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次の日朝からライラの侍女は当然手を抜かなかった。相手は公爵令息だ。抜けるわけがない。うちのお嬢様が、一番だとばかりの気合の入れようである。
しかし、ライラもリンドール公爵家に行くのだと考えると昨日から胃の辺りが痛かった。
何も考えていなさすぎる自分が憎らしい……。ちょっと考えればわかるでしょ!
今頃嘆いてもしかたない。全ては自分の蒔いた種。前世と同じように考えていた罰だ。心の中で盛大に叫びながらも、馬車の中では大人しく座るしかない。前にはミリクが行儀よく座っている。
「大丈夫だよ、姉さん。僕がついてるし」
「だといいな」
もう最悪の事態しか思い浮かべることができない。大きくため息つくとミリクが笑いながら小さく呟いた。
「なんかてっきりそういう関係なのかと思ったけど、違うみたいだね」
「ん?」
「何でもない」
しばらくすると、リンドール家の邸に着いた。ライラの屋敷も結構大きいが、リンドール家はその比じゃなかった。
「ば、場違い」
その邸の大きさにすでに尻込みしてしまいそうだ。そんなライラとは裏腹にミリクはなんてことない顔をしている。
「ミリクは緊張しないの?」
「ヒースの家に初めて行った時は緊張したかな」
ヒースとは、ヒスト=レトランド公爵令息のことだ。おそらくここと同じ規模の邸だろう。
「慣れてるのね」
なんだかんだでミリクは優秀だ。学園の成績もそうだが、すでに公爵令息の友人なのだからライラとは比べ物にならない。
玄関ホールに案内されるとすぐに、可愛らしい女の子がやってきた。銀色のゆるいウェーブのかかった髪に、青色の瞳にピンクのドレスをきた10歳ぐらいの女の子だった。
さすがのライラでも気づいた。
(リンドール様の妹!)
ライラは慌てて正式な挨拶を執る。
「ライラ=ノルガンと申します」
続いてミリクも名乗る。すると女の子はにっこりと笑って優雅に挨拶をした。
「クレンシア=リンドールです」
ライラがうっかり見とれるほどだった。
「兄は少し準備中で、客間に案内いたしますわね」
有無を言わさない笑顔に、ライラは頷く他なかった。
広い客間はテーブルとソファの置かれた場所で、設えてある調度品も品の良いものばかりだ。
「今、お茶を出させますね」
クレンシアはそう言うと部屋を出て行く。
パタンと扉が閉まるとライラはそっと息をついた。
「さっそく予想外な感じだね」
そう言うミリクにコクコクと頷くしかない。まさかリンドール公爵令息が出てこず、妹のリンドール嬢が出てくるなど想定にない。
少しすると侍女がお茶を運んで来た。一緒に姿を現したのはクレンシアだ。
「兄は少し時間がかかってるみたいで、その間はわたくしがお相手させて頂きますね」
そう言われてライラの焦りは最高潮だ。まさかしばらくの間、クレンシアと話をしなければならないなど思いもよらない。正直話題もない。一体こんな若い子、もとい幼い子と何を話したらいいんだろうと頭が完全に混乱していた。
しかし意外にもクレンシアの方から話題を振ってくれる。
「この間、ウラノスのキャンディを兄に教えて下さり、ありがとうございます。わたくし初めて見たのですが、とても綺麗で美味しくて驚きました」
そういえば妹にも買って行くと言っていたことを思い出し、少し嬉しくなる。
「気に入って頂けたようでよかったです」
「食べてしまうのが勿体無くて、1日一粒だけって決めて食べてますの。ノルガン嬢は、他にも美味しいお菓子のお店をご存知です?」
お菓子の話であればライラとしてはありがたかった。リンドール公爵令息に紹介したところを中心に話をしてみると、知っているところもあれば、知らないところもあるようで、クレンシアはとても興味深そうに質問や同意をしてくれた。
「今度ぜひわたくしもご一緒したいです」
そう言ったクレンシアに、ライラはお世辞だろうと思い簡単に頷いた。横でミリクが不安そうに視線をよこしたことには気づかない。
そろそろ次の話題を出した方が良さそうかと思った時突然、客間の扉が開いた。驚いて目をやるとリンドール公爵令息の姿があったが、その表情は非常に怒っているように見えた。
「クレア!」
「あら、早かったですねお兄様」
「早かったですね、じゃない」
息を切らしたリンドール公爵令息は、ライラの方へやってくるとすぐに頭を下げた。
「妹がすまない」
ライラとしては意味がわからず疑問符が頭に飛ぶ。ミリクも首を傾げている。
「兄を閉じ込める妹がどこにいる」
「あらやだ、閉じ込めるなんて人聞きの悪い。ちょっと出られないようにしただけです」
「それを世の中では閉じ込めると言うんだ」
まさか閉じ込められている展開は考えていなかった。ライラが驚きに目を見開いていると、リンドール公爵令息に手を差し出される。
「カフ豆を預かろう。挽いておくように頼むから」
その言葉にようやく本来の目的を叶えることができそうでホッとする。家から持ってきたカフ豆を手渡す。
「すみません、最初にお渡し損ねたのですが、クッキーを持ってきましたのでよければ」
以前と同じく水色の花柄の紙袋を渡すとリンドール公爵令息はすぐに受け取ってくれた。
「ありがとう」
「まぁ、どこのクッキーですの?」
「クレアは反省しないと食べられないからな。俺が戻ってくるまでに、ノルガン嬢とノルガン子息に謝罪するように」
そう言うと、リンドール公爵令息はカフ豆とクッキー入りの紙袋を持って出て行ってしまう。クレンシアは、クッキーの入った紙袋を残念そうに見ながら項垂れる。
そして、ライラとミリクに向き直ると案外あっさりと頭を下げた。
「兄に用事があったのにごめんなさい。どうしてもお話ししてみたかったんです。どんな方か気になって」
クレンシアの言葉にライラはぎくりとした。おそらくクレンシアはライラの噂を知っているだろう。学園で婚約破棄された令嬢などそういない。そんな令嬢が兄を訪ねてくるとあっては心配だろう。
「いえ、ご心配されるのは最もだと思います。軽率にお願いをしてしまって申し訳ありません。今後はリンドール様には近づかないように致します」
そうライラが言うと、クレンシアは慌てたように立ち上がる。
「ダメよ!そうじゃないの!」
「いえ、これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいきませんから」
「迷惑じゃないの!」
「お気遣いありがとうございます」
そう返すとクレンシアの顔が青ざめる。
「ダメ!本当にダメよ!」
「はい、今後はリンドール様に近づかないようにいたします」
ライラの言葉にクレンシアはショックを受けたような顔をする。フォローしてほしそうにミリクに視線を送ったが、ミリクは知らぬ顔で出されたお茶を飲んでいる。
そんなタイミングでリンドール公爵令息が戻ってくる。すぐに手に持っていたものをライラに渡してくれる。そこからはコーヒーのいい匂いがし、ライラの表情が緩む。
「遅くなってすまない」
「いえ、ありがとうございます」
嬉しくなりライラは受け取りながら微笑んだ。その微笑みに、リンドール公爵令息が笑い返すとミリクがひょいとライラの前に顔を出す。
「姉さん、ご迷惑のようですし、早くお暇しましょう」
ミリクの言葉にライラが頷く。
「リンドール様、ありがとうございました」
「ダメよ、ノルガン嬢!帰らないで!」
何故か泣きそうな顔でライラを引き止めるクレンシアに、ライラは理解できず首を傾げる。いつのまにかクレンシアがライラの隣に来て、左腕を掴む。歳の割に大人っぽい雰囲気だったクレンシアがうるうると青い瞳を潤ませ、ライラを見上げてくる。
か、可愛い!
「ノルガン嬢、お兄様との用事は終わったかもしれませんが、もう少しわたくしとお話ししていきましょう?!」
ぎゅっとライラの腕を掴み離れない。
「クレア、離しなさい」
「いや!」
「クレア」
リンドール公爵令息の声が少し低くなる。ライラは慌ててクレンシアを庇うように口を開く。
「私は構いませんから」
そう言うとクレンシアがパッと笑顔になる。
「わたくしの部屋にいきましょう!お兄様は、ノルガン子息をおもてなししてくださいね」
そう言うとライラを引っ張り、部屋を出ていってしまう。