女神主の懺悔
バルガの民家を出た一行は、途中の分かれ道で侍夫婦を見送る形になった。
「本当にありがとうございました。この御礼はいつか必ず」妻が深々と頭を下げる。
「御婦人、それについては、いつの日か私と極秘デートを」ユンケルの言葉を裂くように、ケイトが袖を引っ張る。
「どこまで助平なのよ!奥さんの前でよくナンパなんかできるわねえ!」
夫婦は失笑を漏らして、今一度会釈する。
「旅の貴方がたがいなければ、バルガ殿ともども、私は魔境に堕ちていました。何と礼を言ったらよいか」侍が頭を垂れて謝意を表す。
「これも旅の醍醐味ですからな。まあ、冒険家なら当然の事だ」ラッセルが穏やかに笑う。
それから一行が山の山麓部まで下り、足を休めようとした時。老夫婦とその孫らしき子供が二人、庭の小さな家庭菜園の手入れをしていた。
「おや、旅人さんかね」老女が労いの言葉をかけ微笑む。
そして老夫婦は一同を家に招き休ませてくれた。
とても親切で優しく、どこか癒やされる雰囲気の家族だった。
爺婆は仲睦まじく、子供は愛想よくはしゃいでいる。
こんな家庭があったなら、旅などしないで毎日家で過ごすだろう。一同は皆そう思った。
「そうじゃ、宜しければ龍聖様に参拝なさるといい。この山の守り神のお社です。そこには千寿様という立派な女神主様がいらっしゃる。御利益は大したものでな。皆様の旅の安全のために是非」老爺が強く勧める。
「千寿様には長年大変お世話になりました。龍聖様のお陰で、私たちは安心して暮らすことができたんですの」老婆が心から感謝するように言う。
「できたって、まだこれからも守って貰えるじゃないですか。いやー、それにしても家族円満で羨ましいなあ」フェルナンが脱帽して賞賛する。
「私もこんな家庭を持ちたいわ」ケイトが溜息をついて羨望する。
老夫婦の饗しに、すっかりほろろになった一行は、手厚く礼を述べてお暇した。
そしてせっかくだからと、その龍聖社に立ち寄ることにした。
山を迂回すること数十分。目的の社が見えた。
入口に使用人らしき男が、竹箒を持って此方を値踏みするように観察する。
「このすぐ裏山にあるお爺さんお婆さんが教えてくれたんです。御利益があるそうですね」フェルナンが上機嫌に尋ねる。
「裏山?そんな所に人家はないはずですが」男が怪訝に答える。
「えっ?あるじゃないですか。お年寄り夫婦に小さな子供さんが二人」
「そんなはずはありません。あそこに住んでいた夫婦は三年前に土砂災害で亡くなっております」
「何ですって?じゃあ、あの家族は?」ケイトは悪寒を走らせる。
男が神妙な顔つきで考える。
「ひょっとして、あなた方。あの家族の御霊と出会ったのでは?」
一同はあの優しい家族を思い返して、しんみりとした心持ちになった。
「土砂災害があったんですか?」フェルナンが訊き返す。
「はい。あの災害に関して、千寿様は酷く心を痛めておいでで」
「ほう。それはまた何故ですかな?」ラッセルが帽子を取って問い掛ける。
「憚りながら、私から仔細を語るのは。社内に千寿様がいらっしゃいます」
男は一同を案内する。
白と赤の衣装をつけた黒髪の女が、正座で一礼した。
一行が出会った今は亡き家族の話をすると、神主の千寿は動揺を見せた。
「その話は本当なのですか?」
「はい。間違いなく僕たちは会いました。普通に会話もしましたよ」フェルナンがやや強張った調子で言う。
「それは怨念でしょう。あの人たちを殺したのはこの私ですから」そう言って千寿は目を伏せる。
「あの日、私が旅の僧侶と不義に及んだために。御神体の怒りを買ったのです。龍聖様が憤怒されたゆえに、あの悲惨な山崩れが起きた」
大まかな内容を察した一同は、悲しみと哀れみを抱きながら女神主の言葉を待った。
「でも、あの家族は恨みなど露とも感じさせない幸せな顔をしていましたけど」バクシンが首を傾ける。
「そうね。恨めしい感じは全然なくて、神主さんの事を心から尊敬してるみたいだったわ」ケイトも不思議そうに首を捻る。
「お姉さんは、自分の浮気が原因だと思ってるのかな?」ユンケルが気安く訊く。
千寿は羞恥のような嫌悪のような微妙な顔で目線を下げた。
「ちょっと!神主に向かってお姉さんはないでしょ!それに浮気なんてストレートに言うもんじゃないわよ、このノンデリカシー野郎!」
張り詰めた空気を緩めようと、千寿は軽く咳払いをして言う。
「災害が起きてからは、ひたすら御神体に懺悔をするばかりの日々を過ごしております。幾ら御経を唱えようとも、償える罪ではありません」
しかし作務係の男が弁護をする。
「あれは千寿様の罪ではございません。まこと御神体の怒りではなく、あくまで天災によって起きた事故。貴方様の私事とは関係がありませぬ」
「いいや、私が神職として神の恩義に背く行為をしたのは事実。私は一生を賭けて自らの汚れと対峙せねばならないのだ」
その時。何処からか、白い気体がふわふわと、社に飾られた盛大な神棚に向かって飛んで来た。
「あれは!ユンケルさん!」バクシンが立ち上がる。
「ふむ。バルガに憑依していた悪霊だな」ユンケルが例の杖を取り出す。
白い霊魂は千寿の傍で曰くありげに止まった。
「また現れたか不成仏霊。私に何用だ?」
「その怨霊、知ってるんですか?」フェルナンが指さして言う。
「これは長年この山に彷徨う成仏できない邪霊から生まれた荒御魂です」
千寿は浄霊の文句を諳んじ始める。
するとそこへ、別の霊体が出現した。
何とそれは、来る途中饗しを受けたあの老爺だった。
「お爺さん!幽霊だったのね!」
老爺の霊は義理堅い調子で千寿に語る。
「生前は何から何までお世話になりました。今は幽世で家族と楽しく過ごしております。その霊体でございます。それが山崩れを起こしたのです。千寿様。もうご自身を責めないで下され。貴方様は勘違いしておいでです。どうか、その悪霊をあの世に送り届けてやって下さい」
「何と?此奴がそなた達一家を?」
「はい。しかしもう済んだ事です。零れた水は盆には返りません。私たちは浄化しておりますからご安心を。もう何も憎んではおりませぬ。全てを赦しておりますれば。どうかどうか。この山を、住民を御守り下さい。それだけが、私たちの願いでございます」老爺は晴やかに微笑む。
「お姉さん。これで疑いは拭い去られたな。蜜月は原因ではなかったのよ。よかったねえ」ユンケルが下心を垣間見せながら笑い掛ける。
「だから!お姉さんって言わないの!」ケイトがエロ事師の肩を突き飛ばす。
「そうだったのか。だが私の不義は不義。心の汚れは償わねばならない」千寿が口をキツく結ぶ。
「千寿さん。あなたの仕事は御神体の祭祀運営だ。早くその迷える霊魂を払いなさい」ラッセルが温かく言い遣る。
「忝い。では役目を全うしよう。御魂よ、今日こそ汝を鎮めようぞ」
その時。荒ぶる霊体がザッとはためき、千寿の肉体に入り込んだ。
千寿は気合いを吐いて追い出そうとする。
しかし霊体は肉体を牛耳ってしまう。
身体を震わせてよろめく千寿。
「これは本格的な格闘になりますね」バクシンがじっくりと見守る。
「ねえ、助けてあげてよ」
「ケイトちゃん。我々には何もできんのよ。本人が打ち勝つしかない」ユンケルが杖を仕舞って言う。
千寿の声が邪霊になる。
「御神体は頂くぞ。この聖社は俺のものだ。お前は肉欲に染まった淫婦。神に仕える資格はない」邪霊が耳障りな声音で嘲笑う。
しかし、千寿の人格が割って出て来る。
「汚穢な不成仏霊め。潔く黄泉へ帰れ!」
再び邪霊。
「お前は罪を認めたではないか。若き僧との戯れに、お前は悦楽の声を漏らしていたぞ。淫らな女よ。大人しく俺に身体を譲れ」
また千寿が出る。
「断る!確かに私は過ちを犯した。神職の資格はないかも知れぬ。だが、社に空位をもたらすことはできぬ。ここの管理者は私を置いて他にはいないのだ。私はいかなる時もこの山をそして民を、守護せねばならない」
すると、あたかも身体に雷が落ちたように、千寿が身体をくねらせもんどり打った。
「あっ、あー!おのれ不成仏霊!」千寿は着物を剥ぐように取り、足袋を脱いで裸足になる。
艶めかしい裸体が一同の目に晒された。
「おっ、おっ、おおー!」忘我に陥ったユンケルが反っくり返って喜ぶ。
「これは、見てはならないものを!」フェルナンが思わず手で目を隠す。
「女体は何よりも尊い!そしてカワユイ!」
「もう!何見てんのよ、ドスケベ!」ケイトがユンケルを蹴飛ばす。
裸身を曝け出す千寿は、必死に理性を保ちながら邪霊を浄めようとする。
そんな破廉恥な光景が続くことしばらく。
千寿の祈祷が行なわれる中、神殿から突如清らかな霊光が発生した。
光は千寿の背部に降り注がれた。
すると、邪霊が荒々しく身体から這い出してきた。
そして、霊光に取り巻かれると、あっという間に光華へと吸収された。
これから神の示威により、黄泉へ昇天して行くのだ。
「龍聖様自らが、邪霊をあの世にお連れくださるのだ」使用人の男が厳かに附言する。
やがて霊光は神殿に還り、殿内は静寂に満たされた。




