表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/22

1

 眩い紫色の光の一部が、唐突に亜麻色の髪の少女の頭を貫いた。その一瞬の出来事の後、少女は大きな音を立ててその場に倒れた。多くの駆け寄る人の声に対して、彼女は全く反応しなかった。



***



「君との婚約はなかったことにさせてもらう!」

 1人の男子学生の声に辺りにいた学生たちがざわついた。


 ここはユルフィア王立学園。国の中枢を支える貴族の子供たちが通う場所。デビュタント後であることが条件であり、16歳以上の子供たちだけが通う。この学園で認められればそのまま、王宮へ入ることも叶う上に、力のある貴族との繋がりを作ることもできる。ただ、貴族令嬢の場合16歳で結婚してしまうことも多いため、割合としては少ない。

 そんな学園の噴水広場と呼ばれる場所に、1組の男女と1人の女子学生が向かい合っていた。周りにも幾人かの制服を着た学生が歩いており、その様子を冷めた目で眺めている。


 これが流行りの婚約破棄された悪役令嬢というやつかぁ……。あ、いや、ヒロインとまったく絡んだ覚えがないし、身分はそこまで高くないから、悪役令嬢ではないのかな?などと心の中で思いながら、目の前の男子学生を見た。

 よく見知った顔の男は、確か私の幼なじみである侯爵令息。隣には最近現れた異世界召喚されたらしい黒髪に黒い瞳の少女。

 でも侯爵令息レベルが相手ではちょっと展開的には成り立たなくない?など余計なことを考える。


 はぁ。溜息しか出ない。


 幼馴染にも特に思い入れはない。異世界召喚された少女にも恨みはない。

 ただなんで自分がこんな異世界召喚と悪役令嬢に転生しましたを掛け合わせた小説のような状況に陥らなければならないのかとそう思う。

 早く終わらせたかった。この後述べられるであろう理由も聞きたくない。

「喜んでそうさせて頂きます。正式な書類はまた後で家の者がお持ちしますので」

 相手は「え?」という顔をしたがそんなことは気にせず、できるだけ優雅に一礼すると、さっさとその場を後にした。

 


 ライラは図書館の端の席に座って本を読むのが好きだった。少し窓を開けて入ってくる風に心地よさを感じながら、本の世界に浸るのが一番好きだった。

 好きな世界に身を委ねながら、許される間はそこにいて、本を読む。

 どちらかと言えば内向的なライラの楽しみだった。

 あぁ、もしかして、これは大好きなそんな時間さえ、奪われてしまうのだろうか。

 何度目かのため息をつきながら、ライラは屋敷へと帰った。



 向こうは侯爵家の嫡男。私は伯爵家の長女。こちらがなんと言おうが不利に変わりない。家に帰り自室に戻ってからもため息は止まない。


 なんでこんなことに……。


 それは別に婚約破棄されたことを言っているわけではない。思い出すのは一か月ほど前の記憶。

 鏡の中の私は亜麻色のふんわりとした長い髪に、緑色の宝石のような目をした姿をしている。派手な綺麗さはなく、多少地味だがおそらく可愛い方に分類される。


 でも、今の私の中身は……。

 


 ***



「今日も残業……」

 ディスプレイに反射した自分の顔は、疲れきった黒髪、黒い瞳のどこにでもいる日本人。

 入社して10年。

 ため息しか出てこない。この会社の定時は22時なのか?強制的に電気を消されないとみんな帰らないってどういうこと。かく言う私もだけど。

 終わらない仕事が山積み。忘れていた仕事に突然火がつく。最早あるあるだ。

 電気を消すと言う放送がかかり、慌ててデータを保存して、パソコンの電源を落とす。


 最寄りの駅まで早足で歩きながら帰宅を急ぐ。

 早く帰ってお風呂に入って寝なければ。また、明日はすぐそこだ。


 なんとなく流されたまま仕事だけ頑張ってきて、恋人もおらず、休日は死んだように眠って……。


 信号変わっちゃう急がなきゃ。


 小走りで走って横断歩道を渡ろうとしたその時。眩しい光と共に車が目の前に迫ってきた。

 

 轢かれる!


 そう思ったが体は恐怖で動かなかった。反射的に目を瞑り、そして、そのまま世界は暗転した。

 誰かの声が聞こえた気がしたが、今となってはどんな声だったか思い出せない。



 気がついたら姿が変わっていた。

 知らない部屋、知らないベッドの上、シルクのような手触りの服に身を包んだ少女。

 それが自分だった。


 気がついた時にはひどい頭痛に襲われた。とにかく頭が痛くて、見知らぬ場所にいることや、窓に映る姿に構っていられなかった。


「お嬢様!」

 蒼白な顔で声をかけてくるメイド姿の女性や老紳士、綺麗な顔の男性や、その他にも誰かいたが、あまりその時のことは、思い出せない。


 頭痛が引いた後は高熱にうなされ、かなり長い間ベッドから起き上がることができなかった。


 どれだけの時間がたったのかわからないまま、ようやく熱が下がった時、私はようやく自分の状況について考えることができた。

 そしてそれは不思議なことに、私はこの場所がどこで、自分が誰なのか、知っていた。


 ライラ・ノルガン。それがこの体の私の名前。ノルガン伯爵家の長女。今年で17歳。

 両親、兄と弟がいる。性格はどちらかと言うと大人しい。社交界デビューは終わっているが、あまり人混みが好きではないため夜会はたまにしか出ていない。どうしても出なければならないものだけかろうじて出る、そんな内向的な性格。

 彼女、いや、私の過去も当然知っている。


 あぁ、何これ、何で今更……。


 奇妙な感覚でありながら、この姿の自分が間違っているわけではないこともわかる。

 この姿でずっと生活していたのだから。


 ただ、思い出したのだ。

 前世の自分の記憶を。


 だけど、……。

 そのせいで元々のライラの性格や感情より、前世の私、川原菜々の性格や感情が大きくなっている気がする。おそらくそれは生きた年数の差かもしれない。経験値の高いほうが、感覚的に上回る。

 だからこの性格が表に出てきたんだと菜々は、いや、ライラは思った。本来のライラの性格を考えるならば、この思考すら有り得ない。

 

 あんな婚約破棄されたらパニックになって終わりだったかしら。何が起こったかも理解できなかったかもしれない。


 どこかでライラの悲しむような気持ちが揺らめいた気がした。



***



 学園の中でも奥まった、人通りの少ない場所。婚約破棄を言い渡され、なんでもないかのように了承し、とりあえず歩き続けた。普段なら行かないような、園庭の奥まった場所。手入れがあまり行き届いておらず、雑草も高くまで育ってしまっている。


 人に見られないから、好都合ね。


 そんなことを思いながら、ふと足を止めると、なんとか保っていた涙がこぼれ落ちた。

 いくら32年間生きたことのある自分だって、人前であんな風に婚約破棄をされたら、辛くもなる。正直未練は全くない。いくら侯爵家の跡取りであろうとろくでもない野郎と結婚しなくていいなら清々する。それでも悔しくて涙が出る。


「っ、……あーーーー悔しいぃい!!!お前なんかこっちから願い下げよ!!」


 完全に菜々の性格が表に出てきて叫ぶ。記憶が戻ってからはライラのもとの性格はほぼない。


「だいたい、私が何したって言うのよ。むしろ存在が薄くて、いるかどうかわかんないような伯爵令嬢でしょ!何もしてないわよ!なのに、なんでこんな理不尽な……。普通に家同士で話し合ってよ……」

 だんだんと声は力をなくしていく。最後には盛大なため息をつくだけ。叫ぶことすら、アホらしくなる。


「そもそもこんな状況が理不尽、よね……」


 緑豊かな学園内の庭。見たことないような(正確にはライラは見知っているが)植物が生えていて、知らない虫が飛んでいく。

 柔らかそうな草の上に座り、そのまま頭も倒す。


 不貞寝するしかない……。


 人前で婚約破棄された令嬢が授業をさぼったところでどうってこともないだろう。皆傷心だと理解してくれるだろうなどと都合よく考える。


 ライラならどうしてたかな。32歳の私でさえ耐えられないんだから、16歳の彼女は……。


 今思い出しても恐ろしい。何故か周りはみな元婚約者の味方のように見え、冷たい視線を投げてくる。

 後ろ指差される覚えなどないが、そんなことは関係ないと、正しいのは元婚約者の方だと全てが物語る。そんなところに居て耐えられるはずがない。


 だから思い出したのだろうか。

 この川原菜々の記憶を。

 自分が壊れないように助かる手段として。


 そう言う意味では正解かもしれない。日々社畜として生きていた菜々には多少の理不尽には耐性がある。

 その通りにやったのに変更される仕様、異様に短い期限、物分かりの悪い顧客、言い始めたらキリがないが、仕事も理不尽なことはたくさんあった。


 まあ、それでも婚約破棄を言い渡されるより理不尽なことはなかったかなぁ…。


 元婚約者に全く未練はないが、また涙が出る。この涙は菜々ではなくライラの涙なのかもしれない。

「……、寝よう。それが一番大事よ、きっと」

 そう言い聞かせると、ライラは目を閉じた。




 ふと目を覚ますと空は橙色に染まり始めていた。


 まずい!


 そう思って体を起こすと、何かがパサリと音をたてて落ちた。持ち上げて見るとそれはよく見かける物だった。この学園の制服の上着だ。自分のではない。


「男子生徒用……」


 うわあぁあああ!

 やらかしたぁあ!


 真っ青な顔で頭のなかで大絶叫だ。

 伯爵令嬢が庭で昼寝などあってはならない。誰も来ないと踏んで寝転がったにも関わらず、自分のものではない上着。この上着の持ち主に完全に見られていると言うことだ。


 く、口止めしなきゃ……。

 誰。どこの誰!!


 慌てて上着を確認する。ライラの着ているものもそうだが、内側に名前が刺繍してあることが多い。

 探していた刺繍を見つけたものの、そこに縫い付けられているのは名前ではなく、イニシャルだった。


 H・R


 分からない……。この学園にこのイニシャルが該当する人物はどれだけいるのよ。


 ため息をついたところで事態は良くならない。そう思いながら、立ち上がると、どうしようか躊躇いながらも上着を抱えて邸へ帰る為に歩き始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ