12
気まずい空気が流れる客間で最初に口を開いたのはハイスネスの方だった。
「確か、ヒストと同じ学年だったよな」
あまり交流はないがお互い顔は知っている。しかし、ミリクはその言葉には返事をしない。
「何故、姉に関わろうとするんです」
ミリクの視線がハイスネスを射る。ハイスネスは、ヒストの言葉を思い出していた。
「何か問題が?」
「リンドール様も、姉の身に起きた件は知っているはずです。僕は姉がこれ以上傷つくようなことが起きるのは許せません」
ライラを思って言っていることはよくわかる。きっと仲の良い姉弟なのだろう。
「リンドール様と一緒にいると、あらぬ噂を立てられて傷つくのは姉の方です」
ハイスネスとしてもライラが傷つくのを望んではいないし、寝ているときに泣いてしまうようなことにはなってほしくない。彼女が傷つく可能性があるなら、関わらない方がいいだろうと思う。
ただ、目の前のミリクに言われると素直に退こうという気に何故かなれなかった。
「あらぬ噂じゃなければいいのか?」
その言葉にミリクの眉がピクリと動き、目が鋭くなる。
「リンドール様と言えども、一時的な興味で姉に手を出したりしたら、許しません」
(こういう時、兄弟は味方につけるべきだったか)
なんとなく後悔してしまったがもう遅い。
「一時的じゃなければいいんだろう」
「姉とリンドール様では釣り合いません」
「それは君が決めることじゃない」
はっきり言ったハイスネスに、ミリクは黙ったが静かな怒りのオーラが出ているようだった。
一方のライラはクレンシアに連れられて彼女の私室に来ていた。淡いピンクの部屋に統一された部屋はいかにも女の子と言う雰囲気の部屋だった。
テーブルには、少しだけ減ったウラノスの瓶が置かれていた。大事に食べていると言うのは本当だったらしい。
部屋に入り扉を閉めるとすぐにクレンシアはライラに謝った。
「ごめんなさい、貴女に起きた件については知ってるけど、それを聞いて話して見たかったって言ってるわけじゃないの!お兄様が女の人と出かけたって言うし、家に連れてくるっていうから、どうしてもお話ししてみたかったの!お兄様が特定の女の人と一緒にいるところなんて見たことないから!」
慌てたように早口でしゃべるクレンシアは、なんとかしてライラの誤解を解かなければと必死に見えたが、ライラは逆にクレンシアが何を焦っているのかわからないようだった。
「リンドール様は」
「ねぇ、それやめて。誰のこと言っているかわからないわ。わたくしのことはクレアって呼んで」
「では私のこともライラとお呼びください。リンドール様は」
「それはお兄様のことを言ってるの?」
「はい」
「お兄様はハイネよ。みんなそう呼ぶからそう呼んで」
「でも」
「お兄様もその方が喜ぶわ」
クレンシアの言葉に困ったものの、クレンシアの譲る気のない視線に負ける。
「ハイネ様は、私が御礼としてお菓子のお店をご案内させて頂いただけですので、心配なさらなくても関わることは」
「あぁあ、そうじゃないの!なんで通じないのかしら!でも勝手に言ったら怒られるわよね?」
クレンシアは1人ぶつぶつと何かを言うとライラを見た。
「じゃあ、お兄様じゃなくて、わたくしと仲良くしてください!」
「クレア様とですか?」
「えぇ、お兄様のことは置いておきましょ。それならライラ様も問題ないでしょう?お菓子の話をしましょ。わたくしも一緒に出かけたいわ」
「でも、私といるとクレア様にご迷惑が……」
ライラの言葉に被せるようにクレンシアは否定した。
「わたくしに迷惑なんてかかりません」
腰に手をやりハイスネスと同じような言葉と表情でそう言ったクレンシアに、兄妹なんだなぁと微笑ましくなる。
「ライラ様、今度わたくしとも一緒に出かけて、お店を教えてください!」
真剣にそう言ったクレンシアに、ライラは思わず微笑む。
「わかりました。私でよければ」
「ライラ様がいいんです!」
少し拗ねたような言い方も可愛かった。
クレンシアの部屋で少しだけお茶を飲むと、元の客間に戻った。入った瞬間、その部屋のギスギスとした雰囲気が伝わってくる。リンドール公爵令息もミリクも笑顔はなく、無表情だ。
「お兄様、何て顔してらっしゃるんですか」
「お、遅くなってしまって申し訳ありません」
ライラの姿を見るとすぐにミリクが立ち上がり側までやってくる。
「帰ろう、姉さん」
「えぇ」
ミリクに引っ張られつつ、ライラはリンドール公爵令息を見る。少し申し訳なさそうな笑顔で手を振られたので、慌てて頭を下げた。
馬車で帰る時もミリクの機嫌は良くなかった。
「姉さん、リンドール様には気をつけて。絶対2人きりとかなっちゃダメだよ」
「そんなこと普通ならないわ」
謎の心配のされ方をして首を傾げたが、ライラの頭の中は手元の挽いたコーヒー豆に支配されていた。馬車の中まで香る良い匂いに幸せな気分になる。
トルココーヒー的なやつも良かったけど、やっぱりコーヒーフィルター欲しいよね。キッチンペーパーみたいなのはこの世界にもあったから、代用できたりするかしら?あー早く飲んでみたい。
「姉さん、聞いてる?」
「聞いてない」
「僕大事な話してるんだけど!」
「私も頭の中はカフ豆でいっぱい」
じとっとした目でミリクはライラとカフ豆の袋を見比べる。
「……、そんなに美味しいの?」
「うん、美味しいの。あ、でも、ミリクにはちょっと大人の味かも」
「一歳しか変わらないでしょ!」
一方のリンドール兄妹は。
「お兄様、わたくし、恋の手助けとはとても難しいことだと学びました」
「……、恋?」
「あんな優しげに嬉しそうに笑うのによく疑問符なんかつけて言いますね!ライラ様が笑った時に、自分がどんな顔してるか見るべきです!」
あまり意識したことのないことを言われ、何も返せなくなる。
「でも、ライラ様はとても鈍感そうです」
「失礼だぞ」
「いえ、お兄様。はっきり言わない限り、意識もしてもらえないってことです。ライラ様にとって、今のお兄様との関係性はゼロになりました。御礼が終わったのでもう関わることはないと仰ってました」
クレンシアの言葉にハイスネスはその通りだなと思う。
「このままでは終わってしまいます」
「それならそれで仕方ない」
「本当にそれで良いと思ってるんですかその表情で!よく言いますわね!」
今にも怒り出すクレンシアの言葉に、ハイスネスは乾いた笑いを返す。
「お兄様はきっと取られる痛みをご存じないのでしょう。後悔しても、わたくし知りませんよ」
ライラはにんまりとした表情で、私室のソファに座っていた。そこには淹れたてのコーヒーと焼きたてのクッキーがあった。
「完璧」
1人満足しながら一頻り眺めてから、カップを持ち上げる。ただ、カップが紅茶用のカップなのが少々残念だ。持ち上げた瞬間にコーヒーの独特な香りに頬が緩む。口に含むと紅茶とは違う苦味と酸味が口の中に広がる。
「あー幸せ」
ちなみにミリクに飲ませてみたら、「にがっ!」と声を上げて無理だと首を横にぶんぶん振っていた。
だから言ったのに。
少し甘いクッキーを食べながらコーヒーを飲むとますます前世のことを思い出す。もう未練があるとかではないが、好きだった嗜好品を追いかけてしまうのはしかたがないのかもしれない。リンドール公爵令息には感謝しかない。
ただ、なんとなく先が見えない未来から逃げている気もしていた。婚約破棄された令嬢は、どうなるのだろう?新しい婚約など早々に見込めない。いや、正確には良縁を選ばなければ、婚約や結婚をすることはできるだろう。今、ライラにはダメな婚約者であるというレッテルが貼られている。何故なら、相手はすでに新しい相手がいて、しかもそれは保護すべき対象の異世界人。
口の中に強い苦味が広がった気がする。上昇していた気分が、目の前の黒い何かに吸い込まれるようになくなった。
目を向けないようにしてきたが、これは自分だけの問題ではない。ノルガン伯爵家に関わる大きな問題だ。こういう時に母親がいれば相談できたのかもしれないが、母は随分前に亡くなっている。
バタバタとした出来事に追われて、目を背けていたことが急に鮮明に見えてくる。
私はどうすべきかしら?
甘いはずのクッキーの味すら、最後はよくわからなくなっていた。




