初めての仕事
その後、バズとドッシュは出かけていってしまった。町のいくつかの店に納品があるとか……。
というわけで、《ギルハル・イラ・エステロ》は今、カナとグレアスの二人だけであった。
「さて、お嬢さん。君について、いくつか聞いておかねばならないことがあるようじゃが……」
語尾が少し曖昧になる。聞いた彼自身も、あまり聞いてよいのか自信が無いらしい。
「構いません。お世話になるんです。ちゃんと話します」
「すまないのう……歳を取ると気付かなくて良いことまで気付くようになる。嫌なことじゃ」
そう吐き捨てると、グレアスはカナをカウンター席に勧めた。自分はカウンターに立ち、先程の紅茶のおかわりを淹れてくれた。
今度は、ダージリン。高尚な香りがカナの鼻腔を擽った。
とても、懐かしい気持ちにさせる香りだった。
「お嬢さんは、貴族じゃな」
「はい。父は―――」
「いや、言わんでも良い。こちらもある程度予想はついておる。あやつらは気付かんかったみたいじゃが、貴族というものは、どれだけ隠してもわかるものなんじゃよ」
実際、家族との記憶がそれほどたくさんあるわけでもない。貴族としてちゃんと生活したと言える生活もここ最近送っていなかったのに………。
それくらい身分というものは、身にも心にも染み付くものらしい。
「まぁ、こんな田舎じゃ気付くもんはおらんよ。せいぜい、直ぐ側のハインディック伯爵家の者にだけ気をつけておればよい」
「―――ハインディック伯爵?」
「この辺りの地主じゃ。ドッシュの村もあそこの領地じゃったかな? ここに住んでいれば、そのうちわかるじゃろう。なぁに、気にするほどのことではない。あそこの主は少し気難しいが、頭は良いし話のわかる人間じゃと有名じゃ」
グレアスとしての評価は、良いものだった。ならば、いい人なのだろう。
会ってまだ少ししか経っていなかったが、バズやドッシュ同様カナは早くも彼に信頼を寄せていた。
「後、お嬢さん自身のことじゃが。魔女ということは伏せておいた方が良いと思うんじゃ……。わざわざ知らせてやることは無い。面倒なことが起こるだけじゃしな。儂もそうしている」
「……でも、騙していることになりませんか?」
「別に皆に隠さずともよい。儂だって、信頼できるもの数人は知っておる。バズとドッシュが良い例じゃよ。それに、大っぴらに言ったり使ったりしなければ良いだけじゃ」
グレアスに言われ、こくりと頷いた。
カルディラは割と魔力に富んだ国なのだが、それも周囲の国と比べて、だ。実際、魔女魔術師と名乗れるほどの者たちは、上流階級の貴族の人数くらい国の人口と比べると存在しない。一般人の持つ魔力など、魔女魔術師からすれば子供の玩具よりちゃっちいものでしかないのだ。
だから、魔女魔術師はいると凄く重宝されるが同時に畏怖の念も嫉妬の念も買う。病気が流行りだしたら疑われるし、治せなければ酷い扱いも受ける。奇怪な事件は大概押し付けられてしまうのだ。
正直、カナ自身もこのことには悩んでいた。
「ところで、お嬢さん、住むところはどうするつもりかね? 申し訳ないが、老人とはいえ男一人の住まいに住まわすわけにはいかんのだよ」
「……えっと………」
「アテがないなら、儂の知り合いの家じゃいかんかのう? ガネッソとオリヴィアという夫婦が、直ぐ側でパン屋をやっておるんじゃ。彼等に掛け合おうと思うておる」
「勿論です! ありがとうございます、とても助かります!」
カナは慌てて深々と頭を下げた。
(何から何までお世話になっている………)
本当に自分が出てきたことが無計画且つ無鉄砲だったことが再確認出来た。
「話はつけおいてやろう。その間に、そこにある給仕服にでも着替えて少し店番しておいておくれ」
そう言うと、彼は自分の着ていた黒いエプロンを綺麗に畳みカウンターに掛けると、細身で少し弱った印象を受ける老体とは思えないほど素早い動きで出て行ってしまった。
今度は、店にカナ一人だけが残された。
(給仕服に着替えないと………)
おいしい紅茶を流し込み、少し申し訳ないと思いながらもカウンターの中に入って、流し台の中に紅茶のカップをソーサーごと置いた。
そして、グレアスが置いていった給仕服を見た。
給仕服は、少し型の古い形だった。最近の流行を知らないカナだが、この給仕服がもう二十年も昔に流行った型であるということはわかる。パフスリーブのない簡素で動きやすい袖に、少し色あせたリボンと長く落ち着いた黒の給仕服が可愛らしかった。
店の奥に引っ込むと、早速カナは着替えてみた。
元々着ていた服が寒かっただけに給仕服はとても温かかった。手首についた銀色のボタンを留め、エプロンを掛けるとそれなりに様になっているようにも見えた。
(似合って、いるのかな……?)
そっとその場にあった大きな鏡に身を映す。
すると、そこには長い青みを帯びた金髪に空色の瞳をした少女がいた。
少女は出来る限り笑みを浮かべようとしているが、どこかぎこちなく、足はがりがりで頼りなさげだし、胸も左程発達していなかった。年齢は、15,6歳だがどこか幼く見えてしまうのに、憂いを帯びていて、それが恐ろしくアンバランスだ。
正直、“明るい給仕の娘”からは程遠かった。
カランカラーン―――……
不意に、店の扉の開く音がした。
グレアスが帰ってきたのだろうか、とカナは顔を出した。意外と早かった、と思った。
が、しかし、それはグレアスではなかった。
深いこげ茶色の長い髪に薄い砂色の瞳している、田舎にしては上等な服装をした上品な少女だった。年は丁度カナと同じか少し上くらい。しっかりと弧を描く瞳が、少し彼女を強そうに見せた。
「あら、マスターは? それに、貴女、見ない顔ね」
「…い、いらっしゃいませ。マスターは近くのパン屋に行っています。私は、今日雇われた者です」
初仕事の店番というのは、意外に難しいものだ、と悟ったのだった。
仕事をするのが正直初めてな上に、店の勝手が全くわからない状態でお客さんの相手をしなくてはならないのだ。
しかし、口調からするに彼女は常連のようだった。勿論、他の客もそうだが、それ以上に大切にしなくてはいけない客だ。
「そう、マスターはパン屋ね。いいわ、そちらへ行かしてもらうわ。たぶん、《ネコノテノヒラ》でしょう。この町、あそこしかパン屋ないから」
そう一人言葉をつらつら言って、くるりときびすを返してしまう。
「そうそう、貴女もう少し笑った方が良いわよ。顔はそこそこ可愛いけど、その表情じゃお客さんが困るわよ」
にぃーっと頬を引っ張って、彼女はカナの想像した通りの“明るい給仕の娘”の顔を作ってみせた。それはとても愛らしく、心がほっとさせられるものだった。
一目見た後に、一方的に言われて縮みかかっていたカナの心を少し強くさせるには十分なほどの笑顔だった。
「ありがとうございました」
少しだけいつもよりも大きな声で、彼女の笑顔を頭の中で思い浮かべながら言った。
深く頭をさげていたのだが、その時彼女は去り際に少しだけ笑みを浮かべていたように見えたのは気のせいだっただろうか?
ただ、その場にはカナ一人が残された。