あの世からの挑戦状
「使い物にならん馬鹿め。まあいい。捨て駒に用はない。そこの魔法使い、調子に乗るでないぞ。我が妖魔法の恐ろしさを見せてやろう」魔術師が舞空の術で浮き上がり、対戦相手に定めたユンケルへとにじり寄った。
「ほー、見せろみせろ。予め断るが、この私を誰だと思う?誰あろう、大魔法使いユンケル様なるぞ。どうだ、聞き及びないか?」
「夜郎自大とは、自惚れた老いぼれめが」魔術師は両掌で杖を握ると、何やら妖しい呪文を呟き始めた。
すると上半身から妖気が沸き出し、醜怪な音波が暗澹とした旋律を奏でながら響いて来た。
「私は自分では戦わぬ。謂わば、オーケストラの主役たる指揮者。お前の相手はお前が最も愛する、そして最も苦手とする者だ。とことん苦しみ抜いて、地獄に堕ちるがいい」
獰悪なリズムに呼応した妖気が硝煙を噴出させた。そしてその中から一人の人物が現れた。
それは、まだうら若い女だった。魔道士のローブを恬淡と着ている。それでいて、どこか魂のない幽界の亡霊然とした表情だ。
「な、なんだと!」ユンケルが期せず驚愕に顔を歪める。
「倒せまい。お前の宝物だからな」魔術師が不敵に嘲りの笑いを漏らす。
「ナスカ、ナスカなのか?」
「ユンケル。こんな形で邂逅しようとは夢にも思わなかったわ」ナスカという女が涼しい微笑を浮かべて言った。
「私の妖魔法で、愛してやまないであろう、お前の幼馴染を霊界から呼んだのだ」
「霊界から。ナスカ、本当にお前なのか?」
「あんたも疑い深いねえ。心配ないさ、本物だよ」
ユンケルは半信半疑の態で口をポカンと開く。まさか。あのナスカが。脳内が惑乱状態になったまま、あたかも塩柱になったかの如く茫然とする。そして、懐かしい過去が胸底に去来した。
あれは秋もたけなわの小春日和。優しい日差しが草花を包み込む穏やかな休日だった。
魔法の鍛錬修養に疲れた二人は、地面に寝そべって他愛も無い話に興じていた。
「ねえあんた、大人になったら結婚する?」
「魔法使いは終生独身。孤高を貫くのが定めだからな。できるかな?」
「魔法使いだって家族を持つことぐらいできるわ。私は人として幸せになりたいの」
「人としてねえ」ユンケルは澄んだ青空を眺めながら腕枕をして呟く。
「魔法で人は幸せにはならない」
「それが尊師の口癖だからな。魔法は人生の道しるべに過ぎない。人間の苦悩を本質的に解決するものではない」
「魔法なんて無ければいいのに。なぜ神様は人間界に魔法を与えたのかしら」
「さあね。酷薄な現世に生きる人間があまりに気の毒だったからじゃないか」
緑麗しい草原には小鳥の合唱が流れ、二人を愛でるように抱擁する。
「ナスカ。俺はお前しかいないと思ってる。いつか一緒になろう」ユンケルは決意を込めて顔を近づける。
「ユンケル。あんた」戸惑いを見せたナスカだったが、すぐに目を閉じて見せた。
その後、長い年月を経て魔法のイロハをマスターした二人は修行の旅に出た。
幾多の魔物との戦いに明け暮れるなか、ナスカは命を落とした。
それはユンケルを絶望の淵に追いやった。何より、怒りと悲しみを擦り付ける対象が欲しかった。魔法だ。全ての元凶は自分たちを育て、戦いへと導いた魔法と出会いさえしなければ。
ユンケルは来る日も来る日も魔法を呪った。
その怨念を綺麗さっぱり放念するには、長い長い月日の経過が必要だった。
「ナスカよ。あらためて、プロポーズしたいんだが」
「寝言を言ってんじゃないよ。私たちはこれから生死を賭けて戦うのさ。それが魔法を極めた者の宿命」情の抜けた顔に幾らか感情が差した。
しかしユンケルは今も彼女に深遠な恋慕の情を抱いている。
愛する者と戦い、ましてや傷つけることなど無理だ。
「そんな事言わずに、二人で愛を育もう。あの時みたいに」
「黙りな!気持ち悪い!ぼやぼやしてる間に殺しちまうよ!」ナスカは鬼気とした面相で両手から烈しい風を発生させた。
「駄目だ。ユンケルさん、戦意喪失状態だ」
「ちょっと色魔オヤジ!いつまで助平面してるの!その人はこの世の人間じゃないのよ!霊界からの刺客なんだからね!」
しかし大魔法使いは未だ事実を受け入れられず、幼馴染に恋い焦がれるエロ親爺として立ち竦んでいる。
「私の任務はあんたを抹殺すること!やる気がないなら死にな!」大地が地鳴りするほどの爆風が炸裂音を響かせて吹きかかった。
ユンケルは咄嗟に魔法バリアを張り、辛うじて跳ね返した。
「ユンケル殿!これはそなたに科された試練だ。魔法使いは常に冷静沈着でなければならぬはず。惑わされてはならん。過去を突き破って未来に向かうしかないのだ。死してなお、そなたを愛するナスカさんのためにも」止めどなく降る吹雪を浴びながら、ラッセルが声を震わせて説諭する。
「ナスカのため?」ユンケルはハッと覚醒したように目を見開く。
「冷静沈着。なるほど、確かに魔法使いの信条であり、賢者の心構え」
「ユンケルさん、恋は一旦リセット!」
「そうよ。あなたはエロいだけのナンパ師とは違うんでしょ!」
「おお、若輩学者に説教を受けるとは何たる始末。やっと目が覚めたぞ」ユンケルは重心を正すと、相手をさらに上回る目まぐるしいまでの大扇風を起こした。
「ユンケル・・・」真意を察したのか、ナスカは真摯な面立ちになって、ユンケルの巻き起こす威風にズルズルと後ずさる。
「ナスカよ、あらん限りの魔力で来てみろ」
ユンケルの正面切った発破を受け、ナスカの顔に人間らしさが浮かび出る。
「やっとあんたらしくなったね。覚悟しな、行くよ!」
爆風と爆風がぶつかり合い、地面に降り積もった雪が片っ端から空に噴き上がる。
大噴火した雪の飛散物が辺りの視界を遮り、一同は何も見えなくなった。
やがて風が静まると、最強魔法使い二人の堂々とした彫像のような姿が現れた。
「あんた、なぜ殺さないんだい?」
「馬鹿を言うな。殺せるわけがない。一度愛した女だ。早く霊界へ帰って、私が行くまで待っててくれ。再会するのは、そう遠くない未来だろう。その時は大宴会を開いて、必ずや結婚しよう」
「あんた・・・」ナスカの頬に涙が滴る。
「泣くでない。ほんのしばらくの暇だ。それにしても、色男にとって女の涙を見るのは辛いものだ」ユンケルが朗らかに笑って見せる。
またの再会へ、血判の契を結んだ二人は幸せな面貌で眼差しを交わす。
「よし、最後の仕上げだ。冥土の旅には土産が必要だからね」ナスカは魔術師を睨みつけた。
「な、なんたる無様な。貴様、それでも霊界の魔導師か!」魔術師が悔し紛れに痛罵する。
ナスカが気合いの呪文を放つと、雪面が生きているように盛り上がり、そのまま喰らいつくように魔術師の全身に貼り付いた。
「何をする!術師である私を裏切るのか!」
さらに呪文を読み上げると、空中に光の玉が現れた。
「弁解はあの世でしな!じゃあユンケル、楽しみに待ってるよ!」ナスカは雪ダルマと化した魔術師を肩に乗せると、光の玉に飛び込んだ。
「ナスカ!ナスカ!」ユンケルの叫びも虚しく、光は時空の彼方へと溶けていった。