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72 戯れ

 


「ぎゃぁあああああああああああっ!」


 ヴィンセントの断末魔のような叫び声が隠れている体育館裏まで聞こえてきた。


「やっぱりかぁ~……」


 私、クリスティーナ・セレスチアルはアジサイの植え込みの中でため息をついた。

 作戦会議中のヴィンセントとの会話を私は思い出す。


『ジェットは絶対に『君の叫び声を聞かないと始まった気がしないよね』とか言いながら最初にヴィンセント様を狙ってきますよ。なるべく時間を稼いでください』


 ジェットは相手の反応を見るのが大好きだ。驚かせたり怒らせたり、とにかく人をからかう事を生き甲斐にしている。そんな彼のお気に入りがヴィンセントだ。開戦の狼煙のろし代わりにヴィンセントの叫び声を聞きたがるだろう。そう思ってヴィンセントには忠告をしておいたのだ。

 まさか本当に読みが当たるとは思わなかったが、私の観察眼に曇りはなかったようだ。


 時間を見ると、まだ始まって10分程度しかたっていない。ジェットは5分の間にヴィンセントを見つけたことになる。もうヴィンセントは捕まったことだろう。


「うう、せめてもうちょっと粘って欲しかったなぁ~……」

「え、何が?」

「何がって、ヴィンセント様が……え?」


 私が頭上を見上げると、体育館の軒から宙ぶらりんになってこちらを見下ろす悪魔がいた。満面の笑みを浮かべてこちらに手を振る彼。私はさーっと頭から血の気が引いた音が聞こえた。


「クリス、見ぃーつけっ!」

「うわぁああああああああああああっ!」


 完全に淑女を忘れた私は絶叫をして一目散に逃げだす。身体強化で飛ぶように地面を蹴り、木の幹を蹴り上げて、一瞬でも彼の視界から外れようと縦横無尽に動き回る。


(こっちはマーシャル様とクォーツお兄様に鍛えられてるんだからね!)


 ジェットがいなかった2年で私は脳筋の第2王子マーシャルと実兄のクォーツに身体強化のコツを教わり、格段に身体強化の質が上がっている。瞬発力を上げて少しでも視界から外れれば逃げられる確率は上がるはずだ。

 私は雑木林の多いグラウンド裏へ逃げ込むが後ろから悪魔のはしゃぎ声が木霊していた。


「あはははははっ! 待て待て~っ!」

(まだついて来るの~っ!?)


 私はそっと背後を確認し、絶句する。



 ──歩いている。



 それはもうご機嫌るんるんで散歩してます、足元が完全にお留守ですと言わんばかりに歩いている。歩いているはずなのに、一定距離を保って身体強化して走っている私の後ろをついてきていた。


「ジェット! 貴方、身体強化しか使わないんじゃなかったわけ!?」


 絶対に身体強化以外に魔法を使っているだろ。でなければ歩いている状態で私に追いつけるはずがない。抗議する私にジェットは天使の笑みを浮かべた。


「知らないの、クリス? 人間の目って動きが速すぎると、ゆっくり見えるなり止まって見えるなりするらしいよ!」

「どんな速度で足を動かしてるのよ!」


 すでに常識を逸脱している悪魔の動きに私はもはや涙目だった。

 これであの悪魔がまだ本気を出していないかと思うと背筋が凍る思いだ。まだ隠れ鬼が始まったばかりだというのに、希望が絶望に変わっていく。


「ほらほら、もっと早く逃げないと捕まえちゃうぞ~っ!」

「ひぃーっ!」


 うきゃうきゃと笑い声を上げ続ける悪魔が怖すぎて私はもう振り返ることができない。


 私はセレスチアル家の人間だ。人と比べると魔力の巡りがよく、ブルースには負けるが身体強化で長時間魔力を使うことだって慣れている。しかし、しかしである。いくらなんでもジェットと私で能力の差が大きすぎる。足の速さではまったく敵わないと悟った私は、魔力の糸を練り上げ、走りながら周囲に張り巡らせた。


「あはははははっ! 待て……ん? うわっ!」


 落ち葉の塊がジェットの顔面にあたり、ジェットの動きが止まる。その隙に私は小さな茂みに身を潜ませた。


「っぺ、ぺっ! うぇ……口に入った……あれ?」


 体についた落ち葉を払った彼は、赤い瞳をきょとんとさせて辺りを見回す。


「あれ~? クリスー?」

(お願い! どっか行って!)


 祈るように両手を合わせて私はジェットに念を飛ばす。


 そして、きょろきょろ周りを見渡していた彼と目が合い、思わず私は呼吸を止めた。


 しばらく見つめ合い、私の額から吹き出た冷や汗が頬を伝って流れる。彼はにやりと口元を持ち上げると私に背を向け「どこ行っちゃったのかな~」と瞬く間に姿を消した。

 緊張から解き放たれた私は脱力を覚え、膝を地につけた。


(ば、化け物か、あの悪魔!)


 完全に人間の枠から外れている。悪魔というより魔王の間違いじゃないだろうか。一体どれだけループをしてきたか定かではないが、彼は魔法の扱いを熟知している。ヴィンセントの断末魔が聞こえてからものの数分で新しい獲物を見つけるなんて人間技ではない。


(でも、読み通りわざと見逃したわね……)


 完全に目が合っているのに見逃したということは、私は最後に狙われるのだろう。私は懐中時計を開けると時間はまだ30分も経っていない。このまま残っているシヴァルラスとグレイムがある程度時間を稼いでくれるといいのだが、こればかりは悪魔の気まぐれに頼るしかない。


(2人が上手く逃げてくれるといいんだけどな……)


 きっと彼はギリギリまで遊び倒す。あの2人がどこまで逃げ切れるか分からないが、私は私で奮闘するまでだ。


(とりあえず、場所を変えなくちゃ……)


 息を整えた私は茂みから這い出て、新しい隠れ場所を探すことにした。




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