3
一夜明け、ライラはいつものように起き、学園へ行く支度をした。自分で行くとは言ったものの、朝から胃のあたりが痛い。一体どんな目で見られるのか、考えるだけで辛い。
ため息を吐きながら部屋を出ると、扉の前にはミリクがいた。
「おはよう?」
何故部屋の前にいるのか疑問に思いながら挨拶をすると、微妙な疑問形になった。
「おはよう。行くよ」
「え?」
「え?って、行くんでしょ?学園」
「え、えぇ?」
ミリクの意図がわからずさらに疑問形が続く。
「1人より2人の方が心強くない?まぁ、一緒に行けても教室までだけどさ」
なんとこの弟くんは姉と一緒に登校してくれると言うのだ。今までのライラの記憶ではそんなことは一度もしたことがない。仲は悪くないが仲良しかと言われたらそうでもない、そんな2人であったのに。
「ありがとう」
素直にホッとしそう言うとミリクも少し照れ臭そうに目を逸らした。
学園につくと周りの視線やひそひそとした囁き声は気になったものの、言われている内容は大体想像できるため、思っていたほど苦痛ではなかった。
なんだかんだ言ってもライラは伯爵令嬢だ。同じ伯爵令嬢か公爵令嬢でなければ、何か直接言ってくるようなことはない。
しかし、皆どちらかというと触らぬ神に祟りなしと、近寄らない方向を選択したらしく、ライラにはありがたいばかりだ。
そして、何より唯一側に寄ってきた令嬢と言えば。
「なんだか案外拍子抜けよね」
つまらなさそうにそう言うのは、ティナことティナーリア・ポートランド伯爵令嬢だ。以前から付き合いがあり、唯一ライラが友人と呼べる人だ。なんせライラはもともと人との交流に積極的ではない。学園に通っている意味を考えると向いてない。
「なんか当然これ見よがしに攻撃してくる輩が出てくるんじゃないかと思ってたけど、そうでもないのね。つまんないの」
彼女の基準は基本的に面白いか面白くないかのどちらかだ。
「なんか、ごめんなさい」
思わず謝るとティナは目を細める。
「当たり前だけど、ライラを責めてるんじゃないわよ」
ジロリと目を細めてそう言った友人にライラは微笑む。ティナは口は悪いが基本的にはライラの味方でいてくれている。なんだかんだ今もこうして学園内で側にいてくれるのだ。
朝はミリクと教室前で謎に「この先は私が承るわ」と言い放った。弟を見てこれ以上来る必要ないと示す。ミリクは驚いた表情はしたものの、「それは安心だね」と手を振り自分の教室へと去って行った。
「元婚約者どうしてるか知ってる?」
ティナの唐突な言葉にライラは首を傾げる。
「興味がないわ」
この言葉には彼女の方が驚いたようだ。つるりと出た言葉だったが、過去のライラだったらこんな風に言わなかったかもしれない。
しかし、ティナは特に何も指摘をしてこなかった。
「それもそうね。もう無関係だもの」
彼女の言葉に小さく頷く。
差し当たってのライラの懸念事項は昨日の制服の上着だ。一体誰なのか。早く口止めをせねば、何か変な噂がたっては困る。まぁ、伯爵令嬢が庭で昼寝していたという行為が、人前での婚約破棄に勝る噂になるとは到底思えないが。
「ヒスト・レトランド公爵令息と、ハイスネス・リンドール公爵令息ってわかります?」
ライラの唐突な話題転換にティナが首を傾げる。それもそうか。
「顔ぐらいわかるけれど」
「え、わかるの?」
「普通わかるでしょ」
返す言葉がない。たしかに公爵令息が学園に何人もいるわけじゃない。貴族として覚えているべきだ。だが、残念ながらライラの記憶には2人の顔は残っていない。興味がなかったのだろう。
「リンドール公爵令息は、1つ上の学年でしょう?レトランド公爵令息は、あなたの弟と同じ学年だったわね。いつも人に囲まれていて、通路であれをやられるとホント邪魔よね」
さすがティナ。言うことが違う。
「みんな公爵令息との繋がりがほしくてしょうがないのよ。まぁ、この学園の意義からして間違ってはないけれど」
ここは貴族の令息、令嬢のための学園だ。学生時代の壁が薄い間に少しでも力の強い者と関係性を持っておきたいと思うのは仕方ない。または家からそれを使命にされている者も多いだろう。
ライラはとことんそれとは反した行動をしてきた。そうでなければ公爵令息の顔ぐらい知ってて当然だ。
「次移動よ。行きましょ」
「ええ」
***
学園で一番避けたいのは今のところ廊下だ。不特定の学年の生徒が混在し、ライラを見ては、ヒソヒソと何やら話し始める。伯爵家以上の家の者であれば、これ見よがしに聞こえるように言ってくる者もいた。
真面目に聞いたら負けね。言われたって、死ぬわけじゃない。
そうは思いながらも少しずつ暗い気持ちがライラを囲んで行く。
「1人じゃないでしょ」
横にいて一緒に歩いていたティナが、ライラを見向きもせず、はっきりとそう言った。
「あなた何も悪くないんだから、堂々としてなさいよ」
ティナの言葉に泣きそうになったが、なんとか堪えて笑う。
「そうね」
「それより、丁度あの斜め右側で囲まれてる男子学生が、レトランド公爵令息よ」
女子生徒に囲まれているのは、金色の髪に橙がかった金色の目をした学生だった。ミリクに比べるとずいぶんと大人びて見える。柔らかな微笑みをした男子生徒に、女子生徒たちの瞳は釘付けだ。
しかしライラが注目したのはそこではない。彼が制服の上着を着ていないのだ。
もしかして、彼が……?
口止め相手にしてはなんともハードルが高い。他の女子学生たちに取り囲まれた公爵令息など、近寄るすべも、2人きりになることもできない。
思わず考えながらじっと見つめていると、ふと目が合う。レトランド公爵令息は優しげに微笑みを向けてきた。視線が外れたのがわかったのか、周囲にいた令嬢たちがパッと効果音でもしそうな勢いでこちらを向いた。
こわっ!みんな目がおかしい!
思わず体が固まってしまうが、それが良くなかった。どうせなら逃げればよかったのに。
「あら、誰かと思ったらノルガン伯爵令嬢じゃございません?」
そう声を上げたのは、同じ学年の伯爵令嬢のマリテール伯爵令嬢だった。レトランド公爵令息を囲んでいた女子学生のうちの1人だ。
あまり反りが合わないのはこのバカにしたような笑みからも明白だ。
「昨日は大変でしたのに、大丈夫なんですの?」
まるで心配しているかのような物言いだが、まったくライラの心配などしていない。ただ、ライラを見下して、無様なことと笑っているのだ。
残念ながら無言で立ち去るわけにはいかない。
「お気遣いありがとうございます」
こちらも表面上はお礼の言葉ぐらい言っておかなければならない。なんとも腹立たしい。少しだけ礼の形をとり、ライラは目的の教室への移動を再開した。
無言で歩いていたが、人気のないところにいくと、ライラは唐突に口を開いた。
「年下の公爵令息の後を追っかけてる方がどうなのよ!!絶対見込みないでしょ!」
そう声を上げると、隣でびっくりしたようにティナが目を見開いていた。
「あ」
うっかりティナと一緒にいることを忘れていた。しばらく何も言わないティナに気まずくなったが、ティナは急に笑い出す。
「ちゃんとそういう考えあったのね。いいじゃないその方が」
そのティナの言葉に、心の中で何かがすとんと落ちた気がした。
菜々の記憶が戻ってからこれまでのライラとは違うと言うことが、なんとなく心のどこかで後ろめたく、ここにいていいのか、ライラとして生きていいのか、ぼんやりと思っていた。
「いいのかな」
「当たり前でしょ」
ティナは考えていることとは違うことに同意したのかもしれない。それでも、ここにいてもいいと言われた気がして、思わず目頭が熱くなる。
「ありがとう」