60 微睡みにいる悪魔は悪夢に溺れる
彼女が泣いている。
屋敷から唯一持ってきたお気に入りの人形を抱きしめて、静かに声を押し殺して泣いていた。
『私ね、大好きだったの。貴方がたくさん褒めてくれたダンスも、礼儀作法も、笑顔も……』
目から大粒の涙を流しながら独白する彼女に、ただ静かに耳を傾ける。
『大好きだったの……なのに……苦しいの……』
彼女の心が徐々に黒く蝕んでいく。今にも壊れそうな、軋む音まで聞こえそうなほど、彼女はあまりにも痛ましい。
彼女の涙が人形の瞳を濡らし、まるで彼女と共に悲しんでいるように見える。
『あの人はそれでもいいって微笑んでくれるけど……つらいの……できなくなってしまった自分が……いやなの……』
彼女はもう誰かと踊ることも、誰かに微笑むこともできない。
何も彼女にしてあげられない今の自分がどうしようもなく惨めで、悔しくて、胸が痛くなる。
──嗚呼、泣かないで。
そう言っても、その言葉は今の彼女にはきっと届かない。
抱きしめても彼女に熱は伝わらない。
『ねぇ、私はあの人の隣にいていいかしら……?』
──大丈夫、隣にいていいんだよ。
『私が笑えなくても、あの人は嫌いにならないかしら……』
──嫌いになんてならないよ。
『あの人は、私を選んで後悔しないかしら……』
──後悔なんてしないよ。誰よりも気高く、誰にも負けない高嶺の花。それを手に入れた男が後悔するはずがない。
大丈夫。大丈夫だよ。君は完璧な淑女だ。嘘で塗り固め、愛想だけを振りまく令嬢達より、君の方がずっと綺麗だ。君はボクの誇りだ。
だから、だから……──もう傷つかないで……ボクの声を聴いて……




