魔性の娘
「いいな、お主たち。無理はするでないぞ」
「ハロイド、水は任せた」
「うむ。責任を持って預かる」気鋭のベテラン研究者両雄は、固く暇の挨拶を交わした。
「お主たちの未来が視える。待ち受ける艱難は避けられんが、協力し乗り越えれば、栄光が待っている」確固たるハロイドの霊視に一同は勇気づけられる。
「本当に?博士の予知って当たるんですか?」フェルナンはもともと、非科学的オカルトには疑念を抱いていた。
「当たるも八卦ぐらいな感じかしら」ケイトも自身に染み着いた科学的合理思考を盾に、どこか茶化したように笑う。
「いいや。わしの予言は当たる。信じるかどうかはお主たち次第だがな。まあ心して冒険に励むことだ」
パーティーの隊長たるラッセルは、信じるでも信じないでもない気持ちでいた。
仕事をリストラされて以降、信じられるのは己の才覚だけだと思っていた。神や前世を否定するわけではないが、それに依存した人生を送るのは御免だった。しかし唯物論者ではなく、精神世界の知識価値観については、一定の理解と好奇心を有している。
一行はハロイドの手厚い恩に感謝し、バルマー研究所へと向かった。
まず数キロ先の駅から鉄道に乗った。車窓には若々しい山間の木々が走り、和やかな自然風景が流れていった。
「つかの間の休息ね」
「あーあ。リストラされたし。フリーランスで生きてくしかないのか。ねえ、教授」
「望むところだ。後戻りはない」ラッセルはきっぱりと言い切る。
「でも冒険は危ないからな。企業生活が懐かしい」
「フェルナン。自由こそ人間最大の幸せだぞ」
「自由ですか。そうですね。今は人に合わせたり、本音を隠したりしなくていいから楽だ」
放埒な男二人の考えに、ケイトは些か渋面を拵えた。
「もう、二人ともわがままなんだから。個性や独創ばかりで、同調や協調はないのかしら。そんなだからリストラされるんだわ」
厳しい意見に会話は途切れてしまった。
列車は野を越え山を跨ぎ、至極快調に走り続けた。
したがって、このまま安穏にバルマーまでまっしぐらかと思われた。
しかし突如、難儀が降りかかるのだった。
安定走行中の列車に、何かが激しく衝突した。その衝撃は大きく、呆気なくも列車は脱線し急停車したのだ。
乗客は大慌てで、車内はパニック一色になった。
「何がぶつかったんだ!」フェルナンが取り乱して言う。
「まったく。私たち、トラブルと友達ね」ケイトが諦念を露わに嘆息する。
すると、女の甲高い声が列車に響いた。
「いいこと。この電車は破壊するから。逆らう人はいるかしら?いるなら命をいただくわ」
声のする窓外を見ると、マンモスのような巨獣に乗った白髪のうら若き女が、毅然とこちらを睥睨していた。
「盗賊ですかね」
「いえ、もものけだわ」
女はなおも宣告した。
「文明の利器は片っ端から破壊するわ。私たちの天敵がこれ以上のさばらないようにね」
ラッセルが悟り顔で立ち上がる。彼女たちも、自然環境を蝕む人間の犠牲者なのだろう。
「出番だぞ」
先輩の号令に釣られた二人も後につく。三人は破損したドアから外部へ出た。
「待ちなさい。話を聞こう」
「なんだ老人。逆らうのか?命はないぞ」
「なぜ、かほどに極端な真似をする。話し合おうとは思わんのか」
「話し合いなど無意味だ。逆らうなら殺すぞ」
巨獣が獰猛な唸り声を上げて、駆け出す。
「そうかい。来るなら来い」フェルナンが珍しく強気になって、リュックから例のアイテムを掴み出した。
巨獣は角を立てて突進を仕掛ける。
「はいよっと。朱雀、助けて!」そう唱えて翡翠を天にかざす。
すると翡翠から、もくもくとした火煙が生じ、それが火炎になると、四聖獣の北守こと朱雀の形になった。
「人間を殺めるなかれ。いざ、裁きの時」そう言うと、朱雀は口腔から炎の盛大な放流を吐いた。
それはマグマの塊が大爆発したような、豪壮な炎だ。
見物する乗客たちは、唐突に現れた地獄の烈火に仰天して、絶叫を上げる者、ひっくり返る者、地にひれ伏す者と様々だった。
そして巨獣は業火を浴びて後方に大きく退いた。
「ううっ!」その拍子に、女が勢いに圧せられて地表に転落した。
すぐさま起きようとしたが、足を押さえてうずくまる。
「待って!もういいよ!」フェルナンが制止をかけて走り出した。
「大丈夫?」側に寄って女の足に触る。
「貴様、何をする!」女は固く拒絶した。
「軽い捻挫だね。僕は医術の知識が少しあるんだ。ほらほら、平気だから」フェルナンはどうにか言い説き、湿布を出すと、優しく言った。
「さあ、足を見せて」女の獣皮でできた靴を脱がせた。そして、露わになった素足にそっと貼ってやった。
「フェルナン」ケイトは弱腰な同僚の見慣れない積極かつ勇ましい行動に目を見張った。
「お前。なぜ、なぜこんな真似を?」女が恥じらい混じりに問い掛ける。
「だって、痛そうだからさ。ほっとけないだろ」
持ち主の思惑を慮った朱雀は、炎の噴煙を抑えた。
「ならば、人間に任せよう」言うなり、炎の使い手は虚空に消えていった。
「どうして敵を助けるんだ?」女は男勝りな口調で訊く。
「そんなの関係ないさ。僕は誰も傷つけたくないんだ」
「お前」女は恥じらうようにフェルナンを見る。
ラッセルとケイトもやって来た。
「痛い?近くに町があればいいけど」ケイトが親しげに笑い掛ける。
「重くはなさそうだな」ラッセルが同じように笑う。
「あんたたち、優しいな」女の無表情に微かな笑みが差した。
「あたいはチカ。このコレザス平原の動物と暮らす元人間だ。あいつはあたいの弟、レオ」
「よろしく。僕は剣フェルナン。この子はケイトグローバー。おじさんは笠童ラッセル。世界の不思議な伝説を調べて、宝を探す冒険家さ」
「こんな時代に変わりもんだな。でも、人間にしてはいい心を持ってる」
状況を見守っていた乗客たちが、何事かとざわめいている。
「一時間ぐらい北に歩けば町がある」チカが気を利かすように言った。
「そうか。お主、それを知っていて、敢えてこの地点で襲撃を」ラッセルが納得顔で言う。
「そうだったのね。足を奪われても、すぐ町に辿り着けるようにわざと近くで」
「そうなのかい?」フェルナンが柔和に尋ねると、チカは顔を赤らめて俯く。
「君は最初から誰も傷つけるつもりはなかったんだ」
「うるさい!」
「君の方が優しいね」
チカは顔を背けながら靴を履くと、レオのもとへ駆けた。獣並みの高い跳躍力で飛び乗り、陽炎に目を細めて叫んだ。
「あんたら、行き先は?」
「バルマー」フェルナンが愉快に答えた。
「乗りな。三人くらい楽に運べるよ」