エピローグ
ライラはリンドール公爵家に来ていた。婚約してからは何度となく行くようになり、さすがに慣れてきた。
今日はクレンシアに呼ばれてきたのだが、客間で待っているところだ。ノックがあり返事をすると、現れたのはクレンシアではなかった。
「ハイネ様?」
入って来たのはハイスネスだった。もう学園を卒業したハイスネスは、忙しく公爵家の仕事や王太子の側近補佐としての仕事をこなしているようで、最近あまり会えていなかった。
「ライラ嬢が来ていると知って、クレアに譲ってもらった」
「そうでしたか。少し、痩せました?」
よほど多忙なのか少し顔の輪郭が変わったように見えて、手を伸ばすとそのまま手を取られ、抱きしめられた。
久しぶりに会うので、ライラも嬉しいが抱きしめられたりするのは、半年経っても恥ずかしいものは恥ずかしい。
やはりライラだけが学生だとなかなか時間が合わないことも多かった。ただ、ライラとしては学園はしっかり卒業したかったので、結婚を延ばしてもらっている形だ。まだライラの卒業までは1年弱ある。その間にゆっくり結婚の準備も進めており、ライラはハイスネスと結婚するんだという実感が少しずつ湧き始めた。
「ライラ嬢は、不安に思わないのか?」
少し拗ねたような言い方のハイスネスは珍しいと思いながら、ライラは顔を見上げた。
「とても不安ですよ?ハイネ様は、イケメンですし、王城には綺麗な女性が沢山いるので……」
最近は前世の単語がハイスネスの前でも出るようになり、その度に意味を聞かれていた。"イケメン"の意味はもうわかるらしい。
「それは俺が信頼されていないということか?」
「え?いえ、そういうわけじゃないですけど、でも」
絶対狙ってくる令嬢わらわらいるよね?相手は地味な伯爵令嬢だし。婚約ならまだチャンスが!って思う令嬢いるよね……。
少し後ろ向きな気持ちになり、首を横に振る。
「早く、結婚したい」
「う、ごめんなさい」
改めてそう言われると申し訳ない気持ちになる。
「いや、待つと決めたのは俺だから」
婚約期間の間、リンドール公爵家でお世話になる話も出たのだが、ライラの家族が全員大反対したため、なしになった。
「は?!絶対ダメでしょ!ありえない!絶対手出すよね?!ダメに決まってるでしょ!ちょっと一回あの人のこと殴って来たい!」
とミリクが大声で吠えて、父と兄もそれに同調した。ライラはハイスネスはそんな人じゃないと言ってみたが、「は?!男はみんな考えてること一緒だよ!」とミリクがキレていた。
つまり、君もそうなのかな?とミリクに好きな女の子ができたら、大変そうだと余計な心配をした。
そんな考えに至っていたら、突然客間の扉がバタンッと大きな音を立てて開いた。
「おーにーいーさーまー!!!妹を閉じ込めるだなんてどういう了見ですの!?」
入って来たのは息を切らして怒りの表情をしたクレンシアだった。未だに抱きしめられたままのライラは、焦りと驚きでどうしていいかわからない。
「いつぞやの仕返しだ」
「やることが子供すぎですわ!」
「俺がしばらく会えてないのを知ってて呼んでくれたのかと」
「単純に私の望みでライラ様とお茶会するんです!」
「残念だったな。今日はライラ嬢の都合が悪く、中止だ」
そう言ってライラの手を取って客間から走り出した。
「え?えぇ?!」
ライラは引かれるままハイスネスについて行くしかなく走り始めた。
「クレア様、ごめんなさい!」
なんとかそれだけ言い切り部屋を出た。
しかしライラの体力ではすぐに限界が来る。邸を出たところで息が上がってきて肩で息をすると、ハイスネスがライラを抱き上げる。
「ハイネ様!」
「もう少し一緒にいたい」
「それは、……私もですけど」
だからと言って抱き上げられて良いと思うかというと別問題だ。
流石のライラも半年も経てば、ハイスネスが好きだという自覚が出てくる。
邸を出ると何故かすでに門前にはリンドール家の馬車が止まっていた。ハイスネスは、ライラを抱き上げたまま、その馬車に乗り込む。
馬車に入るとライラを下ろしてくれ、向かい合うように座った。座ったとたん、馬車は走り始める。
「最初から出かけるつもりだったんですか?」
「せっかくだから」
ハイスネスはそう言うと笑った。
馬車が止まったのはお馴染みのカフ豆のお店だった。すでにライラも何度も通っており、店の主人とも顔馴染みになった。
店の中に入ると、すぐに店主が迎えてくれる。
「ようこそ、お待ちしておりました」
にこにこと出迎えられ自然に笑みが溢れる。
「依頼されていたものが出来上がりましたよ」
そう言った店主は一度奥へ引っ込むと何かを持って、ハイスネスに手渡す。手渡されたものを、ハイスネスはライラへ見せた。
「聞いていた話から再現してみたがどうだ?」
ハイスネスが手にしていたのは、陶器で出来たコーヒードリッパーだった。
「えぇえ!?すごいです!まさしくドリッパー!」
キッチンペーパーのようなものでフィルターの代用はできたのだが、ドリッパーの代用が見つからず悩ましいと思っている話をハイスネスにしたことがあったのだ。まさかその話からこれを作ってくれていたというのか。
わぁと感動したライラが色んな角度からそれをみる。カップの上に載せて使うタイプのもので、これがあればかなり快適にコーヒーが淹れられそうだ。
「凄いです!」
テンション高く語彙力のなくなったライラに、ハイスネスも楽しそうに笑う。
「ならよかった。せっかくだから淹れてみよう」
使い方を聞いていたらしい店主が、陶器のドリッパーを使ってコーヒーを淹れてくれる。挽きたてを使ってくれるようで、ミルで削られる音がして、すでにいい香りが漂ってくる。
そして目の前に出されたコーヒーは、ライラもとい菜々にとても馴染み深い姿だった。自分でも色々試したもののあまり、イメージ通りにできていなかったため、これには感動してしまう。
「すごいです!これです、まさしくこれです!」
ライラが感動した様子でカップを受け取ると、ハイスネスはホッとしたような表情をみせた。
「よかった」
「最初に飲ませて頂いた形もよかったんですが、私にはこれがとても馴染み深いです。飲んでも、いいですか?」
「もちろん」
ライラの行動を目で追っていたハイスネスは、ゆっくりとカップに触れる彼女の唇に目がいってしまい焦る。
そんな様子には気づかず、一口飲んだライラは目を輝かせてハイスネスを見た。
「美味しいです!ハイネ様も飲んでみてください!」
ハイスネスも店主からカップを受け取る。これまでのように挽いた豆が沈澱するのを待つ必要もなく、綺麗な黒色をした液体はとても美味しそうに見えた。勧められた通りに一口口にすると、その飲みやすさに驚く。
「美味い」
「ですよね!」
嬉しそうに喜ぶライラに、ハイスネスも笑顔になる。一緒に笑ってくれるととても心が温かくなる、そんな風に思いながら、ライラは美味しいコーヒーを堪能した。
***
帰りの馬車では、ドリッパーを贈り物としてもらったライラがとてもご機嫌だった。
腕の中に大事そうにドリッパーが入った箱を抱える姿は、ハイスネスから見るとなんとなく妬ける。自分が贈った贈り物に妬いてどうするんだとは思う。
「まぁ、喜んでくれたならいいか」
目の前の亜麻色の髪の彼女が、笑っている。
黄昏色を映していた瞳は、今や嬉しそうに微笑み、その瞳の中には自分がいる。
そんな姿を見て、自分も幸せな気分になることを改めて理解したハイスネスだった。
最後までお読み頂きありがとうございました。
機会があれば番外編を投稿できたらなと思います。




