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陰の日向を思う

 思えばずいぶん暇をさせたものだ、とぼくは思った。

 たとえばああいうとき、パチンコをやるときなんぞに、右手は偉そげにレバーを握ってまわしたり戻したり台を支配するけれど、そのときの左手はなにをしていただろう。また、自慰のとき、おかずを探すのにも画面を操作するのは右手で、タブレットは枕に立てかけておくのだし、いいのを見つけてからシコリ倒すのも右手だけで、そのとき左手はなにをしていただろう。

 こうやって右手はいつも親身な役割を与えられるけど、左手はどういうときに立派な姿を誇るのだったか。ぼくはついぞ知らない左手の雄姿を探した。アルバムのなかに左手が活躍していないだろうかと思ってみたけれど、ピースは右手だったし、ママのお手々とつながっているのも右手なのだった。

 こういう不憫は右利きの者には左手だけれど、左利きの者には右手なのであろう。ぼくは右利きだから左手をないがしろにしてしまうのだ。とはいっても、ルービックキューブをやるときには左手も活躍しているに違いない。そう考えてみて、空想のキューブをくるくるやってみるけれど、どういうことだろう、このときにいたっても左手はキューブを持つだけで、くるくるあわせるのは右手の方なのだ。右手だけがあの一面の九分割を六面あわせる喜びを知っていて、左手は甲を下にしたまま静かに支えている。おそらく全部そろっても左手がこれを独占することは無く、たちまち右手がキューブをひと掴みして我が両眼へ指し示し、誇りに満ちあふれた指先をキューブの陰にちらちらさせるのだ。

 はたして左手はなにを思うのだろうか。あついはペニスの硬さを知らず、二万発の激アツを呼び起こせず、おそらくは玉ねぎの辛味に目をやられたぼくに第一関節当たりの皮を削がれるのだ。ダンプに引かれそうになると、真っ先に衝突の突端へ追いやられて、痛みを一番長く味わう。罠の張り巡らされた暗闇ならばやすやすと瀬踏(せぶ)みに使われて、とうとう切り落とされる始末……。

 マウスを自在に扱う喜びも与えられず、キーボードの上ではこまごまと小指を酷使されるのに、文字を確定させる快楽は右手にしか与えられない。

 左手に栄誉を与えてやりたい。ご飯のときに重いどんぶりを持たせたり、熱い器を指先に無理させて持たせる苦労をねぎらってやりたい。

 ならば、あの至福のときを左手に与えてやるのはどうだろう。コーヒーカップを左手に持たせてやってはどうだ、きっと鼻腔へのぼる香りを味わいつつ、ぼくは左手を視界にとらえて、「おお! 左手よ。よい香りを届けてくれたな。ありがたい。ぼくは生きている!」とにっこりして見せる。報われるだろう……。

 いや、まてよ、左手にも栄誉ある仕事があったではないか。タバコ。あの硬いライターの火打石をこするのは、いつも右手がやる。あれのためにはぜひタバコを左手に持たせなければならない。いつの頃からかそういう癖ができていた。煙を吸い上げて安らぎを呑むぼくの唇に触れていたのは、いつも左手なのである。これほどの幸福を左手がもたらしてくれていた事実が、ここに思い出された。しばらく吸っていなかったから、危うく見落とすところだった。タバコ、これは大変な役割だ。常習化したリラックスの手段、忘れ難い熱、遅れれば苛立ちさえおこさせる煙の出どころは、なんということだろう、左手なのである。ぼくを心置きなく幸福にたらしこむ素晴らしい仕事を左手が担っていた。左手よ、きみは幸福の使者だ。これこそが左手に与えられた栄誉。

 これだけでおつりが来そうなくらい、深く、根強く、ぼくのからだに影響を与えてくれた。ならば左手よ、我が肉体の不健康もまた、共同の責任だ。ひとりつややかな肌を見せてくれようとも、死なばもろとも。禍根なく受け入れてくれたまえ。

 ……。肺がんの末期を知ってから、病室のベッドのうえで考えることといえば、こんなことぐらいだった。おわり

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