優しい痛みと苦いコーヒー
本当にお久しぶりです。
過去最大更新サボり作品です。
その間、別にこの作品に精根尽かせていたわけではありません。いつもどおり、作者の能力不足が全面に出たものです。
さらに、今回はバズとパトリシアの話です。(パトリシアはやや後半)
こんなところでバズに構っている暇は無い!と言う方は、どうぞ今回は飛ばしてもらっても構いません。本編には、問題ありませんから(たぶん!)
では、どうぞ
「………嘘だろ」
カナリアが去ってから、少し経って、バズは小さく溢す。
紅茶はもう冷めてしまって、その甘い香りは少しもしない。
ただ、そこにあるだけ。
「何が嘘なのです」
パトリシアの凛とした声が、冷たく放たれる。
「応えたらどうです? 何が嘘なのです? カナリアの過去が思った以上に重かったことですの? カナリアが、ノイン様と関係があったことですの? その全てですか? 貴方は、何を気にしているんです。――――くだらない」
いつもどおり偉そうな口調。しかし、いつも以上にずっとその言葉は冷たい。
丁寧な言葉遣いだが、その言葉のひとつひとつはバズを卑下し罵倒している。
バズは、俯いたままだった。
パトリシアも何も言わない。
代わりに口を開いたのは、グレアスだった。
「バズ、彼女には私達に自分の過去を伝える義務などないんじゃ。ただ、義理だけで語ってくれた。その気持ちを配慮してやらんのはいかん」
バズの体が震えるのがわかった。
しかし、顔はまだ上がらない。
グレアスは続ける。
「カナリアはカナリアじゃ。じゃが、バズは彼女の何を知っていたのかのう? まだ会って間もないのに、バズはカナリアに何を期待したんじゃ?」
期待。
おそらくこの場とはあまり関係の無さそうに思える言葉が放たれる。
パトリシアは理解できずに小首を傾げたが、バズは怯えるように顔を上げた。
「間違ったことだとは思わんよ。人と人ならあってもおかしくないことだ。じゃが、バズは初めて会った時のカナリアを見たんじゃないのかね?」
バズの目が見開かれる。
初めて会った時―――
カナリアはワンピース姿だった。春先には不似合いな薄いワンピース。荷物も何もなく、ただ着の身着のままで街道を歩いていた。
初めは、その容姿に圧倒された。
カナリアの容姿は、この国で持てはやされる、大人びていて妖艶なものとは違うが、上品さと可憐さを持つその繊細な雰囲気は美しかった。
けれど、その不安げな様子、儚げな印象は守ってやりたいと思った。
彼女の境遇は家出のようなものだと一目でわかったから、守ってあげる機会は十分あると思った。だから、用もないのに小まめにこの町に来ては、カナリアの様子を伺った。
本当は、自分が思っている以上にカナリアが強いのにも目を瞑って。
本当は、カナリアが自立したがっているのを知りながらも無視して。
何度か村にも誘った。きっかけさえあれば、匿って、守って、救えると思った。
(どうして、伯爵を見たときあんな風に思った?)
カナリアを奪われると思ったからだ。
カナリアの容姿のことを聞きつけて、伯爵が引き受けて、カナリアを「救う」んじゃないのか、と気にした。カナリアの過去も知らずに。
カナリアの心を全て見なかったことにして。
自分の都合のよいカナリア像を期待して。
「お、俺………」
バズは顔を腕の中にうずめた。
二人に今の顔は見られたくなかった。たぶん、なんとも情けない顔をしているだろうから。
すると、頭の上に何かが当たった。痛いけど、まだ耐えられる痛みがした。
「ふん、分かれば良いのよ。わかれば」
殴ったのは、パトリシアだった。しかし、本来のパトリシアのげんこつがもっと強烈なのはよく知っている。手加減されたようだった。
それがまた悲しく感じられた。
「で、そこでしょんぼりしているのは良いとしても、あんた、カナリアがノイン様と仲良くなったこと祝福出来るのかしら? 出来ないなら、カナリアと会うんじゃないわよ」
パトリシアが、一度は緩めた表情をまだきつくした。
(カナリアが今一番大変なんですわよ! ふざけたことは許さなくて)
あの誘拐のせいで、カナリアのことを少しは知れた。それは、主を縛り付ける嫌な女ではなく、ただ素直になれずにその場に居続けてしまった彼女の姿。
自分の優柔さも半端さも理解していた彼女。
六年という月日で捩れていった糸を解そうとしている彼女達の邪魔はしたくなかった。
どれくらいの時間黙っていただろう。
そして、ゆっくりと枯れた声で小さく発した。
「ごめん、ありがとう」
パトリシアは悲しげに顔を緩ました。そして、もし「わからない」と言った時は殴ってやろうとバズの頭の上に準備してあった拳を開いて、優しく下ろした。撫ぜることはしない。ただ手を置くだけ。
パトリシアは、ゆっくりと静かに瞼を伏せた。
これを失恋というのだろうか?
これが初恋だったパトリシアは、この痛みを何と呼ぶのか知らない。ただ、目の前で静かに泣き始めたバズを見ていると、自分の痛みがなんと弱いものかはわかる。
バズはとても苦しいのだろう。
では、自分は?
少し胸に痛みはあるが、バズほどではない。少し涙が零れそうになるが、嗚咽を漏らすほどでもない。
ただ、そこにあるだけの痛み。
優しい痛み。
しかし、その理由はわかっていた。カナリアだ。
パトリシアの恋心は、そっとカナリアに預けたのだ。分け与えるにも似た形で。
バズのように、カナリアの心が彼に向いていることにも気付けず、突然気付かされて奪われたのではないから。
だから、パトリシアはこんなにカナリアを思えた。
勿論、自分が彼と幸せになりたいとは思う。
だが、それ以上にカナリアには彼と幸せになってもらいたかった。
(あたしは、祝福出来るわ)
だから、彼の傍に、そして貴女の傍に、居ても良いかしら?
つうーっと、頬を伝って一滴の涙が零れた。
○
そして、間を見計らって、二人の前には温かいコーヒーが出された。
紅茶とは違う独特の香り。
苦いものの駄目なパトリシアは普段ミルクと砂糖を入れるが、今日だけは何も入れない。
そのほろ苦い味は、二人を大人にしてくれる気がした。