魔方陣と近づく足音
「って、この状況でどうやって逃げるのよ!」
ふと気付いて大声を上げたパトリシアに、カナリアはびくりと身体を震わせた。
しかし、事実は事実だ。
二人の腕には、縄がぎっちり結ばれている。目の前には太い格子が嵌っていて、女の細腕ではどうにも出来そうに無い。
(この子、何考えているのよ!)
(うーん…この縄なんとかならないかなー?)
二人が意思の疎通を図れる日はきっと当分来ないだろう。
カナリアは悩んでいた。
パトリシアは縄よりも格子のほうを気にしていたが、カナリア的には縄のほうが問題だった。
(縄が取れれば、魔法で何とか出来ると思うけど……)
けれど、縄はぎっちり結ばれていて、外れそうにもない。
「トリシャさん」
「何? なんか案でもあるのかしら?」
「えぇ、一応。縄さえ解ければ。何か切るもの持っていませんか?」
「残念。持っていないわ」
「………そうですか」
アテは外れた。パトリシアがナイフでも持っていれば良いと思ったのだが、さすがに世の中思ったようにはいかない。
出来ることなら縄は外しておきたかったのだが、仕方ないので、そのまま後ろ手で牢屋内に適度な小石が落ちていないか探し始める。
「……何してんの」
「小石探しです。少しお待ち下さい」
あまりにカナリアの動きが不自然だったので聞いてきたのだろう。横目で見ると、パトリシアが怪訝そうな顔でカナリアを見ている。
けれど、カナリアは止めない。彼らが見つけてくれる確証はないので、カナリアたちが何とかしなくてはいけないのだ。
(コレットは、私が助けないと……)
出会ってから、まだ一ヶ月。仕事の合間にしか話す機会はなかったが、それでもカナリアにとっては、バズやグレアス、オリヴィアとガネッソくらい大切な相手だ。そして、その中では唯一カナリアが守らないと、と思わせる相手でもある。
カナリアは、とにかく牢屋の角をまさぐった。
(!)
手のひらで包むと丁度良い大きさの石に手がぶつかった。望んだ大きさの石よりは一回り大きいが、固くて尖った部分もあって、カナリアの目的にはぴったりだった。
(これでなんとかなるはず………)
カナリアはその石を掴んで、牢屋の奥に背を向けたまま、石を石床に打ちつけた。
がりっ、がりっ、ぎぃーっ
石を床に打ちつける音が牢屋に響いた。
「何やってんの!」
直ぐに奇怪な音に気付いたパトリシアがカナリアをにらみつける。
静かにしろ、ということだろう。
「魔方陣……描いてい、るんです…」
「魔方陣? あんた、魔女なの?」
二人称が「貴女」から「あんた」に変わっていた。慣れてきたからなのか、それとも慌てているからなのか、どちらかはわからないがパトリシアは動転していた。
そんなパトリシアに、カナリアはこくりと一つ頷くだけで応える。
「なら、さっさと魔法使いなさいよ!」
「それが…使えないんで、す。魔封…石のロケット……つけているんで……」
後ろ手で魔方陣を描くのは難しい。そのせいで、言葉が変に途切れ途切れになってしまった。
《魔封石》というのは、文字通り「魔法を封じる石」だ。魔法が常に発する《魔力》を抑えるために、普段魔法とは無縁な社会で生きる人間がよく使うもので、割と高価なものでもある。その効果は、色と大きさで決まる。
カナリアの魔封石は、緑の雫型のもので、それほど大きさは無い。けれど、緑は上質なものなので、カナリアの魔力のほとんどを抑えている。
「魔方陣を使って上手く誘導すれば、たぶん格子くらいなら外せると思います」
休憩がてらに手を休めて、パトリシアの問いに答える。
魔方陣の出来がわからなかったので、振り返って確かめる。半分は描けただろう。出来は上々。自己採点では、80点。
「なんでさっさと言わないの!」
「魔女、ってことですか?」
声が大きいですよ、と注意しながら尋ねる。
「そうよ」と返事が返ってきた。心無しか怒っているような気もする。結構怒りっぽい人だ。
「マスターに言われていたんです」
「……そう。なら、良いわ。彼は、知っているの?」
彼が誰の事を指すかはわかった。
名前を出さないのは、カナリアへの配慮だろうか。
カナリアは、彼の名前を知らない。
「知りません。けど、気付いていると思います」
彼は、カナリアの胸に下げられている魔封石のことを知っている。その色も、大きさも。
カナリアは、再び魔方陣を描き始めた。
がりっ、がりっ、ぎぃーっ
「ちょっと待って!」
急にパトリシアが声を上げる。それは、声を上げた割には小さい声だった。たぶん、この牢屋以外には聞こえないくらいの小さなもの。
「?」
「しーっ、誰か近づいてくる」
耳をすませば、確かにかつん、かつん、と音がする。
カナリアとパトリシアは、無意識に息を潜ませながら、その足音の主が現れるのを待った。