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10(ハイスネス視点含む)

 家に帰ってきたライラはウキウキとした気分からどん底に突き落とされていた。

「……、ミルがない」

 口に出してさらに絶望した。


 前世の自宅じゃないんだから、豆を買っても豆を挽く道具がなければ意味がない。前世の記憶を取り戻してから一度もこの家でコーヒーを飲んだことはない。つまり、聞くまでもなくミルはない。


 あぁああせっかくコーヒーが自由に飲めると思ったのに!


 豆を持ったまま立ち尽くしていて侍女に心配されたが、ライラは諦めていなかった。


「恥を偲んで頼むしかないよね?!」

「何のお話ですか、お嬢様」

 突然口を開いたライラに侍女は首を傾げた。



 学園に来てライラはリンドール公爵令息を探した。

「あ、あのリンドール様」

 周りを少し伺い、誰もいないことを確認してから声をかけた。迷惑をかけるわけにはいかない。しかしどうしても聞くしかなかったのだ。


 コーヒーのために!


「あの、リンドール様、カフ豆を挽く道具をどこで買えるかご存知ですか?」

 ライラの言葉にリンドール公爵子息は少しハッとしたような表情をした。

「ああ、もしかして家になかったか。すまない、そこまで気が回らず」

「いえ、私も何故か家にあるものと思い込んでしまって」

 菜々ではないのだから邸にあるはずがないのに、テンションがあがりそこまで頭が回らなかったのだ。

「道具自体は手配することが可能だが、特注品になるから手に入るまで時間がかかる」

「そうなんですね」

 明らかにがっかりしてしまった。それを可哀想に思ったのか、リンドール公爵令息は少し考えると1つ提案してくれた。


「うちのでよければ挽いてあげられるが、どうする?貸し出すのは難しいから、来てもらうか」

「伺います!伺わせてください!」

 少し前のめり気味に言うライラに驚いたような顔をしながらもすぐに頷き了承してくれた。


 コーヒー豆が家にあるのに飲めないなんて!と家で嘆いてたライラは、彼の了承に心躍った。


 これでコーヒーが飲める!


 足取りも軽くライラは来た道を引き返していった。その後ろ姿を見つめるリンドール公爵子息が少し悩ましげな表情をしていることに気づきもせず。



***



 何故か仰々しく腕を組む妹に玄関の入り口で足止めを食らっていた。


 早く出たいんだが。


「お兄様、正直に言ってください」

「な、なんだ」

 妹のジロリと見つめる視線に思わず肩が揺らぐ。

「明日は誰が来るんですの」

「だから、学園の」

「わたくしの目はごまかされません!正直に言わないとお父様にあることないこと吹き込みますわよ!」

 クレアの父親、つまりハイスネスの父親は娘の言うことならなんでも信じる親バカである。

「やめてくれ」

「じゃあちゃんと教えてくださいませ。どこの誰ですか」

 クレアは手を腰にあてて、言うまで逃がさないと言わんばかりに構えている。ハイスネスがため息をついたところでどうにもならなさそうだと判断すると、仕方なく口を開く。


「ノルガン伯爵令嬢だ」

「ノルガン伯爵、……令嬢!!お母様今宵は宴です!ちゃんと女性でした!それはとりあえず置いておいたとしても、お名前は確か、ライラ様でしたか?」

「よく知ってるな」

「ひどい噂はすぐに回ってきますわ。学園に行っていないわたくしでも耳に入ります」


 彼女に関する噂と言ったらあの婚約破棄騒動しかないだろう。彼女は悪くないと個人的には思うが、周りがどう思うかは別だ。

「そんなことはお気になさってないってことですわね。そしてそんな噂がまだ流れる中で邸宅に呼ぼうとしてるのですから、お兄様は案外焦っていらっしゃるということでしょうか」

 疑問形のようで、兄に意見は聞いていないようで視線は1つも合わない。

「わたくしも噂しか耳にしていないですから、判断つきませんが、いいですわ。ここはひとつわたくしが一肌脱ぎますわ」

 怪しげな笑みを浮かべる妹にハイスネスは慌てた。

「変なことをするのはやめてくれ!」

「変なことなんてしません、失礼ですわねお兄様」

「静かにしていてくれればそれでいいんだ」

「まぁ、お兄様。せっかくお兄様が幸運にも手に入れた大事な機会をこのわたくしが逃すはずありませんわ。そうとなったらお兄様と立ち話している場合じゃございませんわ。準備をしなければ」

 そう言うと足早に自室へ戻っていく妹に、とりあえず家を出てみたものの、ハイスネスは不安しかなかった。



***



 ライラは完全に浮かれていた。コーヒーを飲めるという事実に浮かれすぎて、色んなことを考え忘れていた。


 前日は呑気に手土産にする焼き菓子の詰まった缶を作るためさまざまな種類のクッキーを作っていた。


 昔クッキー缶って流行ったよね。あ、前世か。


 市松模様のクッキーやジャムの乗ったクッキーに、ナッツの入ったクッキーや、砂糖をふんだんに飾ったクッキーなど、自分で見ているだけでもウキウキとテンションが上がってくる。

 邸のキッチンを借りているのだが、弟のミリクが匂いに釣られたのか顔を出した。

「また作ってるの?」

「えぇ。ミリクも食べる?」

「食べる」

 ライラが一つクッキーを差し向けると、ミリクは受け取りもせずライラの手に口を寄せると、そのまま口を開いて食べた。

「美味しい」

「行儀悪いわ」

「そう?こんなにたくさん作ってどうするの?誰かにあげるの?」

 ミリクの質問にライラは頷く。

「そう、明日リンドール様のお家へ行ってくるの」

 ライラの言葉にミリクは、バッと反応してライラの方を慌てたように見た。

「リンドール様?なんで?」

「カフ豆を挽いてもらうの」

「カフ豆?いや、え?」

 全然話が見えないといった表情のミリクにライラが付け足す。

「この間リンドール様と出かけたでしょ?その時カフ豆を頂いたんだけど、うちに豆を挽く道具がなくて」

「待って、いつ出かけたの?聞いてないんだけど」

 ミリクの顔が表情を失っていく。

「言わなかったかしら?とにかく、リンドール様のお家にはカフ豆を挽く道具があるみたいだから、頂いた豆を挽いてもらうのよ」

 ライラの雑な説明にミリクは到底納得したような様子ではなかった。

「リンドール様って、2つ上のハイスネス=リンドール様だよね?」

「えぇ、ミリクよりは2つ上ね」

 それがどうかした?と首を傾げたが、ミリクはなんでもないと首を横に振った。しかし、唐突ににこりと微笑むとこう言った。

 

「僕も行っていい?」

「えぇ?」

「リンドール公爵家の邸に行くんでしょ?誰かに見られないなんてありえないし、僕がいた方が何かと好都合だと思うんだ」

 どういうことか分からずライラが黙って聞いているとミリクは話を続ける。

「ほら、まだ例の件からそんなに経ってないから、歓迎してくれるとも限らないし。たしかリンドール様って妹さんいらっしゃったよね。結構気の強い女の子って聞いたことあるような」

 そこまで聞いてライラはハッとした。


 たしかにリンドール様の家に行かせて頂くってことは、そのご家族もいらっしゃるわよね当然よね。完全に忘れてた。

 ウキウキとクッキー焼いてる場合じゃなかった!え、むしろ行くのやめるべき?!


 青ざめ始めて手が止まったライラにミリクは笑顔を深める。

「明日なんでしょ?今更止めるなんて失礼だし、何かあっても僕が一緒に行けば大丈夫だよ」

 その言葉に天の助けとばかりにライラは頷いた。

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