PART2. ユーイ・アルファナ【1】
私たち人類が公式記録上初めて竜と遭遇したのは、現在から約一二〇年前のことである。
アークス歴一九九九年七月七日六時三七分、アジーリア国内に在るホクト警察署の警電が鳴った。発信先はホクト警察署の管轄区域であるアジーリア列島最北端のタツノミヤ島に所在するタツノミヤ駐在所からだった。
『こちらタツノミヤ駐在所! タツノミヤ島は現在、正体不明の怪物に強襲を受けて壊滅の危機に直面しております! 大至急、救援を請う!』
この時、たまたま応対に当たったアラタ巡査長と、傍に居合わせた同僚のビトー巡査長は思わぬ急報に言葉を失ったが、暫くすると顔を見合わせ一笑に付したと云う。苦笑を禁じ得ぬまま、アラタ巡査長はマニュアルに習い返答した。
「落ち着いてください。貴官の名は?」
『……タツノミヤ駐在所配属のタテカワ巡査であります』
「タテカワ巡査。正体不明の怪物とは? 壊滅の危機とはどういうことですか? もう少し詳しく説明していただかなくては──」
アラタ巡査長の語尾をかき消すようにタテカワ巡査の怒号が飛んだ。
『さっき報告した通りだ! このままだとタツノミヤにいる人間が全員死んじまう! いいから早く──』
タツノミヤ署からの──タテカワ巡査からの通信はそこで途切れた。
その後、アラタ巡査長はタツノミヤ駐在所に幾度となく通信を試みたが、繋がることはなかった。
アラタ巡査長とビトー巡査長は再び言葉を失う。彼らが次にとった行動は先程と同じものだったが、相違点があるとすれば、二人の表情に笑みはなく、狼狽に歪んでいたということだった。
この時点で、二人は初めて事の重大さに気付く。タテカワ巡査の報告が虚報ではなく凶報であることに。それも前代未聞の、前古未曾有のものであると直感で理解した。それ程までにタテカワ巡査の言葉には説得力があった。重みがあり、神通力にも似た不思議な力が込められていたように感じたのだった。二人はただちに一部始終を上層部に報告し、タツノミヤ島へ向けて特別機動隊の出動要請を具申した。
同日一〇時〇〇分、一三〇名から成る特別機動隊がタツノミヤ島へ向けて出動するに至ったが、ここまで事が迅速に運んだのは、上層部に具申した人物がアラタ巡査長とビトー巡査長だったからこそと云われている。たしかに彼らは俊才と言っても差支えない人物だった。だからといって、信憑性の乏しい情報だけで上層部を納得させることなどまず不可能である。そこで二人は、警察の顕職に就いている親族を頼った。この件に関して、非難誹謗する者はほとんどおらず、むしろ二人の迅速な決断力と実行力を称賛する者が多かった。二人とも〝力の使い方〟を心得ていた人物だったと言えるだろう。しかし、この迅速で慎重を期した対応も虚しく、作戦は失敗に終わることとなる。
タツノミヤ島へ向かった部隊は一四時四五分には到着し、一五時〇〇分には作戦行動に移ったが、それ以降三〇分置きに課せられた定時報告が一切無かったのである。これが意味していることは二つ。一つは、まずありえないことだが部隊が所持する通信機器の全てが故障した。もう一つは、通信機器を扱える人間が一人もいなくなった──つまりは部隊の全滅である。
同日二二時〇〇分、警察首脳部は苦悩の末、タツノミヤ島に出動した部隊が全滅したと判断を下し、新たな作戦立案を急務と課した。
翌日七月八日六時一五分、警察から指揮権を譲渡された国防軍は第二次作戦を発動。その作戦に投入された人員は前作戦の五倍以上にもあたる七二七名であった。
多数を以て少数を制することは、古来より兵法の定石であり王道である──が、それはあくまで敵の情報が僅かながらにもあってこそのこと。軍首脳部は、この戦略考案における最も基本的かつ極めて重要な〝情報〟の収集を失念していたと言える。それは事件解決を急ぐばかりに生まれ出た焦燥の表れだったのか、それとも自分たちの力を過信していたからだったのか、現在となっては知る由もないが、後日、軍事評論家やそれに類する人たちから非難の嵐を浴びることになった。
七月八日一〇時一〇分、作戦に参加した七二七名中、五一七名は二四の小隊に分かれ、先行部隊としてタツノミヤ島へ上陸。各隊は方々から索敵を行いながら、島の中心地に位置するタツノミヤ広域公園を目指した。
この日、タツノミヤ島は雲一つない快晴で、快適な気温、爽やかで心地よい風が島中に満ちていた。陽気過ぎるといって良いほどの日和は、島の景観をいつも以上に美しく見せたが、それは逆に、各隊がそのあと目にする凄惨な光景を際立たせることになった。
目的地に近づくにつれて、海鳥の姿が目立つようになり、海鳥たちは路上のいたるところで大小様々に群れを成してなにかを啄んでいた。この時、海鳥が啄んでいるなにかが何であるのかをほとんどの者が直感で察していたことだろう。なぜなら、彼らには上陸当初より抱えていた一つの疑問があったからだ。タツノミヤ島に上陸してから、一度も姿を見せぬ島民と第一次作戦に参加した機動隊一三〇名、彼らの安否は? 彼らの所在は? もちろん、ある程度の予想と覚悟はしていたつもりだった。しかし、現実はより残酷で陰惨を極めていた。
海鳥の群がりを追い散らすと、そこにあったのは全身が血と泥にまみれた赤児の死体。身体の半分以上が欠損した状態で、外面から視える部分は皮膚より肉と骨の部分が多かった。そして、他の鳥群が飛び去った跡にも同様に、老若男女問わず、ありとあらゆる形状の死体がそこかしこに散乱していた。
のどかで美しい島の風景には、あまりにもアンバランスでグロテスクな屍山血河が広がっていた。常人なら、瞬く間にパニック状態に陥り、まともな精神状態を保っていられなかっただろう。だが、彼らは規律と統制を崩すことなく再び広域公園を目指した。この時、精鋭部隊としての使命感や責任感、そして矜持が地獄の門への案内役になるとは思いもよらぬことだったに違いない。
一一時三五分、全部隊は予定通り広域公園で合流を果たす。しかし、ここまでの作戦行動中、全部隊を通じてタテカワ巡査の報告にあった〝正体不明の怪物〟を未だ発見できずにいた為、作戦司令部より索敵行動の続行命令が下された。
一一時四〇分、午後一番で開始される索敵行動の前に、各隊員は広域運動公園内にて小休止を取ることになる。無論、運動公園内にもおびただしい数の死体が散乱しており、身を休ませるには精神的にいささか難行と言えたが、彼らは任務遂行に支障をきたさぬよう、半ば無理矢理にでも休息に専念した。
一一時五五分、休憩時間も残り僅かとなり、各々が装備点検をし始めた時だった。見張り役の隊員が何かに気付き、全隊から二〇〇メートル程離れた林の中を指差す。そこに全容ははっきりしないが、少し項垂れたような格好で佇む者がいた。生存者がいた──隊員たちはそう思い、幾度となく声をかけるが一向に反応がない。隊員たちの方を向いて、その場で不気味に立ち尽くしているだけだった。
いつの間にか、風は止み、島中の生物という生物が沈黙を強いられ、辺りは静寂に支配されていた。異質な雰囲気と異様な光景に満たされた空間の中で、隊員たちの恐怖と緊張は秒単位で増幅し続け、それは程なくして臨界を迎える。隊員たちは無意識の内に銃の安全装置を外し、臨戦態勢を取ろうとしていた。
その時だった。先程まで佇んでいた者が突如として姿を消した。それと同時に最前方から隊員たちの悲鳴が響き、それに少し遅れて甲高い破裂音が辺りにこだました。
隊員たちがその方向に視線を向けると、目を疑う光景が飛び込んできた。
腹部から上を失った下半身が鮮血を滴らせながらも依然と佇立している姿があり、周囲には元が上半身だったと思われる肉片と骨片が四散し、地面を紅く染め上げていた。そして、その見るも無残な姿に成り果てた隊員の隣には、異形の怪物が在った。
二本の脚で大地に立ち、二メートルを優に超える体躯──尾を含めば全長三メートルはくだらない。身に纏う筋肉は、まるで無数の鋼線で形成されているかの如く高密度で、柔靭かつ強靭極まりないことを窺わせていた。胸部と腹部以外は艶のある緑暗色の鱗で覆われ、ところどころ隆起した部分は厚く角張っており、鱗というよりは堅牢な甲冑を連想させた。首から上は動物に例えると鰐に酷似していたが、あまりにも凶々しい形相、瑠璃色の有鱗目、前額部から突き出る青白い光を帯びた一本の短角が、やはり隊員たちの知り得る生物ではないことを実感させた。
その姿は人のようであり、鰐や蛇のようでもあり、鬼や悪魔のようでもあった。
一二時〇〇分、島に正午を報せる鐘の音が響き渡る。
正午の時報に呼応するかのように、そして、その音色を打ち消すかのように、雷鳴にも似た銃声が四辺に轟いた。隊員たちの銃口から放たれた無数の弾丸は、自らの存在意義を証明する為、死神の尖兵と化して眼前の敵へと襲いかかる。火薬の爆発音、超高速で怪物を擦過する金属音、地面に落ちる薬莢の音が、恐ろしく無機的で冷然な三重奏を奏であげた。だが、隊員たちの奏でる死のメロディは怪物の魂に届くことはなかった。
怪物は迫りくる凶弾など意に介すこともなく、島中に響き渡らんばかりの咆哮をあげた。それは獅子や虎などの猛獣と近似していたが、獰猛さや声量は比較にもならず、なにより……呪詛でも込められているかのようにおぞましいものに聞こえたという。
心の淵より湧き出た恐怖は、目に見えぬ鎖となって、隊員たちの心と体を完全に縛り付けた。そこから先は一方的な殺戮の始まりだった。怪物の巨腕から繰り出される一撃は、薄紙を破るかの如く隊員たちの肉体を貫き、しなやかで頑強な尾が振るわれれば、触撃した箇所を爆砕し、凶悪極まりない五爪は容易に人体を分断する。怪物の一挙手一投足が隊員たちの死に繋がっていった。
隊員たちは次々と切り裂かれ、引き千切られ、叩き潰され、踏み砕かれ、徹底的に、執拗に破壊されてゆく。そして、怪物たちが振るう圧倒的で理不尽なまでの暴力は、隊員たちの精神までも破壊した。ある者は祈り願い、ある者は赦しを請い、ある者は泣き叫び、ある者は怒り狂い、ある者は壊れたように笑う。応戦する者は皆無で、遁走する者すら極々少数であった。
そして、混乱と混沌が渦巻く状況の中、この魔島から無事生還を果たしたのは五一七名中僅か一二名と記録されている。
一二時五八分、残存部隊は作戦区域から離脱すると同時に、事の顛末を司令部に報告した。この時、司令部に報告したサワダ少佐は、タツノミヤ島で遭遇した正体不明の怪物を〝竜人〟と表現している。敵対象の呼称名がまだ決まっていなかったこともあり、正体不明の怪物は翌日から〝竜〟と呼ばれることとなった。
翌々日七月一〇日、軍首脳部はこれ以上の人的損害をよしとせず、遠距離からの砲撃及び爆撃による第三次作戦を決行したが、結果的に島の景観を著しく損ねた上、その後、島へ投入した調査隊九〇名の命をあたら失わせるだけに終わった。
七月一四日、事件発生から一週間が経過し、政府及び軍首脳部は事件解決の為の有効な手段を見いだせぬままでいた。しかし、このまま難航するかに見えたタツノミヤ島の事件は、良い意味で周囲の予想を大きく裏切り、早期解決を果たすこととなる。
七月一六日一五時五二分、四度にも渡る大規模の行動作戦の末、死者七二〇名、行方不明者二名を出した史上最悪の害獣(?)事件は終結の時を迎えた。事件解決の吉報に、政府や軍首脳部は安堵の小さな溜め息をつき、前線に身を置く兵士たちは歓喜の雄叫びをあげた。
タツノミヤ島に巣食う魔物を討ち果たしたのは、人海戦術による大攻勢でもなければ、超常兵器の類によるものでもなく、人間の──それもたった一人の青年の手によるものだった。青年の名はディスティン・ラリービルトン。のちの竜騎士機関創設者にして初代機関長になる人類史最高の英雄と称される人物である。
斯くして、タツノミヤ島の惨劇は幕を下ろした。だが、時を置かずして新たな幕が上がる。悲劇は鬼劇へと変わって……。
AC一九九九年七月中旬以降、世界各地で竜の出現報告が相次いでいった。その都度、ディスティン・ラリービルトンは任地に赴き、幾百、幾千もの竜を討滅していった。しかし、竜の出現は加速度的に増していくばかりで、如何に彼が万夫不当の勇士でも、その全てに対応することは困難となっていった。
圧倒的人材不足、対応効率の悪さに憂慮したディスティン・ラリービルトンは、竜の討伐を主な目的とする組織を自ら立ち上げようと奔走するのであった。それは莫大な資金調達から始まり、人材の収集、諸外国や各企業との交渉、組織運営方法の構築、遂には公権力の取得までに至った。
そして、ディスティン・ラリービルトンは約一〇年の月日を費やし、国際機構の一つとして世界特別治安維持機構、通称〝竜騎士機関〟を設立した。
それはAC二〇〇九年三月二六日、現在からちょうど一一〇年前の今日のことである。
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「じゃあ、三〇分後にね」
本日の任務完了報告とおおよその帰還時刻を上司に伝えた後、私はポーチに入れていた飲料水を取り出し、運動後で少し渇いていた喉を潤した。続いて小腹が空いてきたが、あいにく手持ちの食糧は全て平らげてしまっている。仕方ないけど、ここは船に戻るまで我慢することにしよう。
それにしても……ここから見える景色のなんと美しいことか。深緑の木々をメインに、その上から花や果実の鮮やかな暖色が各種至る所に散りばめられ、背景には陽光が反射して宝石の様に輝く翡翠色の海が広がっている。風光明媚とはこういうことを言うんだろうな。
自然の織り成す絶景に暫し目を奪われていたが、私のお腹に潜む食いしん坊虫はそれを許さない。悲しそうな鳴き声をあげながら、早く帰ろうと駄々をこね始める。一乙女として恥ずかしい限りだが、結局、私は花より団子を選ぶ人間だったようだ。
「ミイ、帰りのナビを出して」
『イエッサー!』
ミイは帰りのナビゲーションマップを手の平からマジックさながらに取り出し、私の視界左側に丁度良い大きさで広げてくれた。
「ありがと」
早速、帰路に着こうと歩き出した直後、ミイは私の視界に映っているマップの裏から顔だけを覗かせ、私に話しかけてきた。
『お姉ちゃん、お姉ちゃん、はいこれ』
ミイが次に手の平から取り出したのは、網目の焼き跡がくっきり付いた分厚いステーキの画像だった。その画像は数秒置きに、違う食べ物の画像に切り替わっていく。デミグラスソースのオムライス、色とりどりのフルーツが乗ったパフェ、バターとシロップがたっぷりとかかった数段重ねのホットケーキ、etc.etc.……。尽きることのない食べ物のスライドショーに(しかも私の好きなのばっかり!)、私には制御不能の食いしん坊虫がまたしても悲鳴を上げた。
「……ちょっと何よ、これ」
『いや、お腹減ってると思ってさ』
「やめてよ、もう! 余計お腹が減っちゃうでしょうが!」
ミイは子憎たらしい笑みをこぼした後、マップの裏側へ隠れてしまった。
私の身体状態は、携帯電話の本体である左手首に着けているブレスレッドにリアルタイムで把握されているので、現在空腹であることをそこから察知されてしまったようだ。食べ物の画像を使い、嫌がらせと辱めを誘発させる行為をしてくるとは……年頃の女の子に向かって何たる非道な仕打ちをすることか。
アルファAIを搭載し、人間と殆ど変わらない思考能力や感情を持つミイやマイは、ユーザーが希望する行為を限りなく最良の形でサポートする使命があるはずなのだが、どうも私に対してだけは別のようである。まったく……ほんと、私に対する言動が誰かさんソックリだ。
まあ、だからといって、悪いことばかりではないけどね。誰かさんソックリな故に、私としては、真面目なこともくだらないことも気兼ね無く話せるからだ。但し、注意しなければならない点として一つ、ミイと話す時は周りの目を気にしなければならないこと。ミイの姿は第三者からは視認することができないし、声も聞こえないので、周りの目を気にせず会話を続けていると、白い目で見られることが多々あるのだ。しかし、ここは人っ子一人いない無人島。私達の会話が誰に聞かれる訳でもないので、ミイには寂しい帰りの道中、話し相手になってもらおう。空腹を紛らわすのにも丁度良いしね。
そうだ。この島のことをミイに聞いてみようか?
美しいものに興味を抱くのは、きっと人間の本能の一つなのだろう。先程見た風景のあまりの美しさに感銘を覚えた私は、この島のことをもっと知りたいという知識欲と好奇心に駆られていた。もちろん、オツエァノ島の事に関して何も調べていなかった訳ではない。任地へ赴く前に、その土地の情報収集をしておくことは竜騎士にとって極当たり前の行動ではあるが、大抵が突然入る依頼の為、任務達成に必要な限りの簡易的なものになってしまうことが多い。だから、何が有名で、何が盛んで、何が見所なのかも知らずに、その土地を離れてしまうことがほとんどなのだ。二度と訪れることができないかも知れない土地々々なのに、これでは余りにも勿体無さすぎると感じるようになってきた。こんな風に感じられるようになったのは、素直に成長の証だと捉えても良いよね?
「ミイ?」
『なぁに?』
「この島のこと、なにか聞かせてよ」
『……』
ミイは急に押し黙ってしまった。固まったように動かない。どうしたのだろう? いつもならこの程度の質問、瞬時に返してくるはずなのに。
「どうしたの? ひょっとして調子悪い?」
『ああ、ゴメン。そういう訳じゃないんだけど電波が悪くてさ、情報のダウンロードが遅いんだ。マイの電波受発信もそんなに強くはないしね』
そう言えば、この島の周辺は磁場の影響がなんとかで電波が悪いと、マイが言っていたことを思い出した──通常の通信機器なら完全に繋がらない程に。だから、今回の任務には通信電波を送受信できるマイに同行してもらったのだった。
『お待たせ。じゃあ問題です』
ミイはいきなり私にクイズ形式で問いかけてきた。……まぁ、それも面白い。単なる雑談でもユーザーを退屈させまいとするその心配りは感銘すら受けるよ、ほんと。
『聡明で博識なお姉ちゃんなら答えられて当然だと思うけど〝世界で最も美しいビーチ一〇〇選〟に選ばれているオツェアノ島のブルームーンビーチ、特に水質の透明度は世界でも指折りです。では、その透明度は世界で何番目と言われているでしょうか?』
こいつめ! いちいち棘のある言い方を……しかし、それは私にとって既に知り得た問題だった為、ミイが問題を言い終えるか否かのタイミングで即答した。
「二番目!」
『ファイナルアンサー?』
「ファイナルアンサー!」
ミイは神妙な面持ちで暫く沈黙を続けた。緊張感を煽っているつもりだろうが、別に賞金や罰ゲームが賭かっている訳でもないし、回答に絶対の自信もあったので、私の心境に然したる変化はない。
『正解!』
「フフン、楽勝」
『じゃあ、世界で一番目は?』
「ミラージュベイでしょ?」
『ほほう、中々やりますな。では続いて二問目。お~っとぉ! これはアルファナ氏にとってはラッキー問題だぁ! この島の固有植物で、解毒・解熱に効果がある花があります。その花の名前は?』
「オオツキノソウでしょ?」
『ファイナルアンサー?』
「ファイナルアンサー!」
またしても沈黙するミイ。一回目とは違い、リアクションも少し捻りを加えてきた。視線を外しニタリと笑ってみたり、おもむろに溜息をついてみたり、下向き加減で首を左右に振ってみたりと……やっぱり前言撤回。ユーザーを退屈させまいとするその心配りは天晴れなものだが、演技過剰もここまでくるとはっきりいってウザったく感じる。
は・や・く・こ・た・え・を・い・え‼
心の中でそう呟いた後、何秒程経過しただろうか。未だ答えを出し渋っている出題者から一度視線を外し、ふと、この島の絶景に目を向けると思わぬ光景が私の視界に飛び込んできた。
山道の合間から見えるその先には、少し開けた野原があり、その中央付近には誰かが大の字の格好で仰向けに倒れている。いや、寝転んでいるのだろうか?前者であるのか後者であるのかはここから判断できないが、とにかく人がいる──一般人は立ち入り禁止のこの島に。
遠目なのではっきりとはわからないが、服装は上下とも黒色ベースのものを着用しており、身体にあまり凹凸が無い様に見える。おそらく男性だろう(女性だったらごめんなさい)。
『正解! しかし、ここからが本番です。この島は……どうしたの、お姉ちゃん?』
「ねぇ、あれって人じゃない?」
『あ! ほんとだ』
「何してんだろ?」
『さぁ?』
「ていうか、何でここに人がいる訳?」
『何でだろうね?』
そうだよね。たしかにわかる筈ないよね。しかし、ミイはわからない迄も、現場を一通り確認した後で物騒な推測をし始めた。
『そもそもさ、あの人生きているのかな?』
「は?」
『だってほら、あの人が倒れているところ見てみてよ? 何かクレーターっぽくなってない? つまり……ねえ?』
なるほど。突然の出来事に、私は状況判断をしっかりと出来ていなかったようだ。言われて見れば、彼を中心に地面が浅い円錐状で凹んでいる。たしかにクレーターのようなものに見えなくもないし、ミイの言いたいこともわからないでもないが、それだけで彼が既に生存していないと決めつけるのは、早計が過ぎると思うけども。
「……つまり何? あのクレーターみたいなのは、あの人が空から落ちて来て地面に激突して出来たものだって言いたいの?」
『パっと見ね……でも仮にそうだとしたら、生きているのが不思議だよね?』
「えぇぇ⁉ そうかなぁ? いくら凄く高いところから落っこちて来たとしても、人間が激突してあんな綺麗なクレーターが出来る?」
『うん、できないね』
撤回早すぎ。て言うか、わかってて質問してきたな、こいつ。
『じゃあ、とりあえず声かけてみる?』
「そうね。ほっとくわけにもいかないし」
そう、放って置く訳にはいかない。竜が出没するような危険な島で、あのような行為は自殺行為以外のなにものでもないし、そもそもここは、一般人立ち入り禁止区域と国際法で定められている。つまり、あの人がもし、この島に不法入島していた場合は、それは紛れもない犯罪行為であり、竜騎士である私としては、それを律さなければならない立場にあるからだ。
私が意を決し、声を掛けようとした次の瞬間、彼に動きがあった。とりあえずは生きていてくれて何よりである……何よりではあるが、私はその不可解な行動に対してどう反応して良いのかわからず、とりあえずは黙って様子を窺うことにした。
彼はゆっくりと上半身だけを起こし、暫くの間、微動だにしなかったが、何かに気付いたように周りを見渡した後、もう一度仰向けに寝転んだ。その行為を八セット繰り返したところで、おもむろに立ち上がり、突如崖の方へ向かって走り始めた。そして、崖際数メートル手前で止まり叫んだ。
「ここは何処だぁぁぁ⁉」
その声を聞いた次の瞬間、私の四肢から一気に力が抜けた。体のバランスが崩れ、思わず地面に手をつきそうになったが、すんでの所で堪えることができた。喜劇舞台などでは良く見られるリアクションの一つだが、それはあくまでも、演技上でしか発生しないお約束みたいなものだと私は思っていた。しかし、そんな思い込みも今日で改め直さなければなるまい。貴重な体験ができたと喜ぶべきなのかな?
『あれは体を張ったジョークなのかな? だとしたら……やるね、彼。尊敬に値するよ』
ミイは心にもない言葉を口にする。その証拠に口角が一ミリたりとも上がってはいない。完全に真顔だ。きっとミイも、こんな状況を前にどんな対応をしたら良いのかわからなくなっているのだろう。だが、それは私にも言えることで、声を掛けるタイミングを完全に失い、いま暫く様子を見ることにした。いや、実際のところ、何て声を掛けたら良いかわからなくなってしまったのが本音だけれど……。
「誰かぁ! 誰かいませんかぁ‼」
私はどうしたら良いのかわからずミイに相談してみたが、ミイは『逆にボクが聞きたいよ』と答えるだけだった。
彼は叫び続けた。必死に、力の限りに叫び続けた。やがて、声が枯れてしまったのか、それとも叫ぶ気力すら無くなってしまったのだろうか、崖側を向いていた彼は、その場で一八〇度振り返った後、力なく腰を下ろし、消え入るような声で呟いた。
「助けて」──と。
ここから彼までの距離はゆうに二〇〇メートル以上もある。本来なら聞こえるはずもない。だけど私には聞こえた。彼の心の叫びが。いつものように私にだけは聞こえるのだった。
今度こそはと思い、声を掛けようとしたが、そのタイミングはまたしても外されることになった。
「「あ!」」
私とミイは同時に驚きの声を上げた。
何て間の悪い。いや、悪い処の話ではなく最悪だ。この最悪という言葉は彼や私に向けてのものではなく、予期せぬ来訪者へ向けてのものである。その予期せぬ来訪者は、突如彼の後ろ──即ち、崖の向こう側からゆっくりと姿を現した。
ホラー映画宛らに、まずは左手のみが崖の向こう側から音もなくゆっくりと現れ、崖端に爪を立てる。ここでまず驚いたのはその左手の大きさだった。私の遠近感が狂ってしまったのではないかと錯覚する程の巨大な左の掌は、傍にいる彼とほぼ同等サイズのものだった。続いて左肩部と頭部が勢い良く同時に崖の上に身を乗り出してきた。ここで闖入者の正体が判明する。
竜だ。
初めて目にする個体にも関わらず、それが竜であることに一片の疑念をも抱かなかった理由を挙げれば、あまりにも凶々しい形相に瑠璃色の有鱗目、頭部の両側から前方へと突き出た青白い光を帯びた二本の角、そして、その姿は人のようであり、鰐や蛇のようでもあり、鬼や悪魔のようでもあったからだ。
遂に全身を露わにした竜は、彼の前でゆっくりと立ち上がった。ミイが表示してくれた計測では全高一五メートル、尾を含めた全長は二一メートル、推定体重は九〇トン以上となっている。私がこれまでに遭遇した竜の中でも間違いなく最大級の個体だ。
ミイは目の前に現れた竜の外見、体長、体重、特徴を過去の討伐記録と照合させ、個体種を特定した。
『顎部と胸部に金色の体毛……あれ巨人型の‶フンバーバ〟だよ』
「個体レベルはいくつなの?」
まずはミイにその一点のみを問う。個体レベルとは討伐難易度の指標にされている数字で、言い換えれば竜の強さを測る数字でもある。私がこれまでに討伐したことのある個体レベルは最大でトリプル──それもチームを組んでの話。ミイの返答がそれ以下の数字であることを祈った。しかし、現実はそう思い通りにいかないのが常である。
『……クアドの竜だよ、あれ』
全身に緊張が走る。鼓動が早くなっていくのに対して、体の動きが鈍くなっていくのを感じる。不安と恐怖が私の自信を蚕食し始めているのがわかる。それでも私ならきっとできる──フンバーバを打倒し、彼を救えるはず。そう自分に言い聞かせようとした瞬間、日頃からザックに口酸っぱく言われている言葉が頭をよぎった。
『自信を持つことは大切だ。だが、自信を持つことと過信することを履き違えるなよ。この業界に長いこといるが、早死する奴は総じて過信している奴らだったからな』
……自信を持つことは良いが持ち過ぎるな、か。この判断は経験の浅い私にはまだ難しいところだ。
「ねぇ、ミイ。私にアイツを倒せるかな?」
『討伐する気⁉ クアドの竜だよ?』
「だから聞いているの。正直に答えて」
『……た、多分厳しいんじゃないかな。だから止めて! 危ないってば!』
「大丈夫、無理に倒そうとは思わないから。危ないと思ったらすぐ撤退するわ。フンバーバの詳細データと地形マップを出して」
『本当にやるの?』
「早くして!」
私は渋るミイを一喝した。
『わ、わかったよぉ』
ミイはフンバーバに関する資料を二枚に絞って私の視界左上に、地形マップを視界右上に映した。
『基本行動はゴブリンとかと同じで、単純な動作の攻撃しかしてこないみたいだけど、炎の竜言語魔法を使えるみたいだから気を付けて。それと、過去に出現しているフンバーバのデータから見ると、竜核がある位置は頭部四八%、左胸部三四%、腹部一六%、左大腿部二%だって』
「ありがとう。じゃあ、ザックに繋いでちょうだい」
早速ミイはザックの携帯に電話をかける。少しして、ザックが携帯電話の呼出音に設定している音楽(名前は忘れた)が流れ始めたが、比較的短めのイントロを聞き終えることもなく演奏は止んだ。
『どどど、どうした? もう帰ってきたのか? ずいぶん早いな』
「ごめん、急いでいるから一回しか言わないよ、よく聞いてね。帰還途中で不法入島と思われる少年一名を発見。その場で巨人型の竜、フンバーバと遭遇しました。これより少年の保護を最優先としつつ、フンバーバとの交戦に入ります。尚、合流地点をA(南南東海岸)からB(南南西海岸)に変更。到着予定時刻は一一時四五分とします」
『ああ⁉ 少年? フンバーバ? 何が何だって?』
一回で理解出来る訳もない話だから当然の反応だ。だが、もう一度説明している時間もない。一方的に話すだけ話して大変申し訳ないと思ったが私は通話を切った。きっと、ミイが再度詳細を伝えてくれるだろうから。
……通話を切る直前、ザックの歓喜の声が聞こえたが、あちらで何が起きているか今は考えている暇はない。
早く彼を助けに行かなきゃ。