修行僧の大変身
手下を丸め込まれた妖術師バルガは必ず仕返しに来る。
そこで一行は、それまでこの山小屋に陣を置くことにした。
そして翌日、ユンケルとバクシンがまた人の気配を嗅ぎ取った。
表へ出ると、草叢から足音が立ち起こった。
「人の霊気。どうも妖術師の仲間じゃなさそうですね」バクシンが言う。
「出て来なさい。レディさん」ユンケルが微笑ましく呼びかける。
すると、雑木から着物を羽織った女が現れた。草鞋に編み笠姿で恭しく歩いて来る。
「ご挨拶できず、お許し下さい」女は申し訳なさそうに頭を垂れた。
「いやいや、怖がらせたのは我々の方だ。ごめんね、お嬢さん」
女が編み笠を取り、麗しい素顔を見せる。
「お願いします。主人を助けて下さい」
小屋に案内し仔細を聞くと、女の旦那は不自由な右手を心霊治療してもらおうと、この山に住む妖術師を訪ねたということだった。
旦那はさる地域では有名な剣術家で、もし魔物に襲われても独りで打ち倒せる高度な技量を備えていた。
しかし幾月待っても旦那は帰って来なかった。
そこで安否を確かめるため、女はこの林木にやって来たのだった。
数日間一帯を探し回ると、妖術師らしき男の姿を見た。
男は狂暴そうな何匹もの魔物を自在に操り、人間の屍を餌として彼らに与えていた。
旦那は殺されたのかも知れない。こうなれば無念を晴らそうと決めたものの、敵は人に非ず、自分の敵う相手ではない。
それでも何か手立てはないかと考えていた所に、旅のラッセル一行が来たという顛末だった。
「任せて下さい。超魔法使いと超武道家がいますから。妖術師なんて、わけないですよ」フェルナンが激励する。
「そうよ。ご主人だって、まだ生きているかも知れないんだし」ケイトも明るく言い支える。
「ありがとうございます。お金は土地財産を売り払って、すぐにお渡しします」
「そんなものは受け取れんよ。旅の恥の掻き捨てだ。私が二度と悪事を働けぬように懲らしめてやる」ユンケルが目尻を緩めて笑う。
「それでは、私の気持ちが落ち着きません」
「そう?なら、一日。いや半日でいいから私とデートしてくれる?」
言うや、ケイトがユンケルを突き飛ばした。
「このエロ事師!」
女は二人のお笑いじみた呼吸に、思わず口元を押さえて微笑する。
此方から奇襲をかける戦法に変えた一同は、女の道案内で妖術師の寝蔵に赴いた。
その概形はごく普通の瓦葺きの民家だった。
どんな罠があるかも知れず、一同はバクシンが先頭になって、最大限の警戒を払いながら近づく。
「すみません。バルガ殿はおられますか?」バクシンが呼びかけた。
しかし返事はない。駆け引きをしても埒があかないとばかりに、バクシンは一思いに戸を引き開けた。
すると、座敷に男が座っていた。
「左様な大勢で、何用かな?」男が畏まった調子で問い質す。
その声を聞いた女が、慌ててバクシンの背中越しに中を覗き込んだ。
「貴方!」草鞋のまま座敷に駆け上がり、男に張り付いた。
「ご主人なんですか!」バクシンが問う。
「来たのか」男は目を合わさず女に訊く。
「何があったのですか?今までどうしていたんですか?」
何事かと、一同が部屋へ雪崩込む。
ユンケルが男の顔相を視て、すぐさま見抜く。
「御婦人。その者は既に旦那ではない」
「どういうことなんです?」
「答えは屋根裏のネズミさんに聞いてみるといい」ユンケルはからかい口調で、見透かしたように目を瞑る。
すると、その天井裏から声が響く。
「フッフッフ。芝居が通じる相手ではなさそうじゃな。ようこそ、我が庵へ」天井の隠し戸が外れて、老人が軽い身のこなしで座敷に飛び降りて来た。
「久々の人間様御一行だ。まあ、そう角を立てずともよい。茶でも飲まんかな?」
「あんたの正体は分かってるんだ。惚けたって無駄だぞ、妖術師バルガ」バクシンが重心を沈めて、防御態勢をとる。
「じゃから、角を立てるなと言っておろう。そなたが女房か?この侍はわしの弟子になった。よろしく頼むぞ」バルガが充血気味の目を光らせて微笑む。
「主人に妖術をかけたのですか!」
「それはともかく、身共の話を聞いてくれ」
そう言ってバルガは侍の隣に腰を下ろした。
「かつてわしは、ある国の間諜として働いていた。所謂影の刺客じゃな。持ち前の妖術を使って、国の民のために貢献した。敵国の陰謀を阻止し、逆に自国の策略を実行する。そんな裏稼業に生きた人生だった。しかし晩年に至り、わしは虚しくなった。地味な影として、使われるだけ使われ、言わば国の道具、便利屋として酷使されるだけの惨めな存在だ。一度でいい。たった一度でよいから、わしは表舞台に立ちたかった。人に知られることなく死んでいくのには堪えられんのだ。己の能力を世間から評価され、認められたいのは、人ならば当然の事。わしは光溢れる道を歩みたい。ゆえに、国を自らの手で作ることにした。わしはこれより君主になる。歴史上最も強く賢い支配者にな。さすれば、世界中の全ての人間がこのバルガを崇拝し称賛する」バルガは完全に妄念に取り憑かれていた。
「妖術師の妄言か。何とも月並みだな。そんな野心家は世の中に掃いて捨てるほどいる」ユンケルが嘲弄するように言う。
「主人は連れて帰ります。貴方の野心とは関係がありません」女が旦那の手を握って立たせようとする。
「それはならん。この侍は人形としては極めて秀作。手放すわけにはいかんのじゃ」
「悪徳妖術師。今日は貴様に天罰が下る日だな。丁度貴様の作品が集まったようだ」ユンケルは先程から民家の周りを包囲し、殺気を放つ野生動物たちを揶揄する。
「囲まれたようだ。外に出ましょう」バクシンが目つきを尖らせる。
外へ出ると、山に生息するあらゆる野生の獣たちが、荒々しい唸り声を発しながら一同を取り巻いていた。
「皆さん、僕たちを食べたって不味いよ。まあ、それは無理だけどね。こっちには最強の用心棒が二人いるんだ」フェルナンが虎の威を借りて強がる。
そこへバルガが悠揚と出て来て不気味に開口する。
「最強の用心棒とは面白い。これはまたとない傑出した人形が生まれるぞ。どうじゃ。大人しく投降する気はないかな?」
「大魔法使いユンケル様が投降するわけがないだろう。その傑出品の出来栄えを見せてもらおうじゃないか」ユンケルが余裕綽々、杖の先で掌を叩いて言う。
「いい度胸じゃ。それでこそ、芸術作品にふさわしい。では、我が霊極妖拳。とくと堪能するがよい」
バルガが気迫全開で右手を上げると、獣たちが一斉に狂乱の哮り声を発し始めた。
ユンケルとバクシンが間合いを詰めて身構える。
「烈波破鋼!」バルガが猛々しく唱えた。
すると、獣たちが蛮声を吐き出しながら、猛烈な波状攻撃を繰り出してきた。
狼、山猫、猪、熊、虎。百獣たちが怒涛の勢いで、ユンケルとバクシンに突撃を仕掛ける。
余りの速さと執拗さに、ユンケルは魔法を放つ暇が無く、ただ特攻を避けることしかできない。
バクシンも敵の嵐のような躍動力の前に、横っ飛びしたり地面に転がったりで、自身が攻めに出るタイミングを逸してしまう。
「なんて凄い俊敏さなの。これじゃ、捉えきれないわ」
「だ、大丈夫だよ。二人とも様子を見てるだけさ。た、多分だけど」
妖術で指揮連携された獣たちの身のこなしは脅威という他なく、如何な甚大な魔力を持つユンケルであっても、その肝心の魔法を出力する隙を全くに与えてもらえない。
そんな状況がしばらく続く中、ふとバクシンは何かを得度したように、瞼を伏せ合掌する。
油断を突くべく、そこに獣の束が一気に押し寄せる。
そして、激突の間際。バクシンは宙を舞い、華麗な回し蹴りで獣の群れを弾き飛ばした。
「なんじゃと!」驚いたバルガが目を剥く。
「野生動物にも人間同様、動き方に癖があるんだよね。ようやく、それを見切ったよ。任せてくれませんかユンケルさん。こいつらの戦法なら私の武術の方が相性がいい」
バクシンは覚り顔で自信の笑みを洩らす。
「ほらケイト。やっぱり様子見だっただろ。楽勝だって」フェルナンが拍手して喜ぶ。
「フッ。それしきの対応で、見切ったつもりか。これはほんの序の口。霊極妖拳の精髄を知らぬ自己過信者めが」バルガが醜悪にせせら笑う。
「妖牙寂滅!」そして次なる狂文を唱えた。
獣たちの声色が変化し、体格も豪壮になった。
また各獣、鋭い牙と翼が生えた。
百獣たちは翼を広げ、牙を剥いて突進を開始した。翼には長い棘がそそり出ている。
「戦術を変えたところで、体術の癖は変わらないよ」バクシンは断言して迎え撃つ。
棘に注意を向けつつ、バクシンは精緻な観察眼で敵の攻撃パターンを認識していく。
獣の群は縦横斜めと自在に陣形を組み換えて、自慢の牙と棘で獲物の肉片をもぎ取ろうと襲いかかる。
手刀、蹴り、跳躍、バク転など修行で鍛えた体捌きで、敵をいなしながら、バクシンは決定打をかます頃合いを見繕っていた。
そして、獣が空中で戦型を整えるべく一休止した刹那。
バクシンは地を蹴って高く舞い上がると、体躯をコマのように回転させた。
すると、体から激しい渦風が発生し、それが獣の塊を紙屑のように吹き飛ばしてしまった。
「やったー!バクシンさんの勝ち!」
「あの人一見頼りなさそうかなと思ったけど、さすが勇名武道の使い手ね」
ユンケルも楽しげに、木々の狭間に投げ放たれて呻く敵を眺め遣る。
「これが飛鷹拳か。実に甘美なものだな」
一方バルガは業を煮やして捲し立てる。
「猪口才な拳法を使いおって。いいだろう、真の芸術を目に焼き付けるがよい」そう言ってバルカが魔力を込めると、引き寄せられるようにして、散らばった獣たちが士気を取り戻し再集結する。
「玉砕鳳凰!」バルガは天に向かって咆哮した。
心魂の経文を命じられた獣たちは、夫々体毛を変色させ匪賊な怪物に変貌した。
そして今度は隊形を作ることなく、各自が単独で豪快な荒業を披露してきた。
遥かに進化した彼らは、口や手足から火炎や氷を放ち、地獄の不死鳥よろしく壮麗に空を飛翔する。
これまでの連帯感はなくなり、獣各々が強暴な特性を最大に発露している。
それは戦術を度外視した、徹底的かつ圧倒的な個による無差別攻撃だった。
周囲の林木は瞬く間に燃え、そして氷樹化し、莫大な妖気の念波が一帯を支配した。
「まさかここまでの妖術家とは知らなかった。早めに決着をつけるべきだったか」バクシンが臆して歯噛みする。
負けたら国王にどう弁解したらいいか。汎空国の武人として国に泥を塗ってしまう。
やはり自分は国に閉じ籠もるべきだったのかも知れない。世界は広い。己の実力を見誤ったのだ。
こんな妖術師の騙し術に屈してしまうほど、飛鷹拳は無力なのか。そんなはずはない。それでは国王にも先祖にも申し訳が立たない。何か秘策があるはず。
反芻したバクシンは、その手段が一つだけしかないことを悟る。
ぶっつけ本番だがやるしかない。
あれは自身を魔物化する離れ技。成功するとは限らないが、屈辱を被るよりはマシだ。
バクシンは深呼吸をすると、直立不動になり合掌した。
「天地にあまねく御魂よ。力を授け給え」そう詠唱して、身体を宙に浮き上がらせる。
すると、バクシンの体表に怫然と光の波が発生した。
直後、風貌が阿修羅の如く厳しくなり、両眼がぎょろりと剥き出しになる。
さらに、口鼻から荒々しい蒸気がもくもくと噴き上がっていくのだった。
「わっ!バクシンさんの顔。鬼神か何かみたいだ」
「取っておきの術なのよ。いけそうね」
バルガは嘲笑うようにその変貌を蔑視する。
「悪足掻きも甚だしい。まやかしの幻術で何をしようと言うのだ」
百獣たちは一層殺気立って、バクシンに猛突撃を仕掛ける。
阿修羅に変幻したバクシンは、それに劣らぬパワーとスピードで敵をあしらう。
獣たちの炎、氷がバクシンの烟る蒸気とぶつかり合い、付近の木々は無惨にも粉砕されていく。
「久々に見る妖艶な戦いだ。実に愉しい」ユンケルが髭を弄びながら激戦を堪能する。
「このままでは、時間がかかり過ぎる。負荷は大きいがやるしかない」
言うや、バクシンは身体の光波を最高潮に増やし、鼻口から洪水のように蒸気を吐き出した。
すると体長が肥大化し、その強面の風采は金剛仁王像のそれに成り代わった。
獣たちはさらに敵意を増してバクシンに飛びかかる。
しかし、バクシンは強力な拳と蹴脚で相手を叩きのめしてしまう。
敵が放つ火気や凍土も、波動のバリアで難なく弾き返す。
そしてトドメだとばかりに、鼻口から噴き出す蒸気の気塊を上空に滞留させ、それを両掌からの真空波で一気に敵へとお見舞いした。
百獣たちは神なる光の焼夷弾を食らって一網打尽、まとめて地上に倒れ伏した。
「よくもわしの霊極妖拳を破るとは。ええい、まだ勝負はつかぬぞ。侍、主の出番だ」
言われた侍は、そっと太刀を抜いた。
「主こそ傑作品。斬れ、そやつを斬るのだ!」
しかし侍は、バルガに向き直った。
「残念だったな。私は償い切れぬ罪を犯す所だった」
「何じゃと?まさか、術が?」
「バルガ。今の戦闘でお前は妖力を使い切ったようだな」侍が刀を振り上げる。
「貴様!」バルガは慌てて自身も刀を取り出す。
「あなた!あなたなのですね!」女が叫ぶ。
「心配をかけたな。始末は自分でつける」そう宣言して侍は地を駆った。
バルガが鬼面でそれを迎え撃つ。
二人が重なり、鈍い音が鳴った。
斬り合った二人は息を止めてじっと佇む。
「無念じゃ」バルガが襤褸切れのように土面に倒れた。
その時。その背中から、白い気体が抜け出し樹林の中に消えていったのをユンケルとバクシンは見届けていた。
「これからは心を入れ替えて、妖術を癒しの医術として使えばいい。この山の皆は助かりますよ」フェルナンが甘酒を飲みながら賞賛する。
「妖術で世界征服など、まさに愚の骨頂であった。世界どころか、この山さえ我が物にすることができなかった。侍殿に額を打たれて、憑き物が取れたような心境じゃ」バルガがまるで別人のような顔つきで言う。
「実際、何か悪い魂が乗り移ってたんじゃないのかしら。今はあたかも優しい仙人みたいよ」ケイトは甘酒を控えて野草ジュースで喉を潤す。
「この強欲爺さんが、また欲に目を奪われないとも限らん」ユンケルが猜疑たっぷりに警告する。
「人間不信の魔法使いが。わしの野心は枯れたと言っておろう」
「悪狸の言う事など信用できんな」
「何じゃと!」
「まあ待ちなさい。ユンケル殿、もう少し慈悲を注いでやってもいいのではないかな。バルガ殿は深く反省している。もう妖術実験など考えはしまい」ラッセルが唇の甘粕を布巾で拭きながら宥める。
「そうですよ。きっとこの山に眠る怨念がバルガ殿を虜にしていたんだ。もう憑依はなくなり、温厚な老爺に戻ったから安心だ」バクシンは国の名誉を守ってすっかり安堵していた。
「怨念とな。わしの霊体から出ていた負の波長が魔を呼び込んだわけか」バルガは静かに自分の過去を内観するのだった。
山奥からは獣たちの安らかな遠吠えが響いていた。




