庵がありますよ」
「仙人の草庵ってことね」
小高い岩場の頂きに、草葺きの清貧な小屋がひっそりと建っている。
三人がその入口に向かおうとした時。上空に不穏な気配を感じた。
見上げると、何やら白い物体が小屋の上付近をユラユラと飛んでいた。
「何だあれ?」
「一反木綿みたい。幽霊か何かじゃない」
ラッセルもその浮遊体をじっと観察した。
「山の眷属か守り神かも知れんな」
すると、物体が一同に語りかけてきた。
「人間ふぜいがスオン様になんの用だ?」
「水晶の法力を借りて世の動乱を平定したい。ぜひ顔合せ願いたいのだが」ラッセルが懇ろに言いやる。
「お前たちは善かも知れんが悪かも知れん。今その正体を暴いてやろう」そう言うと、白い物体は殺気を放つように目まぐるしい雷光を発した。そして陣形を組み、攻撃を繰り出さんばかりの体勢を取った。
「どうしてもバトルになっちゃうんだね。なら、ラスト一回。頼むよ、ランプ」フェルナンはムルジンを翳す。
紫煙とともに召喚されたのは小柄な猿顔の幻獣だ。細い錫杖を携え、なぜかひょうきんな歌舞伎のポーズを拵えて言った。
「おっす。いい目覚めだ。随分空気の薄いとこだな。おっ、自縛霊が相手か。厄介だな」
「あの、倒せそうですか?」フェルナンがその奇天烈ぶりに圧倒されて、訝しく尋ねた。
「まあな。当って砕けろがおいらの座右の銘さ」
「華奢なお猿さん。なんだか、頼りないわね」ケイトが侮蔑混じりに吐露する。
そこへ幽体が連携をとって地上へ舞い降りて来た。猿はその体当りをかわし、陸から敵の作戦を伺う。さらに幽体は白い閃光を撃ってくるが、猿はこれも俊敏に回避する。
「集団リンチみたいなもんだな。さすが、人間嫌いの自縛霊のやる事は薄汚いぜ。えい、面倒だ」
猿は頭にエネルギーを集約すると、髪の毛を針状に尖らせて、無差別砲弾を発射した。
しかし幽体の透明な身体には針が透き抜けていくだけだった。
「身体じゃない。狙いは目ん玉だよ!」猿が意味深に豪語した。
宣告どうり、針の一矢が幽体の目に直撃し、彼らはもんどりながら墜落した。
「はいよ、これで詰んだぜ」猿は喜悦に浸る。
「やったー!」
「お猿さんのくせに、やるわね」拳を突き上げる助手たち。
しかし、バトルはこれからが佳境だった。
「それだけの曲芸でいい気になるのは早い」幽体たちは再び上空へ浮遊した。
そして口から強烈な瘴気を吐き出した。それは対象の目標物を強引に千切り飛ばすまでの強い蒸気だ。
「うわ、これはかなわねえ」猿は蒸し上がった風圧を浴び、そこかしこに飛ばされ翻弄される。
「おい、人間。何ボヤッとしてる。助けろ!」猿は瞬く間に敗北宣言状態になって狼狽するばかりだ。
「あちゃ、似非孫悟空だったか」
「まったくあのランプったら。まがい者ばかりだわ」
その時、見兼ねたラッセルが、声を張り上げて幽体を説得にかかった。
「待て。もういい。我々は生憎闘うことはできん。が、志しは堅持している。交渉に応じて貰いたい」
空を漂う幽体たちは、不審の形相でラッセルを見下ろす。一体が言った。
「面会を断念するというのか」
「いや、面会を願う。我々は誠実にこの虎猿山の者たちとの和平を誓う。長き未来にわたり、自然界の保全に尽くし、生きとし生ける者たちと共存するつもりだ。お主たち霊の成仏をも心から祈らせてもらいたい。ゆえに、主スオンに会わせてはくれぬか」
「美辞麗句ならいくらでも並べ立てることができる。人間に自然界をかしずく寛容な心があるとは思えぬ。あるのは高慢な野心だ」幽体たちがまたも荒々しい殺気を迸らせる。
「分からず屋のカチカチ頭ね。私たちは野心家じゃないわ。この美しい惑星を守りたいだけよ」ケイトが我慢できずに吐き捨てる。
「そうなんだ。お願いだから分かって。人間と他の生き物が協力しないと、世界は闇に支配されるんだよ。環境汚染は僕たちが食い止める。だから皆さんも、動物の凶暴化を堰き止める柱になってください」フェルナンは裏表包み隠さず懇願した。
「何度も言わせるな。お前たちがそうした所で、大多数の人間は従わぬはずだ。全ては絵空事」
幽体たちは今にも一同へ急降下せんと、鋭い視線を投げかける。
諦めかけたその時。
「もうよい。皆の者、引けい」庵から老爺が出てきた。
「スオン様」幽体たちが敬礼するかのように空中で隊列を整えた。
「熱くなるでない。この者たちは人徳の鏡と見た。さあ、引けというに」
幽体たちは躊躇しながらも、スッと空気中に姿をくらました。
「失礼なことをした。あれはわしの警護を担当する守護者たちじゃ」赤紫の和装に杖を持った佇まいからは、柔軟な思慮深さが感じ取れる。額の丸い玉のような瘤が印象的だ。
「おい、信用できないぜ。こいつは黄泉の怪物とつるんでるって噂だ」猿が地面を蹴りながら言う。そして、フェルナンのリュックに飛びつき奪うと、ムルジンを出した。
「おいら、お前らに付いてく」猿は錫杖を全力で振り下ろし、ムルジンを壊してしまう。
「これで煙は出ない。戻されなくて済むぜ」猿は飛び跳ねて嘲笑う。
「付いてくる?あんた、どうする気なの?」フェルナンがまごついて問い質す。
「だから付いてく。仲間になるのさ」
「私たちに?お猿さんが?」ケイトが純粋に驚いて見せる。
「姉さん。よろしくな」猿がまたも歌舞伎調の所作で挨拶する。
「それより。この仙人は黄泉とグルなんだ。気をつけろ」
「何を言うか、愚か猿が。わしは人間の味方じゃ」
「老人。この山は異界に通じていると聞いたが」ラッセルが仕切り直すように落ち着いた口調で問う。
「いかにも。この山は霊山。黄泉の入口だ」
「水晶は存在するのですか?」
「する。そなたらは、この山を登りつめるほどの強者。信念は確かと見た。水晶を手放す時が来たようじゃ」
すると突如、山が大きく振動した。そして、頂上から黒いガスが噴き出した。
「いかん。ついに、とうとう奴らが」スオンは慌てたそぶりで、噴火口を眺める。
「奴らとは?」フェルナンも驚きタジタジで茫然とする。
「それ見ろ。黄泉から魔物を呼びやがった。やはり、こいつはグルだぜ」猿がはしゃぎ回る。
「魔物?なんか、やばくないかしら」ケイトも身体を震わせる。
「あの黒い気体は?」ラッセルが呟くように問い掛けた。
「この虎猿山は黄泉山でもあるのだ。黄泉と現世がついに繋がってしまう」
すると、火口から何かが飛び出て来た。それは、黄泉の魔獣だった。全部で十体。どの魔獣も神々しい武威を纏った神獣だ。
「なんということが。もう制御できぬ。この世界は黄泉のものになる」スオンが頭を抱える。
「何とかなりませんかな」ラッセルが訊く。
「わしの法力では勝てぬ。奴らは皆オメガ生物」
「え?オメガクラスってことですか?」
「そんな。あの魔鬼窟のドラゴンクラスが十匹も揃っちゃうなんて」
「フェルナン。あれを」
「分かってます教授。でもいくらなんでも、オメガ十匹だからな。勝算は低いけど」フェルナンは菩薩の勾玉を取り出した。
「ハロイド大博士の伝家の宝刀。今こそ出陣!」クリスタルのような銀色の光が剣状に閃光を放ち、幻想的なオーラを醸し出した。
「見せてよ。空間斬りを!」
オーラからは発光体が形作られ、フェルナンの言葉に即座に応えるように、真空の刃が発生した。
それは目にも止まらぬ豪速で、抜群の斬れ味だった。その軌跡に沿って、バサリと空間が裂けて広がったのだ。
裂け目はどんどん膨れ拡がり、付近の瓦礫や石ころがその異空間の狭間へと吸引されていった。
その吸収圧は莫大な力が働いていて、黄泉の魔物をも吸い込まんと暴れ狂う。
「なんという風じゃ。亀裂が別空間に続いているというのか」
「そうですよ、仙人さん。これは時間と空間の概念を超越させるアルティメイト奥義なんです」フェルナンが鼻高々に説明した。
魔獣たちはブラックホールばりの時空の穴に引っ張り込まれていく。
「いいぞ、勾玉!全員やっつけちゃえ!」フェルナンが柏手を叩いて鼓舞する。
「まさに究極のアイテムだわ。ハロイドさん最高!」ケイトも興奮して拍手喝采だ。
黄泉の魔獣たちは必死の抵抗も功を奏さず、一体また一体と裂け目に吸い込まれていく。
「戦って倒せぬ敵も異次元に放り込めば、問題解決というわけか。旅人よ、実に便利な武器を持っておるのう」泣いた鴉だったスオンは、一転威厳を持ち直して微笑む。
「やるねえ。さすがはおいらがダチと認めただけのことはあるぜ」猿までが調子づいてヨイショする。
計魔獣五体が穴に消えた。残る半分は空中で粘り強く耐える。
「空間を穿つとは考えたな。だが穴を埋めるくらいは容易い」魔獣のうちの一体が穴をめがけ、口から光線を吐き出した。
すると、裂け目の両端が光線の化学反応でグニャリと軟化したようになり、時空の開口部がジワジワと閉じていき始めたのだった。
「ああ、穴が塞がっていく」フェルナンが引き攣った声を漏らす。
「オメガクラスの魔物だ。時空の穴を自由に扱えても驚きではないということか」ラッセルが諦観口調で批評する。
「いかん。まだ五匹残っておる。勝ち目はない。オメガ生物を討伐できる生物はおらんのだ」スオンがまたも悲歎に暮れて言う。
「あなた仙人でしょ。簡単に諦めないでくれる!」ケイトが鬼気を表して叱咤する。
「奴らを倒せるのは、この世の果に存在すると言い伝えられる、超オメガと尊崇される伝説の生き物だけ」
「超オメガ?そんなのがいるんですか?」フェルナンが魂消て唸る。
「スオン殿。奴らオメガとて無慈悲ではないはず。話せば通じましょう」手持ちのカードは尽きる。後は交渉あるのみだ。ラッセルは自分たちの人間的器量に全てを賭けるべく、最期の腹くくりを決心した。
「その超オメガクラスが現実にいたとすればどうだ?信じるか?」不意にその声は時空の狭間から湧き出して来た。
「オメガが五匹か。手馴しには御誂え向きだな」
裂け目は板一枚程にまで小さくなった。そして声の主は一糸の影となって、穴からこの世界に飛び出した。と同時に、時空の裂け目は完全に塞がった。
「言っておくが、俺はお前たちを助ける気などさらさらない。ただ暇を潰しに来ただけよ」
頭に短い三つの角、青と紫のスリムで軽快な、それでいて値の張りそうな清潔な衣装。身長と体重は、フェルナンよりも少し低く軽そうだ。
「あ、あなたは?」唐突な登場に恐々フェルナンが尋ねた。
「言ったはずだ。超オメガクラスの偉人よ。一応下々の輩はアルヌス様と呼称しやがる」腰に手を当て、堂々と胸を反らす。
「王子様でしょ。私たちを救いに来たヒーローよね?」ケイトが幻想冷めやらぬ面貌で縋るように言う。
「しつこいぞ。王子でもヒーローでもない。そんなもんは、お前たちが創り出した虚妄だろうが。俺は女を侍らせ、城で飲み食いドンチャン騒ぎしてた最中だったんだよ。急に異次元の扉が見えたから、さっき言ったように暇つぶしの肩慣らしに出てきただけだ」
「何か、嫌な男」失望したケイトが囁く。
「信じられん。うぬのような繊弱な者が超オメガだというのか」スオンは扱き下ろすような貶み口調で言いやる。
「老人のくせに外見に騙されるとは愚の骨頂だな。俺様の実力を見抜けないようじゃ、老害甚だしってもんだ」
黄泉の魔獣に面して空に浮かぶその外見は人間に瓜二つ。しかし、人間サイドの存在ではないと断言するこの風変りな男の威容に、一同は魂を抜かれた心境でポカンとするしかなかった。
「よし、お前が本物のオメガかどうか、おいらが試してやろうじゃねえか」突然張り巡らされた奇っ怪な雰囲気を押し破らんと、猿が自信ありげに錫杖を構えて薄ら笑う。アルヌスは滑稽な顔で笑い返す。
「どうでもいいが、怪我するぜ」アルヌスがやれやれといった挙動で、地表まで下降した。
猿は目一杯の脚力を駆使して走り出し、殴りかかった。
しかしながら、腕が振り下ろされることはなかった。猿はアルヌスの鼻先でフリーズしたのだ。
「何だ。どうして手が」猿の腕はピクリとも動かなくなった。それはアルヌスの発した気合、もしくは闘気によるものだった。
「トリックで誤魔化しやがったな。お前が超オメガなわけないだろう」猿は懸命に慄きを隠しながら嘲笑う。
「なら試して見るぞ。準備はいいか」アルヌスはそう言って、人差し指一本でスッと優しく空気を弾いた。その瞬間、空気が爆風のように渦を巻いて、猿を紙屑のように遥か遠くへ吹き飛ばしてしまった。
「凄すぎだ。まったく相手にならない」
「これじゃ、ホントに超オメガかも知れないわね」
アルヌスは面倒くさそうに欠伸をすると、また高度を上げた。
「どうでもいいが、とっとと始めさせてもらうぞ」
味方ではない。しかし一同は、魔獣狩りに名乗り出た自称超オメガのこの男に希望を託すしかなかった。
アルヌスは気概に満ちた面相で、黄泉の魔獣五体と向き合う。魔獣たちは突如降臨したトリックスターに侮りを露わにする。
「人間が我ら黄泉の存在と手合わせするというのか」魔獣が侮蔑を込めて詰問した。
「人間?この世界の奴等のことか?馬鹿。俺は人間じゃねえ。お前らも外面で判断すんのか。この世界とは何の縁も義理もないぜ」
「いずれにせよ、命は欲しかろう。ならば立ち去れ」
アルヌスは腹を押さえて絶笑する。
「お前らこそ命乞いしなくていいのか。もっとも、俺様は格闘に飢えてたところでな。頭下げられたとしても、今更敵前逃亡なんてさせないがよ」
魔獣たちの目が憤怒で光った。もはや、一大バトルを回避できる段階にはなかった。
「一人で五匹なんて無謀ね。自惚れもいいとこだわ」
「そうかな。きっと勝ってくれるような気がする。あいつは、僕らの味方だと思うな」
「フェルナン、あなたハッタリに洗脳されたんじゃない?」
「そうかも。でも今はアルヌスに賭けるしかないんだ」
狂気血走る白虎もどきの魔獣が牙を剝いてアルヌスに襲いかかる。
直後、一同は超オメガの凄さを垣間見ることになった。
アルヌスは疾風の速さでまるでのろま亀をよけるように、綽々と白虎の攻撃をいなすと、拳に空気の塊を発生させて、掘削ドリルの如き強烈な一撃を腹にぶち込んだ。
白虎は無言のうちに、あたかも蛸のようなフニャリとした状態になって脆くも崩れ墜ちた。
続いて巨大コンドルを想起させる剛毅な魔獣が、燐火をメラメラと身体に纏わせて、真正面から突っ込んで来た。
アルヌスは今度もトンボをよける要領で楽にかわすと、下半身に稲妻を発露させて、ひと思いに豪速の回し蹴りを頭部に食らわせた。
コンドルは猟銃で撃ち落としされたかのように、翼を痙攣させながら墜落した。
「そうら。三匹で来いよ。少しはましになるかもよ」アルヌスが挑発して言う。
激した魔獣たちは、目にもの見せようと連帯して三体で飛びかかる。
しかしアルヌスは光陰の俊敏さで、敵の猛攻をあたかも赤児の癇癪をあやすように簡明にいなす。そして全身に神風のような竜巻をうねらせて、恐竜型の魔獣の胸に膝を、水中怪獣の巨体に手刀を、さらには岩石モンスターの上半身に竜巻烈風を浴びせた。
三体は眠り落ちるようにして、哀れにも地面に逢着した。
「が、が、メガ。オメガがこんな簡単に」フェルナンは開いた口が塞がらない。
「桁違いだわ。超オメガ。本物だったなんて」ケイトも銅像になって竦み上がる。
「くわばら。おお神よ」スオンが只管畏怖に浸る。
「これなら惑星征服も時間の問題」ラッセルは見てはならぬ物を目視した面容で、その場に固まる。
「やっぱり戦いは気持ちいいぜ。せいせいした」アルヌスはゆったりと地上に降りて来た。
「さてと。黄泉の馬鹿ども。俺様の力を思い知ったよな。弱い奴に用はねえ。早いとこお里に引きこもりな」
黄泉の魔獣たちは大ダメージを負って虫の息に等しかった。しかし恐竜の魔獣が小声を絞り出して宣告する。
「このまま引き返すわけにはいかん。トドメをささなかったことをあの世で後悔しろ」
「ほう。まだ作戦があるのか。面白そうだな」アルヌスが腕を組んで睨み据える。
魔獣たちは団結するように赤黒い波動を頭上に集めた。
それは強固な意志が煮え固まった、オメガとしての生命力の根源から迸る邪念であった。何よりも深く何よりも濃い黄泉煉獄の波動が一点に集中しているのだ。
「このエネルギーは。まさか、カオスフレア」アルヌスが急に真剣な眼差しになる。
「そうだ。一人でオメガ複数を相手にしたのは迂闊だったな。カオスフレアを受けて無事にすむ生物はいない。死んで懺悔するがいい」
波動の集合体が、凄まじい勢いでアルヌスに投げつけられた。
核爆発もかくまではと思われるほどの超爆撃が発生し、アルヌスを大爆風が呑み込んだ。
その余波で、一同も地面をサイコロのように転がって飛ばされる。
やがて、歪な茸雲が山を覆った。