PART7. ユーイ・アルファナ【3】
醒心武具──醒心力を具現化し、竜に対して通常の攻撃よりも、より効果的な攻撃を可能とする竜殺しの武器。レオが手にしていた大剣はそう呼ばれる代物だった。
その剣身はレオの身長より長く、その剣幅はレオの肩幅より広い。その剣刃は青白色の発光を帯び、その剣腹に同色の光線群が幾何学的に走る。白銀色と青白色に輝く重厚で鋭利な両刃の大剣は、太陽の光を浴びて美しくも神々しい様相を見せていた。
「あ、あの、ユーイさん? ここから早く逃げませんか?」
レオの持つ大剣に目を奪われていた私は我に返った。そうだ、呆けている場合ではない。感慨に耽るのも、妄想に耽るのも後。レオへの質問も確認も後の話だ。私は頭の中で湧き上がる知的探求心の源泉にきつく蓋をして、現実を見つめ直した──が、すぐに目を覆いたくなるような光景が飛び込んでくる。
後方でフンバーバが左拳を地面に叩きつけ、本日何度目になるかわからない咆哮を上げると、灯篭に火が灯るように、そこかしこで青白い光が輝き始めた。
……また始まった。
……お決まりの、お約束の復活の儀式がまた始まった。
……ずるいよ、卑怯だよ、それは。
私は激昂したくなる気持ちを深呼吸で無理矢理抑え込んでからレオに向き直った。
「よし、あいつらが復活する前に逃げよう。レオ、私の前を走って。後ろを振り向かずに全力で走るんだよ」
「は、はい」
私たちは合流地点に向かう為、木々に囲まれた山道を駆けた。状況的にも、時間的にも、今が逃走する千載一遇の好機だ。
『お姉ちゃん、後ろ!』
ミイが画面左端に表示したバックモニターを覗くと、後方では青白い光が既に消えており、再生行為を終えたゴブリンたちがゆっくりと立ち上がって、その歩をこちらに向けた。
『追いかけてきた! あいつら追いかけてきたよ、お姉ちゃん!』
「大丈夫、距離的余裕は十分にあるわ。それに……」
それに加えて、レオが思っていたより速い。醒心武具の発現による身体能力の向上も相まって、その走力は私が予想していた以上だった。これならゴブリンたちに距離を詰められることはあっても、追いつかれることはないだろう。
問題なのはフンバーバだ。崖の上で垣間見せたあの驚異的な俊足、おそらく直線なら私の全力疾走より速いだろう。願わくは、このままもう少しだけ高みの見物を決め込んでいてくれれば助かるのだが……。
しかし……。
後方から聞き覚えのあり過ぎる咆哮が轟く。その方向へ首を巡らすと、遠方から土砂を巻き上げながら、猛然と迫り来るフンバーバの姿を目にした。最早、フンバーバには私たち以外何も見えていないようだった。大地を踏み荒らし、木々を薙ぎ倒し、あまつさえ、同胞のゴブリンたちを跳ね除け踏み付けながら、一心不乱に追いかけてくる。
『あいつ、イカれてるよ。狂ってる、タガが外れちゃってるよ』
ミイは驚然とも呆然ともとれる口調で、私たちを追走するフンバーバを評した。
「そんなこと今に始まったことじゃないでしょ? それより計算して。このまま追いつかれるかどうかをさ」
『このままいけばギリギリ逃げ切れるけど、あいつ、まだ速度を上げているから……何とも言えないよ!』
困り声でミイはそう言い放ち、視界の左隅に合流地点までの距離、私とフンバーバの相対距離を表示した。
……なるほど。たしかにミイの言う通り、結局は私たちとフンバーバの速度次第でどうとでもなるということか。であれば現時点において、この生死を懸けた鬼ごっこの行方を予見し得る者などいるはずもない。もし、いるとしても、それは運命を司る女神か、運命を弄ぶ悪魔くらいのものだろう。
ではどうする? もう一度足止めをしてみるか?
いや、駄目だ。私の攻撃が絶対に当たるとは言い切れないし、私を無視してレオに向かって行く可能性もある。きっとそれこそフンバーバの思うつぼだ。私が一度足を止めれば、フンバーバに追いつくことが困難になる。そして最も危惧すべき事態は、後詰の連中と組まれて私が挟撃されること。そうなれば、レオは私を助ける為にまた無茶をしてしまうかも知れない。
そうだ。足止めをするにしても、それは追いつかれそうになった時、最後の手段として行うべきだ。今は逃げよう、それしかない。
私たちは木々のトンネルの中をひたすら走った。前を向けば美しい風景、後ろを向けば恐ろしい光景、そんな現実とも夢の中とも思える世界の中を、私たちは懸命に走り続けた。タツノミヤ島の惨劇から生還した人たちは、みな口を揃えて‶目覚めながら悪夢を見ていた〟と述懐したそうだが、その気持ちがようやく理解できたような気がする。私たちもこの島から無事に脱出して、今日の出来事を後日談として語れれば良いのだが……。
合流地点まで残り一五〇〇メートルを切ったところで、ザックから連絡が入る。それは、私が本日初めて耳にする朗報だった。
『待たせて悪かったな。こっちはあと三〇秒で到着する』
「良かった。タイミングばっちりだったみたいだね。私たちももうすぐ到着する」
『ああ、わかってる。さっき、おまえさんのミイから最新の位置情報を貰った。オツェアノ島杯最終レースの進行状況は俺も把握済みだ』
「ごめん、ザック。あいつらを振り切れなかった。て言うか、引き連れてきちゃったよ。……アメンボ号大丈夫かな?」
ザックはサングラスのブリッジを中指で押し上げて不敵に笑った。
『心配するな。あいつらの搭乗チケットは用意していない。代わりに地獄への片道切符でもプレゼントしてやるさ』
「了解。頼りにしてるからね」
『さあ、ゴールが近いぞ。祝砲を用意して待っているからな』
合流地点まで残り二五〇メートル、私たちは左手に見える木々が密生から疎生になりはじめたところを目印にして左に曲がった。生い茂る草木の中を抜けると、一時間前にレオと出会い、フンバーバと対峙した見覚えのある風景とともに、一人悠然と佇立するザックの姿が私の視界に飛び込んでくる。
ザックの姿を確認できた瞬間、私の内奥に安堵の花々が咲き乱れた──これで一安心、もう心配はいらない、心の底からそう思った。しかし、次に彼の取った行動が、その花弁を一枚残らず彼方へと吹き飛ばす。
ザックは私たちの姿を確認すると、右手に持っていた携帯式ミサイルをこちらに向けて構えたのだった。ザックは照準器越しから不敵な笑みを浮かべて、引き金に当てた指をゆっくりと引き始める。
その予想だにしていなかったザックの行動は、私に推量や逡巡する僅かな時間さえ与えてくれなかった。私は咄嗟にレオの右腕を掴んで上方へ跳び、空中で首を巡らすと、そこで初めて、標的となる相手は私たちの後方一〇メートルにいたことを悟った。そこには、拳を固め右腕を高く振りかざすフンバーバの姿があった。
大気を切り裂くような、大気を擦過するような爆音が耳を劈いた。射出されたミサイルは白煙の尾を引きながら、地表擦れ擦れを滑空し、フンバーバの五メートル手前で着弾、眩い青紫色の光が辺りを一瞬照らし、ゴムの焦げたような臭いが強烈に立ちこめる。
これは竜騎士御用達の対特殊生物捕縛兵器、超速乾性凝固剤ミサイルだ。
弾性と粘着性に富んだ凝固剤が獲物を捕食するアメーバの如く、辺り一面に飛散し、フンバーバと大地と木々に絡みつく。更にザックは駄目押しの一発をフンバーバに見舞った。二発目の超速乾性凝固剤ミサイルはフンバーバの下腹部に直撃し、首から下全てを薄紫色の粘液で覆い尽くした。
フンバーバは絡みついた凝固剤を振りほどこうと必死に暴れるが、メデューサの呪縛がそれを許さない。その名を冠する通り、超速乾性の凝固剤は一瞬にして恐るべき強度と硬度の材質へと変化し、フンバーバの身体の自由を奪い去る。フンバーバは尚も抵抗を続けたが、脱出が不可能と悟ると観念したかのように全身を脱力させて、怒りと憎しみを込めた視線をこちらに向けた。
私たちは暫しの間、固唾を飲んでフンバーバの動向を窺った。そして、フンバーバが完全に動けないことを確信した瞬間、緊張感と警戒心が一時的につくりあげた静寂と沈黙の世界は消失していった。
ザックは空になったミサイルの発射機を放り捨て、傍らに突き立てていた槍斧を引き抜いて肩に乗せると、私とレオの傍まで歩み寄り、視線を私からレオへ、レオから醒心武具へ、醒心武具から再度私へと移した。
「まだ気をぬくなよ」
ザックは私にそう言い放つと、旧型動力機のような重く低い呼吸音を律動的に刻むフンバーバの方へ槍斧の穂先を向ける。いや、正確にはフンバーバの後方から迫り来る狂鬼たちに向けてだ。
私にはザックに一つだけ確認しておきたいことがあった。それはアメンボ号の所在だ。此処に在るべきはずのアメンボ号の姿がどこにも見当たらない。ザックは一体どこに着陸させたのだろうか? 私はその質問を彼に投げかけようとしたが、とことん空気を読めない闖入者たちによって阻害されてしまった。
フンバーバの後方で瑠璃色の光点が幾対も不規則に踊り、間もなくしてそれが四辺に拡散した。我先にといった体で、ゴブリンたちが次々と雪崩れ込んで来たのである。ゴブリンたちの両眼には、憎悪と憤怒と狂乱が混ざりあってできた純粋なる殺意の炎が揺蕩っており、その殺意は私たち三人の中で最前にいたザックに集中して向けられた。
一体のゴブリンが凶悪な牙と鉤爪を剥き出しにして、ザックに全霊の攻撃を仕掛ける。それに対して、ザックはまるで余裕を見せつけるように手の中で槍斧の柄を数回転がした後、ゴブリンに向かって稲妻の如き刺突を繰り出した。その一撃は余りにも速過ぎて、ゴブリンのどこを貫いたのか私にはわからなかったが、ゴブリンの身体から発せられた青白色の光が確実に竜核を破壊していたことを証明した。
ザックが槍を武器に使うのを初めて見たが、その技量は円熟の域に達していると言っても過言ではなく、刺突と斬撃を巧みに使い分け、無駄のない洗練された攻撃でゴブリンたちをいとも簡単に葬り去ってゆく。その闘い振りは圧巻の一言に尽きた。ザックの周りでいくつもの青白色の光が瞬き、灰白色の粉塵が舞う。
この十数秒の間に、ザックの刃圏に足を踏み入れ、その姿を少量の塩と灰に変えたゴブリンは一〇体を超えたが、死を恐れぬ狂鬼たちの特攻と増援に次ぐ増援は、一向に止どまる気配を見せなかった。
際限なく押し寄せるゴブリンたちに疲弊したというより、辟易した様子のザックは軽い苛立ちを含めた声で叫んだ。
「クソッタレ! こりゃキリがねえ。マイ、ずらかる準備はできてるか?」
『いつでもオッケーだよ!』
ザックからの命令を待ちわびていたかのように、マイは即座に応答する。
私はこの時やっと、アメンボ号が何処で待機していたかを気付き得た。アメンボ号は崖下の湖、またはホバリングによって空中で待機していたのだ。超難度の操縦技術が必要だが、たしかにこれなら、アメンボ号を襲撃される危険を軽減できる。
どうして私はこんな簡単なことを思いつかなかったのだろう。私の頭の中にこの選択肢が早い段階であれば、ここまで追いこまれることもなかったかも知れないのに……少し自己嫌悪。
『お姉ちゃん、待っててね。いまセラフィン号を上昇させるから!』
崖下から烈風が巻き起こり、静かで力強い動力駆動音とともに、アメンボ号の船体が私たちと同じ目線の高さまで浮上してきた。
その直後だった。突然、モスキート音を数倍不快にしたような高音が響き渡る。耳道を突き抜け、直接脳髄をかき回すようなこの不快音は……聞き覚えがある。
……これはたしか──。
『まずいよ! 詠唱だ!』
事態の深刻さに、いち早く気付いたミイは慄然とした声をあげた。
私たちの視線は不快音の発生源へと集中した。発生源とは、もちろんフンバーバのことである。メデューサの呪いを受けたフンバーバは、身動きの取れない身体で最後の悪足掻きを試みているところだった。
フンバーバの両角と双眸が妖しく光り、凶悪に歪んだ口元に円形の光陣が発生した。醒心力によって形成された青白色の光陣は、フンバーバの詠唱に呼応して輝度を増大させてゆく。そして、輝度が臨界を迎える時、光陣から恐るべきエネルギーの奔流が放たれるのだ──全てを灰塵に帰す竜の‶竜言語魔法〟が。
その威力や規模は人間が使う‶疑似魔法〟とはわけが違う。一刻も早く、破壊と死を呼び込もうとするあの耳障りな歌声を止めなければならない。未だ押し寄せるゴブリンたちと交戦しているザックには、フンバーバに手を回す余裕がないはずだ。ここは私がやらなくては。
私はフンバーバに向かって駆けた。一度足を止め身体を休めたせいか、左肩と右腕に忘れかけていた痛みが込み上げてきた。吐き気と寒気がするし、めまいも感じる。だが、立ち止まる訳にはいかない。光陣の輝きが青白色から緋色へ変えつつある。フンバーバが詠唱を終えるまでもう時間がない証拠だ。
私は前方へ大きく跳躍し、フンバーバの頭上五メートルの高さに達したところで右拳を固く握り締める。そして、重力に身を任せて頭から降下し、フンバーバの眉間に乾坤一擲の一撃を叩き込んだ。
フンバーバの外皮が砕け散り、私の右腕が肘部まで深々と突き刺さる。力、速さ、角度、タイミング、全てが申し分のない一撃──まさに会心の手応えだった。
だが、フンバーバの詠唱と光陣の肥大化は止まらなかった。衝撃は間違いなく深奥にまで達している。竜核が頭部ではなく別の部位にあるとしても、行動不能に陥らせるには十分の打突だったはずなのに……いや、一撃がだめなら、二撃、三撃とお見舞いするだけだ。
私はフンバーバに追撃を加えんとし、右腕を眉間から引き抜いて、再び拳に力を込めて大きく引いた。瞬間、私の頭上からレオの声が降り注いだ。
「ユーイさん! どいてください!」
私はその声を聞いて、反射的にフンバーバの顔を蹴って後方に飛び退いた。フンバーバの巨体から後ろ向きに落下してゆく最中、私と同じ軌跡で跳躍し、大上段の構えから醒心武具を振り下ろすレオの姿が見えた。
白銀色と青白色にきらめく大剣が、美しい弧を描いてフンバーバの脳天に落下し、およそ斬撃とは思えない凄烈な破壊音が響きわたる。レオの渾身の斬撃は青白い剣閃の余光を宙に残して、いとも容易くフンバーバの巨体を両断した。
自らの斬撃の余勢でレオが地面に熱烈な接吻をした瞬間、フンバーバの最期を告げる青白色の光が辺り一面を強烈に照らし、それに半瞬遅れて、稼働を止めた竜言語魔法の光陣が緋色の光を放って宙に霧消した。
一陣の風が巻き起こり、フンバーバが遺した灰白色の粉塵が四辺に吹き荒れる。その跡には、フンバーバをかたどった凝固剤の鑑賞物だけが虚しく残っていただけだった。
……鮮烈な光景だった。あまりにも鮮烈な光景を前にして我を忘れかけたが、やにわに飛んだザックの声が私の意識を覚醒させた。
「ユーイ! 頃合いだ。ずらかるぞ! 坊やと一緒に先に乗り込め」
私は右手で鼻を押さえてうずくまるレオを抱え上げると、ゴブリンたちと交戦を続けるザックを横目に通り過ぎ、大きく跳躍してアメンボ号の甲板に飛び乗った。それを後目で確認したザックは槍斧を大きく払い、ゴブリンたちと距離を取ったあと、自らも撤退を決め込む。そして、ザックはアメンボ号に飛び乗ると、間髪入れずマイに離脱の指示を下した。
「マイ、だせ!」
『了解! みんな、しっかり掴まっててね!』
アメンボ号の船体がゆっくりと傾き、崖側から遠ざかってゆく。燦然と輝く三対の銀翼を拡げ、大空へ向かって飛翔を始めるアメンボ号。私はそのアメンボ号の甲板から眼下を覗き込んだ。
眼下では狂乱状態で追走してきたゴブリンたちが、アメンボ号への乗船を望んで崖際から決死の跳躍に挑んでいるところだった。しかし、アメンボ号はすでにゴブリンたちには届き得ることのできない高度にあり、無謀な挑戦を試みた悪鬼たちはその身を崖下の湖に落としていった。
「……これで終わり?」
私はその場に座り込んで思わず独語した。それを聞いたザックは安心させるような口調で私に語りかける。
「ああ、これで終わりだ。それにしても、おまえら最後は無茶したな。ったく、俺の見せ場をとるんじゃねえよ」
ザックの口から終わりという言葉を耳にして、張り詰めていた緊張がやっと解けた気がした。私は大の字に寝転んで、またしても無意識的に独語した。なにか喋っていないと落ち着かなかったのだ。
「はぁ、疲れたぁ。体力的にっていうか、なんか精神的に凄く疲れたって感じがする……って、痛! やっぱり身体もあちこち痛いや」
「俺もだ。特に心臓と胃がな」
「はは、それは言えてるね」
「ところでユーイ、その坊や──」
「そうだ、レオは⁉」
私は上半身を飛び起こし、隣でうつ伏せに寝転んでいるレオを見やった。レオは瞼を閉じて身動き一つしていなかった。肩を軽く揺らしながら、数回呼びかけてみても反応がない。いつの間にか醒心武具も消えている。まさかと思い、私はすぐにレオの呼吸と脈拍を確認した。
「……おい、俺は別に──」
「静かに!」
数秒後、私は胸を撫で下ろした。レオは眠っていただけだった。無理もない。めまぐるしい状況の変転に加えて、記憶障害の精神的負荷、そして醒心武具を長時間発現させていたのだ。疲れ果てて眠ってしまうのは当然のことだろう。
「ちょっと、ザック。びっくりさせないでよ! 眠っているだけじゃない」
「いや、だから俺は別に……まあ、それはいいや。俺が聞きたいのはな……うーん、順を追って話すか」
ザックは私の隣に座って煙草に火を点けると、オツェアノ島の景観を眺めながら話し始めた。
「今日の任務のことだが、少し前に竜騎士機関の顔見知りから連絡があってな、俺たちが任務前に提供されたオツェアノ島の情報、こりゃ誤報なんかじゃなく完全な虚報だった」
「どういうこと?」
「オツェアノ島を事前調査した竜騎士の名前はカイル・ノートンっていう奴なんだが、そいつは遂一〇時間前まで手足をふんじばられて、廃ホテルの一室に放りこまれていたそうだ。そのおまぬけ野郎曰く、自分は五日前、何者かに後頭部を殴られて気を失っているうちに廃ホテルに監禁された。そして、気付いたら携帯電話と財布の中に入っていたカード類を全部盗られてしまっていたんだと」
「五日前に監禁された? 調査報告書には調査を実施したのは三日前だと記載されていたけど……じゃあ、情報部にオツェアノ島の調査内容を報告したのは、カイル・ノートンって人じゃなくて、その人の携帯電話を盗んだ何者かってこと?」
「そういうことになるな。ちなみに哀れなカイル・ノートン氏を襲った卑劣漢は未だに捕まっていないし、携帯電話はブルーベル島から南西に一〇〇km程離れた海に捨てられていた」
ザックはポケットから携帯灰皿を取り出し、その中に吸殻を押し込むと、新しい煙草を咥えて言葉を繋いだ。
「このたちのわるい悪戯と合わせて、オツェアノ島にいたあれだけの数の竜、そこにたまたま居合わせた記憶喪失のドラゴンキラー使い……少し話が出来過ぎてやしないか? それとも、これは単なる偶然か?」
私は頭の中を整理し、自分への説明も兼ねて言葉にしてみた。
「つまりは必然? ……人為的に仕組まれたってこと? その何者かが、私たちをオツェアノ島に来るように仕向け、竜と戦わせ、レオと引き合わせた?」
「俺たちがこの島に来た──それに関しては偶然だと思う。今回の任務は誰に強要されたのでもなく、俺自身が手を挙げて引っ張ってきたんだからな。まあ、なんにせよ、この件を座視する訳にはいかないな。その坊やのことも含めてな」
ザックはレオに視線を向けながら嘆息した。そして、火を点けずに咥えていた煙草をシガレットケースに戻すと、おもむろに立ち上がった。
「さあ、そろそろ船内に入ろうぜ。おまえも早く傷の手当てをしろ。そして、飯でも食え。考えるのはそれからにしようや。マイ、入口を開けてくれ」
『イエッサー』
ザックはレオを肩に担ぎ、槍斧を手に持つと先にアメンボ号の船内へと入っていった。
私はまだ立ち上がる気になれないでいる。ザックが助言したとおり、早く傷の手当てをしなければとは思うのだが、突如、私の裡で大量発生した倦怠感が手足を鉛のように重くさせた。それは疲労のせいもあったが、起因の大半を占めていたのは、今回の一連の出来事によるものだった。
──調査隊の竜騎士を襲った犯人のこと。
──オツェアノ島にいた竜の大群のこと。
──醒心武具を持つ記憶喪失の少年のこと。
いま思い煩っても仕方のないことなのに、不安に近い感情が頭の中を駆け巡って、考えをやめることを許さなった。