踊り手交代
コレットはまだ捕まっている。カナリアは一人で闘っている。
(ここで、あたしが捕まるわけになんていきませんわ!)
しかし、抵抗しても力で押さえつけられてしまう。けれど、幸運なことにこの「薄暗闇で相手の様子は見えない。言い換えれば、向こうからもこっちは見えない。うまくすれば、不意がつけるだろう。
(女性としてははしたないんですけど、今は仕方ありませんわ。……せーのっ)
かぷり。
「うぎゃあぁぁあああ!」
間抜けな悲鳴が響く。と同時に鋭い声が飛んできた。
「静かにしろ! 他の人買いが来るかもしれないだろう」
冷たく落ち着き払った声。しかし、芯が通っていて、どこまでも真面目な声でもある。
それは、パトリシアにはよく聞きなれた声だった。
「だって、こいつ俺を噛みやがった。助けてやったのに………」
「口を押さえていたんだろう。無理も無い」
短い会話が交わされ、パトリシアは放された。
そして、パトリシアは突如自分を捕まえた忌まわしき幼馴染を睨んだ。
「全く…女性をいきなり捕まえるとは何事ですの? 人買いかと思いましたわ」
ただのバズでしたけど、と呆れ声を放つ。
そんな酷い態度を取られて、バズも黙って入られない。歯型のついてしまった赤い手をさすりながら、自己弁護する。
「仕方ねぇだろ! 会っていきなり声出されたら、他の人買いが来るかもしれねぇんだぞ!」
「仕方ありませんねぇ。今回だけは、見逃してあげますわ」
「あんがとよ」
適当な会話だけ済ませると、パトリシアはその場の状況確認だけを行った。
いるのは、パトリシアの主、ノイン・K・アークレインド=ハインディック伯爵と幼馴染の農夫であるバズ、そして床に転がされている二人の人買いらしき男達と―――
「コレット!」
「トリシャ姉!」
元気そうなコレットがいた。袖から見える手首には縄の跡と顔は泣き腫らした跡がしっかりと見受けられたが、それでも無事にパトリシアの下へと駆けて来るコレットがいる。
「無事、よね? 手首の他に怪我は?」
「無いよ。大丈夫、無事。伯爵様とバズが助けてくれたの!」
コレットはパトリシアの胸元に顔を埋め、涙目で笑みを浮かべる。
本当に大丈夫らしい。
「しかし、どうしてここが?」
もっともらしい質問に、バズは「あいつに聞けよ」とノインの方向を指差す。
玄関付近にいるノインは、せっせと縄で人買い達を縛り上げていた。
「以前から怪しい連中とその連中の目ぼしい住処はわかっていた。後は、カナリアの魔力を追うだけだ。ただ、寝不足のせいで少々時間がかかった。お前の言う事も、馬鹿には出来ん」
むすーっとした表情は、何が理由なのだろうか。
それをぶつけるように、乱暴に縄を結ぶせいで、時々人買いたちが「痛ぇ!」「うぎゃあ」などとすごい悲鳴を上げた。
「それより、カナリアはどうした? お前と一緒ではないのか、トリシャ」
言われて、ハッとする。バズも今気付いたかのように、表情を険しくさせた。
パトリシアはコレットが、バズはパトリシアが、無事だったので、どこか安堵感に浸っていた。
まだ、カナリアは助かってはいない。
「地下1階で、ゼクルス・グレイガーという人買いと闘っていますわ。たぶん、彼が人買い達の主だと思われます」
「わかった。トリシャ、この娘についておいてやれ。バズ、お前はこいつら見張っておけ」
そう言って、縄で縛り終えた人買いたちをバズの方に乱雑に転がす。
「断る。俺も行く」
「ゼクルス・グレイガーは体術を得意とした大男だ。お前じゃ、役に立たない。それより、こいつらを見ていろ。応援でも呼ばれたら厄介だ」
随分な口調だが、紛れも無い事実。実際、兄弟喧嘩が精々のバズではまともに人買いと闘えるはずなどないのだ。
この場でカナリアを助けに行けるのは、ノイン一人だけだった。
誰もが何も言わず、ノインはカナリアの下へと向った―――
○
一方、カナリアは予想通り苦戦を強いていた。
直接的な魔法攻撃は、魔封石で消されてしまう。もっと威力の強い魔法を使えば、魔封石を破壊して攻撃を通すことが出来るかもしれないが、他にも何人もの人が捕まっているのだ。巻き込むことは出来ない。
故に、カナリアの攻撃は、床や天井の石を使った攻撃だけだった。外なら、風や草といった他にも魔力の媒体となるものがあったのだが、この地下牢では石しか使いようがなかったのだ。しかも、石はカナリアと相性が悪い上に、使いすぎると建物が崩壊する危険性もあった。
なのに、ゼクルスは体術を使った攻撃をしてくる。小柄なカナリアは、ゼクルスの脇を避けて逃げることは出来るのだが、思う以上にゼクルスは敏捷だ。
愚鈍なカナリアは思うようには立ち回れない。
「くっそ、意外に耐えるなぁ~」
「五月蝿いです! さっさと捕まってください!」
カナリアは近くにあった牢屋の格子を変形させた。長い格子が大きな球体に変わる。
カナリアはその球体をゼクルスに向って、急速に投げつけた。
「うわっ! あぶねーなー。石じゃねぇんだ。危険度高いだろうがっ!」
カナリアにしては渾身のいきおいで投げつけるが、ゼクルスには軽く避けられてしまう。
しかし、この男楽しそうだ。カナリアが攻撃することを悉く避けては、反撃に出る。反撃を防がれれば、また攻撃する。その繰り返しを、とにかく楽しんでいた。
(なんて嫌な男………)
カナリアは、ゼクルスが直接殴ってくるのを怖れて、一歩下がった。魔封石を握った手で殴られれば、カナリアはひとたまりも無いのだ。
「!――――きゃあっ」
甲高い悲鳴が地下に響く。カナリアの体が吹き飛ばされる。
(近づかれすぎた)
殴りこまれないように、石を投げつけて距離をとっていたのだが、ついに近くにものがなくなってしまって出来たほんの一瞬の隙だった。その隙をついて、ゼクルスがカナリアの懐に入り込み、急いで張った結界事カナリアを吹き飛ばしたのだ。
(! 叩きつけられる)
カナリアは反射的に目をきつく瞑ってしまった。おかげで床までの距離がわからない。
叩きつけられるまでが永遠のように思えた。―――しかし、それはいつまでも来ない。
「―――思っていた以上に、元気だな」
うっとりするくらい魅力的な声が、耳元で囁かれた。本当は数時間ぶりのはずのその声は、もう何年も聞いていなかった気がする。
間違いない。この声は――――
カナリアは、空色の瞳をゆっくりと開いた。
目に映るのは、確かに彼。漆黒の髪と紫水晶の瞳を持つカナリアの知る限り、誰よりも鋭利な容姿を持つ彼。
しかし、カナリアは彼に返す言葉を持たない。
「コレットという娘は助けた。安心して、後ろに下がっていろ」
きついと捕らえがちなぶっきらぼうな口調。感情が伴わず、淡々とした固い印象を受ける。しかし、カナリアにはその言葉の掛けようが、優しく感じられた。
そして、カナリアはその言葉どおりに邪魔にならないところにまで引き下がった。
「あんた、6年前に俺を捕まえた奴か」
吐き捨てるような言葉に、ノインは答えない。それが肯定を表していた。
カナリアが後ろから見守っている中、ノインは一つ呟く。
「悪いが、伯爵邸の連中を誘拐したんだ。6年前のように手加減はしない」
踊り手変更。
踊り疲れたカナリアに代わり、ハインディック伯爵・ノイン満を辞して入場。
自分でつけておきながら、イマイチすっきりしないサブタイトルです。
ですから、是非ともこっちのサブタイトルの方が良い!という方がいらっしゃれば、どうぞ。
※百万が一にでも、多数の書き込みがあった場合、作者の勝手な偏見を持って選ばせていただきます