PART5. マイ(αAI Type O ver.1.03)【1】
「エド、調査部にも言い分があるだろう、あるなら是非聞かせてくれないか?」
ザックが珍しく声に怒気を漲らせている。
彼の怒りの矛先は、電話モニターの向う側へと向けられていた。通話の相手は、竜騎士機関の特別指定生物調査部エリアⅢ課長のエドウィン・テラー氏だ。
テラー課長は恰幅の良過ぎる身体を小刻みに揺らしながら、額から止め処なく流れ出る脂汗を皺だらけのハンカチで必死に堰き止めている。
『ザック、今回の件は大変申し訳ないと思っている』
「おっと、そんな一言で済ませようとするなよ。最近の為体振りの理由を明確な言葉にして聞かせろ。あんたにはその責任があるはずだ。ええ? 情報部エリアⅢ課長エドウィン・テラー殿」
ザックは煙草を咥えてジッポーのフリント・ホイールを擦った。ゆっくりと紫煙を吐き出す様は、裡で燻る憤懣やる方ない思いを、煙と共に霧散させているようだった。
ザックが憤るのも無理はない。昨今、エリアⅢを調査する竜騎士たちの職務怠慢振りは目に余るものがあったからだ。では、何を以って職務怠慢と断じるかだが、それは誤報に他ならない。誤報内容は竜種、体数、酷いものになると他の動物を竜と勘違いして報告を挙げることすらあった。ザックが代表を務める第五五支所が請け負った直近の任務も、四回連続の誤報に正直辟易しきっていた。そんなところに、本日五回目となる誤報が確認されたのだ。堪忍袋の緒が切れるのも当然と言えよう。
ボクだって許されるのであれば、この無能者に罵詈雑言の数々をぶつけてやりたいくらいだ。お姉ちゃんに何かあったら絶対に許さないぞ。
『……本当にすまない』
テラー課長はデスクテーブルの上に額を擦り付けて、再びザックに詫びた。だが、ザックが聞きたいのはそんなテンプレートめいた謝辞の台詞などではない。彼が聞きたいのは職務怠慢の理由──それのみだ。質問の意味を履き違えて捉えたテラー課長に、ザックは優しく諭すような口調で再び問いかける。
「なあエド、失敗は誰にだってある、もちろん俺にだってな。だが、普通失敗をしたら同じことを繰り返さないように努めるよな? 上司や責任者であれば、失敗を正す指導をするのは当たり前だよな? それなのにも関わらずだ。まったく改善が見受けられないのはどうしてだろうな?」
そうだ。真に腹に据えかねるのはその点だ。竜騎士たちから、抗議の手紙がダンボール数ダース分は届けられているのにも関わらず、未だ改善方針が発せられていない。見て見ぬ振りをしているのか、見てすらいなかったのか……呆れたことに、その答えをテラー課長は沈黙で返した。
「やっぱりな。あんた、今の今まで調査隊の現状を把握していなかっただろう?」
『すまない、許してくれ!』
ザックは溜息をついて暫く灰皿を見つめた後、まだ一喫いしかしていない煙草を力任せに押し付けて火を消した。テラー課長のこの一言は、ザックの怒りに油を注ぐどころか、ニトログリセリンを投下したようなものだった。爆発した感情が言葉とともに体外へ放出される。
「すまないじゃあねえよ‼ あんただって竜撃隊上がりだろうが! 事前情報の正否が俺たちにとってどれだけ重要なことか、身に染みてわかっているだろうが!」
モニターから一度視線を外したザックは舌打ちをして頭を掻いた──まるで、冷静さを欠いた自分を恥じ入いるかのように。ザックが最低限の落ち着きを取り戻すまでには、約一五秒間の時と喫煙による鎮静作用を必要とした。
「いいか、エド? 俺はなにも、一ミリの狂いもない完璧な情報を提供し続けろと言ってる訳じゃない。俺が……俺たちが言いたいのはな、『情報の精度を上げろ。誤報の頻度を減らせ。せめて以前の水準まで戻せ』ってことだけだ」
ザックは紫煙をゆっくりと吐き出すと、今にも落ちそうな煙草の灰を見つめながら、テラー課長に忠告を続けた。
「このまま放っておいたら、これから山ほど死人がでるぞ。枕元で亡霊たちに怨み言を囁かれたくなかったら、徹夜でも何でもして今日明日中には何とかしろ」
『ああ、当然だな、至極当然のことだ。約束するよ』
テラー課長は自らを納得させるように数回首を縦に振る。淡褐色の瞳には改過自新を誓った光が揺蕩っているようだった。正直今更の感は拭えないが、これで少しはマシになることだろう。
『……ところで、ザック。オツェアノ島にいるユーイ・アルファナ嬢のことなんだが……その……大丈夫だろうか?』
「あいつは優秀だ。腕も立つし機転も利く。大抵のことだったら切り抜けられるだろうよ。だがな、いまオツェアノ島で直面している不測事態を大抵のことに分類するには無理があるってもんだ」
『で、でも、ザックになら何とかできるだろう?』
「ああ、できるさ。俺に時間停止や瞬間移動なんて便利な能力があればな。それとも、あんたがあの殺人狂のクソトカゲどもに交渉でも持ちかけてみるかい? ミハイル・ザックバーランドが来るまで、コーヒーでも飲んで大人しく待っていてもらえませんかってな。以外にやってみる価値はあるかもしれないぜ。なにせ、あいつらと和平交渉を結ぶことができれば、あんたはあのディスティン・ラリービルトンやラインハルト・ハイ=エル・フロンティアを抜いて、人類史最高の英雄になれる」
テラー課長は、ばつが悪そうに右手でこめかみを掻いた。迂闊な御仁である。藪をつつけば、出てくるのは猛毒を持った蛇だとわかっていたはずなのに……。人間の形をした蛇はテラー課長に向かって尚も毒を吐き続ける。
「そうだ、それが叶ったら自叙伝でも出そう。題名はこうだ。‶新・竜輝士伝説 ~愛と勇気で世界を救った男 エドウィン・テラー~〟。発行部数一億冊は間違いないぞ。いや、それだけじゃない、きっと映画のオファーもくる、世界中であんたを讃える歌もつくられる。夢が広がるよなあ、まったく」
『……ザック。そんなに苛めないでくれよ』
「……悪かった。少し気が立っていてな」
『そうだな、無理はない。彼女はアルファナ家の御令嬢だものな』
「おい、今の発言は俺とユーイを侮辱しているようなもんだぜ。俺が心配しているのはユーイ・アルファナ個人であって、アルファナ家への体裁なんかじゃない。ユーイだってそうだ。あいつが門地を盾に仕事をしたことなんて一度たりともない。個人の能力より、家柄や身分で評価をするなんて下卑た考えはして欲しくないものだな」
テラー課長は立派な鷲鼻を指で掻きながら、再三にわたる迂闊な発言を嘆いた。
『す、すまない。駄目だな、今日の私は。どうやら、口より頭と手を動かした方が良さそうだ』
「ああ、それが良い、そうしてくれ」
『……ザック、電話を切る前に礼を言わせてくれ。ありがとう、助かったよ』
「何のことだ?」
『ザックに気付かせてもらわなかったら、取返しの尽かない過ちを犯すところだったかも知れない。あんたも私を色々気遣って、苦言を呈してくれたんだろう?』
ミハイル・ザックバーランドは知的で瀟洒な好人物である。しかし、困ったことに皮肉家でもあり、毒舌家でもあり、天邪鬼でもあった。それはザック自らが証明している──謝辞や称賛の言葉に対しても、毒を吐き続けられずにはいられないという救い難い彼の性によって。
彼を理解できない人は、それを‶意地悪〟だと言う。
彼を理解している人は、それを‶優しさの裏返し〟だと言う。
彼自身は、それを‶最高に格好の良い男の生き様〟だと言う(???理解不能)。
テラー課長をいずれかに分類するのならば、ザックを理解している人だということは間違いない。さすがに十年来の知己とも言える間柄だ。お互いのことはよく熟知しているということか。
「あんたの楽天主義もここに極まったな。まあいい、ただの不平不満を恩義に感じてくれるなら、俺としては重畳極まりないことだ。貸しは幾つ作っておいても損はないからな。ところで、借りの返し方は心得ているだろうな?」
『これ、だろ?』
テラー課長は虚空から目に見えないグラスを掴み、口元で傾けた。その仕草にザックは笑みをこぼし、次いでテラー課長も微笑んだ。
「さあ、俺もあんたもそろそろ仕事に専念するとしよう。美味い酒を飲む秘訣の一つは、目前の仕事を完遂することにあるからな」
『違いない』
二人は互いに、伸ばした人差し指と中指を額に軽く当て、それをモニターに向けて払うと、無言のまま通話を切った。
テラー課長との通話を終えたザックは、おもむろに操縦席から立ち上がり、セラフィン号の後部にある武器庫へと向かった。セキュリティロックを解除して入室すると、ウェポンラックから何の迷いもなく武器を取り出した。
ザックが選んだのは、携帯式防空ミサイルの亜種である超速乾性凝固剤ミサイル二基、閃光音響弾二個、発煙弾二個、ミスリル合金製のサバイバルナイフ二本、ミスリル合金製の槍斧一本だった。
武器を抱えて退室するザックにボクは質問した。
「島に入るの?」
「ユーイの状況如何では、入らざるを得ないかも知れないだろ? ユーイからのメッセージを見る限り、まだしつこく粘着されているみたいだしな」
「お姉ちゃんにとって、フンバーバはそれほど危険な相手だってこと?」
「いや、俺が心配しているのは更なる不測事態だよ」
「更なる不測事態? ザックは何を懸念しているの?」
「フンバーバ以外の竜がいるかも知れないってことだ。大体おまえ、あんなデカブツを見逃すような近眼野郎の調査報告なんて信用できるか?」
十分過ぎる程あり得る話だ。そして、悪い予感程当たるとはよく言ったもので、まるでボクとザックの会話を聞いていたかのようなタイミングで、お姉ちゃんから不測事態を告げる凶報が入った。
『ザック、少しまずいことになっちゃったよ』
「何があった?」
『囲まれた。かなりの数にね。それに……保護した子が竜印されている』
状況は悪化の一途を辿っているのに、ことのほか、お姉ちゃんの口調は十分に冷静さを保っていた。だが、その沈着振りが却ってボクの不安を加速させる。なぜなら、極限状態を超えた先で待っているのは大抵が絶望であり、絶望は諦めの境地へと誘うからだ。でも、ボクとザックはお姉ちゃんを信じている──ユーイ・アルファナは、どんな状況になっても捨て鉢になるような人じゃないってことを。
「……オーケイ、一つずつ確認させてくれ。奴らの数は?」
『フンバーバ以外は全て鬼人型の竜だと思うけど、少なくとも一五体以上いるのは間違いないと思う。前門の竜、後門の竜、側門にも竜、って言ったところよ』
なんというパワーワードだ。数十年も経てば、窮地を示す故事成語の仲間入りを果たしそうな響きすらある。
「距離的余裕は?」
『あまりない。こっちがどんなに移動しても、常に四〇〇メートルくらいの距離を保ちながら、こっちの様子を見ている感じ』
ザックはボクの方に首を巡らせて問う。
「マイ、計算してくれ。アメンボ号を飛ばして、俺が上空から飛び降りれば、ユーイのところまでどれくらいでいける?」
「八分。八分でいけるよ!」
ザックが挙げた案は、ボクも考えていたことだったので、反射的に答えることができた。
「──だそうだが、八分間そこで持ち堪えられそうか?」
『どうかな? 少し厳しいと思う。あいつらのスケジュール表にランチタイムが記載されていれば話は別だけどね』
ザックは「上出来だ」と呟いて口角を上げた。こんな状況でも、冗談を口にできるお姉ちゃんの精神的な強さを喜ばしく思っているようだった。ボクもザックと同じ気持ちだ。やっぱりお姉ちゃんは強い女性だ。
「たしかに、あいつらがレジャーシートを広げてランチバスケットを囲む姿なんて想像もつかないな。じゃあ、包囲網を突破できるか? どの方向にでもいい」
『……南側へは無理。数が多すぎる。できるとしたら北側にだね。フンバーバ一体と鬼人型二、三体を躱せれば突破できると思う』
「北側はおまえたちがフンバーバから逃げてきた山の方向か」
ザックはオツェアノ島の3Dマップを開いて打開策を思案し始めた。左手で顎下の無精髭を数回擦ったところで、フィンガースナップを一つ鳴らした。どうやら妙案が浮かんだらしい。
「よし、おまえたちはフンバーバと遭遇した場所に戻れ。そこにアメンボ号を着ける。一〇分後にそこで会おう」
それは悪手なのでは、とザックに諫言したくなったが、その案を二つ返事で了承するお姉ちゃんの瞳を見て思い留まった。透き通るようなスミレ色の瞳には一片の疑念すら浮かんではおらず、ミハイル・ザックバーランドという百戦錬磨の竜騎士に対する絶対の信頼と敬意のみが煌めいていた。そうだ。余計な差し出口は控えることにしよう。今はザックを信じるんだ。
『じゃあ、一〇分後に。お願いね、ザック』
そう言って電話を切ろうとするお姉ちゃんを、ザックが慌てて制止した。
「待て、切るな! 電話はこのまま繋げっ放しにしとく。口喧しいとは思うが我慢しろ。少しの辛抱だ」
お姉ちゃんは笑いながら頷いた。
「突破のタイミングはユーイに任せる。ただし、合流地点に早く着き過ぎるなよ。おまえたちが早く着き過ぎて、袋小路に陥るようなことだけは避けたい。上手く時間を使って一〇分後に来てくれ」
『了解。一〇分過ぎてからだね』
「マイ、アメンボ号を航空形態に変えてくれ」
「イエッサ‼」
ボクはザックの携帯電話とセラフィン号のリンクを解除し、メインコントロール権限をボク自身へと移行させた。セラフィン号へ変形指令の信号を送ると、船内外にアナウンスと警報が鳴り響く。ボクとザックは急いで武器庫から操縦席まで戻った。
≪これより本艦は航空形態へと移行します。乗艦されている方々は、変形部位に手足、衣類等を挟まぬようにご注意ください。繰り返します。これより本艦は航空形態へと移行します。乗艦されている方々は、変形部位に手足、衣類等を挟まぬようにご注意ください。変形完了までのカウントダウンを開始します。残り九〇秒……≫
甲板上にあった操縦席が船内へと下降し、外装の各部が空気抵抗を考慮した流線形状へと変化してゆく。
≪変形完了まで残り六〇秒……≫
収納されていた補助翼、尾翼がせり出し、放射状に拡がっていた三対の可変式主翼が本来の姿へと戻ってゆく。
≪変形完了まで残り三〇秒……≫
計四基のアルファー社製真円動力装置に加え、新たに計三〇基の補助装置が各部から姿を現した。
≪変形完了。全て異常なし。それでは、良い空の旅をお楽しみください≫
変形完了のアナウンスと同時に、お姉ちゃんが緊張を帯びた声を発した。
『奴らが動いた! 来る!』
お姉ちゃんを映し出すモニターが大きく揺れる。移動を始めた証拠だ。
「いいか、ユーイ? ゴブリンだろうが、フンバーバだろうが、一対一の状況ならおまえが遅れを取ることはない。多対一の状況になることだけを避けるようにして、合流地点まで来ることだけを考えろ。自信を持て。そして、どんな時でも──」
『頭を使うことを忘れるな、でしょ? ‶醒心は精神なり、鬼謀は希望なり〟大丈夫。竜騎士の心得、忘れてないよ』
「そうだ、今更言う必要もないことだったな。よし、クールにいこうか。クールによ」
ザックは平静を装いつつ、お姉ちゃんを鼓舞したが、操縦席の肘掛けを掴む右手が内心を吐露していた。強化プラスチック製の肘掛けがひしゃげている。会話の中で使ったクールという単語は、自らに言い聞かせる為だったのかも知れない。
ボクはすぐに離水準備に取りかかった。セラフィン号は水陸からの垂直離着が可能だが、その大きさと重さ故、通常機よりも時間を要する。エンジンのウォームアップが終わるまで約一二〇秒間。この間、ボクたちにできることは、ただひたすら時間の経過を待ち続けることだけだ。
この果てしなく永い一二〇秒の間に、先程、仕事に専念すると清い誓いを立てたばかりのさる御仁から連絡が入った。ザックは受信欄を見るや否や、舌打ちをしてミイに命じた。
「ったく、タイミングの悪い奴だ。ミイ、メッセージを送ってくれ。『今は取り込み中だ。電話には出られない。急ぎの用ならメッセージで送ってくれ。』ってな」
……円満とは言い難かったけど、折角良い感じで話しをまとめることができていたのに……軽挙妄動の生きた見本みたいな人だな。
一二〇秒のカウントダウンがようやくゼロを示した。ボクはすぐさまセラフィン号を離水させる。
強烈な水飛沫を巻き上げ、セラフィン号は飛翔した。オツェアノ島全体を見渡せる高さまで達すると、お姉ちゃんの守護天使となるべく、合流地点へと向かって空を駆け始めた。