状況確認
カナリアは、身体を強く揺すられて目を覚ました。
「……貴女は……パトリシアさん?」
「ええそうよ、カナリアさん」
寝ぼけ眼で呼びかけてみれば、つんっとした返事が返ってきた。気のせいか、初対面の時より嫌われているような気がする。
(何かしたかな………?)
いきなり逃げ出して、さらにひたすら泣いて迷惑をかけたことだろうか?
考えれば、かなり迷惑だ。彼女の機嫌が悪くなるのもわかった。
「ここは、どこかしらね」
不意に、彼女が言う。
その言葉によって考えるのを止めたカナリアは、首を2,3度振って、自分が今いる場所を確認する。
光の当たらない窓のない部屋、石造りの壁と床、鉄の棒の嵌った入り口、じめっとした悪い空気とどよんとした重たい雰囲気―――そんな場所に、カナリアは見覚えがあった。
「牢屋、のようですね」
「そんなこと見ればわかるわよ! 貴女、見た目通り呑気な子ねっ!」
「ありがとうございます、よく言われます」
「褒めてないわよ!」
ぺこりと頭を下げて、何かに気づいたのか「あっ!」と声を上げる。
「どうしたの?」
「………手首が縛られているようです」
「―――本当に呑気ねぇ」
「ありがとうございます」
「だから、褒めてないって!」
牢屋の中での会話とは思えないほど、明るく元気な会話が交わされた。
心無しか仏頂面だったパトリシアの表情が、少しやわらかくなっているようにも思えた。
「―――けど、困ったわね。ここは牢屋だけど、どこにあるかわからない。コレットとも放された。せめて、時間だけでもわかればねぇ……気絶させられたからわからないわ」
パトリシアは、大きな独り言を言い始めた。
それがここから逃げる方法だと気付くのに、いくら呑気呑気と言われてしまったカナリアでも左程掛からなかった。
「わかりますよ、時間だけなら」
「わかるの!」
「体内時計がしっかりしていますから。ええと……今、午前2:36ですねぇ。気付けば日付まで変わっています」
「2:36!」
言われてパトリシアは驚いた。本当に日付が変わってしまっている。
(バズ、本当にカフェに行ったのかしら?)
でなければ、自分の主やマスターがここに来ていない理由がわからない。せめて彼らに伝えられれば……と思ったのも、彼らの力なら誘拐されても見つけられるし、自分達を逃がすことが出来ると思ったからだ。
(もしかして、捕まった?)
なら、状況は限りなく悪い。二人が探し始めてくれることを祈っているしかないのだ。孤軍奮闘しても、彼女と自分、そしてどこにいるかわからないコレットとでは逃げ切れないことなどわかりきっているから。
「パトリシアさん」
「トリシャで良いわよ、面倒くさいから」
「―――では、トリシャさん。襲撃犯見ました?」
「見ていないわ、それがどうかしたの?」
襲撃犯を見ていようが見ていまいが、逃げられないのには変わりない。それに見ていたところで何の役に立つのだろうか? まさか襲撃犯が知り合い、などということはないだろう。それなら、襲撃ではなく、誘拐だ。
けれど、自分もカナリアもコレットも誘拐してメリットのある人間だとは思えなかった。
(もしかして、ハインディック家に恨みのある人間?)
納得がいく。状況さえ見ていれば、カナリアがハインディック伯爵の恋人と気付くだろう。
(ん? 恋人なのかしら?)
本人達の口からは聞いていないだけにはっきりとしないが、それに近い関係であるように思えた。
ただ、「恋人」というには、少々彼らの関係が歪んでいるようにも―――
「いや、ただの経験上の憶測なんですけど………」
「何?」
「私達は、人買いに捕まったのでは、と思いまして」
パトリシアは、目を丸くした。人買いだって!
人買いといえば、言葉の通り人を売り買いする下賎な職業をしている者たちだ。奴隷制度のないこのカルディラでは勿論禁止されていることだが、彼らの商売相手が主に貴族を初めとする裕福な身分の者たちだから太刀が悪い。
昔聞いたことだが、自分の主―――ハインディック伯爵が捕まえたという人買いも、名のある貴族と付き合いがあったことから直ぐに釈放されたらしい。
襲撃の犯人が、人買いと思うとパトリシアは身体が震え上がるのを感じずにはいられなかった。
「どうして! どうしてそう言えるの?」
ほとんど反射的に、人買いではないという確証を見つけたくて尋ねる。
「だから、経験上の憶測です」
「何の経験?」
聞いてから後悔した。直ぐに考えればわかりそうなものだ。
こんな十代後半の見目の良い少女が人買いに関わる理由は、ただ一つだけ。
「―――私、過去に人買いに捕まっているんです」
身体が震えだしそうになるのを感じた。
今、カナリアの言った言葉をパトリシアは頭の中で繰り返す。そして、何度かやってようやくその意味を理解した。
「じゃあ、奴隷!」
大声を上げて、「しぃー」と静かにするように促される。
奴隷がどんなに非道なことを受けるかは、あくまで没落と言えど貴族という称号を冠しているパトリシアには理解出来なかった。
そして、そんな表情を見て取ったのか、カナリアが少し軽く笑みを浮かべて応えた。
「違いますよ。トリシャさん、人買いがどこで商売品を調達するかわかりますか?」
彼女の空色の瞳が、少し曇るのを感じた気がする。
今までの瞳が青すぎるほど青かっただけに、その変化はとても印象的だった。
そして、彼女の瞳に浮かんだものは、「嫌悪」と「軽蔑」。
人買いに売られる人間=奴隷と思っていただけに、その固定観念の中からどう答えて良いかわからず、パトリシアは首を横に振った。
「―――街ですよ。それも主に大都市。大都市には、貧困層の人間がたくさんいますからね。大抵安くて労働力になる男達は街角で倒れているホームレスを、適当な女性を見繕うなら身売り、そして外見・技能の高い人間は誘拐してくるんです。つまりは、ほとんど一般人です」
彼女の言葉は、淡々としていてあまり感情が入っていなかった。
もっと嫌悪感を表に出してくると思っただけに、パトリシアとしては意外だった。
「さぁ、確証はありませんが、早く逃げないといけませんね。ここは田舎ですけど、本当に人買いなら朝には違う場所に連れて行かれてしまいます」
「えっ! そんな!」
「誘拐した人間は、大抵弱りますからね。人買いは早く売りたがるんです。この近くなら、芸道で賑わっている街.オリガスか都に連れて行かれるでしょう」
やけに落ち着いているのは、呑気なのか違うのか。パトリシアはわからなかったが、今この場では妙な安心感を与えてくれた。
「さぁ、コレットが心配です。早く逃げましょう」
最初はカナリアからの視点なのに、途中からパトリシアの視点になっちゃっています。どうも快活なパトリシアの方が、動かしやすくて………
自分で作った主人公がこの上なく動かしにくいです