老紳士と就職活動
町はそれほど大きなものではなかった。レストランは二件カフェは一件、バーのことを聞いていたが、飲み屋らしい店は3件ほどしかなかった。それでも、この辺りでは割と大切な中継ポイントらしい。ささやかながら市らしきものが立っていた。
それに、一目でカナは町の雰囲気が気に入った。
町の教会は真っ白で綺麗で、パン屋からはもくもくとよい薫りが立ち上り、町角を小さな子供たちが何人も固まって走り去っていく様はとても優しげだったからだ。
名前は、「エディットハウルタウン」というらしい。
「カナちゃん、こっちだよ」
ドッシュが手招きをしている。
彼の背には店があった。あれがたぶんバーなのだが、カナの目の付けた飲み屋とは違った。それよりも、見た目印象は「品の良い大人のカフェ」といった感じだ。深緑の木々を両脇にした黒い扉とそこにかけられた金色のプレートがとても趣味の良さを感じさせた。
《ギルハル・イラ・エステロ》
流れるような綺麗な黒い飾り文字で、プレートはシックに飾り過ぎない程度に飾られていた。
「永久の忘れ物………?」
「―――正解じゃ。それが読めるとは珍しいのう、お嬢さん、魔女かい?」
不意に後ろから声がして、カナとバズは飛び上がりそうになった。
それをドッシュが嗜める。
「いきなりはいかんだろう。自己紹介ぐらいしてくれ」
「それもそうだ。全くすまなかった。しかし、こんなところで自己紹介というのも、よくはない。―――まず、いらっしゃいませ、じゃ」
くっくっく、と笑い現れた老紳士は、バー(?)の扉を押し開け、カナたちを中に入れてくれた。
○
「さぁ、自己紹介といこうかい。儂は、グレアス・アイドォン。これでも昔はそれなりに有名な魔術師じゃ。今は、しがないカフェのマスターじゃがな」
そう言って、彼は良い香りの立ち上る紅茶を出してくれた。
しかし、ドッシュはバーと言っていたが、実際はカフェらしい。中も外同様趣味よく黒と白と深緑の植物で綺麗にまとめ上げられていた。
全くバーらしくないのだが、ドッシュはどうしてこれをバーと言うのだろうか?
「道理で、アメリアス語の名前なんですね」
ちなみに、カナたちのいる国、カルディラではエセラ語が公用語で、アメリアス語は専ら魔術師しか使わないような古代語だ。カルディラでなくても、この大陸でアメリアス語を使うのはまず魔術師だけだった。
「そうじゃ。人生にはどうしても後悔というものがついて回る。それは仕方ないことなんじゃ。しかし、ここで休む時だけはそれを忘れられるように……という意味じゃ」
「良い、意味ですね………」
お世辞ではなく、本心でカナは思った。
自分にも後悔ではないが、それに似た思いはある。
(本当に出てきてよかったのかな………)
あそこにいるわけにはいかなかった。それは間違いない。けれど、同時に出てきたことが良かったか、と聞かれるとそれもわからなかった。
どっちに出ても同じように思えたから、あえて出て行くことに決めたのだ。
「―――ところで、グレアス、今日は折り入ってお前に頼みが合って来た」
「小麦は要らんぞ。うちは、足り取る」
「違うわっ!! カナちゃん、雇ってくれんか?」
ふと気付けば、二人が自分の話をしているのに気付き、カナも頭を下げた。
「お願いします、行くアテがないんです」
これは着く前にバズとドッシュに言われたことだった。
同情で雇ってもらうのは反則のような気がしたが、二人は声を揃えて『大丈夫大丈夫~』と強く言ってくれた。
そして、同時にバズはこうも言っていた。
『少し頭を下げて、そっから少し上目がちにして言うんだ。そうすっと効果テキメンだって姉貴が言ってたぜ!』
律儀にもカナはそれをきっちりと守り、少し上目がちにしてから言い、頭を深く下げた。
すると、直ぐに「構わんよ」と返答が帰ってきた。
カナはぱっと顔を上げた。
「本当ですか?」
「嘘なんてつかんよ。お嬢さんは真面目に働いてくれそうだし、丁度給仕の者が欲しかった頃じゃったからな」
嬉しくて顔を綻ばすと、丁度バズと目があった。
「やったな」と彼も同じように笑ってくれていた。
(本当に良い人たち………初対面の人にここまでしてくれるなんて)
バズの気を知らないカナは、素直にこの赤毛の親子に感謝した。
「ありがとうございます。グレアスさんも、バズとドッシュさんも」
カナは出来る限り深く頭を下げた。
こうして、カナの新しい生活が始まるのだった―――