俺と助五郎
ワン。
スケの鳴き声が響く。
俺が中学生くらいの頃から飼っているヨークシャテリアの助五郎。愛称はスケ。
食い意地の張った小型犬だ。悪食でなんでも食べるが、菓子パンの類には目がない。
さっきの鳴き声は何でもない散歩の催促。
この時間に腹が減ったら散歩に連れていけと呼ぶ。
別に散歩が好きな訳じゃないし、楽しみな訳でもない。
その後のご飯が最大の目的だ。
散歩に行ったらご飯が食べられるという風に理解しているだけで、言うなれば散歩はご飯を食べるための交換条件みたいなもの。
でも、その日は少し散歩が長かった。
普段なら決まったところにおしっこを引っ掛けて、少し歩いて、排便をして。
それを回収したら家に一直線。
時間にすれば五分もかかからない短い散歩だ。
それが、おしっこを引っ掛けた後は、なかなか催さない。
だいたいこの辺りでいつもするんだけどな、と思いながら歩いていると、少しリードを引く力が強くなった。
もうちょっと歩くぞ、そんな感じだ。
自分から歩くなんて普段はそんな素振りを見せない癖に。
普段は催すまで連れ歩こうとしたら嫌そうに立ち止まるのに。
珍しいこともあるんだなと。
別に用事があるわけでもないし散歩ぐらいは付き合ってやるか。
心なしかいつもよりもご機嫌なスケに合わせて、散歩に付き合う。
ぺたぺた歩く足音に合わせて、首輪の鈴がちりんちりん音を立てる。
それに合わせてつっかけの俺の足音が続く。
小さなヨークシャテリアの足だ。
多少はしゃいだところでこちらは少し速足になる程度。
大した速度でもない。
暫く歩くと満足したのか、家に引き返す。
普段の場所で催して、そのまま家路をたどる。
結局いつもの場所でするのかよ。自分の便に砂を掛けているスケにと軽くツッコミを入れる。
帰ったら待っている飯の時間が楽しみなんだろう。てくてくと家を目指す。
家に帰って、足を洗って、皿に缶詰めを空けてやると大喜びで飛びつく。
見慣れた光景だった。
ものの数十秒で皿を空にするとじーっとこっちを見上げてくる。
はいはい。
食後に少し、牛乳を注いでやると、ぺろぺろと飲んでいく。
ここまでが一連のルーティン。お決まりの流れだ。
その後は適当にテレビを眺めながら、隣に座っているスケの頭を撫でたり。
ちょっかいを出して少し遊んでやったり。
肉球を触ると甘噛みしてくる。もう少し触ると少し本気で噛んでくるので適当にやめる。
人間嫌いという訳ではないが、人懐っこい犬に比べると少し不愛想な位の性格だ。
撫でられたりするのはそこまで好きという訳ではないらしい。
俺はあんまりお構いなく撫でるけど。
その日は少し普段よりも撫でたりする時間が長かった。
というより、普段はスケの方が飽きて何処かに行くのにあまり隣から動かなかった。
テーブルの上に置いてあった菓子パンを手に取ると、スケがこっちに飛びついてくる。
相変わらずパンには目がないらしい。
人がパンを食べているとくれ、くれと飛び跳ねて催促する。パンの時だけ発揮するその跳躍力はなんだ。
仕方ないから一つまみ千切ってやると、味わっているのかいないのかわからない速度で飲み込む。
きっといい匂いがするんだろう。
まだまだ俺の手元にパンがあるのは分かっているのでピョンピョンとんで催促を繰り返す。
食べ終わるまで延々と飛び跳ねるから、少し遠くに投げて食べに行かせる。
終わったらまた飛び跳ねる。
パン一切れ出摂取できるカロリーとそれまでに使うカロリーが釣り合ってない気もするんだが。
太るよりはいいか。
何の変哲もない日常の一ページだ。
そこでふと、思い出す。
コレが日常だったのは、何年前の話だろう。
スケが居るのは実家。
今は俺は一人暮らしだ。
勿論スケとは一緒に暮らしていない。最後に顔を見たのは今年の正月だ。
十六才。
年齢のせいもあるだろう。昨年の十二月ごろには随分と弱ってしまい、ほぼ寝たきりになってしまった。
正月に実家に帰った頃には飯は元気に食べるが、歩けなくなっていた。
散歩ににも行けず、おしめをつけた所謂、要介護犬。
体重は三キロもないので、そこまで手間はかからないが。
耳も遠くなり呼びかけても反応はあまり返ってこない。
分かり易く言えば痴呆症だ。
餌をあげるにも手を噛まれないように気を遣う必要がある。
夜泣きもひどく、麻酔や鎮静剤が無いと夜も寝れない状況だった。
実家から帰るときにはもうそんなに長くないと言われた。十六歳、十分長生きだろう。
多少は状況も聞いていたし、覚悟はしていた。
最後に生きている顔も見れたし俺としては満足だった。
じゃあ、この状況はなんだろう?
ああ、夢か。
そんなことを隣のスケの頭を撫でながら思った。
まあ、別に夢でもいい。久しぶりに元気に動き回るこいつの姿を見れたのは普通に嬉しかったから。
頭を撫でているとペロっと手を舐められる。
そこで目が覚めた。
目を開けると毎日見ている部屋の天井だ。
やっぱり夢だったらしい。
さっきまでスケを撫でていた右手にほんのりと温かさが残っている気がする。
一月も終盤。朝は冷える。
外に目を向けてもまだ日が昇っている気配もない。
会社に行くまでまだまだ時間もある。
久しぶりにいい夢も見れたし、と気分よく二度寝を決め込んだ。
暫くして、目覚ましの音で目が覚める。
二度寝のお陰か夢のお陰かは分からないが、寝覚めは良かった。
朝はとりあえずシャワーを浴びて、コーヒーを入れる。
日課とは言わないがコーヒーを冷ましながら飲むのに手持ち無沙汰なのでスマホでニュースを流し読みする。
適当に記事を眺めていると、ピコンと一件の通知が届いた。
こんな時間にlineなんて珍しいな。
なんてことを思いながらアプリを開く。
そこには、
今朝すけちゃんがなくなりました。
六週間よく頑張りました。
母からのメッセージだった。
もう長くはない。そう聞いてはいたが、寝たきりになってから六週間か。
長いようで短い時間だったけど、お疲れ様。
「看病お疲れ様」
メッセージを返して、スマホをテーブルに置く。
そうか、遂に死んじゃったか。
近いうちにこんな日がくるのは理解していたし、ペットの死に直面するのは初めてじゃない。
だから昔みたいに泣きじゃくることはなかった。
普段はオカルトありの小説を書いたりしているけど、あくまでフィクションとして。
俺自身が幽霊とかその手のことを信じているかと言われると、どちらとも言えない。
あればいいなとそういう世界を夢想はしても自分が体験していない心霊現象の類は信じられない。
だから今回の夢は只の偶然だ。
そう考えるのは簡単だった。
でも、最後にすけが会いに来てくれた。
それは悪くない気がする。
会社に行くために急いで飲み干したコーヒーはいつもよりしょっぱかった。
読んでくださりありがとうございます。
今朝の出来事です。
この感情と思い出を何か形に残したくて、書き綴りました。
私が目が覚めたのは朝の四時くらい。
後から聞いた話だと、スケが旅立ったのは夜中の二~三時くらいだったそうです。
最後に遊びに来てくれた。
そう思うと目頭が熱くなります。