神なる戦いの果てに
やがて一行を乗せた船は問題の海域に差しかかった。
波がなぜか穏やかになり、海面を通過する風も静かになった。
まさに動の前の静。上空の海鳥も船団を忌避するかのように飛び去っていく。
すると、波間に青黒い塊が見えた。それはどんどん増え、威嚇的な勢いで接近して来た。
「あれが天敵だ。俺たちの領海を暴れ回って漁の妨害をしやがる」バルザードが常人離れした視力で、その塊を目視する。
船の数十メートル手前で、塊が一気に浮上した。
正体を現したのは強固な姿態を誇る海洋恐竜と形容できるモンスターたちだった。
その外見は有名な海獣リヴァイアサンを想起させる風格がある。
「て、手強そうだけど、ユンケルさん。大丈夫そう?」フェルナンが打ち震えながら頼みの大魔法使いに尋ねた。
「まあな。魔法強度はありそうだが、お決まりの弱点がサンダー系であるのは変わらんだろうな」そう言ってユンケルは船首に立ち、愛用の巧緻な杖を構える。
するとモンスターが口を開いた。
「人間め。さんざん海の生き物を殺し、我らの住住処に廃棄汚染物を流し入れ、長きに及んで自然を破壊せしめた重罪人。天の裁きと思うがいい」
モンスターは一斉に津波の如き水流を吐いて、船団の乗員たちに襲いかかる。豪水が船全体を水浸しにし、しがみつく人間たちを振い落さんと船底ごと揺さぶる。
「いやー!びしょ濡れよ!」ケイトが発狂せんばかりに騒ぎ惑う。
「うわ!船は壊れないでしょうね!」フェルナンが心底不安げに問いただす。
「心配いらねえ。こんな水くらいで沈むヤワな船じゃないぜ」バルザードが自信たっぷりに舵を操舵する。
お返しに今度はユンケルが反撃のイカズチをモンスターめがけて放った。
魔法が直撃し、ダメージを被った魔物たちは流れるようにして後方へと引いていった。
しばし間が空き、両者見合う状況になった。
「聞いてくれ。お主の長と話したい。戦いは無益だ。人間のこれまでの所業は甚だ恥ずべきものだった。謝らせてくれ。だがこれからは共に手を結び、世界を再建しようではないか」ラッセルが船首へ行き、ユンケルの右に出て放言した。
モンスターの一体が用心深く戻って来る。
「無益だと?罪悪人を処刑するのが無益だと言うのか」
すると不意にモンスターの尾鰭が伸び、ラッセルの腰に巻き付いた。そしてそのまま高々と持ち上げてしまった。
「いかん、ラッセル殿!」ユンケルが杖を振り上げた。
「待て。構わん。このままでいい。私は話し合いがしたいのだ」されるがまま、毅然と胆力を奮って敵と目線を合わす。魔物が締め上げる尾鰭に力を加える。
ラッセルは苦痛を堪えて口をひき結ぶ
「教授!誰か助けてあげて!」
「ケイト。仕方ないよ。教授は人間を、世界を救うために話したいんだ」フェルナンが何時にないほど諦念している。
「人間。命が欲しいか」魔物が試すように言う。
「私の命でよければ、くれてやろう。そのかわり人間との和平交渉に望んでもらえるかな」
魔物はじっとラッセルの心を洞察するかのように、黒い目を炯々と光らせる。
尾に縛り取られたラッセルは、宙釣りになったまま飛び交う波のしぶきを浴びる。
しかし全くその眼力を弱めず魔物を見据える。
「たいしたもんだ。あそこまで意思を貫けるとはな。軟派な旅の年寄りかと思ってたが撤回だ。尊敬するぜ」バルザードが畏怖の笑みを見せる。
「貴様、本気でルシード様に会うつもりか」魔物が眼球をギョロリと回して言った。
「そうだ。何がなんでも会わせてもらわねばならん」
沈黙の後、尾鰭が撓り、グルグル巻きにされたラッセルが再度持ち上げられた。さらに強く締め付けられるのかと、一同は息を呑んだが、尾は大人しく船上に伸びバサリと解けた。
「教授!」
放り置かれたラッセルに、フェルナンとケイトが駆け寄り抱きついた。
「ルシード様は水中におられる。付いて来られるか」モンスターが反転好意的に言った。
「水中?泳いで行くの?」フェルナンが興奮ぎみに反問する。
「酸素ボンベなんてないわよ」ケイトが渋面を作る。
「そんなもんいらねえよ。とびきりの秘密兵器があらあ」バルザードが胸を張る。
「なんだそれは?」ユンケルが目を細める。
「来な」
一同が後を追い、地下階段を下りる。
「ワオ、凄い!」フェルナンが手を叩く。
「これ、もしかして」ケイトが爛漫な目つきで呟く。
「バルマー製。鋼鉄性潜水艦。これなら水中の旅も楽々だな」
「さすがは魔法使い。目利きだね。これこそ俺のフィアンセ、潜水艇フリーエール号だ」バルザードが高揚感たっぷりに自負する。
「潜水艦ってこんなにコンパクトなんだ。バナナみたい」フェルナンがふざけた口調で見分する。
「ほんとね。私は思わず座薬を連想したわ」
「おやおや、ケイトちゃん。お通じのトラブルがあるのかい。ますます可愛いねえ」
「違うわよ!触らないで!」
形は確かに言う通りで、別の表現をすれば細長い刀剣のようでもある。
「いいのか。修理代は長期ローンになるが」ラッセルが皮肉るように笑う。
「世紀の決戦に臨むんだろう。金なんかどこ吹く風さ。俺が海の狭間まで連れてってやる」
「いいや。お主には船長という役目がある。これ以上巻き添えにはできぬ。操縦なら私にもできる」
「海の詮索はトウシロには危険だぜ。大丈夫か?」
「任せてくれ。旅の責任者は私だ。必ず全員連れ帰してみせる」
「そうかい。モンスターに見せたあの決然たる勇気。海の男としてあんたを信じてやる」
海上に潜水艇とモンスター群が相並んで浮かぶ。波は適度に揺れ、先程の抗戦の余韻はすっかり収まっている。
「気をつけろ。戦いに裏切りは付き物だ。そいつらを信用するのはまだ早い」船上からバルザードが叫ぶ。
「ご忠告感謝する。だが案ずるな。天下に聞こえた英雄の私が御相伴だ。問題ない」ユンケルがハッチの天窓越しに高笑いする。
「じゃあ行って来ます!」フェルナンが天窓を閉め、フリーエール号は水中に潜った。
モンスターは魚体をくねらせてグングンと海中へ降下して行く。潜水艇も遅れまいと、それに追随する。
船内の小窓には様々な色彩の魚が元気に泳いでいるのが見える。
「一度スキューバダイビングやってみたかったの。夢が叶ったわ」ケイトが両掌をガラスにつけて海景に釘付けになる。
「それはいいけど、これから超オメガを口説き落としに馳せ参ずるんだよ。命の保証だってあるかどうか」フェルナンは緊張した青い顔でぼやく。
「案ずるなと言っただろう。この私が居合わせているのだ。必ず守ってやる」ユンケルが腕を組んで座席に鎮座する。
「魔法なんて効きませんよ。超オメガが本気になったら、僕たちなんか瞬く間に全滅です」
「兵法における最善策は逃げること。いざとなったら、私の魔法で安全撤退するまでよ。ケイトちゃんだけは塵一つ付けないように守ってあげるからね」髭をつねって下心たっぷりに笑う。
「魔法は最後の命綱ね。エロ爺に頼るのは癪だけど」ケイトが安堵と嫌悪感を両存させた顔色で睨めつける。
ラッセルの操縦するフリーエール号は、なおも深く潜水していくモンスター群の背を見失わないように随行した。
そしてかなり経った時。海底が視界に入り、そこに角張った岩塊でできた洞窟が口を開けていた。
ラッセルは入口を通過するモンスターたちに従って、潜水艇を洞穴に滑り込ませた。
内部に侵入すると、すぐにモンスターたちは上昇し、倣って船体も海面上に出た。
フェルナンが天井ハッチを開けると、そこは石室がどこまでも続く空洞になっていた。
「ここだ。ここにルシード様がおられる」魔物たちが水から首を出して言う。
一行は石材で作られた回廊に降り立った。
「言っておくが、我らと人間との争いは不可避だ。ルシード様がお前たち人間の意見をどこまで承服なさるか、我らにも分からん。せいぜい誠意を尽くすしかないだろうな」そう言ってモンスターたちは海中に顔を沈め、渦の波紋を残して去った。
「無理は承知の上だ。帰る路はない。行くぞ」ラッセルは意を決して豪語した。一同は暗い通路を奥へと歩み始めた。
ラッセルとフェルナンの携帯ライトを頼りに、暗がりを淡々と進むと、前方に灯影が差しているのが分かった。
その光に惹きつけられるように近づくと、大きな空間に荘厳なオーラを発する宿主が待ち構えていた。
「神獣ルシードはお主かな」ラッセルが腹の中から気力を押し出して訊いた。
「人間が海族に会いに来るとはな。殊勝な度胸だ」ルシードは積年の孤独を癒やされたかのように、微かな喜びを言葉に滲ませた。鉄のような灰色の鱗が身体を覆い、不屈の闘志を感じさせる決意に満ちた容貌は、まさに伝説の海獣超オメガ
であることを物語っている。
「人間との諍いを止めてもらいたい。世界に騒乱と荒廃をもたらしてはならない」
「復讐から得られるものは何もないぞ。人間を憎むなかれ」ユンケルが教説して言う。
「これは復讐ではない。世界を、自然を危機から守るためだ。人間は資源を乱暴に浪費し、自然を枯らし、動物を絶滅に追いやろうとしている。もはや看過することはできない。我々が人間に成り代わって世界を救うしかないのだ」ルシードは窟内に厳しい声を響かせて通告する。
「それは分かる。しかし人間に立ち直る、反省するチャンスをくれぬか。我々はお主たちと手を取り合って世界の破滅を防がねばならん」
「人間に反省などできるのか。今までそのチャンスは数多あったはず。なぜこの期に及んで反省すると言うのだ」
「できる。今ならまだできる。お主の智慧と徳心を人間に貸して欲しい。我々は虎猿山で世界の終末をありありと見た。現状のままでは人間の歴史は終わってしまう。予言を、未来を変えなくてはならん。もう一度だけ人間を信じてくれ」ラッセルは帽子を脱いで、直立不動、瞼を閉じて懇願した。
「我々とて人間と争うのは本意ではない。できれば共にこのラングルを平和ならしめたいのが本音だ。人間を征圧し、世界を統治するとて、こちらにも甚大な犠牲が出るだろう。殺し合いは最悪の手段なのだ。だが人間が変わらぬのなら、我々は手段を選ばん。人間を排して魔獣が世を支配することとなろう」
「人間は必ず自己変革を果たす。ゆえに許しを乞いたい。なんならこの私が人身御供となって誓いを立てよう」
一同は固唾を呑み、神獣ルシードの心変わりに一抹の期待を寄せる。
超オメガはしばし黙考した状態で、鈍重な息を漏らしながら一同を眺め見る。
人間の代表者たちの心を見通した後、ルシードはさらに重い呼吸をして言った。
「いいだろう。お前たちに世界の行く末を賭けよう」
一同の顔が一斉に華やいだ。
「ありがとう!さすが伝説の超オメガさん!度量がちがうね!」
「信じてくれたのね。私たち、さんざん悪作をしてきたのに。ありがとう」フェルナンとケイトが歓喜に飛び上がる。
「情義の解らないヤクザモンスターとは一線を画すまさに海の重鎮だな。これでまたお姉ちゃんと心ゆくまで遊べる」ユンケルが大層愉快に笑う。
「だが私の一存で決められる事ではない」
「え?どういう事ですか?」フェルナンが一転、強張った表情で問う。
「私はこの世界の魔獣を統べる三者の一体に過ぎん。他に二体の親が存在する。私は海の覇者。もう一体は空の覇者。さらに残る一体は地底の覇者」
「何それ?超オメガが三匹もいるの?」ケイトが口を押えて驚愕する。
「そんなに魔獣の世界は広いんだ」フェルナンも愕然と額に手を当てる。
「既に我々は人間と戦争をする取り決めをした。止めるにはその二者を説得しなければならない」
ルシードはもう一つ大きく息を鳴らして目を赤々と光らせた。
「そうか。ならば他のボスをも説き伏せるしかない。場所を教えてくれ」決して引き下がるまいと、ラッセルが執着を顕示して言う。
「詳しい根城は私にも分からん。主は他人にねぐらの在り処を教えることない」
「それじゃまた、大捜網を敷いて探さなきゃいけないんだ。大変なこった」フェルナンが落胆した面容で首を垂れる。
「これだけ有名な神獣だもの。歴史資料を探れば大体の場所は特定できるはずだと思うけど」
「ケイトちゃんの言う通り。旅は長くなるな。構わん、延長料金はいらんよ。一度結んだ労働契約は終わりまで破らず奉仕するぞ」ユンケルが口髭を撫でて済まし顔になる。
とその時。洞窟がガタガタと振動し、天井から瓦礫の粒がそこかしこに落ちて来た。
「何だ!海底地震かな!」フェルナンが手で頭を防備しながら叫ぶ。
「シラーケルめ、何のつもりだ」ルシードは一行が今来た海底トンネルを、まるで風刃のような神速で入口に向かって這い出していった。
一行も後を追い、潜水艇に帰って海上に出た。
見ると、大海原に二体のモンスターが火花を散らさんばかりの様態で見合っていた。
森厳なる海獣ルシードと対峙しているのは、イカとタコを掛け合わせた容態の巨大魔獣だった。
「シラーケル。海族の副将であるお前が反乱とは。何が気に入らん?」
「何もかもだ。俺は絶対従わねえぞ。人間の情に絆されるなんて海族の恥ってもんだ。あんたはもう親じゃない。海族の生き死に責任を負う資格はないな」
波が怯えたようにザワザワと双方の四囲を白だたせる。
「超オメガ生物、一暴れするつもりだな。こんな緊張感は久方ぶりだぞ。かの龍神事変を思い出させる」ユンケルが歴戦の記憶を掘り起こしつつ、真摯な口調で見遣る。
「何なんだよ。仲間割れしてる場合じゃないのにな」
「でも首領に逆らうなんて、かなりの覚悟よ」
「中にはどうあっても人間を許せぬ者もいよう」ラッセルが冷然と腕組みをして、今にも始まろうかという抵抗勢力の粛清を見守る。
「私は海のあらゆる生物のために、人間を信じることに決めた。異存があらば、容赦はせぬ」
「ほざくがいい、負け犬が。これからは俺が海を取り仕切る。海は人間のもんじゃねえ」
シラーケルは水面に伸ばした長い脚で水球を拵えると、苛烈なまでの加勢をつけて投げつけた。
ルシードは海水で鉄板状の壁を作って跳ね返す。
水球はさらに硬度、面積、速度を増し、ものすごい威力で連射された。
しかしルシードが完璧な護りを見せ、全くにダメージを受けない。
「しゃらくせー。真っ向勝負だ!」シラーケルは鉄球のように正面から衝突していく。
肉体と肉体が烈しく交錯し、互いのエネルギー波動で波傘が噴き上がり、周囲に荒々しい水柱が出現した。
甚大な力どうしが互いを痛打し、猛然とした水飛沫が発生する。
やがて埓があかぬと知ったシラーケルは、仕方なく間合いを取った。
「ちくしょうめ。なら、必殺の奥の手でケリをつけてやるぜ」そう言うと、シラーケルが突如大量の黒い液体を吐きつけた。
それはイカ墨で、見る間にルシードの体躯が真っ黒に染まってしまった。
「ルシードさん。まさかやられちゃうんじゃ」
「そんなわけないわ。忘れちゃ駄目よ。彼は超オメガなんだから」
しかしルシードの身体が妖しく光った刹那、付着した墨は一気に剥がれ、海流に溶けてなくなった。
「シラーケルよ。海の掟により、貴様を制裁する」
そう宣告するや、ルシードが豪壮な嘶き声を上げた。
すると、海水が唸り出したかと思いきや、バッサリと海面が抉れ、逆巻く龍の如くに上空へ舞い上がった。
海水は遥か天空まで達し、その余波で雲が動乱しながら水に混じって急下降し始めた。
その膨大な風圧で、シラーケルは風船のように海水に抱き込まれ吹き上げられてしまう。
そこへルシードが神憑りな強大な稲妻を放った。
まともに食らったシラーケルは電雷に焼かれ力無く着水した。
クラゲのようにしばらく痙攣しながら浮かんでいたが、すぐに水没していった。
海原は暴れ渦巻き、空中に派生した乱気流が嵐を起こして辺りは大時化に成り変わっている。
「何という波動の強さ。これが超オメガ生物の本性とはな」ユンケルが辛辣に述懐する。
「決してこの力を人間に向けさせてはならん。争えばこの世の終焉だ」ラッセルが弾け飛ぶ水蒸気に顔を湿らせながら渋面をつくる。
ルシードは悠々と一同を振り向いた。
「見苦しいものを見せたな。これで、我々の決意が分かってくれたかな」
海原はゆっくりと平静を回復していく。
「これで話しはまとまったんですね」
「常識を超えた異常な強さね」
一同は台風一過の余韻に黙念と海潮を眺めるばかりだった。そして全員が潜水艇内に下りようとした時だった。
「む!巨大な霊気がもう一つ。西からやって来る」ユンケルが眉根を尖らせて真顔になる。
「アイツだわ!やっぱり来たわね!」
彼方の空に一点、星が輝きながら近づいて来る。それは夕焼け色の神々しい光源を放ち、一行とルシード、そしてアブメド船団めがけて猛スピードで迫る。
「まさか、アイツ?何てタイミングの悪さだ」
「来たか。かえって来てくれて好都合かも知れん。心変わりしてくれれば、人類にとって何よりだからな」ラッセルが楽観的な面持ちで言う。
その世界の運命を担う当人は、どういう魂胆でいるのか。一同は張り裂けそうな緊迫感の中、光が頭上に到着するのを垣間見た。
「間違いねえ。さっきのは超オメガクラスの霊気だった。この惑星に存在するとは意外だったな。まあ、いい退屈しのぎにはなるがよ」アルヌスが好奇心にむせ返る調子で言明した。相変わらず均整がとれ贅肉の削げた、見るも軽々しいコンパクトな体型だ。
「強がりなのは見え見えよ。いくらあなたでも、無傷じゃすまないわ」ケイトが腹いせのように言い放つ。
「女。貴様、俺が負けると思ってるのか?」
「ええ。きっと痛い目を見るわ」
「俺は絶対負けねえ。どんなにタフでしぶとい奴にもな」
ルシードが殺気に感応し、空に浮遊するアルヌスを射殺した。
「何者だ?この世界の人間ではないな」
「へっ、喧嘩相手に説明する義理はねえ。俺は強い奴にしか興味がない求道家さ。根っからの武闘家の血が騒ぐんだよな。ま、異世界で超オメガに会えるのは幸運だからな。日頃の行いがいいからだろうぜ」アルヌスは漫然とせせら笑う。
「異人と戦う気はない。早々に去れ」
「お前馬鹿か?喧嘩を売っといて、逃げる能足りんがどこにいるかボケ!てめえは俺様に倒される筋書きなんだよ」
「戯言だ。人間と海族の長たる私が戦うなど滑稽の極み」
「誰が人間だ!そんな脆弱な生き物と一緒にするんじゃねえ!こんな惑星、やろうと思やあ、一日で消滅させることもできるんだ!」
アルヌスはすっかりキレた物腰で海面に降下して来た。
「あちゃー、短気な兄ちゃんだな」
「フェルナン、ルシードさんに託しましょ。世界の平和を」
「面倒くせえ。全力で行くぞ」アルヌスは燦然と全身に闘気を現出させた。
その異景に一同は魂を抜かれた。メラメラとした波動が無限に広がったかと思うと、遥か天空にまで棚引いたのだ。
「何というエネルギー。ただの人間ではなさそうだな」さすがのルシードも舌を巻いたように唸る。
「てめえ、本物の阿呆か!何度言やあ分かるんだ!俺様は人間なんかじゃねえ!この木偶魚め!」激したアルヌスが両拳から赤いエネルギー波を撃った。
対して、ルシードも猛然と口から蒼い弾光を吐いた。
赤と蒼が激烈にぶつかり合い、光波が縦に大きく膨れ上がって海水は亀裂が入ったように割れ、大気は暴風と化した。
両者の身体には眩しいまでのオーラが生じ、続けざまにエネルギー波が放たれる。
すると空には黒雲がかかり、海は暗い陰影によって占領された。
互いの波動が暗闇の中で鮮烈に稲光し、天地を切り裂くような轟音が海上に沸き起こる。
光波は海を伝い波を逆巻かせ、発生した目まぐるしい上昇気流が黒雲を突き破り、幾つもの竜巻を顕現させた。
天地創造もかくやと思われるように、海原が振動し大気は混沌と吹き荒れる。
「やばいよ、海が変形しちゃう!」
「雲も風も消し飛んじゃうわ!」
「これぞ神界の波動。人間や惑星など物の数ではない」ユンケルが黙祷して悟りに入る。
「二人とも最高の知性を持った強者だ。理性を失くすことはあるまい」ラッセルは必死に平常心を保ちつつ戦況を仰ぐ。
止め処なく爆裂し飛び散るエネルギー波、全力で自然を弄ぶ暴威。一行と漁師集団は、蚊帳の外でひたすら天命を待つしかなかった。
この世の水、空、気が余す所なく掻き混ぜられるような凄絶極まるしのぎ合いが時空を歪曲させんばかりに続いた。
そして時間が強制通停したかの如き状態が、いくばかりかあり、やがて神同士の戦争は止んだ。
「俺は気が短い上に飽き性なんだ。仕方ねえ、命だけは勘弁してやる。いっとくが、俺様が本気になりゃあ、このままてめえを蒲焼にすることもできるんだぜ。だが面倒くせえから止めだ。今度会った時は必ず塩焼き魚にしてやるからな」アルヌスはそう痛罵すると、もと来た西の空へと飛翔していった。
しばらく経つと雲間は晴れ、風は緩やかになり海は静けさを取り戻した。
「ありがとよ。これでまた大漁だ。街も賑わうな」バルザードが空のウイスキーボトルを舐める。
「よかったわ。海が平和になって」ケイトが海鮮パスタを食べながら微笑む。
「それも一時、胡蝶の夢かもよ。次は空か地底か。あー、命なんて何個あっても無くなっちゃう」フェルナンがさらなる難旅に溜息を洩らす。
「どちらを先に選ぶかだな」ラッセルは桟橋を見つめながら言う。
海族との和解により、アブメドの町はより一層の賑わいを見せている。
「ラッセル殿。その選択、亀甲にて占ってみようではないか」そう進言すると、ユンケルが懐から固形物を出した。
「亀甲占いですか。歴史の教科書に載ってますよね」フェルナンが魚フライを口に挟んで覗き込む。
ユンケルは何やら古代語を諳んじて、固形物をテーブルに置いた。そして手から真空波を発し、それを打ち砕いた。
「それって亀の甲羅じゃない?」
「さすがケイトちゃん、博識なのねえ。そう、これはシンクスという古生代に生息した亀科の生物の甲羅の一部。迷った時はこれで未来を予知するんだよ。どれどれ」ユンケルは甲羅の割れ具合いから兆候を読んだ。
「上だ。空の暗示が出た。まずは空の覇者にまみえるのがいい」
「空ね。でも一体何処にあるの?まさか昔話の天空の城とか?」ケイトが唇をモゴモゴさせて疑問を投げた。
「あの男に聞くしかあるまい」ラッセルが茶を喉に流して答える。
「毎度、頼みの綱はあの人ですもんね。でも気球はもうないし。こんな遠くからどうやって帰るんですか?」
「アテがあるのか?なら心配いらん。どこだろうと私の魔法でひとっ飛びだからな」
「ほんとですか!ユンケルさんはやはり大大魔法使いだ!」
バルザード以下、アブメドの民に別れを言い置いて、一行は町を後にした。
「私はその場所に行ったことはないが方法は簡単だ。あんたがたが記憶に留めるところのその姿形をイメージして、私に念を伝達してくれ」
三人は言われた通りにイメージした。
「さあ、行くぞ」ユンケルが呪文を唱えると、不可思議な黄色い透明の光球が全員に被さった。
一瞬間の無が訪れ、数瞬の後に一行はハロイドの隠れ研究所の目前にワープしていた。
一幕の冒険を終えた一行は心身のリフレッシュをはかるため、しばし憩いの時間を持つことにした。